68- その面影、未だ朝露は来ず
ほんの少し時間は遡る。小屋の地下室へと突入していった第二隊長レイノルズ、第四隊長ヒセノイッチ、そして【透明】になって潜入している特別隊員のレイト。三人は地下へと続く階段を下っていた。
下り切った先は、何やら真っ白の明るい廊下。規則正しい無機質というべきか。まるで研究施設かのよう。やや薄暗いようなこの場所には、犯人はいない様子。
廊下は二本に枝分かれしているうえに、更に下へと続く階段があることも確認できる。ヒセノは辺りを見回して、地図が無いことも確認した。頭を掻いてしまう。
「これじゃあ、どこに行くべきか……」
「考えてみてよ、ヒセノ君。こういうのは、一番奥に何かがあるものだよ。誘拐された被害者たちを別の所に運び出す道、とか」
彼の考えに一理あると納得するヒセノ。であれば、更に地下へと進む必要があるかもしれない。足先は階段へと向けられる。
「た、確かに。じゃあ最奥に行ってみましょう!!」
「……」
階段を下っていくヒセノを追おうとするレイノルズ。辺りを振り返りつつ、違和感を覚える。
「小屋の地下に、レベルシティみたいな研究所か……かなりの規模。一筋縄じゃいかなそうだね」
共に階段を下りていく。地下二階、三階へと降りていった。地下三階が最下層らしい。階段から廊下に出て辺りを見回すが、人の気配はない。誘拐された人たちはもちろんだが、誘拐犯である黒山羊や骨族すらもいない。
最下層は、廊下は一つしかない。両脇に扉がいくつかあるが、耳を澄ましてみても誰かが隠れている様子もないことから、誘拐犯たちは、まだ先の方へいるかもしれないと考えるヒセノ。辺りを慎重に見て回っているレイノルズを連れて、何回も曲がり角の先へ。
するとそこに、見覚えのある、後ろ姿。大柄な背中。脚、腕から覗く赤い体。四角い頭。帽子からはみ出た角。ヒセノにとっての英雄。ずっと探し続けていたその背中が、目の前に現れた。立ち止まって、呆然としつつも、その名を。
「ゼ、ゼドラス隊長……?」
「ああ……俺だ」
低く、覇気の無い声だった。おもむろに振り返る彼。確かに、ゼドラスだった。
ただ、悠々としつつもどこか緊張状態の目の前のそいつ。明らかに裏がある。嫌な予感がしつつも、会えたことの感激が上回って、近づいていくヒセノ。
「よ、よかった……今まで、どこに行って……もしかして、ずっとここに……??」
無意識に進んでいく足。しかし、それを引き留めたのはレイノルズ。肩を掴んで、状況を正しく理解するよう説得する。
「待ってヒセノ君。……元第四隊長だよね。けど、様子がおかしいよ」
掴まれた若葉色の手を一瞥するヒセノ。だがすぐに、ゼドラスへ目を向ける。
「あ、あの、ゼドラス隊長。もしかして、ここで潜入捜査をしてたとかですか??だったらそう、言ってくれれば良かったのに……僕なら喜んで協力しましたよ……!ねえ……!!」
「残念だが……」
溜息と共に、ゼドラスは俯く。彼に目は無いが、口角の下がっている口元から察するに、その表情は悲哀と憐憫を帯びていると察せられる。そんな表情を今まで見たことが無かったヒセノ。信じたくない気持ちが沸き上がって顔に滲み出てしまう。
震え声。恐る恐る聞いて、その真意を聞き出す。
「そんなっ……?まさか、そっち側に、なんてこと、ない……ですよね?ねえ……?」
彼の口から出たのは、無。ただただ、何も言わなかった。だが、それだけでヒセノ理解した。ゼドラスは、もう味方ではない。
直後、二人の間にある空気は張り詰めた。ヒセノの前方の赤い男は両手を広げて構え、光の糸を。そしてヒセノは、怒りを糧に力強く握ったナイフを彼へと構えた。尖った歯が、痛くなるほど食いしばる。
目の前の彼は、もう憧れの象徴などではなく、罰すべき犯罪者と成り下がったのだ。
ヒセノは、後ろにいるレイノルズに覚悟を見せる。
「ここは僕に任せて、レイノルズ隊長は奥へ。この戦いは、僕がけりをつけるから……!」
「いいや」
返事をしたのはレイノルズではなく、ゼドラス。開いた両手を彼に。
「ここは通さない」
刹那、高速で糸を放つ。体に巻き付いて拘束しようとした。が、レイノルズはいない。靄になって消え、再び現れた時には、ゼドラスの後方へと。
「風族だってこと忘れてました?頼んだよ~、ヒセノ君!」
振り返って声のする方向へ糸を飛ばしても、すでにこの場にいなかった。そこに、またもや後方から。ヒセノがナイフを持って突撃していた。
「お前の相手はこっちだ!ゼドラス!!」
振り向きざま、ヒセノに向けて糸を再び放つ。
尋常ではないを速さと強靭であることを理解しているヒセノは、彼の一挙手一投足を予測。放たれる糸が体につく前に、ナイフで切り返して拘束を許さない。
彼の動きは理解していた。彼のもとで責務をこなしていたおかげで、動きの癖や糸の使い方を熟知している。態勢は完璧。
ヒセノ自身、得意魔法である身体能力の向上と防御魔法とも相まって、回避も防御も容易だった。軽い身のこなしは出来ない。だが最低限の動きで最大限の腕力を発揮し、迫りくる糸を弾き返していた。何度も。何度も。ナイフで弾き返す。
後退して間合いを取り続け、糸を巧みに操り続けるゼドラス。ヒセノのその動きに半ば感心するも油断はしない。
「さすがだな」
「ずっとあなたの近くにいましたから……!でも今はもうっ……!!」
一気に距離を詰めるヒセノ。その刃で彼を守るように張られていた糸を一気に切ると、拘束するために腕を伸ばす。しかし、その動きを見極め事前に察知したゼドラス。敢えて掴まれる。伸ばされた腕と彼の体を瞬時に掴み返した。息を呑むヒセノ。
そのまま組み伏せ。体を翻されそうになるヒセノだが、彼にはもう一本開いた腕があった。防御魔法を咄嗟にこぶし大の大きさで発現。開いた手でそれを掴んだ。組み伏せられる前に、受け身の体勢のまま彼の体が空中で止まった。
ゼドラスは、何事かと一瞬の思考。その一瞬の隙。ヒセノは、掴んだ防御魔法の平たいそれを、体をうまく捻らせ、彼の赤くて四角い頭へと投げた。
鈍い音。唸る声。掴みかかられた体が解放されたその刹那を突いて再び拘束を試みる。が、立ち直りが早かったゼドラス。足に糸を引っかけられるという形で再び防がれた。ヒセノは自身のナイフに手を伸ばすが、たちまち光の糸の拘束。叶わなかった。
地面に伏せられたまま、四肢を拘束させられる。もう身動きは取れなかった。
ゼドラスは一息つく。自身の腰についているマナの結晶を一瞥して、まだ余裕があることを確認した。手に纏った糸を払ってヒセノの前まで歩く。
「ヒセノ。俺はあの人に従うとなっても、お前の存在を一瞬たりとも忘れたことは無かった」
「な……なんで……ッ」
その問いは、今の言葉に対することではなかった。もっと根本的な部分、ゼドラスが治安維持団を裏切って誘拐犯側に寝返ったのか、だった。
それを聞いていると理解している彼は、またしても自身のマナ結晶を見やる。それは、首謀者のクサカミから渡されたもの。
目が無い、視覚が無いゼドラス。故に他の感覚が鋭い。マナの感覚も同様。その石に宿る悪意と憎悪を感じ取れている。だからこそ、彼に向ける言葉は慎重に選ばなければならないのだ。
「……これは、お前のため、ひいては世界のためだ」
「せ……世界のため……??正義を裏切って、悪に寝返ることがかっ!??」
とげとげしい牙を剥いて、心から怒りをあらわにしたヒセノ。彼の信念を感じさせる重い言葉。ゼドラスは俯いて、帽子を被り直す。
「ひとつ、思い違いをしているな。……治安維持団が正義であるとともに、こちらも正義であることを理解しろ。俺は、俺の思う正義を、ただ進み続けているだけ」
しゃがみこみ、彼の目に向けて言葉を続けていく。
「お前はいつも俺の背中を見ていた。正義を翳し、悪を裁くその背中を。だがそれは、俺の一部に過ぎない。……絵や写真の煌びやかな表側が、今までの、お前から見えていた俺だったのだ。……もっとも、その見えない裏側に気づいていれば、いずれこうなると分かっていたかもしれないがな……分かるだろ?」
落としていく言葉たち。一つひとつ、込めた思いを伏せている彼へと。そして最後に、彼に見せつけるように、拳にした手で胸を二回叩いた。彼らなりの挨拶になっていたそれを、今ここで。
目を見開いたヒセノ。しかし、再び睨みつける。その鋭い眼光を、ゼドラスは受け止めるように、伏せた顔をそこに向けた。再び繋がった糸。そんな、永遠のような一瞬。しかしその後には立ち上がり、レイノルズが進んでいった奥の廊下へと顔を向けた。
案の定、戦闘をしているらしい。籠ったやかましい音たちがゼドラスの赤い獣耳に届いている。
「あとはレイ坊だけ。お前はここで勝手に打ちひしがれていろ」
「ま、待てっ!おい!!ゼドラス!!まだ終わってないっ!!なあ……っ!!!」
哀憐を帯びた大声。しかし彼は振り返らない。奥の無機質で白い廊下、例の装置がある部屋へと歩いていく。
その大きな後ろ姿は、どこにも迷いはなかった。もう何を言っても彼には届かないのだろう。瞑った目尻に涙。項垂れる。体に力が入らなくなってきた。
「なんで……どうして、あんな……くそぉ……!!」
犯罪者を拘束し捕えるための糸。今や正義を留まらせ、自身の正義を盾にして、悪のために紡がれるものとなってしまった。その事実が、ヒセノの心の中で反芻して止まない。白い廊下の床が、嘲笑うかようにひどく冷たかった。
そこに、【透明】の獅子。拘束されている彼のナイフを持って、おずおずと存在を示す。
「その……ヒセノさん……どう、声を掛ければいいか……」
「あ、ああ……レイト君か?……先に進んでいなかったのか」
驚きつつ、声のする方へと目を向けたヒセノ。声の張りが無くなって、抜け殻のようになった彼。いたたまれない気持ちになったレイトは、彼を傷つけないような言葉は選ばないよう注意する。
「ええ、まあ、はい……。感覚の鋭い人だと思ったので、【透明】でも掻い潜るのはムリかなって……。でも結果的に、拘束が解けそうで良かったっす。ちょっと待っててください、すぐ切りますから」
「…………頼む」
その言葉を充分に待って、レイトは光の糸を切り始める。意外と芯があって硬い。まるでロープのよう。ノコギリのように擦って一本ずつ切っていく。
そんなものを、ヒセノは軽々と弾き返していた。ただの標準体格の青年と、治安維持団の鍛えられた隊長だ。こんなにも力が違うのは当然ではある。
両者の間に流れる沈黙。糸の切れる音だけ。
それがどうしても耐えられなく思ったレイト。意気消沈のヒセノに申し訳ない気持ちはありつつも、沈黙よりは重くないだろうと聞いてみることに。先程戦っていたあの異頭族、ゼドラスについて。
「ヒセノさん。そのー……ゼドラスさん?って、どういう人だったんです?元々、治安維持団の隊長なんすよね」
「……」
在りし日の、厳しくも楽しい鍛錬の日々を思い出すヒセノ。物思いに耽って、語り出す。
「前任の第四隊長だったんだ。つまり、僕の前任者。五か月前くらいに行方不明になって、手の空いている治安団全員でレッケイド中を探し回った。けど見つからなかったんだ。……まさか、悪と手を組んだとは思わなかったけどさ」
「それは……辛い、ですよね。憧れだったんですよね」
ありきたりな言葉しか言えなかったレイト。戦闘前や後の、言葉の応酬を聞いていた。そのことから、ヒセノはゼドラスを羨望の眼差しで追いかけていたのだろう。
そして、それを裏付けるようにヒセノが言葉を続ける。呆れたような笑いがこぼれながら。
「まあね。僕とゼドラスは……師弟関係みたいな感じだった。隊長は、普通の隊員からしてみれば恐れ多い存在のように思われてるみたいけど……僕にとってはそういうの関係なかったよ。特にゼドラスとはね」
幼い頃から、正義を貫くその姿を見てきた。治安維持団に入る理由はもちろん、人生の軸となって常に傍にあるものとなっていたのだ。
それが今や、あの様である。だが、感傷的になってはいけない。先程まで歩んできた過去を振り返ったことによって、今しがた悲しみが落ち着いてきたヒセノ。
「うじうじしてる場合じゃないな。ゼドラスが向こう側に行ったなら……覚悟を決めなきゃならない。捕えて、罪を償わせる」
全ての糸を切り、立ち上がったヒセノ。レイトからナイフを貰い受けると、いつでも取り出せるよう腰へと収める。一呼吸。心を落ち着けた第四隊長。その後ろに、【透明】のレイト。
「……応援してます、ヒセノさん」
「ははっ、ありがとう。……レイノルズ隊長が踏ん張ってくれているはずだ。加勢しに行こう」
何枚か壁を隔てているのだろう。籠ったけたたましい音が聞こえている。この後の作戦について、レイトが自身の能力を駆使して動くことをヒセノへ告げる。
「作戦は本部でも言いましたけど、この場所の制圧、あと誘拐犯を確保をお願いします。俺は、【透明】で出来る限りのサポートをしますんで」
レイトは小型のマナ届声機を携え、いつでも本部にいるクラッフルに連絡できるようにする。
ヒセノは頷き、ゼドラスが向かった廊下へと振り返る。と、その時、後方。ヒセノ達が来た廊下から、第二隊長のカイヴィーと十数人の隊員。彼女は杖を携え、走りながらやってきた。
「ヒセノ隊長!」
「ああ、カイヴィー隊長!小屋の戦闘は……?」
ヒセノの前まで駆け寄った彼女。彼からの疑問に簡潔に説明する。
「色々あったけど対処したよ。けど、アデランド隊長が、ちょっとね。状態が良くないみたい。私たちでどうにかしましょ」
全員、小走りで奥の廊下へと向かう。続けてヒセノが、ここにきた隊員たちを見回しつつ問いかける。
「ソウエン隊長は、まだ来てないみたいだね?」
「そうね。副団長が今頃頑張ってくれてるはず。……ま、私たちだけでどうにかなるわよ」
楽観的なカイヴィーに、内心複雑な彼。敵側に、元第四隊長の存在を示す。
「どうだろう。……ゼドラスを知っているよね?あいつが、誘拐犯側についているんだ……」
「……え?」
聞き間違いかと思った。だが、声色からそうではないと察知できる。ヒセノは、その言葉の意味をそのまま説明する。
「ゼドラスは……もう悪の手に落ちている。償わせないといけない……!」
彼の言葉に堅い信念が乗っていた。感情の機微に精確なカイヴィーには、それが痛いほどわかった。彼女もしっかりと頷く。
「なるほど……。詳しい話は本人から聞くしかないようね。さっさと懲らしめちゃいましょ」
「……ああ」
堅い信念があるとはいっても、信じていたものに裏切られてしまった。その事実が、ヒセノを押さえつけていた。しっかりと前を見据え、彼がいるだろう廊下の先へと進んで行く。
まだ迷いがあった。しかし早く捨て去らなければ。
白い廊下、治安維持団の面々は最奥へと走る。きっともうすぐだ。




