84- 戻りゆく平穏
一方で、別の場所の白い空間の一部分。隊長三人、一般人の犬一人を加えた少数の隊員らが集う湖にて。
第三隊長のカイヴィーは、より治療魔法を扱える救護班により、第五隊長のソウエンの治療から退くことに。ここからの脱出を、第四隊長のヒセノイッチと共に計画している。
水際の岩に腰を置いた二人。白穏は治療されているソウエン、鮫は静かに休憩しているグラスをそれぞれ見ている。まずは、この謎の空間についての考察。様々な隊員から考えを聞き、それを互いに共有した直後だった。一旦の結論を導き出したのは、ヒセノの方。
「つまり、この空間に出てくる人や場所は、その人の記憶の無意識の現れ、あるいは意識すると現れるものってことになるんですね。確かに、非現実的な空間だけど、だからと言って無秩序ではないよなぁ、多分」
「ま、あくまで仮説よ。それが直接、脱出に繋がるとは思わないけどね……」
細い腕を組んで脱出について考えているカイヴィーに、ヒセノは少し微妙な顔をする。
「一応聞いておきたいんですけど、カイヴィー隊長は記憶から作られた人、ではないんですよね?」
への字に口が曲がる小柄の白穏。彼女に目が無くとも、呆れた眼差しを向けられたことを鮫は感じ取る。
「まさか。それとも、あたしから知らない情報を得て疑いを払拭したいっていうこと?そういうことなら、ヒセノ君も例外じゃないわよ」
「う、まあ、そうですね。すいません、今のは忘れてください」
失礼なことを言ってしまった、と半ば反省するヒセノ。間接的に、信用していないと言っているようなものだった。言動を恥じて背筋を正すと、ふと思いついた話を持って、空間からの脱出という本題へと移す。
「あ、なら、この変な場所からの脱出、っていうふうに意識すれば何かしら変わったりとかしないですかね!装置に吸い込まれる前の、あの大部屋を想像してみる、とかどうだろう!」
「それだと、元の場所の、あの変な部屋がここに現れるだけになりそう。脱出は無理かもね」
「……確かに!」
はっ、としたヒセノ。カイヴィーの言っていることはもっともだと頷いた。ここの空間のからくりは難しすぎる。完全に理解できていない二人やここにいる全員にとって、脱出はほとんど不可能に近いのではないかと考え始めた。
しかし、そんな時。音もなく、治療中のソウエンの近くに、円形状の白緑色のゲートが出現する。人ひとり分の大きさ。目の前の異変にすぐ二人は駆け寄り、最悪の事態を想定してそれぞれ武器を構える。ヒセノはナイフ、カイヴィーは鞭。
ゲートを警戒し、皆が注視する。ゆっくりと、徐に誰かが出てきた。女性の影族。治安維持団の隊服を着た、上級隊員の姿だった。
湖にいる全員の緊張の糸が、ぐっと緩んだ。
*
「無事に戻ってきていますね。……オリヴィオさん。下半身が無いままの無礼な姿ですが、治安維持団を代表して、感謝申し上げます」
「い、いえいえ、僕は全然……ぼ、僕にしかできないことをやっただけです……」
場所は、装置のある例の大部屋。治安維持団の光魔法で照らされる荒れた部屋に、吸い込まれていた隊長三人、隊員らが次々と戻ってきている。いなくなった隊員の確認が取られていく。
そしてもちろん、グラスも帰ってきた。その姿を見た三人、サヤカ、ツェル、そしてマルキス。一目見つけてすぐに安堵した彼は、すぐに駆け寄った。
「グラス!良かった!!」
「マルキスぅ!!サヤカぁ!!」
声をかけられ、気づいたグラス。尻尾が千切れんばかりに振られる彼の方から、マルキスとサヤカへ勢いよく抱き着いた。マルキスは恥ずかし気にしつつもそれを受け入れ、サヤカは抱き返す。
「帰ってきて良かった……!!」
心からの安心。ぽつりと彼女は呟いた。ツェルは、抱擁を交わし合う三人を微笑ましく思う。
「当初の目的であったサヤカとオリヴィオの救出。なんとか、良い結果を出せましたようで、一安心です」
誰かに言うわけでもなく、現状を明確にして口に出し、感覚に反芻させる。数秒経ってようやく、ツェルも安心感を得た。心配をして何度も怪我などの様子を聞く二人と、頷いて問題無いと何度も口にするグラス。彼らの微笑ましい応酬を横目に、ツェルはコンピュータ近くのオリヴィオへと足を向けた。
そこには、装置から先に出てきていた獅子の獣人と、三つ編みの人間の女性、そしてサヤカの救出を手伝ってくれた影族、リーロの姿もあった。まずは、彼に今回のお礼を言うことに。獅子と人間、二人と話し合っている時に、控えめに割って入る。
「お話のところすみません。ツェルと申します。リーロさんにお礼を申し上げたいので、少しばかりお時間を頂けますか?」
きょとん、とする三人。しかし事情を知ると、リーロはさらに口角を上げる。他二人は同じタイミングで了承する。
「わかりました」「ふふっ、待ってますね」
「ありがとうございます。ではこちらに」
「ご丁寧にどーも、ツェルさんよ」
近くの壁際まで共に移動した。背の高い影は、今回の救出作戦について恭しく胸に手を置いて一礼する。
「今回の、サヤカさんとオリヴィオさんの救出の一件、ご協力ありがとうございました。貴方がいなければ、二人を助けることは出来なかったでしょう。黒山羊との戦闘や地下の潜入時は、特に貴方の力に助けられました」
パーカーのポケットに手を突っ込んだままの背の低い影。丁寧に称賛され、悪い気はしない彼だが、ここでもちょっとしたずる賢さは変わらない。
「へっ、まぁ、確かになァ。けど、お前さんの冷静なところもありがたかったぜ。ただ一つ、俺にとっちゃ気になる事があってな?」
「……と、言いますと」
「お前さんたちと協力することになった過程で、治安維持団を抜けちまった。その埋め合わせはどうしてくれるんだァ?」
実際のところ、リーロは治安団に全くの思い入れは無い。どうでも良い事柄だったが、ここまで丁寧であるツェルに、この場で交渉の材料に使えると判断したのだ。
彼の言い分に納得した影。細い影色の手を顎に宛がって少しの間考えると、懐から名刺を取り出した。ゆっくりと見せつけて、リーロへと差し出した。
「確かに、その分の補填が必要でしたね。申し訳ございませんでした。つきましては、こちらをお受け取りください」
それは探偵の名刺。名前や届声機の番号などが書かれている、スタイリッシュなデザインの名刺。彼へと手渡す。
「もしもリーロさんが、探偵の私に何かしらのご依頼を下さる際に、一回だけ、どんな依頼でも無料でお引き受けいたしましょう」
「……どんな依頼でも?」
「一回だけですが、どんな依頼でも無料で。あの作戦には、それほどまでの価値があると思いましたので」
受け取ったリーロは、満足して鼻を鳴らす。どんな依頼でも無料で。半ば揚げ足取りのようにその言葉を汲み取り、極論を投げかける。
「たとえ命が危なくなるような依頼でもかァ?」
「極論ですね。率直に申し上げますと、無理です。……貴方とは出会ったばかりですが、貴方の人柄を良く理解しているつもりです。しかし、命までは懸けられません」
分かり切っていた返答を聞かれ、リーロは肩をすくめるも、冗談の範疇だったために悪い気はしない。
「ま、そうだよなァ。だとしても悪くない埋め合わせだ。無料の依頼ねェ。覚えとくぜ」
「あと、これは個人的な事になりますが……あなたと仲を深めたいと思っています。依頼主と探偵という関係でなく、一般的な友達として」
取り繕っていない、心からの申し出。ツェルから差し出された願いに、リーロは頷きつつも顔を苦く歪ませた。
今回の潜入作戦時、この影二人は初対面であったにもかかわらず、息の合ったコンビネーションを炸裂させた。リーロ自身それを理解していた。ただ、顔を向き合わせ、友達になりたいという誠実かつ純粋な願いに、少し忌避感を覚えたのだ。
「悪くねェ提案だがよ、あいにくレイトとミサキの二人で事足りてる。満杯だぜ」
「手広い交友関係より、手に届く範囲での交友関係が良いと」
「そういうことでいい」
やんわりと否定した影に目を向け、顎に手を当てているツェル。少し視線をやや上に外して、静かに鼻で笑う。ツェルの顔を訝し気に見上げているリーロに対し、ゆっくりと目を合わせる。紫から、赤へと向けられて。
「であれば……友達ではない別の関係はどうでしょう?そう、車でのひと時がありましたね。お忘れですか?私が貴方に……」
何かを視線に含ませているツェルに、眉を顰めたリーロ。車での出来事を思い出そうとして、ふと、今の時のようにずっとリーロを見つめていたツェルの姿があった。フラッシュバック。後部座席にいるリーロが、振り向いてずっと自身を見つめていた時があったことを思い出す。
確か、あの時に言っていた言葉があった。思い出していくうちに、リーロに隠し切れない困惑が顔に浮かんでいく。
「ひ、一目惚れ、のこと言ってんのかァ??た、確かに否定はしてなかったがなァ、おいおいお前さん……」
苦笑いに変わっていくリーロの顔を見て、肩を震わせるツェル。黒いシルクハットを深く被り直した。
「ふふふっ……まさか。あれは冗談ですよ?本気だと思いましたか?リーロさんは純粋ですね」
「なっ……」
弄ばれた。純粋だと言われた。リーロは、ツェルを侮ってはいけないと、今しがた理解する。彼は、ミサキとほとんど同じだ。彼女はリーダー的立ち位置としての立場と強さがある。ただ、この影は厄介さが上回るだろう。計算高さと話術はこの影の方が高い。
今の心を見透かして掌握しようとする。そして時には、こうやって悪戯を仕掛ける。リーロがレイト相手に仕掛けるそれが児戯程度だと、思い知らされるくらいのものを。
「へ、へへっ、面白い冗談だな。最高だ……」
「友達とは、冗談を交えて会話するものでしょう。ただ今の会話の反省点は、冗談だと明かすのが早すぎたことでしょうか。とにかく、私はあなたに個人的な思い入れを感じます。もちろん、友達としての、です。そういうことですので、仲良くしてくださいませんか?」
一方的に会話の蹂躙を仕掛けたツェル。そして今も、その姿勢を崩さない。
リーロは思ってしまう。ここで先ほどのように適当にはぐらかしたところで、彼から冗談という名の強引な駆け引きが起こる。口八丁で罠を仕掛けて、まんまと否定すれば更なる猛攻を受けるだろう。そして仕舞に、また仲良くしてくださいと言うのだ。おそらく、リーロが肯定するまで何回も。
そう思ってしまった時点で、リーロは負けていた。彼を言い負かす語彙と思考、そして粘り強さを持ち合わせていなかったから。
「わあった!わあったよ、ったく。考えとくぜ……考えとくっつうのは友達として考えるってことだからなァ!」
「ありがとうございます」
影色の細い手を、リーロの前へと出した。ツェルからの意図を理解したリーロが影色の太い手をぶっきらぼうに差し出し、互いに握手をした。
彼と話していると、死線を潜り抜ける時よりも神経が擦り減りそうだと考えた丸い影。振り向いて獅子と人間を確認した後、影に一言。
「んじゃあ……もういいか?」
「はい。時間を割いていただきありがとうございます。救出の件でも、重ねてお礼申し上げます」
「へいへい、いいって。んじゃ」
最後に一礼したツェルに、首だけ動かして礼をしたリーロ。レイトとミサキのいる二人へと戻っていった。
それを見届けた影は、次はオリヴィオへと足を向ける。治安維持団を巻き込んでの暴走した装置を、彼が止めたとマルキスから聞いていた。この一件の功労者である黄色の異頭へと歩き出す。




