64- 光の影と影の光
サヤカの目の前。彼女を見下ろす黒山羊が手を伸ばした。しかし瞬時に、その手が影魔法で弾き飛ばされる。一瞬の出来事。彼をいち早く察知し、最悪の事態を防いだのはリーロだった。
恐怖のあまり腰を抜かしたサヤカ。手を弾き飛ばされて体勢が崩れた黒山羊。リーロは影魔法で拘束しようとするが、すぐに転移で後退され距離を取られた。
マルキスとグラス、そしてツェルが、尻もちをついたサヤカに駆け寄って介抱する。
「大丈夫か!?」
声をかけて立ち上がらせるマルキス。冷静に黒山羊を見据えるツェル。
「あの方は、さっきオリヴィオが言っていた……」
誘拐犯。骨族と獣人族のうちの一人だ。ツェルよりも背丈が高く、黒と灰色の服装は圧倒的な威圧を感じさせる。
サヤカの前方。五人の前にリーロが立つ。得意な影魔法をいつでも使える準備をして、後方に伝える。
「あと一人手を貸せ。ツェル。お前は?」
「っ、戦えませんよ」
「俺が行く。オリヴィオ、ナイフくれ」
怯える彼からナイフを受け取って、マルキスが前に出た。刃に得意魔法の炎を纏わせ、戦う姿勢を取る。確かな赤い目つき。燃える闘志が彼を突き動かしている。
戦闘が得意なリーロから見れば、圧倒的な力不足だった。黒山羊も分かっているのだろう、影の隣と並んだ兎を見てほくそ笑む。
「雑魚が……」
マルキスの震える持ち手。呆れたリーロは一歩前を出て指示する。
「お前は非戦闘員を守れ。命のやり取りは買って出るぜ」
彼は苦い顔で後退し、四人の傍へ。だが、それを許さない黒山羊。短剣を振り下ろしながら、瞬時に、彼らのもとへ転移した。が、その剣は振り下ろせない。手首が影魔法に引っ張られた。
「てめえの相手はこっちだ」
腕を動かし影を操作すると、彼を投げ飛ばした。受け身を取られる。だが、その顔には苦悶が滲んでいた。
「奇怪な魔法をッ……」
影魔法はリーロが独自に編み出した魔法。知らない魔法の対策は難しい。リーロは思わずさらにニヤケる。
そして、見破ったことがある。黒山羊は転移する直前、何かしらの行動を始めようとする。そこを見極めれば防御は容易だ。問題は攻撃。多量のマナを消費し、使用も制限されるはずの転移魔法。大量に保有し使いこなしているのならば、普通の攻撃は絶対に当たらない。
再び始まる攻防。五人を守るために仁王立ちで構え、数多の影を触手のように操作するリーロ。彼独自の魔法に翻弄されつつも、隙を見て突破しようとする黒山羊。寒風でたなびく黒フードと黒い被毛。刹那ごとの命の駆け引き。
マルキスは、後ろにいる四人を守るため、万が一突破されてしまった時のために炎のナイフを構えている。その後ろの、隣に並ぶツェルとオリヴィオ。ツェルは黒山羊の癖を分析して背中の仕込み杖を取り出す。オリヴィオは【能力】でさらに後ろにいる二人にマナで出来た檻を創り出していた。
疑問符を浮かべて見渡すサヤカとグラス。それの正体を振り向いたオリヴィオから聞く。
「あ、安心してください……!マナで作った檻ですから……!い、今から情報を書き込みます、転移でも中に入って来れないように……!」
「あ、ありがとう……!」
サヤカは感謝を述べて、隣にいるグラスの手を握る。人間の冷たい手と、被毛を生やした温かい獣の手。お互いの恐怖心を共有して、少しでも中和する。
それぞれ出来ることをこなす五人は、リーロと黒山羊の戦闘を見守る。振られる短剣、弾き返す影。互いの力がぶつかり合う。
常時、余裕綽々のリーロも、影色の顔に汗が垂れるを感じる。影を具現化して不意の攻撃は当たるにしても、黒山羊は思いがけず早くも対応する。一方的な同じ攻撃は対策されてすぐに躱される。体術にも長けているらしい彼は、転移とその身体能力だけで戦闘を長く続けられるだろう。
リーロにとってはジリ貧だった。相手は何回も転移をしているというのに、保有されているマナが枯渇している様子はない。獣人族なら保有量はそれほどないはずだが、未だにマナを感じ取れた。その正体は、腰に光るマナ結晶。小指程度のそれが、巨大な保有庫であるのだ。
この状況が続けば、いずれリーロのマナから底を尽きる。焦り。舌打ち。それでも笑みは崩さない。自身を守っている影を、少しばかり黒山羊の攻撃に移す。
影の攻防一体。黒山羊の一線を画す体術と未知の魔法に対する対応力。実力は互角。だがマナの保有は黒山羊が圧倒的。
不意に、リーロの顔に、どこからか飛んできた小石が当たる。集中が乱れたその隙を突いた黒山羊が、リーロの前に転移。切り払うが、すんでで身を引けた。その拍子に態勢が変わるが、あえてそれを利用する。太い脚に雷を纏わせると、睨む彼の体に蹴りを一発。
転移。後退される。足は確かに触れた。盛大に入ることは無く躱されてしまった。が、電気が流れて体が痺れたようだ。触れた場所を抑えるが、尚も立ち、憎悪を宿した目をリーロへと向けた。
「貴様、もしやっ……レェシャを屠った……ッ!!」
「……さあ、何のことだァ?」
影は目を細め、白を切って煽る。影は既に、正義の下に、彼の仲間を殺していた。
とぼけられた黒山羊は、ゆっくりと短剣を振り下す動作を行う。すぐさま転移。リーロの前へ。
影で防ごうとした時。黒山羊の腰に付けていたランタンを、もう片方の手で掴んで前方へ。ランタンの光が煌々と光り輝く。目を潰すほどの光。目くらましだった。
奥の手を行使し、再び転移する。直に光を見て怯んだオリヴィオが檻を解いてしまい、その隙に両手で目を覆うサヤカとオリヴィオの体に触れる。
「っ!!?助け──」
引っ張って、彼女の口を覆う。全員の目を潰したとほくそ笑んだ黒山羊。サヤカを連れて転移しようとした時、オリヴィオに向かって伸ばす黒い腕に冷たい何かが深く刺さる。激痛。思考が乱れてしまって、手をオリヴィオから離した。
その正体はツェル。動きを事細かに分析していた彼だけ、目くらましを事前に防いでいた。後ろにいると気が付いた時、振り返りざまに仕込み杖の先端から水を発射。
水を氷に魔法で変換。弾丸のように発射された速度でそれが腕へと突き刺さったのだ。ツェルは続けざまに二発目を発射しようとする。
が、二つ目の氷の弾丸が刺さる直前、思考を瞬時に持ち直して転移。サヤカだけでも転移で連れ去った。
逃げられてしまった。構えていた杖を下ろすツェル。目くらましから復活して、混乱中の他四人に状況を説明する。
「あの方は、サヤカさんを連れて転移しました……」
「そんなっ……」
グラスはサヤカがいた隣を見る。もちろん、誰もいない。目くらましを食らって、繋いでいた両手を咄嗟に離してまったのだ。だがその結果が、幸運にも、グラスごと転移されないで済んだ。
「……くそっ、アイツ、逃げやがった上にサヤカを……くそっ……!!」
一方でマルキス。ナイフを握り締めて辺りを睨みまわす。転移したから近くにいるはずもなく、無駄に歩くだけに終わってしまう。オリヴィオは頭を抱えて自責してしまう。
「あ、あの時刺されたのに、な、なんであんなに動けて……も、もっとしっかりしてれば……」
その中でも一番冷静なリーロは、四人に向き直り、嘆かわしい現状の雰囲気を強引に変えさせる。
「この場にいる誰かのせいじゃねえ。あいつが一枚上手だっただけだ。まだ挽回は出来るぜ。見つけたら、俺がたっぷりとブチのめしてやる。……あいつが転移しそうな場所は、誰か分かるか?」
「……た、多分、僕とサヤカさんが誘拐された先の、ひ、広い地下室かもしれないです……でも……」
心当たりを話すオリヴィオだが、俯いてしまう。覚えていないのだ。震え声で言いにくそうに続ける。
「よ、夜に無我夢中で走ってきて、正確な場所は分からないです……」
マルキスが、少しでも深堀りして情報を得ようする。
「大まかな方角もわからないか?」
「よ、夜でしたし、雨も降ってて……強いて言うなら……ぼ、僕とサヤカさんがいた小屋より、一回り大きい小屋から出て逃げた記憶はあります……。あ、あと、畑もあったような……」
「……建物はわかりやすいけど、方角はわからずじまいか」
広大な森の中。時間が惜しいというのに、すぐに見つかるわけがない。冷たい風はいつの間にか止んでいた。導きのために再度吹かれることもなく、途方に暮れてしまう一行。しかし、ツェルは違った。杖に装着されているガラス玉の中、マナ液の分析を終える。
「あの方の場所、特定しました」
ツェルに、驚きの視線が集まる。どうしてわかったのか、という質問をされる前に、自らその説明する。
「あの方が転移する前、マナの情報が書き込まれた特殊な水を付着させました。幸運にも腕に刺さったようで。あれは……オリヴィオなら馴染み深いでしょう。現在地の座標を示してくれる情報が書き込まれていたのですよ」
息を呑んだマルキス。ツェルの持つ杖のガラス玉を指さし、その説明の続きを推測する。
「つまりあれか!今マナの分析してたよな。水のアレと情報の同期をしてるそれを分析して、アイツの位置がわかったってことか?」
「その通り。このマナ液がオリヴィオの残したマナ瓶。付着させた水がオリヴィオの胃の中のマナ液です」
「でかした、ツェル!これでアイツを追えるぞ!」
感心して耳を立て、彼の肩を叩くマルキス。暗い表情から一気に明るくなるオリヴィオ。そして、有能な働きぶりに満足げでありつつも、疑念を抱いてしまうリーロ。
「すげえ代物だ。まるで、今この時のためにあつらえた物みてえだなァ」
「リーロさんには言い忘れていましたね。私はレベルシティで探偵を生業としてます。誰かを追跡する時に重宝するのですよ。こういった優れものは」
ツェルは杖をかざして見せつける。何の変哲もない、マナ液が小粋に飾られたステッキだ。一般人が見れば、歩行を補助するためのそれにしか見えない。納得した彼は、興味深くそれを指さした。
「よ~くわかったぜ。まだ他の機能が残されてそうだ」
「ふふっ、企業秘密です。それに今は、あの方を追わなければなりませんからね。……そうでした、秘密と言えば……」
先ほどの戦闘中、とある言葉に引っ掛かっていたツェル。秘密、という言葉で強引に繋げ、リーロを深掘りしようとする。
「あの黒山羊が言ってましたね。『レェシャを屠った』……。言葉通りに受け取るのであれば、あなたは人を殺した、と?」
「あァ、それか。残念だが……」
レェシャ。そいつと会い、命のやり取りの末に勝利したリーロ。だが、この状況ではそれを仔細に伝える時間など無い。
「今はサヤカだろ?くだらねえ話に割く時間なんてどこにも無ェ」
「……」
人を殺したかもしれない。その事実が、マルキスは余計にリーロを警戒する。どうしても信じ切れずに疑心の目を向けてしまった。ツェル以外の人たちも、マルキスほどではなかったが、今の話を聞いて少し、後ずさってしまう。
一方でもう一つの影、ツェル。一旦は納得して頷く。
「……少なくとも今のあなたは、私たちの味方。そうでしょう?であれば、今は共に進みましょう」
納得できるような、安心させられるような言葉を紡いでみんなを取り計らう。
ツェルは座標に向けて歩き出し、四人はそれを追っていく。だが直後、マルキスが早歩きでグラスの前を塞ぐようにして遮った。
「待てグラス。お前は車に戻れ」
「で、でも……」
この中で唯一マナを扱えない。先ほどの戦闘も、一歩間違えればグラスごと転移させられていたかもしれない。気遣って車へと戻るよう指示するマルキスだが、リーロから反論される。
「ウサギさんよ。ここは既に誘拐犯のテリトリーみてえだ。ここで犬っころを一人にするのはかえって危険だぜ」
「それはっ……」
「誘拐犯は二人、ってことらしい。だがここはどうだ?誘拐された被害者が帰ってこねえってことは、その被害者を帰さねえための監視役もいるかもしれねえ。そいつと遭遇してみろ。次の被害者になるかもなァ」
一理ある。だが、車からここまででそういった相手と遭遇していない。本当にいるかどうか怪しく思ってしまうマルキスだが、一旦それを飲み込んだ。
「そうだとしても、このまま一緒にいるのも危ないだろ」
「私とオリヴィオが守りましょう」
会話に入ってきたのはツェル。引き返して万が一のことが起きてしまうくらいなら、最初から行動を共にした方が良い。オリヴィオも、グラスもそれに賛同する。
「ぼ、僕も、さっきは目をやられましたけど、た、対策できれば、檻で守れますから……!」
「うん!僕も大丈夫……!二人の近くにいるよっ」
全員の意見を聞き、マルキスは溜息を吐く。グラスが心配でしかないが、今は共に行動する方が安全だと受け入れると、しっかりと頷いた。
「わかった。じゃあさっさと走っていくぞ。二人が危ないんだし」
「……そうですね。私は構いませんが……」
シルクハットを深く被り直していつでも走る準備を整える。が、振り返って残り三人の様子を見る。グラスは意気揚々としている。
「僕も全然問題無し!」
だが、運動は得意ではないオリヴィオは大きな獣耳を伏せ、ツェルに素直に吐く。
「ぼ、僕は走りに自信がないですけど、一大事ですから、が、頑張ります……!!」
「俺はムリだ。影に入れば早く移動できるが、太陽の下だから長くは潜れねえし、マナもさっきのでまあまあ消費したからなァ。あいつと戦う時まで温存してえ」
ハンバーガーを食うリーロはきっぱりと言い切った。この四人の中で唯一彼に対抗できるのはこの影族だけだ。高水準な戦闘能力とはいえ、マナが無くなればただの食いしん坊の一般人に成り下がってしまう。いつでも戦えるようマナだけは無いと困るのだ。
そこでオリヴィオが策を思いつく。神妙な面持ちでリーロに近づいた。
「じ、じゃあ、僕が保有してるマナをあげますよ」
「……ああ、その手があったか。助かるなァ」
差し出された影色の太い手に、黄色の手が近づく。お互いに握り合って、集中するオリヴィオ。異頭族であるために、影族程ではないが保有量は並みより上である。リーロに向けて、オリヴィオ自身に保有されているマナを彼へ流し込んでいく。
マナの満たされていく心地よい感覚を覚えるリーロ。オリヴィオに、どれぐらい残っているかを聞く。
「オリヴィオさんよ。満タンまであと二割ってとこだ。あとどれくらい残ってんだ?」
「う~ん……あ、あと一割くらい、ですかね……」
「おい流しすぎだ」
勢いあまって手を離したリーロ。少し疲れが浮かんでいる目の前の黄色い顔に諭す。
「何かあっちゃいけねえ。せめて三割は無いとだろォ?ほら、手ェだせ」
「ご、ご、ごめんなさい……」
再び握り返し、今度はリーロから流し込んで少しばかり送り返す。
とはいえ、リーロは考える。保有量や戦闘のことを考えると、やはり自身のマナの保有は満タンにしておきたい。あの黒山羊は手ごわかった。確実に抑え込むためには、最大にして事を運びたいのだ。
そして、そういった考えを理解したツェル。送り返して空を漂うその太い影の手に、細い影の手を差し出した。
「では私からも。それで準備万端でしょう」
「へ、助かる。終わったらさっさと進もう」
同じ影族であり、保有量の高いツェルから貰い受け、たちまち十分にマナを確保した。必要最低限の抵抗手段を手に入れたのだ。これでいつでも、あの黒山羊と相対することができる。今度、こそ決着をつける。離した手を強く握って、太陽の光に当たらないようにしつつ影魔法で潜って前へ進むリーロ。
ツェルの案内のもと、目的地へと走る四人。サヤカを助けなければ。きっと、まだ間に合う。




