第113話 対魔獣
「『――――』」
私の正面にはニキータの仇と思わしき蜘蛛型の魔獣がいる。脚は八本。触肢は二本。色は茶。体格は3メートル級。八つの瞳が私を睨みつけており、接敵は避けられない状態。センスを纏ってないところを見ると、前世の記憶がある魔獣じゃない。外界にいると言われる動物と変わらず、礼儀やルールなんてものは存在しない。
本能による闘いだ。
敵と判断したら殺す。行動原理はたったそれだけ。周囲の束縛から抜け出し、過去の因縁を清算し、自己を確立して、ここに立っている私とは住んでるステージが違う。行き着く果ては同じでも、私の足元にも及ばない存在だ。
とはいえ、コサック部隊を全滅させた可能性は捨てきれない。意思の力を抜きにしても強力な魔獣はいる。モチーフとなった動物の身体的特徴を活かすだけでも十分な脅威になる。図体もデカいし、類まれな膂力と俊敏性を兼ね備えているなら……。
「――――」
いない。いつの間にか視界から消えている。少しでも気を抜いたらパクッと頭からいかれるな。戦闘は不慣れなんだけど、意思のない魔獣に後れを取るつもりはない。
「……」
私はその場で跳躍し、周囲を俯瞰できる空中から敵の位置を探る。どんな対抗策を取るにしても、相手がどこにいるハッキリしなければ、全て空振りに終わる。頭では全部分かってる。蜘蛛如きの行動パターンなんて読めている。後は結果に結びつけるだけ。幸いとしてセンスの馴染みがいいし、負ける気がしなかった。
……ちょっと待って。敵はどこにいるの。
パッと見だとどこにもいない。360度見渡せる位置にいるはずなのに、居場所を特定することができない。理想と現実は違うと早くも思い知らせる。どれだけ策を巡らせていたとしても、たった一回、裏をかかれただけで頭が真っ白になる。
「――――ッッ!!!?」
背中に走るのは、鋭い衝撃だった。状況から察するに、相手は天井に張り付いていて、まんまと背後を取られたんだ。おかげで斜め掛けのバッグは切り裂かれ、地面に向かって落ちていく光景がスローモーションで見えた。中には物騒な化学反応を引き起こしかねない薬品や、『赤』の第一級指定文庫が収納されている。落ちた衝撃で用意した物が全て台無しになるかもしれない。かといって、バッグをキャッチしようとすれば、無防備な姿を晒し、蜘蛛の餌食になるかもしれない。
ただ幸いとして、ダメージは軽微。
威力の大部分はセンスが緩衝材となって吸収し、敵の攻撃は肌まで届いてない。牙でいかれたら毒を注入される危険があったけど、感触から考えて歩脚の先端にある爪かな。切り裂くためというよりかは、獲物を突き刺して捕縛する、または、糸の上を歩くような繊細な動作に用いられる。本気の一撃には程遠く、言ってしまえばジャブのようなもの。突き刺せたなら手元まで引き寄せてカブッとかじりついて終わりだし、そうでなくとも奥の手は残ってる。
『――――』
反射的に上へ視線を送ると、そこには天井に張り付く蜘蛛型魔獣の姿。お尻の部分をこちらに向けており、ブルブルと力んでいるのが目に見えて分かる。次の展開はお決まりだ。まず間違いなくアレが来る。気にすべきは形状であり、直線型が放射型かの二択だった。どちらにせよ、触れたらアウト。センスの有無にかかわらず、食糧にされてしまう。
あぁ、やること山積みだな。自分の身を守らないといけないし、地面に落ちつつあるバッグをどうにかしないといけない。意思のない魔獣だと舐めてかかっていたけど、これは思ったよりも厄介だわ。初戦の相手にしては、なかなかにヘビーかもしれない。
ただ何にしても、やられっぱなしはムカつくんだよね。
「…………」
私は身に余る黒のセンスを両手に集中させる。身体を守る防御力と引き換えに、類まれな攻撃力を得た形。
『――――――』
それとほぼ同時期に蜘蛛型魔獣のお尻部分から発射されたのは、直線状の糸。目で捉えられないほどのレベルじゃなく、これは想定通り。
「……!!!」
右手による裏拳を放ち、放たれた糸を弾く。後方に飛んでいき、向きは調整済み。地面に落ちつつあるバッグの下へと吸い寄せられている。これで懸念事項は一つなくなった。残すべきは……。
『――――ッッ』
私は空いた左手で糸を引き寄せる。その勢いに負けて、蜘蛛型魔獣は天井から引き離され、こちらに迫ってくる。ここまできたら意識することは少ない。ニキータを食らった仇だと断じ、鉄槌を下すまで。
「――――――!!!!!!!」
全力で叩きつけるのは悪意のこもった右拳。蜘蛛型魔獣の顔面を捉え、クリーンヒットしている。手応えアリだ。敵の八つある目はパチリと閉じ、命がけの初戦を勝利で終えようとしていた。
だけど……。
「…………っっ」
ここまでは読めてなかった。敵の頭部にある鋏角から毒液が溢れ出し、こちらの顔面にかかってしまう。どうにか身を逸らして直撃は避けたけど、右頬が犠牲になった。肉が焼けるような音がして、肌に激痛が走る。
恐らく、元の顔には戻れない。
覚醒都市で生きていれば、焼けただれた右頬を見て笑いものにされるだろう。致命傷も致命傷。かつての自分だったら、発狂レベルの不運だったはずだ。
(ははっ……。ラッキー。目に入んなくて良かったぁ。これなら軽く洗い流すだけで済むや)
でも、私はそれを笑い飛ばす。容姿を気にするステージはとうに終えている。ここからの人生は自分が主導となって動く。行く先々に出会うかもしれない他人がどう思おうと関係がなく、ハッキリ言ってどうでもよかった。気にすべきは失明するリスクの有無だったり、身体に支障がないかどうか。医療の知識がある私にとって自己診断は容易く、この程度ならどうとでもなることを知っていた。
「『…………』」
ドスンと音を立て、私と蜘蛛型魔獣は地面に着地する。恐らく、とどめは刺せていない。気絶はしているけど、生き長らえている状態。因縁を考えれば、殺すべきだ。初期衝動を大事にするなら、ここでケリをつけるべきだ。
でも、人は変わり続ける。
時と場合と状況に応じて、心情は変化する。それは数年前でも数分前でも同じことで、私の興味関心はすでに別のところへ向けられていた。
「…………」
テントは破壊されている。だけど、蜘蛛の巣が張り巡らされているわけじゃない。恐らく、犯人は別にいる。少なくとも、蜘蛛型魔獣がコサック部隊を襲い、食糧にされた可能性は薄い。よって、必要以上に危害を加える必要なし。魔獣が元人間なのは知っているし、無益な殺生は人でなしのやることだ。食べる目的だったら仕方がないのかもしれないけど、今は別に空腹じゃない。
(縁があったら、またね……)
糸に絡みついたバッグを回収し、小結界で千切れた肩掛け部分の生地と生地を繋ぎ合わせる。持参していた経口補水液で右頬を洗い流し、私はキャンプ地を後にして、下咽頭付近を散策することにした。
◇◇◇
『『『…………』』』
地面に倒れ込むのは、鰐型犬型雉型の三匹の魔獣。どれも小ぶりなサイズで、意思の力は使えていなかった。覚醒都市出身の使い手が遅れをとるわけがなく、無傷で仕留めることに成功していた。
「長旅を見越すなら、食糧にしとく?」
そう提案するのはライサ。見立て通り『肉体系』で、単純な殴る蹴るだけで魔獣を圧倒できるだけの身体能力を有している。奥の手はあるんだろうけど、素の実力だけでも大したものだ。看護婦にしておくには惜しい人材と言える。
「いいや、やめておこう。荷物になるだけだ。そこまで長旅にするつもりはないし、困った時に調達すればいい。そもそも、私たちの目的は『ラダのストーキング』だ。運ぶものが多いと目立つし、見つかる可能性も上がるだろ?」
「あー、確かに。だったら放置でいっか」
会話はそこで終わり、ライサは足早に奥へ進もうとしている。
「……先に行っててくれないか? すぐに追いつく」
マステルは気絶している魔獣に目を向けつつ、言い放った。特に気にする様子はなく、「はいよー」とだけ言い残し、彼女は気管方面に進んでいった。辺りに人がいないことを十分に警戒し、そっと倒れた魔獣たちに触れる。
「さて……アートの一部と化してもらおうか」
三匹の魔獣は淡く輝き、三枚の白い硬貨と化した。鰐犬雉のそれぞれの特徴が表面に刻まれており、一目で見分けがつくようになっている。
「――――」
マステルは作業着の前ポケットにそれをしまう。用途を明かさないまま、ライサと合流する。「待ったかな?」「待ってない。来なくてもあたしは困らない」などとやり取りを交わしつつ、後れを取り戻すために二人は歩みを速めた。




