62- 導きの一手
冬の森。目的の座標には道が続いておらず、四人は車を置いて歩いていかなければならなかった。昨日は、ここ一帯で大雨が降ったようだ。数歩足を進めるたびに、冷たい泥濘が先に進ませまいと抵抗しているよう。
ただ、グラスにはそれが懐かしく思った。木、土、落ち葉などの混ざり合った自然そのものの匂い。雨が降った後だとそれが顕著だ。故郷の村に帰ってきた感覚がして、つい笑みをこぼした。と同時に、地図を持っているマルキスに内心、ずっと思っていたことを話す。
「ねえ。ここってさ、僕の住んでた村と近いよね……?」
「そうだな。……ひとしきり終わったら行こうか」
車に常備してあるレッケイドの周辺地図。東方面の森、グラスの故郷であるファイドヒルがあるだろう場所を見据えた。グラスは気を引き締める。
「うん!行こう!まずはオリヴィオさんを助けてからっ!!」
「ああ、もちろんだ。ツェル、あとどれくらいだ?」
三人を案内している彼。手には、例の座標が書き込まれていた瓶がある。ツェルは簡単に再分析して、座標を確認しながらその地点へと歩いている。マナの分析において、機械に限らずツェルの右に出るものはいない。おおよそ距離の見当がついていることを伝える。
「この調子であれば、十分から二十分ほどでしょう。リーロさん、このペースを維持できますか?」
「ナメてもらっちゃ困るなァ」
三人の中で一番遅い彼。大きいハンバーガーを食べながら歩いているから、というのも要因の一つではあるだろう。だがツェルが気にしているのは体のほう。お世辞が失礼になるほどの丸く肥えた容姿で、殿を務めてくれている。
ただ、リーロ自身、この体は気にしていない。これは特質による変化と言える。避けては通れない体の変化だからだ。
ツェルからの真面目めいた冗談に対し、肩をすくめて軽口で返すリーロ。
「俺はむしろお前らが心配だぜ?体がデカいってことは、その分、足腰も強いってもんだァ。つまり持久力があるっつう事だぜ。なあ、標準体型さんたちよォ」
呆れた様子で半目になるマルキス。
「物は言いようだね……。人命が掛かってると思いますし、最悪置いていきますよ」
「心配ご無用だ。なんならお前さんを背負ってもいいぜ?」
樹木の枯れ枝が作り出す影に影魔法で潜り込むと、寒風を裂くような速さで数瞬の内にマルキスの隣へ。声を出して驚くグラス。目を見開いて忌避しようとするマルキス。リーロは、ほくそ笑んだ内心を隠さない。
「ほら。いつでも構わねえよ」
「うわやめろ!バカこのっ!そんなことするわけないだろって!」
車内での出来事で仲間意識は出来上がったとはいえ、マルキスは、リーロに対してどうしても拭えない気持ち悪さがあった。第一印象は最悪だった。信用させるための巧妙な嘘。どうしても受け付けられない部分があり、彼を忌避してしまう。
彼はグラスを連れてすぐ、リーロから数歩離れる。
「今のもうやめてくださいよ。冗談とかあんま好きじゃないんで」
「へっ、覚えとくぜ」
ユーモアのあるツェルとは違う、真面目な気質が前面にあるマルキス。
リーロは、それはそれで面白い話し相手になると心底気に入る。こういう弄りがいのある性格には、どうしても悪戯ごころが刺激されてしまう。それに追随して、少しばかりの懐古と羨望も。
こんな状況でなければ、ツェルもマルキスにちょっとした冗談も言えた。だが残念ながら、見えない時間が差し迫っている。
二人の戯れに声をかけるツェル。森の中はよく声が響いて、芯のあるはっきりとした声が彼らの耳に。
「その調子が続けば本当に二十分かかってしまいますよ。ここから先は気を引き締めてくださいね」
*
ツェルの案内のもと、たどり着いたのは木造の小屋。グラスはそれを見て思い出したことがあった。子供の頃、背伸びをして父の狩猟に着いて行ったことがある。その時に似たような建物に入ったことがあったのだ。
森の中にある、休息や道具の整備などを主要とする拠点として使われる小屋。目の前の小屋もそうだと確信したグラス。なぜそこが目的地となっていたのだろう、と疑問に思いつつ、ドアをノックするツェルをマルキスと共に見守った。
ツェルは、中にいる人に呼びかける。
「すみません、誰かいらっしゃいますか?」
しばらく待ってみる。が、小屋は静寂を返すだけ。小屋を一周してきたリーロが首を横に振る。
「窓は仕切りで閉じられて中は見えなかった。開かねえし、歓迎ムードじゃなさそうだ」
ツェルは彼を一瞥しつつ、扉を引いてみる。が、びくともしない。押しても引いても動かない。かなり違和感を覚えた。こういったものは、開かないとはいっても、少しくらいは動いてもいいはずだ。だがまるで、時間が固定されたかのように動かないのだ。
扉に何かしらのマナが付与されているのかと分析していても、何の変哲もない扉だった。余計に違和感を抱く。
そしてその違和感はリーロも気づく。ただ、正面から入れないというのであれば、隙間から入り込めばいい。リーロにはできる。口角を上げて提案する。
「鍵がかかってんなら、影で中に入ることは出来るぜ」
「では、それで玄関の鍵を開けてもらえませんか?」
「任せろ」
リーロは得意の影魔法で地面に潜り込むと、すぐに扉と地面の隙間から小屋の中へと入った。中は暗い。窓の鎧戸の、微かな隙間から覗く日の光だけが光源の、獣臭さと焦げた臭いの小屋。誰かがいる気配はない。魔法を解いて体を元に戻すと、扉に体を向けた。
目に飛び込んできたのは、薄紫に光るマナの塊。開かせまいと扉全体を覆って硬化していた。先ほどから感じていたマナの気配というのは、まさにこれのことであるようだった。剥がそうと掴んでも、まったく動かない。
ならば、今しがた使った影魔法で壊してしまえばいいだろう。本気で叩けば扉ごと壊してしまう事を恐れ、向こうにいるツェルにその旨を伝える。
「おい。マナの障壁みたいなものがある。壊すから離れてろ」
「いえ、であれば、まずはあなた一人で中を探索してください」
提案を否定し、慎重さと良識を説いてリーロに共有するツェル。
「人の小屋ですよ。故意でない場合壊すのは控えてください」
「……チッ、了解だ」
リーロは溜息を吐いた。一理あるが、人の命が関わっているかもしれない状況で、扉の破壊の是非に構っている状況ではない。とはいえ、ここは素直にツェルの指示を飲むことに。狭い小屋なら、仮に戦闘があれば三人は足を引っ張る存在だったからだ。まずは、玄関から辺りを見回す。
(光魔法は出来ねえし、このまま探してみるか)
中は広いワンルームともう一つの小部屋がある。まずは居間らしきところから。外と隔絶された暗い世界から見えるものは、簡易的な台所、つぎはぎのソファと小さな暖炉、硬そうな木製の椅子と埃被ったテーブル、開けっ放しのクローゼット。目ぼしいものはそれくらいである。
そこで、とあるものに注目するリーロ。暖炉だった。触って確認しても温かくはない。だが、最近燃やした形跡はある。冷たくなるほど時間は経ったらしいが、少なくとも近いうちに誰かがこの小屋にいたようだ。
(今も使われてるところか。こんな状況じゃなきゃ今にでも火を起こしてえところだがなァ)
今は冬。森の中は寒い。影族には、被毛といったものは無いために、寒さが体の芯まで早く届く。実際の所、影族の体温は冷たいくらいに低いが、だからと言って寒さを感じないわけではないのだ。車に置いていった隊服を今着ていれば、まだ幾分か余裕は生まれたものだったが。
反省もほどほどに、次は小部屋へと向かう。リーロの慎重かつ重々しい一挙手一投足が、家主に知らせてるかのように、ぎりしぎしりと鳴り響いている。
しかしながら、この小部屋からも人の気配はしない。扉を開けるが、こちらも動かなかった。
「チッ……んだよ」
ついぼやいたリーロ。また影魔法を使って隙間を通らなければ。二回目で若干の呆れが先行する。人がいる可能性を考慮して、隙間から慎重に中へと入る。様子を見てみるが、相変わらず暗いまま。ベッドと机があるだけで目ぼしいものは無い。
元の姿に戻って扉を確認する。ここにも、例の硬化したマナの塊が扉を覆っていた。玄関の扉を同じ手口。一体何なのだろうと気に留めつつも振り返ると、シングルベッドがあった。柔らかそうなベッド。リビングの放置気味の家具たちに比べれば、愛されているかように使い込まれている綺麗さ。
ただ、不自然な形に膨らんでいる。まるで、布団の中で誰かが寝ているような、横幅がギリギリの妙に大柄な人型の丸み。この小屋の主であれば違和感はない。反応が無かったのも寝ていたからだと説明がつく。
ツェルからの詳細な説明を車で聞いていたリーロ。彼によれば、今追っているものは誘拐されてしまったオリヴィオが残したメッセージの場所であるという。
(オリヴィオの協力者ってのが妥当なとこだなァ)
ありえそうな可能性を考えつつ、ベッドのその人に声をかける。
「起きろ。話してえことがある」
耳を澄ましてみると、微かに呼吸音が聞こえる。確実に誰かがいるのは分かった。念のため警戒の糸を解かずに近づいて、掛布団に手をかけた。頭すら見えない掛布団を剥がそうとして、刹那。
ベッドの主自らが剥がし、ナイフの横薙一閃。すんでのところで身を引いて躱したリーロが、その主を見た。
ナイフを持った、臆しながらも睨む四角い黄色の異頭族。特徴的な大きな獣耳。写真でも見た、そのオリヴィオ自身だった。そしてその傍らにもう一人。静かに息をして目を瞑っている白髪の人間の女性、サヤカもいた。




