第109話 進路
伍長という肩書きは、軍の階級制度と照らし合わせれば下から数えた方が早い。そのため、立場を低く見られがちで、一般人を相手にする場合、まず見下される。『その年でまだ伍長かよ』という直接的な言葉を言われるならまだいいが、実際の声は更に陰湿だ。
『ニキータなら軍曹? ぐらいまでならいけるよ。頑張って』
これは同性の友人が悪気もなく口にした言葉だが、お前には軍曹が限界だ。というニュアンスが含まれている。表面上は励ましているように見えるが、ジメジメとした内面が言葉の節々に透けて見えている。
出世しない方が彼女にとって都合がいいのだ。
伍長という役職に留まれば留まるほど、彼女は自分を棚に上げて見下し続けることができる。友人関係で一定の優位性を担保したまま、常に上から目線で接することができる。表面上は人当たりがよく、明るい性格に見えても、腹の底は真っ黒だ。実際のところどう思っているかなんて確認のしようもないが、悪く受け取られても仕方がない言葉を彼女は口にしている。
外界ではこういった類の人を『友敵』というらしい。
『友』と『敵』を組み合わせたもので、主な特徴は、感謝しない、謝罪しない、成功したら否定する、失敗したらけなす、などだ。表面上は仲良く接しようと近付いてくるため、気付きにくい。ある時を境に豹変することが多く、タイミングは向こうに委ねられているため、事前に判断するのは『感覚系』の意思能力者でもなければ難しい。
何を機に『友』から『友敵』に移行するかを知るのが未然に防ぐために重要になるが、個人的には自信が欠如している、もしくは、弱みをさらけ出し過ぎる人間がターゲットにされると判断している。
最初は何事もジャブから始まる。軽い雑談の延長線上でポロッと出した弱気な発言に対し、どのような反応をしてくるかで前兆が分かる。
『実力は伍長より上でもなければ、下でもない』
『ふーん。虚勢でも自信満々に目標を高く掲げる方が恰好いいと思うけどなぁ』
記憶が確かなら、この会話を境に友人は豹変した。ポジティブな活動報告に水を差したり、仕事のやる気を削ってくるような発言が多くなった。こうなった相手を変えることは難しく、関わらないのが一番なのは頭で分かっている。
ただ、良くも悪くも人当たりはいいのだ。
一方的に見限るにしても、やり方を間違えれば、彼女が属するグループ全体を敵に回す。顔が広いだけに、彼女一人の影響力は計り知れない。だからこそ、ダラダラと関係を続けてしまっている。彼女の頼みは断れず、嫌味や皮肉を言われても言い返さずに、グッと我慢している。
出世して見返したいという気持ちもあるにはあるが……。
「……謹んでお断り申し上げます」
ニキータは自分の実力以上の役割を拒絶する。コサック部隊を仕切れとの申し出に対し、過度に謙遜してしまう。軍の命令系統を遵守するならば、ミハイル軍曹かエリックス軍曹が現場指揮官に選ばれるべきであり、いかに『布』を生じる意思能力が戦術的優位性を持っていようと、上に立つべきではない。
しかし……友人の頼みは断れないというのに、なぜ上官の頼みは断れるのだろうか。自分でも理解不能な反応に驚きを覚える。軍隊の規律を持ち出せば、いくらでも正当化できる自信があったが、それで心の渇きは癒せない。
伍長に留まりたいのか。
軍曹に昇進したいのか。
将官を目指したいのか。
進路はおおよそ三つに絞られるものの、どれもしっくりこない。軍隊に所属しておいて言う台詞ではないのかもしれないが、正直なところ出世にあまり興味がない。見栄を張るためだけに役職や肩書きにこだわることに違和感があった。
行き着く先は、『友敵』だ。
上の立場に立ってしまえば、部下を雑に扱いかねない。従えたい欲求に抗える自信がない。込み入った話を気兼ねなく相談できればいいが、相手がいない。今の部隊には気心の知れた相手はおらず、思い切って上官に打ち明ける勇気もない。
「ふむ。本人は乗り気でないようだが?」
最初から乗り気でなかったミハイル軍曹は、ほら見たかと言わんばかりに言い出しっぺに強気な態度で接している。
「言い方が悪かったかね。命令だ、ニキータ軍曹。部隊を取り仕切れ」
エリックス軍曹は襟を正し、今までとは違った鋭い口調で言い方を変える。同じことを言っているように思えるが、まるで違う。これが頼みではなく、命令であるのならば、話は全くの別物だった。
「……謹んで承ります。命令の円滑化を図るために、敬語は省略させてもらいますが、構いませんね?」
「むむむ。ハッキリ言って不服ではあるが、一度やってみろ。無理だと判断すれば即座に変わってやる」
「好きにしろ。お前のやりたいようにやれ。結果は後からついてくる」
軍曹二名の許可を得て、あくまで上官の命令という形で軍曹級の肩書きを背負うことになってしまった。覚醒都市に生還するだけで昇進は確実となり、見下してきた友人を見返すチャンスでもある。
「まずは煉獄の門を捜す。部隊は菱型に展開し、魔獣の奇襲に備えるように」
ただ、不思議と心は晴れない。漠然とした違和感を覚えながらも、ニキータは結界を解除し、透明化している布を取り払い、部隊を幽遊原野に出現させた。
◇◇◇
幽遊原野内で地面に埋め込まれた煉獄の門を発見したのは二人。ターニャとエリーゼは次の一手を模索していた。試す価値のある手法はあるが、博打に近い。できれば魔獣に開いてもらい、相乗りするのが最も無難だと考えていた頃。
「「…………っ!!」」
遠くはない場所で異様なセンスを察し、反射的に二人はうつ伏せ状態になった。幽遊原野は見通しが良すぎる。目視で位置を確認されるだけで不利となり、一方的に狙い撃ちされる可能性も高い。吸血鬼との戦闘を経験した二人にとって、気のせいで済ませるわけもなく、必要以上に濃厚な気配を警戒していた。
「距離は……近くもなければ、遠くもない。やり過ごしたいところだけど」
「まー無理だろうね。わたしたちなら身を隠せるけど、足手纏いが約二名」
ターニャとエリーゼは視線を左に向ける。そこに突っ立っているのは、セルゲイ1と2。現支配の騎士であるセレーナの指示待ち状態となっており、意識はない。能動的に動くことはできず、彼女たちについてくるだけで奇跡と言えた。
「……ニキータ」
「……元帥」
そんな中、セルゲイ1と2は口を開く。人名と肩書きをセットにした言葉を連ねる。なんの情報をもとにして、どのような思考回路で発したのかは分からない。ただ、断片的なキーワードを読み取れる者がこの場に一人いた。
「そうか。コサック部隊が動き出したんだね」
ターニャはうつ伏せ状態のまま、確信に至る。
「元味方、か。元帥ともなれば無傷で済みそうもなさげ」
勝手を知らないエリーゼは、想像で穴埋めしている。
「いいや、元帥はノイズかなぁ。正体は伍長だよ」
「下士官相手か。だったら楽勝じゃね? わたしたちなら余裕っしょ」
「彼女単体ならそうだけど、コサック部隊は約三百名。それでも楽勝だと?」
「あー、それはちと厳しいか。正面衝突はなるたけ避けたいね」
「もちろんそうなんだけど、大尉がいたらどうもなぁ」
二人の会話は最終的に同じ場所に落ち着き、接敵は避けられない状態。
「だったら『例のアレ』……試すしかなくない?」
「リスクは取りたくなかったけど、やるっきゃないか」
短いやり取りを重ね、ターニャはリスクを承知で立ち上がる。身には黒いセンスを纏い、地面に埋め込まれた煉獄の門に両手を当てる。
「――――」
瞬間、ターニャの全身は魔獣と化し、桃色の毛並みをした巨大なハリネズミとなっている。魔獣化状態4……それは本来なら暴走を伴い、操るのは困難。身に秘めた魔獣を完全調伏している者は一握りであり、ターニャは数に含まれない。
ただそこに、悪意の『原理種』という付加価値が加わったらどうか。
暴走を反転させ、魔獣というステータスを確保したらどうなるのか。
答えは単純明快。
「「「「――――」」」」
一方通行のはずの煉獄の門は開かれる。セルゲイ1と2を含めた四名は、ナロト体内に通じる何処かへと移動した。




