74- 集約する運命たち
傾き始めた太陽の下の、枯れ木の森。第五隊長、蒼炎の参上により命を繋ぎ留められたダズベル。腰を抜かした後方の彼に、死を漂わせる相手を見据える和装の隊長が一言。
「此奴は俺が引き受ける。身を潜めておけ、鼠」
目の前の男が放ったナイフを弾いたせいで、壊れてしまった木刀。懐にしまうと、ひしゃげた車両を一瞥。滅多に抜くことの無かった真剣を、徐に抜き出した。刃先を、事件の首謀者、クサカミらしき人物へと。
「誰であろうと、命を軽んずる輩に加減は必要ない。死には、死を以って贖え」
治安維持団の立場を捨て、ソウエンという個の信念に従うと決めた。目には目を。呼吸を整え、構えた。
そこに、聞き覚えのある声。ただ、記憶にある声よりノイズの走る、幾分か弱々しい声。
「ソウエン第五隊長っ……!奴はっ、思考を乱す魔法を扱います……!くれぐれもお気をつけて……!!」
「相分かった、第一隊長」
顔を動かさずとも、彼が動けない状況にあることが窺えた。この場にいる治安維持団の中で唯一、彼に対抗できるのが自身のみ。
お互いの間合いは遠くない。が、何もせず、攻撃もしてこない前方の俯く彼。虚空を見つめるような白い眼のそいつを、ソウエンは見定める。隙があるように見えて、どこにも綻びが見当たらない。まるで、全方位に目を張り巡らせているかのような。このまま窺っても、先に行動することは無さそうに思えた。
とはいえ、こちらから仕掛けても攻撃は当たらないだろう。辺りに散らばる無数の警戒が、ソウエンをこの場に留まらせてしまう。牽制する他なかったが、いつまでもこうしているわけにはいかない。
言葉を紡いで、強引にでも、一瞬だけでも警戒に罅を。
「此処へ向かう最中、状況の仔細を届声で聞いた。無論、この事件のことも。察するに、貴様は事件の首謀者だ。そう、名は確か……クサカミ」
反応は無かった。実際のところ、本当にクサカミかどうかは分からずにいた。更に言えば、誘拐事件などほどんど縁のない地域の担当だったソウエン。この事件の詳細を聞いたのもつい最近。自身の知っている事件についてを語っていき、彼の隙を見極める。
「貴様のことについても、色々情報がある。かつては正義溢れる御仁だったそうだな。それが今や、この様か。一捻りで潰せる命に愉悦を覚えたか?」
焚きつけるように言葉を選んだソウエン。その甲斐あってか、クサカミの腕が動き出した。灰色の瞳は彼を見定める。しかし、無表情なのは変わらない。感情すら見えず、ソウエンに向けて広げた手を翳す。
攻撃を仕掛けてくる。そう身構えた直後、彼の広げた手が閉じられる。
ソウエンの体が、途端に怠くなる。違和感の走った思考も、数瞬の後に霞む。その隙を突かれ、尖ったマナの礫の一つが生成、ソウエンの頭部目掛けて射出された。
「ッ!!!」
頭部の提灯に掠める。なんとか見切った。少しでも遅れていたら、紛れもなく貫かれて死んでいた。
煩わしい思考と重い体の影響で、相手の懐に入ることは危険だと考えたソウエン。今はただ、防御と回避に徹するしかない。見得を切った手前、恥辱を味わったが、考え無しに敵に突っ込む蛮勇さは持ち合わせていない。
次はどんな攻撃か。また見切らなければ死んでしまうようなものか。あり得る未来を覚悟して、クサカミの一挙手一投足を見据えていた。
そんな時だった。枯れ木の森の奥から響き渡る音。段々と鮮明に聞こえてきて、それが車の走行音だと気づいた直後。小高い丘のようなところから飛び出した、擦り傷だらけの車。ハンドルを握る兎の獣人が見えた。
「なっ……」
つい、そちらに意識を向けてしまった。しかし、視界からクサカミは外さなかった。それは彼のやや後方から迫っていたからだ。つまり、車は、クサカミめがけて発進していたのだ。
運転席にいる兎。山壊に追いかけられている最中、前方のよく分からない状況がマルキスの目に飛び込む。
小屋の前の、いくつもある治安維持団の車。ひしゃげた一つの車に、相対している二人。ただ、やけくそになって丘から飛び込んだそのままのスピードでは、二人の一方、クサカミに当たってしまうのは必至だった。
「やっべ──」
人を轢いてしまう事実に青ざめるマルキス。そして視界に入ってきたもう一つの情報。小屋から出てきた、複数の隊員とツェルとサヤカ。
目の前の、処理しきれない数多の情報でツェルとサヤカは足を踏みとどまる。散乱した車、対峙する二人、そしてそこに突進しようとする見覚えのある車。
「何が──」「え──」
四方から、一瞬にしてのこの情報量。それでも、クサカミだけはこの状況を鮮明に理解していた。勿論、背後から車が迫っていることも。
先ほどまで、隙を晒しているような俯きのままで、準備していたこと。次第に風が吹いて、渦巻くように辺りが濃い紫の靄に支配された。クサカミを中心にして、地面に、紫色の円が素早く展開され始める。小屋前にいるツェル達や、そこから対角線にいる車のマルキス達にまで、その範囲が及んでいた。
指を鳴らそうとする男に、ツェルが息を呑む。何かを始めようとしていると判断した。振り返る。サヤカは円の端に近い。せめて彼女だけでも、共にこの円の外へと出さなければ。そう直感した。
勢いよく、身を投げ出した。影色の手がサヤカの体を掴み、共に円の外へ出るか出ないかの瀬戸際、時間が遅くなるような感覚。ふとクサカミを見た。丁度、指を鳴らす直前だった。
*
小屋の地下、最奥の大部屋にて。黒山羊、ミソウガの相手をしていたのはリーロとレイノルズ。一方で赤の異頭、ゼドラスの相手はヒセノとカイヴィー。複数の隊員は出入り口で待機し、捕らえられたリエをはじめとした戦闘中の犯人らを、絶対に逃さないよう塞いでいた。それぞれが、それぞれの役割を果たしている。
ゼドラスの放つ、強固な光の糸。ナイフと防御魔法で捌くヒセノと、両手の鞭で対抗して隙を作り出そうとするカイヴィー。だが、彼女と同じく感覚が鋭く、糸の攻撃種類の手数も多いゼドラス。付け入る隙が全く無く、隊長二人でようやく同じ実力というところ。
その一方でミソウガ。奥の、円形状の装置から発せられる白緑色の光だけがこの部屋の光源。リーロの影魔法が弱体化する光源の近くにいたいミソウガだが、それをレイノルズが風の長剣で防いでいた。転移と短剣、時折混ぜ込む光魔法だけで、影の触手と風の剣戟を凌いでいる黒山羊。
守ってばかりの黒山羊に、風はすっかり調子に乗る。軽やかな連撃を振るって迫る第二隊長。一向に攻撃できずに守りを固めるそいつが、段々と滑稽に思えてきたのだ。
「転移と光さえ無くなれば、あとはこっちのものだよ!臆病者!」
マナはいずれ尽きる。刻一刻とタイムリミットは迫っている。転移を多用しているために、黒山羊の腰の、大量に保有されてあるマナ結晶は徐々に色を失いつつあった。
歯を食いしばんでいるミソウガ。この部屋の光源、装置の傍へと転移し、少なくなった影魔法による攻撃を防いでいたが、疲労からだろう、微かな間隙を生んでいた。俊敏なレイノルズ。すぐさまそこに付け入る。万が一死んでしまわないために、マナで疾風の剣の刃を削いでいた。
「見えた……!」
影の触手をいなす黒山羊に、風が懐へと飛び込んだ。打撃を与えるために、剣の背を、彼の頭へ。
だが、黒山羊はこの時を待っていた。あえて隙を晒していた。
体を翻して避ける。同時に、マナ結晶自体から強力な閃光で辺りを照らし、影を壊し、レイノルズの目も潰す。捨て身に近しいそれを遂げ、態勢を崩した風に迫る、黒山羊からの凶刃。乱れた思考と見えない視界では当然、避けられるはずがない。
「マナが無いとでも思ったか?安直だ」
細身の体。脇腹近くから腕への深い斬り上げ。レイノルズの体を構成するマナ、若葉色の靄と液が舞った。赤いフードの下。張り付いていた笑顔が曇った。
「っッ゛!!!」
レイノルズにあった油断と慢心。それを駆使しての、状況の判断が一枚上手だったミソウガによる、華麗なる反撃だった。隊服を貫通し、深手を負ってしまった。大きな傷口からは、止めどなく若葉色のマナが溢れる。遠くから影を使役し共闘していたリーロが、そのニヤケ面は崩さずとも歯軋りする。
「くそッ」
再び仄暗くなって影を生み出し、ミソウガを、倒れたレイノルズに寄せ付けないようにした。隙を狙って負傷の彼を影で掴み、大部屋の出入り口の壁面の影へ投げ渡した。呻く風。深手を負っても、その張り付けた余裕は健在だった。そのまま、冷たい床に座らされ、守るようにいくつかの影の触手が佇む。
「ぐッ……もうちょっと、優しく投げてくれても、いいんじゃないの、ハンバーガーくんさぁ」
力が入らず、囁くように言った。少し遠くにいる影。すぐさま戦闘に集中するリーロには届かなかった。入り口で待機していた救護班、複数の白穏の隊員が血の気が引いた様子で駆け寄る。
「第二隊長っ!お、お怪我を治しますっ」
「……っ頼んだよ。早くしないと、死んじゃうかもね~?」
「縁起でもないことを言わないでください……!」
視線を下に落とせば、嫌にでも目に入る。激しい痛み。つい、歯を食いしばる。致命傷になり得る傷からの出血を魔法で抑える隊員に、失っていくマナを補給していく隊員、傷口を観察して治療魔法にあたる隊員。
手早く事に当たっていくそれを横目に見たリーロは、胸をなでおろしながら黒山羊を見据えた。影を操り、彼をこれ以上怪我人を生み出さないよう必死に叩きつけ、抑えつけようとする。
「やるじゃねえかァ、クソ山羊。お前さんを殺す理由がまた一つ出来上がった」
「もうすぐマナが潰える頃合いだろう。──やれるなら、やってみろ」
ミソウガの言っていることは本当だった。ツェルがサヤカを連れ出してから十分前後。保有しているマナは枯渇寸前だった。複数の影を操る、消費の激しい戦い方をしていれば、こうなることは必然である。二人の攻撃を徹底的に防御して、マナの枯渇を狙っていたのだ。
影魔法が使えなくなれば、いよいよ手詰まり。魔法を扱うことに関しては卓越した技術と経験があるが、近接戦闘に持ち込まれれば勝算はかなり低くなる。枯渇した後のことを考えなければ、一気に叩き込まれて終わってしまう。嫌な汗が伝った。
対して黒山羊。マナが枯渇しそうだった淡い光が徐々に戻っていく。どうやら誘い込むためのブラフだったらしい。時間をかければかけるほど、不利になる戦況。リーロは一刻も早く勝利を収めなければならないと、再び攻撃。
一方でゼドラスに立ち向かっているヒセノとカイヴィー。こちらは変わらず拮抗していた。ただ、時間が経って、危うい状況が差し迫っているのは二人の方だった。
しかし、実力も体術もゼドラスの方が上。それに加えて無尽蔵のマナ保有。ミソウガと同じ、そのマナ結晶から保有マナを引き出しているのだ。枯渇することは無いだろうと考えてしまう。そうなったとき、マナを消費しきった直後には、ヒセノとカイヴィーが敗北を喫することになる。想像に難くない事態だった。
だが唐突に、耳障りな音と光が大部屋全体に包まれた。敵味方関係なく広がった閃光。咄嗟の判断力があっても間に合わなかったそれで、全員、反射的に目を覆った。
たちまち皆は目を開ける。部屋を見回した時、状況は複雑に変化してしまっていた。
地上で待機していた、ここにはいなかったはずのまばらな隊員達。第五隊長に、下半身が動かない第一隊長。倒れている、小屋で相対していた鱗覆族。そして、隊員ではない三人の一般人、兎、犬、黄色の異頭。誰もが困惑して辺りを見回していた。
そして最後、地上の円にいた全員をここに集約させた張本人。装置の前に立って異彩を放つ男。黒の豪奢な格好で、ひび割れた顔のそいつは、クサカミ。
手を前方に翳した彼は、指を鳴らす。すると、困惑、畏敬、歓喜、それぞれの念を抱いていた、黒幕に付き従う罪人たちが傍に転移させられた。
息を切らしつつ、勝利を確信するミソウガ。周囲を睥睨するゼドラス。ゼドラスの小脇に抱えられ、ぐったりとしたジェレデ。部屋の入口を凝視して憤怒を目に映すリエ。そして、虚無と悪意で辺りを支配するクサカミ。背後の光る装置と相まって、より威圧感が増す。皆の前に、悪として聳え立っていた。
何が起きたかさっぱりだったが、この状況をいち早く飲み込めたのはリーロ。前に一歩出ている黒一色の男がクサカミだと察知すると、残り少ないマナで影に隠れた。
情報量の多さに処理しきれず、呆然と口を開ける皆。そんな中、首謀者の隣にいた灰色を纏う黒山羊、ミソウガがクサカミを一瞥すると、歓喜を抑えきれずに数歩前に出た。
「はっ……くはっはッ!!──我々の勝ちだ。主の前ではすべては塵芥と同等ッ。貴様らに勝ち筋など無い……」
勝利宣言と傲慢を垂れ流すミソウガに、すぐさま歯向かったのはヒセノ。鮫の刺々しい歯を硬く噛み締め、大きな拳に力が入る。
「そんなわけないっ!!……ゼドラス隊長。今からでも間に合います。今までのように拘束を──」
「無駄だ」
心底、蔑むミソウガ。ゼドラスの持つ太い尻尾も、何一つ反応を示さない。そんな彼を、黒山羊は親指で指して鮫を嘲る。
「何を言っても届くまい。もうこちら側である故にな……」
手を前方に翳し、掌を上に広げたクサカミ。見たことのある、先ほどと同じ行動。あれを閉ざすと、またあの時と同じように体が重くなり、思考も霞んでしまう。それを理解していたソウエン。真剣を振りかざし、すぐさまにクサカミへ近づいた。
腕を切り落とす。その気概で斜めに薙いだ。だが、切り落とされたのは刀。破片が飛び散り、弾き飛ばされるソウエン。壁を背に、勢いよく激突。視覚に頼らないカイヴィーが、それを感覚で理解した。
「ソウエンっ!!」
途端、クサカミの掌は閉ざされる。辺りが、死んだような静寂になる。この場にいる、クサカミ側以外の人たちが、体に異常をきたしはじめた。鉛のように重くなる体。掻き乱されるような思考。次第に体が熱くなり、荒くなる呼吸。
だが、軽微な症状の者もいた。それはグラス、マルキス、ヒセノ、ソウエン、ダズベルなど。いずれもマナの保有が出来ない、あるいは少ない種族たちだった。体が怠くなるだけに留まり、思考も幾分かはっきりしている。呼吸の乱れも少なかった。
マナの保有量が多い異頭族などは重症。その中のオリヴィオが、ふと気づく。この感覚を知っていた。目を見開いて、自身の手を見た。
「マ、マナがっ……多く……??」
多くの者が苦しむその様子を、鼻で笑うリエ。白い尻尾をしなやかに揺らしながら、腕を組んだ。
「皮肉よねぇ、ホント。……クサカミ。ここでもうやってしまいましょ。全員」
その言葉に呼応するように、男は握り締めた手を、さらに強く握っていく。マナの保有が実質無尽蔵である彼。常人では決して扱えない魔法を、しっかりとした理屈さえあれば、その有り余るマナで実現可能。そう、例えば、生命の一部を構成しているマナを媒介にして、人体に発火させる。
この場にいる正義を焼き尽くし、計画に関する後顧の憂いを断つ。邪魔になるものは、すべて排除するのだと。一人ひとり、クサカミは見定める。ここにいる全員が焼死する。そう想像し、それが現実になろうとした。
だが、それを許さない者がいた。
ずっと隠密していた獅子。思考の乱れと苦痛の範疇外にいた彼は、起動中の装置の背後から回り込んでいた。【透明】の彼が、絶対に気配を悟られないよう息を殺し、クサカミの背後へ。治安維持団のナイフを手に、彼の背中へと。
突き刺した。
痛みは無くとも、想像の強制中断を図られたと知ったクサカミは、直ちに振り返る。
もう隠れる必要が無くなってしまったレイト。【透明】を解除して、その姿を現す。憎悪に燃えた目。手には彼を突き刺していたナイフ。その切っ先を向け、元凶を凄む。
「させねえよ、草上城虚」




