76- 光に背く闇
「依慧見先。今度こそ、死んでくれ」
見えない足元。遥か長く、続く道。クサカミはもう、それを覚悟していた。
壊れていくような、物騒な音を立てていく円形の装置。クサカミを中心に、辺り四人の仲間らを円に入れると、指を鳴らした。装置の前で、ほくそ笑む彼ら。転移して、消えていった。
装置だけが、この大部屋の光源。円形状のそれの、白緑に光るゲートの吸引力が、徐々に強くなっていく。と同時に、この部屋にいる全員が、この後に起こる事態をおおよそ理解する。
吸い込まれる。
あの先に何があるかなど分からない。素直に吸い込まれて、良いことなど無いだろう。あの男が切った切り札であることから、入ったら死ぬ、とも思えた。
皆の視線はあの装置へ。この後に何が起こるか分かっているはずなのに、混乱で思考が追い付かずに動けない隊員ら。そこに発破をかけたのは、下半身が動かないアデランド。機械の身であるゆえに痛覚は無し、そして先ほどとは違って思考も明瞭。動けなくなったからといって、隊長の器を失ったわけではない。
「全員即刻退避!!出口付近の隊員から部屋を出るように!!吸い込まれないよう迅速に行動せよ!!」
行動の指針を明確にしたアデランド。彼からの指示に従う隊員たちと、辺りを見回して状況を窺う隊長たち。
深手のレイノルズは、救護班の隊員によって運ばれていく。動けずにいたアデランドも、他数人の隊員に運ばれ部屋の出口へ。
一方でカイヴィーは、吹っ飛んでいったソウエンの傍に。そしてヒセノは、やや遠いところの、先ほどから視界に入っていた人物。ホワイトガーデンの住民である犬獣人、グラスとその他、兎と黄色の異頭のもとへと駆け寄った。
「グラス君!!なぜ君がここに??」
「えっと、えっと、僕も、よく分からなくて……」
勢いを増していく吸引の風。ここで話している場合ではなかった。ヒセノは出入り口を指さす。
「とにかく外へ!あの先に何があるかわかったもんじゃないから!ほら君たちも!!」
グラスの手を連れるヒセノ。風に従って長い耳が流れ、顔を手で覆うマルキス。彼も、それに続こうとする。だがもう一人の方、オリヴィオは違った。その眼鏡越しの緑の瞳は、装置に繋がったコンピュータを向いていた。
自身の【能力】によって自身のマナを遠隔で操作し、クサカミが壊した配線を繋げたのだ。だが、暴走が収まる様子がないことから、コンピュータに何かしらの入力が必要だと悟っていた。マルキスに振り返る。いつもの困り顔と控えめに下がる側面の獣耳は健在だが、確かに覚悟が滲んでいた。
「ぼ、僕がっ、装置を止めますっ……!!」
その意図が分からないマルキスが迫る。
「何言ってんだ!風が強くなってんだぞ、死ぬ気か!?」
「……マ、マルキスさん。あの装置、吸い込まれたからと言って死ぬとは限りません……。僕たちがそうでしたでしょう……!」
「そういうことじゃない!ほら早く!」
オリヴィオの腕を掴むマルキスだったが、勢いよく振りほどかれた。思いがけない行動に呆けてしまう。
黄色異頭の研究者は、あの装置のことをよく知っている。装置の研究やそれのプログラミングの補佐を担っていた、チームの中でも屈指の才能を誇る研究者。自身の奥底に沈められた、装置に関する知識を総動員すれば、この暴走を止められる。そう信じていた。
無謀にも思えた。しかし、あの時の惨劇を繰り返したくなかった。もう、今はあの時のオリヴィオではない。
「僕にしか出来ない事があるんですっ……!ま、任せてくださいっ……!」
「おい!オリヴィオ!!」
背後のマルキス。置いて、装置を繋ぐコンピュータへと。オリヴィオは、自身の体に固めたマナ液を纏わせて、吸引の影響を無効化する。恰幅の良い彼。もう一人の自分を背負っていると思えば、余程の衝撃が無い限り吸い込まれない。
「僕が成せる最良の今と……その先の未来……」
今までの自分であれば、逃げていただろう。だが、あの時、ツェルから送られた言葉。吟味し、自分なりに解釈した結果の選択。これがどんな結果になろうと、悔いは無いと感じた。
それを見届けてしまったマルキス。吸引はさらに強まり、重いものを掴んで歩くしか出来ない状況。先の二人のやり取りを知らないヒセノとグラスが、出口へと、一歩一歩進んでいる。未練がましくオリヴィオを見たが、仕方なく、彼らに続いていった。
一方、部屋の中央。天井の影に潜む影、リーロと共にその中にいる三つ編みの女性、ミサキがいた。満タンになっていたマナの保有量で、吸引に影響されずに潜めていたのだ。リーロが頭だけを出し、辺りを見回して、吸い込まれそうな隊員を何本もの影を操って助けていた。
その間に仲間の名前を叫んでいたが、やっと返事をしたその獅子を目に捉える。
「レイト!すぐそっちに影を伸ばすから待ってろォ!」
「ああ……!」
リーロに聞こえるように返事をしたまま風に耐える態勢。そろそろ手足の限界が迎えそうになる。そんな時、リーロからの影の触手。レイトに伸ばされた。延命。救いの手だ。
「やった……よし」
体に太い影が纏う。棚を掴んでいた手を離し、足が地面から離れる。リーロの操るそれに身を任せることに。橙色の鬣が靡くレイトは、あの装置に目を向ける。
円形状の装置。光っているワープホール。あの先に、クサカミの研究所が。いや、切り札のように暴走させた装置だと、その先は未確定だと言えるかもしれない。
助かる安心感から、色々と思案していた時。吸引は、もはや歩くことが困難なほど。重いものでさえ擦れていく。比較的軽いものが色々吸い込まれていくその中で、棚が、レイトに繋がる影に衝突してしまった。影を操るリーロにも大きな衝撃が伝わり、その拍子にレイトを離してしまった。
「くそッ──」
「うわぁっ!!リーロぉ!!?」
投げ出されるレイト。宙に浮かぶ彼の影を、何とか掴もうとする。勢いを増す吸引が遂に壁を引きはがして、その鉄面の欠片が続々影に当たってしまう。思考が邪魔され、影も上手く操れない。吸い込まれていくレイト。手を伸ばすも、救いに届かない。
「うっそだろ……──」
恐怖よりも、諦めが先に出た。死ぬわけじゃないはず。どこかの世界に飛ばされるだけ。だから、死ぬわけじゃない。はずだ。
自分を納得させられる材料をかき集め、恐怖を薄めていく。最後には、思わず、口角が上がってしまった。
結局、獅子に影が届くことなく、マナ結晶を握ったままあの光の中へと。
息を呑むミサキ。
「あっ、レイトが……!」
「チッ──」
舌打ちしたリーロ。自身の技量が甘かった。他隊員を助け、レイトも助ける影。救助する数が多く、飛んでくる物を認識できなかった。
ミサキはどうにかして、吸い込まれた彼を助けられないだろうかと思案するが、いい策が思いつかない。リーロは、彼を助けられなかった無念を抑えつけ、引き続き他隊員を救助していく。
視点は変わり、リーロからは死角の、物が散らばって見えにくいところにいるカイヴィーとソウエン。
そしてその近くにいる鼠隊員、ダズベル。クサカミによって転移されたのちに、吹っ飛ばされてしまったソウエンを運び出すためにここに移動していた。
壁へと打ち付けられた背中に、激痛が走っていたソウエン。背骨が折れていた。まともに動くことなどできず、運び出そうとする隊員達にしがみつくだけで精一杯。
しかし、彼を出口へと運んでいた他隊員らも、今やカイヴィーとダズベルの二人のみ。他は吸い込まれた。今は剥がれかけた壁の破片を掴みかかり、吸引に耐えていた。体が軽く細身な白穏と背の低い鼠に至っては、足先は既に装置へと。しがみつく腕は限界に近かった。
隣にいるソウエン。荒い呼吸で、カイヴィーを見る。
「俺に構わずに、逃げれば良かったものを……」
「隊員の気持ちを蔑む暇があるなら、さっさと強く握り返しなさい。吸い込まれるわよ」
「僕もいますから、絶対に放しませんよ!」
依然として、二人はソウエンに助力する形で強風に耐える。が、耐え忍ぶ時間は残りわずかだというのが感じる。手が、限界を迎えそうになっているのが分かった。
しかし、剥がれかけの壁が、金属が擦れ合うような嫌な音を立てる。感覚の鋭いカイヴィーが、壁の限界を迎えることを察した。得意の草魔法で蔓を扱うにも、吸引、そして手が塞がっているという二つの状況が彼女の思考を乱れさせた。
がたっ、と不意の裂かれる音。三人が一瞬、宙に浮くように。その拍子で、ダズベルが遂に手を放してしまった。
「うっわ──」
こんな状況では誰も彼を掴めず、あえなく装置へと。屈辱を味わう間もなく、壁が悲鳴を上げる。
もう、壁がもう持たない。手よりも先に壁が限界を迎えるようだ。
カイヴィーは、尖った歯を覗かせて食いしばる。蔓を発現させ、剥がれていくの壁をもとの壁へと引っ張る。だが、吸引の力が勝り、すぐさまあっけなく千切れてしまった。
「やばっ……」
「俺は……もう覚悟は出来ている。……第三隊長も腹を括れ」
「あたしは──」
そして、千切れたのを皮切りに、遂に壁が完全に剥げた。宙に投げ出される二人が、装置へ吸い込まれる。こんな状況では魔法を使う程の思考など無く、ソウエン、そしてカイヴィーがあの光へ。
そして、入り口付近の三人。ヒセノ、グラス、そしてマルキス。動き出すのがやや遅れてしまったことや、そもそも出口から少し遠いことも起因して、あともう少しというところで留まってしまっていた。
もはや立つことすら難しいほどの吸引。ヒセノが、防御魔法を広く展開して、空間に固定している。三人以外の他隊員も、それに掴んで耐え忍んでいた。だが、魔法を扱えるとて、魚人では獣人と同じくマナの保有量は少ない。数分も経たないうちに枯渇して消えてしまうだろう。
マルキスは、顔を歪ませてしがみつくグラスを見る。
「頑張れ……グラス……!アイツが、どうにかしてくれるまで……!」
すでに装置のコンピュータに辿り着いているオリヴィオ。何かを入力している。彼だけが頼りだ。
マルキスが、装置を見に振り返る。七年ほど前、研究所にいたあの時の惨劇も、まさにこの風景だった。暴走する装置に吸い込まれぬよう、ただただ耐えていたあの時。遂には腕が持たずに、思わずツェルに掴んだ腕。結局のところ、影である彼と共に吸い込まれてしまった、あの時のこと。
あれと同じ状況。場面が蘇って、掴む手がさらに強まる。
ただ、隣にいるグラス。彼は、吸引による腕の痛みが酷くなっていく。次々と脱落し、リーロの影の支援も多くなっていく中、グラスも光へと吸い込まれるのも時間の問題だった。
それを察したのはヒセノ。まだ余裕のある鮫は、グラスに近づいて声をかける。
「グラス君っ……!もう少しの辛抱だ……!無理そうなら、僕の体にしがみついてくれてもいい!」
手で掴んでいるより、腕でしがみつく方がより長く耐えられるだろう。そう踏んだヒセノが隣同士で体を密着させ、いつでも、しがみつかれる用意を済ませる。
「う、うん……っ!」
絞り出した返事。だが、片方の腕を外した瞬間から吸い込まれてしまいそうだ。隣まで来たところで、体へとしがみつける自信がない。とはいえ、このまま何もしなくてもすぐに手を離してしまうだろう。一か八か。余力があるうちに飛び込まなければならない。
覚悟を決めた、その瞬間だった。壁から剥がれた鉄の欠片が、グラスの掴んでいる手に降りかかった。刺さることは無かったが、平たく、硬い部分が手の甲に直撃。走る痛み。思わず放してしまった手。
「──っ!!?」
急すぎたそれに悲鳴を出せず、あの装置の光へ。落ちるように吸い込まれていく。
隣に犬がいなくなる。はっ、として目を見開くマルキスとヒセノ。振り返って、遠くなるグラスを見てしまう。
「グラス!!」「グラス君っ!」
叫んでも、ただ体力を消費するだけ。落ちていくグラスにも、風のせいで消え入って届かなかった。ただ、ヒセノ。叫んで下を見たせいで、掴む手に振る注ぐ、壁の破片に気づかない。油断した隙間。手に当たった。グラスと同じように、不意と痛みで手を離してしまった。
ここでオリヴィオ。黒の背景、緑の文字を映すコンピュータに向き合って、装置の暴走を抑えるコードを入力していた。色々と細工していたらしい。特定の配線を壊すことによって、こんな大事を引き起こしていたようだ。切り札に相応しい小細工と言えた。
「こ、これでいいはず……だ、大丈夫、いける……!」
しかし、それもあともう少し。集中に集中を重ねて、コードを高速で打ち込んだオリヴィオ。遂に書き終えた、暴走から正常に戻るはずの文字列。すぐさま、入力を押し込んだ。
コンピュータの画面に映る、新しく増える文字。完了。入力ミスは無し。次第に崩壊していく装置が、暴走から正常に戻っていくのが、オリヴィオには感覚的に分かった。
それでも、まだ暴走は終わっていない。その最中、鮫と犬は変わらず吸い込まれている。ヒセノが、グラスの投げ出された手を握って、再び自身の手元に固定された防御魔法を生み出そうとした。が、保有されている分が無くなった。
その証拠にたった今、隊員らやマルキスが掴んでいたそれも紫の靄となって消える。吸引は弱くなったものの、それでも皆は吸い込まれていく。
宙を掻く手のヒセノ。掴むものが無いと察すると、吸い込まれるのだと確信してしまう。それなら、どうにかしてグラスでも。
「だ、ダメだ……!」
そう考えたところで、もう時間は許してくれない。彼を遠くへ放つ暇もなく、手の繋がった二人はあっけなく光の中へと包まれていった。
その一瞬の後、吸引が止まり、装置からの光が潰える。オリヴィオのいるモニターの光だけが頼りの、暗闇に包まれた地下の大部屋。響いたのは、装置から漏れる機械的な音と、隊員たちの呻く声、紙の落ちる音たち。
オリヴィオは、自身に纏ったマナを吸収し、へたりと力なく座り込む。出来た。暴走を抑え、正常に戻せた。だが、その嬉しさよりも、疲弊の方が遥かに大きかった。仄暗い部屋で、冷たいコンピュータを背にした。大きな黄色の獣耳が下がる。
溜息。視界端の、吸い込まれていった人たちがよぎる。彼ら、彼女らを救えなかった。
いや、そうではない。
「……ち、違う。……つ、次は、装置に吸い込まれたみんなを、た、助けなきゃ……!」
難を乗り越えたが、まだ課題は残っている。むしろ、ここからが彼にとっての本番。本領発揮の場である。重い脚で立ち上がり、再び、コンピュータに向き合った。
きっと、上手くいく。ネガティブに考えがちな思考を取っ払って、ただひたすらに、装置のことだけを考える。
皆を助ける。吸い込まれた直後なら、多分まだ間に合う。きっと。だから。
「ぼ、僕にしかできないことを……!」




