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特異点から告ぐ  作者: 宵山
第三章 ──宿命に逆らう者たち、運命を闢く者たち──
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70- 原初の力

 

 装置の白緑(びゃくろく)色だけが、この研究室のような大部屋の明かりを支配する。照明が壊れた音を聞いて振り向いた黒山羊と白猫。そして蚊帳の外にいたサヤカ。三人は何事かと天井を見上げた。


 目論見通りのリーロとツェル。暗闇に乗じ、いざ誘拐犯二人に影魔法をお見舞いして気絶させようとする。


 しかし、咄嗟の判断力が黒山羊にあった。すぐさま、腰に付けたランタンを手に取って光を灯す。即席の光魔法。影魔法を退かせるには十分だった。触手のような影は、彼ら三人に近づくことは出来なかった。


 奇襲を仕掛け、気絶させられなかったリーロ。相手を見くびっていた。あの黒山羊の思考の素早さは並大抵ではない。いつものへらへらした顔は崩れなかったが、作戦が上手くいかなかったことに歯ぎしりしてしまう。


 黒山羊はランタンを宙に浮かせ、光を強くしていく。影魔法を封殺するつもりだとリーロは理解した。余裕綽々の黒山羊、ミソウガ。その魔法は見切ったと言いたげに、対面するリーロに満足げな顔を浮かべた。


「残念だな、影の大男。貴様の魔法は先の戦闘で把握済みだ」


「へッ、だとしても上出来なサプライズだったろ?」


「無駄な足掻きを」


 冷笑。光をさらに強めていく。事態を察した猫は、怯えるサヤカの手を引いた。転移装置の方を一瞥するも、そこからは離れる。これから起こるであろう戦闘に、彼女を巻き込まないようにした。


 牽制状態の二人。お互いに間合いを取っている。戦闘がいつ始まってもおかしくない状態だった。だが、勝ちを確信しているだろうミソウガが、黒いマフラーがゲートで靡きながら饒舌に語る。


「もう貴様は影を扱えなくなった。ここで死ぬ運命だ。遺言があれば、聞いてやらないこともない」


「んだよ、影魔法しか使えないと思ってんのか?ナメられたもんだぜ」


 饒舌には軽口を。軽快な口調で余裕を見せているリーロだが、それがミソウガには、死ぬ前の最後の悪あがきだと侮っている。


「はっ、奥の手か?では見せてみろ。どのみち防いでやろう」


 準備万端な黒山羊。しかし受け身の態勢でいるようで、リーロからの攻撃を待っているようだった。驕り高ぶっている。意識は完全にリーロの方へと向かれていた。そして彼も彼で、意味ありげに、黒パーカーのポケットから両手を抜き出す。


 その片方には、丁寧に包まれたハンバーガー。男性のこぶし大を越える大きさのそれを、ミソウガに差し出す。これ見よがしに、前に翳した。ニヤケ面とは少し違う、薄ら笑いを浮かべる。


 状況が飲み込めずとも、その意味深な行動に、彼の一挙手一投足を見極めるミソウガ。やけに悠長なそれに痺れを切らしつつも、それでも驕ることに変わりはない。


「食したいのであればさっさと食せ。最後の晩餐として待ってやる」


「へッ……死に際っつう人生の一大イベントに、バーガーを食うバカがいるかァ?」


 黒山羊の、意識の集中に充分の時間を割いてくれたリーロ。危機を察して物陰に戻っていたツェル。黒山羊の死角に行くまでの時間を、彼は稼いでくれた。ステッキを構え、浮かんだランタンに向け、魔法で凍らせた氷の弾丸を打ち込んだ。


 そして、命中。小奇麗な音を散らして、光は消滅。大部屋は、装置の薄紫の明かりを借りて、再び薄暗くなる。


「なァッ──!!!」


 一瞬の出来事。勝算しかなかったミソウガにとっては予想外だった。侮っていた。注意するべき影はもう一人いたというのに、慢心が生んだ刹那の隙。


 急いで、ランタンいらずに再び光魔法を灯そうとするが、もちろんそれを許さないリーロ。その場に動かずとも、素早い影魔法でミソウガの腕を掴んだ。暗い部屋は影のテリトリー。煌々とした光さえなければ、その真価を遺憾なく発揮できる。リーロであれば、尚更。


 歯を食いしばり、初めて余裕が崩れる黒山羊。


「くッ……戦闘民族風情が、小手先の奇策で愚弄するかッ……!」


「悪口のつもりかァ?最高に面白いな」


 今、リーロはミソウガを制圧してくれている。ツェルが出来ることは一つ。あの研究者の女性、リエからサヤカを引き剥がしてここから逃げること。装置のコンピューター近く、光を背に戦闘を見守る彼女らに、気づかれないよう近づいていく。


 どうやら、ツェルという第三者の存在に気づいていないようだ。ランタンが壊れたことに対する疑問はあるだろうに、目の前の戦闘という危険から身を守るために、思考が先行している様子。紛れもなくチャンス。


 暗がりを借りて近くまで寄り、ステッキを構える。手荒な真似で気が進まない感覚がしたが、そう言ってられない状況。腹をくくらなければ。ツェルはステッキを強く握って、先端を彼女の顔に向けた。


 噴射、相手の顔に水がかかる。


「きゃあ!!な、何っ!」


 怯んだその隙。物陰から立ち上がる。気絶させるために、ステッキで頭に一発。衝撃で、わけもわからないままの彼女は冷たい床に倒れた。


 不意の、誰かの接近に驚いたサヤカ。シルクハットの無いツェル。サヤカから見れば初めてだった。薄暗くて見えにくいことも相まって誰だろうと狼狽する彼女。だが、ツェルだと分かった途端に安心して、足早に歩み寄った。


「ツェルさんっ、良かった……!」


「怖い思いをしましたね。もう大丈夫です。……さあ早く、今のうちに」


 マルキスから貰い受けたナイフでサヤカの手の拘束を切った後、気を引いてくれているリーロを一瞥。問題なさそうだ。この場をどう切り抜けるのかは彼次第。一方で黒山羊のミソウガ。彼はリーロの相手に夢中でこちらに意識を向けていない。素早く抜け出せば、きっと気づかれないだろう。


 ツェルはサヤカの手を引いてここから抜け出そうとする。が、足首を掴まれた。急いで見やる。先ほど倒れた猫獣人だった。気絶まではいかなかったらしい。ただ、苦しそうにしながらも、確かな意志をもってツェルの足首を掴んでいた。


「ま、待ちなさ──」


「くっ、……」


 足を振って解こうとするツェル。一方で、目を見開く猫。その青色の瞳が狭まって、徐々に憎悪に移り変わっていく。ツェルの細い足首を掴む手は強くなり、歯軋りしだした。震える口。叫ぶような勢いで、彼を見据えた。


「お前ぇっ……カスミダイラぁ゛……なんで、ここにぃ゛っ……!!!」


「っ!」


 振る足を止めてしまった。それもそのはず、この伏せている彼女から聞いた言葉が、心底信じられないものだったからだ。驚嘆、そして疑問。


 しかし、その真意を問いただす時間は無い。ツェルは、彼女の掴む腕にステッキを用いて地面に抑えつける。それでも、強く締め付ける手の力は緩まない。サヤカが離すよう手伝っても変わらない。


 彼女の声色に込められている恨みつらみのような悪意。それが掴む手にも滲んでいた。


「またっ、リエの邪魔を゛……ッ!」


「誰です、あなたっ……」


 ツェルの顔に焦りが浮かびあがる。また、と言われて前に会ったのだろうかと記憶を振り返っても、リエという名前は思い出せない。彼女は、言動からそれを察して、顔を歪ませて憎悪をぶつけていく。


「覚えてないのっ?リエは覚えてるのにっ!!同級生を踏み台にしたクソ虫っ!!ふざけた特質のくせに、このバカがぁ゛っ!!」


 混乱する影。憤怒の白猫。そこに、状況が飲み込めないサヤカ。二人を交互に見回しつつも、ツェルを助ける。細い腕が生み出しているとは思えないほどの怪力の腕を、ツェルの足首から精一杯引き剥がそうとする。


「もう、離してっ……!」


 ここで離れなければ、いつしかあの黒山羊に気づかれて逃げられなくなるだろう。チャンスだというのに。


「サヤカさん、あなただけでも外にっ……」


 と言いかけたところで、部屋の廊下に見張りがいたことを思い出すツェル。影で隠れて戻るにもリーロは戦闘中。本来は二人気絶させ、再び影に潜って帰る算段だったというのに。にっちもさっちもいかない状況になってしまった。


 そんな状況をサヤカは知らず、ずっと熱心に腕を離そうと奮闘する。


「もうっ、離してってばぁ……!!!」


 必死の訴え。その時、彼女の腕を掴むサヤカの手に、白い光のような靄が掛かった。次の瞬間、閃光。金属が擦れるような高音が響いて、ツェルの足首を掴むリエの白い被毛の手は引き剥がされる。


 紫ではなく、白色。しかしマナと同じ感覚。魔法だった。サヤカはマナを用いて魔法を扱い、リエの魔の手を退けた。その衝撃で、彼女は吹っ飛び白い床に突っ伏する。サヤカも、一瞬だけ体が宙に浮かんで、後方の無機質な壁に背中を打った。


「今のは……いえ」


 今の現象を考察する場合ではない。サヤカも、何が起きたかわからない、とでも言いたげに自身の手を見やっていたが、ツェルはその手を引いて、物陰に隠れながらも部屋の扉へと一直線に走り出した。


 ツェルは、助けてくれことの感謝を述べる。


「ありがとうございます、サヤカさん。何かしらの魔法を発現させましたね。あれは一体?」


「え、えっと……わ、わからない……なんでだろ……?」


 サヤカは魔法を扱えるという数少ない人間である。それをツェルは理解している。だが、人間はマナの保有は出来ない。しかしながら今の彼女は、腰にいつも携帯していたマナ液の瓶が存在しない。つまり彼女は、マナを扱えるうえに、保有することが出来る人間であるかもしれない。


 走りながらも簡単な考察。馬鹿げていると分かっていても、今のツェルが出せる結論だった。


 再びミソウガを一瞥。短剣で、触手のような影を捌いているのに精一杯で気づいていない。あの魔法の発動すら気づかないくらい、彼は余裕がないようだ。薄暗い部屋での影魔法。リーロは巧みに使いこなし、圧倒している。このまま気づかれずに済みそうで、ツェルは安心する。


 一瞬だけリーロと目が合った。隙を見て、撤退してくれるだろう。これ以上、ここにはいられない。数々の謎や装置を残したままであるのが腑に落ちないが、友の命を助ける方が優先だ。


 そうして辿り着いた、脱出の道、もとい廊下への扉。内鍵がかかっていた。急いで鍵を開ける。開いていく扉の隙間から廊下の明るい光が漏れ出すが、一瞬で部屋を出れば気づかれないだろう。再びサヤカの手を取り、部屋を飛び出そうとした。


 しかし次の瞬間、目の前に飛び込んできた若葉色の人物。ツェルよりも頭一つ上の高身長、同じ細身の、赤いフード。治安維持団、第二隊長、風族のレイノルズだった。


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