第112話 行き着く果て
総合病院の裏手から覚醒都市に抜け、複雑に入り組んだ気管支を歩くのは二人。
「その婚約指輪さ……ただもんじゃないでしょ」
横並びで歩きつつ、問いかけるのはライサ。視線はマステルの左手薬指に向けられており、そこには黒の菱型が連なる一風変わったデザインの指輪がはめられていた。
「どうしてそう思ったのか、聞かせてもらっても?」
「婚約指輪に黒は『死』を連想させて縁起が悪いから基本的にNGでしょ。デザインも平凡なものとは異なるし、何らかの特別な意味合いがあるに決まってる」
「あぁ、一般的な感性からしたら、そう見えるかもね。仮に何か意図があったとして、具体的な内容はなんだと思う?」
「は? そんなの知らんし。答える気がないなら、からかうのはやめて」
「これから死中を共にするんだ。どういう性格なのか知っておきたくてね。こちらからの質問には基本答えない。という認識で記憶するが、それでいいかな?」
「うっざ。なんその誘導尋問。そんなネチネチした性格でよく結婚できたね」
「理解ある妻で助かったよ。食えない野郎なのが逆に興味を惹いたのかもしれない」
「……自己認識はまともなんだ。まぁ、なんでもいっか。それで答えは?」
「そっちの答えを先に聞こうか。お気に召したら教えるよ」
「いちいち鼻につくなぁ。その鼻っ柱ぶん殴ってやろうか?」
「勘弁してくれ。君には恐らく腕っぷしじゃ敵わない」
「……はぁ。なんか萎えた。暇だし、オジの戯言に付き合ってあげるか」
二人は周囲を警戒しつつ、小気味よいテンポで歩みを進める。本命であるラダとは十分な距離をあけており、見失わず、見つからない程度に調整してある。そんな中、ライサは小首を傾げながら思考を重ね、パッと閃いたような表情を作った。
「魔除けでしょ。ブラックオニキスとかの宝石がモチーフなら、あり得る」
「なるほど。じゃあ、菱型にした意味は?」
「うーん? これも魔除け、とか? ダブルミーニングで最強的な?」
「その理論でいくと、菱型が連なってるからトリプルミーニングかもね」
「……つまり、間違ってると?」
「そうは言ってない。良い線をいっていたと思うよ」
マステルは答えをはぐらかし、自身が施した結婚指輪をじっと見つめる。それと同時にピタリと足を止め、耳を澄ました。
「ん? 急にどったの?」
「……敵だ。左右から魔獣の気配。数は三」
マステルは確信じみた答えを言い放ち、左右に枝分かれする気管支を見つめる。
『『『――――』』』
その助言通り現れたのは、鰐型犬型雉型の三匹の魔獣。足を止めていたおかげで奇襲されることはなく、なんの不都合もない接敵が行われていた。
「へぇ……その指輪、そういう仕様か」
ライサの関心は魔獣になく、マステルの左手薬指に意識が注がれる。
「答え合わせは後。今はラダに気付かれないよう、魔獣を処理しようか」
会話は切り上げられ、二人は赤と緑のセンスを薄っすら纏い、戦闘態勢。ラダまで直線距離にしておおよそ500メートル。互いに全力を出せば伝わりかねない位置関係。気配を抑えながら勝利する。その特殊条件が加えられ、戦闘が開始された。
◇◇◇
私は『赤』と呼ばれた文庫本に軽く目を通す。古臭くて回りくどい表現だなと思いつつも、ロシア語で綴られた文章で読むのに難儀はしなかった。読書家でもなければ、批評家でもないし、内容について細かく触れるつもりはない。面白いか面白くないかは私にとってどうでもよく、唯一関心があったのは……。
どの文字列が強いか。
戦闘向けだと聞いていたし、さぞ過激な文章が刻まれていると思いきや、意外とそうでもない。冒頭数ページだからという可能性もあるけど、今のところ攻撃面で使えそうな文章はなかった。
(ふぅ……。今はいいか)
正直、活字は得意じゃない。インドア派じゃなく、アウトドア派だし、文庫本を読んでいたら周りにネガティブな印象を与える可能性があるから好みじゃなかった。一人で行動しているから、周りを気にする必要はないんだけど、身体に染みついた癖ってのは簡単に抜けるもんじゃない。これから何をするにしても、私が必死に作り上げた虚像が足を引っ張る気がしていた。
「…………」
しかし、ビックリするほど静かだな。普段なら憲兵が見回りをしているはずなのに、全く見当たらない。万が一、接敵した場合の策は考えてあったけど、このままだと無駄に終わりそうだった。もちろん、何も起きない方がいいに決まってる。戦闘には不慣れだし、ライサに勝てたのも不意打ちだったからだと思う。声を封じられたことによってセンスの総量が増したのは分かるけど、さすがに戦闘のプロ相手に真っ向からやって勝てると思うほど自惚れてはいなかった。
「……?」
不意に背筋がゾワリとしたような気がして、私は後ろを振り向いた。だけど、そこには何もない。だだっ広い気管が見えるだけで人の姿や気配はなかった。
(気のせいか。少し強くなったからって、上級者ぶるのは良くないな)
私は再び正面に向き、歩みを再開する。もう少し進めば、ニキータが属するコサック部隊の野営地が見えてくるはずだ。運が良ければ会える。言葉は伝えられないけど、センスを介して通じ合えることはできる。私はその化学反応が見たい。自分でも予測できない『未曽有の体験』を堪能してみたい。自然と胸は高鳴り、足を進める度に気分は高揚していく。これが本当の意味でのアウトドアなのかもな。もっと早くに気付いていればよかった。周りの期待や価値観に合わせて進路を決めるんじゃなく、自分の心が赴くままに生きれば良かった。
でも、ま、いいか。今が良ければ全て良し。過去は綺麗サッパリ水に流してきたし、この先で何が起きようと後悔はない。ライサを殴った時に死ぬ覚悟は完了している。寿命をグッと縮める覚悟で外に出ている。王国で永遠に生きるなんて真っ平ごめんだ。私は私として生きたいし、私のまま死にたい。誰かの顔色を伺って、誰かに主導権を委ねてきた自分とはおさらばするんだ!!
「――――」
期待に胸を膨らませ、見えた先は中咽頭。荒れ果てたキャンプが真っ先に目に入り、それをバリバリと食らっている蜘蛛型魔獣の姿が確認される。
私は想像力が豊かな方じゃない。どちらかというと鈍い方だ。人の顔色や空気を読むのは得意だけど、論理的な考察に長けているわけじゃない。あらゆるものを感覚で処理し、快か不快かでフィルター分けして、それを状況に応じて使い分けるのが得意だった。
これは紛れもなく……不快だ。
安易な想像の行き着く果てが、私を不幸のどん底に叩き落とす。自らの手で壊すならまだしも、第三者の手によって壊されるのだけは違う。沸々と湧き上がるのは、負の感情。紫色のセンスは黒色へと変化し、全知全能だと思えるほどの強さを身に纏わせる。その感情のぶつけ先は決まっている。今までの古臭い私に足を引っ張られてなるものか。
「『――――』」
蜘蛛型魔獣だけは殺さなければならない。絶対に、絶対にだ。




