第111話 準備
職場とライサとの関係に区切りをつけた私は、次なる場所を目指した。ある程度、装備は整えられたとはいえ、このまま考えなしに外に出るのは馬鹿のやること。個人的な動機のために誰かを巻き込むつもりはないけど、身を守る装備は出来るだけ多い方がいい。かといって、多すぎたら身のこなしに影響があるから、『あと一つ』。これだというものを入手できたら、いよいよ家出スタートだ。
「…………」
たどり着いたのは大図書館。外界の叡智が本に集約され、誰でも閲覧可能な施設。特に見張りなどはおらず、自由に出入りすることができた。古びた木造の扉を押し開き、足を踏み入れる。
なんの役にも立たない俗世に染まった文庫本には脇目も振らず、大図書館の最奥へと移動する。その壁際に飾られているのは赤、青、緑に色分けされた三冊の文庫本。結界によって厳重に隔離されており、容易に触れることは許されない。
私はアレが欲しい。
第一級指定文庫と呼ばれ、消耗品である魔術書とは一線を画するものだ。物語として綴られた文字を空間に刻むことによって、そのシーンを再現することが可能になるらしい。単純な攻撃力だけで押し切れない相手に有効で、汎用性も高く、消耗しない。使いこなすにはそれなりに時間がかかるかもしれないけど、ないよりかは絶対にあった方がいい。
問題はどうやって盗むか。
「あの三冊の中なら、どれが欲しい?」
心を見透かされたような発言に、背筋がビクッとする。右隣に視線を向けると、館長のエフレムが立っており、第一級指定文庫を目を細めて見つめていた。盗むなら敵に回すことになるんだろうけど、今は少しでも情報が欲しい。
「…………」
私は喉に手を当て、首を横に振って、喋れないことをアピールする。事実だし、盗むのが目的とは夢にも思っていないはずだから、すんなり信じてくれるはずだ。
「喋れんときたか。では、1、対人。2、対魔獣。3、対環境ならどれがお好みかな?」
懇切丁寧に指を一本ずつ立て、用途を絞ろうとしている。もちろん仮定の話で、こうなったらいいなという希望的観測にもとづく質問のはずだ。
「――」
私は迷わず人差し指を一本立て、意図を伝える。
「であれば、『赤』がお勧めとなるな。思春期ならではの葛藤と孤独が赤裸々に語られておる。今のお前さんにピッタリな内容と言えよう」
エフレムはザックリとした内容を説明し、結界を解除して、赤い表紙が特徴の文庫本を手に取っている。タイトルは書かれていない。『赤』がタイトルなのか、他にちゃんとしたタイトルがあるのかは不明。というより、それどころではなく、台詞の後半部分に私の脳内リソースの大半が注がれていた。
「………」
ただ、良くも悪くも言葉を発することができない。露骨に驚いたりすることはなく、表面上は肯定も否定もしていない。どちらとも受け取れるように反応したつもりだけど、エフレムがどう思ったのかまでは読めなかった。
「ふむ。やはり訳アリか。条件次第で貸し出してやってもよいが、詳細を聞きたいか?」
思惑を語らせるための罠なのか、本気の提案なのか。大して知りもしない相手を無条件に信じるのは危うい。罠なら軍に突き出されて終わりだ。かといって、本気ならチャンスを棒に振ることになる。
悩みどころだけど、どっちにしろ結局は同じ道を辿る。
「――――」
私は頷き、現実と向き合う覚悟を決める。
「この宝箱を覚醒都市の外に持ち出せ。それ以降は自由に扱って構わんよ」
託されたのは、手平サイズの宝箱。判然としないままそれを受け取り、ついでと言わんばかりに赤の文庫本を手渡され、私の準備は整った。
◇◇◇
都市から外に出るには白軍が厳しく検問を行っている。外出許可証の確認と手荷物検査が実施され、問題ないと判断されれば、ようやく通ることができる。外部に通じる出入り口は複数あり、そのほとんどが軍に管理されているけど、恐らく誰も知らない裏ルートを私は知っていた。
「………」
覚醒都市西部にある都市総合病院の裏手。ゴミ収集のために設けられたスペースの奥に裏ルートがあった。薄い膜のようなものが張っていて、ここだけ脆く、突き破った先にナロトの気管支と繋がっている。他の肉壁とは見分けがつかず、総合病院の敷地内にあるため、軍も隈なく調べなかった穴場だった。言うまでもなく、病院関係者だったから偶然気付いた。ゴミ出しの際に不幸にも転んでしまい、頭から壁に突っ込んだら、ナロトの気管支に出たというのがオチだ。
軍に報告しても仕事に支障が出るだけだし、面倒だからと黙っていたけど、まさか使える日が来るなんてね。
「――――」
周囲を十分に確認し、誰もいないと確認してから、私は右手刀を袈裟懸けに振るい、膜を切り裂く。軽く青い血が飛び散り、ナロトと都市の境界線と思わしき黒っぽい影が見えた。あれを突き破れば、ようやく外に出られる。中咽頭、もしくは、煉獄界に滞在するニキータと接触できる可能性はグッと高まる。
会いたいという気持ちは強いけど、会ってどうしたいかは決めていない。そもそも今のままだと喋ることはできないし、意思疎通の手段は限られる。
それでも……。
「――――――――」
私は迷うことなく前に突き進む。より良い未来が来ると信じて薄暗い影の先を行く。どういう心情変化を迎えるかは道中次第。先行き見えない不安定な旅路に、柄にもなく気分は高揚していた。
◇◇◇
ラダは出立した。覚醒都市に背を向け、死を覚悟した旅に出た。彼女の動向を知る者は限られており、大半の人間は何が起こったのかを理解していない。ただ、それを見届ける者が二名いた。
「あんた、名前は?」
右頬を腫れあがらせたナース服姿のライサは、正面を向いたまま背後に問いかける。そこには白の作業着姿の男が立っており、大して驚いた素振りを見せず、口を開いた。
「マステル。そっちは?」
「ライサ。さっきの子の同僚兼友達。彼女とどういう関係?」
「詳しくは言えないが、こう見えても既婚者だ。ストーカーの類じゃない」
マステルは左手薬指の指輪を見せ、発言を最低限の内容に留めている。
「だったら何目的? 場合によったら消すよ?」
赤いセンスを滾らせるライサは、威圧する。ラダに取り入ろうする悪い虫だと断定し、戦闘も辞さない覚悟を見せていた。
「参ったな。守秘義務というものがあってね、依頼主の情報をうっかり話すわけにはいかないんだ」
「だとしても言えることがあるでしょ。さぁ、言って。何目的?」
ライサは振り返り、マステルに詰め寄る。右拳にセンスを込め、暴力をチラつかせた脅しをかけていた。
「参ったな。守秘義務に触れない程度に話すが、彼女にはとある物資の運送が任されている。その行く末を見届けるのが私の役目でね。ある意味でストーカー行為になってしまうかもしれないが、下心はない。一部始終を見届けたら帰るつもりさ」
両手を上げ、マステルは話せる範囲で心情を吐露する。ライサは目を細め、疑いの視線を向けるも、納得したのかセンスを鎮めている。そのまま引き下がって帰ると思いきや、彼女は話を続けた。
「じゃあ、あたしも連れてって。こっちは本物のストーカーだから」
端的に理由を述べ、行き当たりばったりのパーティが成立する。互いに対した物資は持っておらず、水や食糧は全て現地調達。準備万端に出立したラダとは一味違った旅が始まろうとしていた。




