58- 数多ある世界より
「サヤカと同じだ。俺は別の世界から転移してきた。ツェルや、オリヴィオと一緒にね」
困惑の色を見せるグラス。マルキスは、ひと掬いの野菜スープを飲んでから、話を続ける。
「グラスじゃあ、あんまりわかんないだろうけど……そう説明するしかない。簡単に言えば、めちゃくちゃ遠いところから、ここにワープしてきたんだ。その時に、研究者仲間とはぐれちゃって。俺のほかにも七人仲間がいるんだけど、ようやくオリヴィオが見つかって三人目だ」
「別の世界から……遠いところから……ワープ……」
頑張って理解してくれているようだったが、残念なことに、研究やら、別世界やら、転移やら、そういうものとは無縁に生きて普通に生活してきたグラス。彼からすれば、分からないことだらけで理解は決して容易ではない。たとえ理解したとしても、頭のおかしい人だと一蹴されるに違いない。
マルキスやツェル、オリヴィオ、そしてサヤカがこの世界いるという状況は、思った以上に複雑怪奇なのだ。
しかしながらその前提に立てていない、別世界の転移の理解すら危ういグラスは、申し訳なさそうにして耳を伏せる。
「ご、ごめんねマルキス。多分、わかんないや……この辺りの……レッケイドの出身っていうことじゃないってことでいいんだよね」
「ああ。でもわからなくていいさ。俺が勝手に言っただけで……分かってくれると思って言ったわけじゃなかった。……ああ、もう、くそ!オリヴィオに会えるってわかって、落ち着こうって思ったのに、グラスに言わなくていいこと言っちまったよ……こういう時こそ、冷静になるべきだってわかってたのに」
汁だけになった野菜スープ。勢いのまま飲み干したマルキス。苦悩が顔に滲んでいた。一拍置いて息を吐くと、グラスを見据える。
「すまない、グラス。今の話は忘れてくれ。オリヴィオの家に行ってくる。サヤカにも会って、一緒に帰るよ」
「……ま、待って!」
席を立つマルキスに、急いで立ち上がったグラス。悲哀と困惑、そして静かな怒りが混じる緑の目を向けた。
「あんまりだよ!一人で勝手に納得してさ!マルキスにも、誰にも言えないような秘密があるっていうのはわかるよ……!でも、途中で説明を捨てるのは止めよう……?理解できない僕が悪いかもしれないけど……じゃあ忘れて、なんて、自分から話しておいて都合良すぎるよ……!」
必死の訴え。普段の柔らかで優しいグラスとは違う、怒りを感じる言葉たちを放った彼。言いたいことだけ言って、満足して、会話として続けることもなく、感情の捌け口として良いように使われてしまったことへの怒り。
ぶつけられた言葉に我に返ったマルキス。長い耳が垂れた。軽率な言動をとったのだと悟る。
「…………」
テーブルに両手をついて、今一度、マルキスは自身の感情を俯瞰する。オリヴィオという、再び会えるかもしれない仲間の存在に現を抜かし、目の前の大切にするべき恩人を蔑ろにしてしまった。理解させてあげようという努力もしなかった。頭を下げて、真摯に謝罪する。
「……ごめん、グラス。今の俺、冷静じゃなかった。……さっきの説明、車の中で改めて話すよ。ツェルも連れて行って、よりしっかり話そう」
「うん……!わかった!」
しっかりと頷いたグラス。それに応えるようにマルキスも頷き、玄関に目を向ける。
「アトリエから車を出してくる。それから、ツェルに連絡もする。色々終わるまで朝食食ってろ。時間かかると思うから急がなくていい」
「うん。お皿洗いもできるね?」
「もちろん。やってこい」
*
場面は変わって、レベルシティのとある探偵事務所。ツェルが住んでいる家。届声を受けていた相手は、マルキスではなく治安維持団の本部からだった。その相手はガゼロ。用件は先日の、郵便に隠すように設置されていた例の小さい機器についてだった。
『先ほど分析を終えたところでね。あの機器はとある事件に関連性のある物で、その詳細は残念ながらツェルさんに言えないものだった』
「なるほど。内心そうだとは思っていましたし、おおかたそれがどんな事件なのか想像が容易いですね。例の誘拐事件でしょう?」
届声機の向こうのガゼロは、疲れたような溜息。
『まあ、探偵さんなら分かるかもね。まさにそう。重要な事件の証拠品だったということ。それだけをお伝えしたかった。……だから、ここから先は治安維持団の務めよ』
恐らくここでその詳細を知りたいと言っても、住民を巻き込まないためと言って取り合ってくれないだろう。ツェルも、そう返されると思って深く聞かないことにした。いち探偵では、この凶悪な事件を解決できるとは思わないからだ。
「そうですね。では……他に無ければ、私はこれで。今日はゆっくりする日ですので」
『そう。それは良かった。……証拠品、ありがとうございました。では』
届声を切る。
ツェル自身、この誘拐事件を解決したい気持ちはあった。いずれ、身内が誘拐されるかもしれないからだ。それこそ、マルキス。彼は獣人族だが、マナを扱える珍しい体質。
誘拐犯の目的は、種族の関連性からマナの保有量やらと言われている。が、マルキスのその希少性に目をつけられてしまえば、誘拐の可能性は決して低くはないだろう。
しかし、だからと言って事件に身を投じてしまえば、命の危機に晒されることになる。深入りしすぎて誘拐、あるいはこの命が消えることもあり得るだろう。命を落とすことがあれば、一人残していく彼の末路は想像に難くない。
深いため息。無力感。傍観して、いざ最悪の状態に直面してしまうのが一番悪いパターンであるにもかかわらず、どう歩み出せばいいか考えあぐねてしまっていた。
そこに再び届声機が鳴り響く。番号を見ると、グラスの家からだった。グラスか、マルキス、あるいはサヤカからだろうか、と思考が移る。ボタンを押した。声を出す前に、向こうから聞こえたのは急ぐようなマルキスの声。
「なあツェル!オリヴィオが見つかった!色々話したいことがあるから、今から車でそっちに向かう!いいな」
*
現在、レベルシティの探偵事務所。ホワイトガーデンから車をかっ飛ばしてここまで来るのに約一時間かかった。事務所の前で待機していたツェルが、マルキスから促されて運転席側の後部座席へ。軽い挨拶を交わした後、彼は単調直入に聞き出す。
「マルキス。オリヴィオが見つかったと言っていましたね。具体的には?」
発進する車。ハンドルを握りながらマルキスは説明する。
「まずはリンゴレストランに行く。アーガベラさんがオリヴィオへの家の地図を置いてくれた。……今はそれだけしかわからない」
「……分かりました。アーガベラさんが知っていたと。……案外近くにいるものでしたね」
この事実を知ったマルキスと同じ感想を抱いたツェル。呆れと苛立ちのため息。どれも自身に向けられたものだった。そんな彼に、運転中のマルキスがグラスに話していた秘密について共有することに。
「それでだ。ツェル。今グラスを連れている理由、分かるな?」
「まあ、大方予想はついています。いずれは知ることになっていましたでしょうし」
「だよな。……んじゃ、グラス。分からないことがあったら聞いてくれ。俺らは今から、この世界に来た経緯を明かす」
覚悟を決めたような顔つきで頷くグラス。チラッと見たそれを、マルキスはやりにくそうに苦笑いする。
「そんな緊張するようなもんでもないって」
「だって……人の秘密だよ!中途半端な気持ちで聞けないよ!」
「秘密ってほどじゃ……」
大げさに待ち構えるグラスに、ツェルはシルクハットを深く被り直しつつ感心する。
「いいじゃありませんか。人の秘密に対して真摯に向き合える人である。それを一番知っているのはマルキスでしょう?」
「……もちろんだよ」
マルキスにとってグラスとは、長く暮らしてきた同居人。どういう境遇かも知らずに、家に住まわせてくれた命の恩人でもある。この恩は返しきれないだろうが、今一度誠意を見せて、自身の過去を明かす時だ。しかしながら、やましい過去があるわけではないが、いざ話そうとするとなかなか口が開かなくなるもの。
「どこから話そうか……まず、俺たちが別の世界から転移してきたってのは家で言ったよな」
「うん。別世界?からだよね?レッケイドよりさらに遠いの?」
「そうだな。そういうことでいい。一から説明するにはちょっとばかり勉強が必要だしな」
「マルキス。あなたは運転に集中してもらって構いませんよ。例の研究装置のことはお話ししましたか?」
運転中のマルキスから、自身に会話の主導権を移したいツェル。気遣いに感謝する彼は、喜んで続きを譲る。
「ありがとう。装置とかはまだ言ってない」
「わかりました」
助手席にいるグラスの視線は、マルキスから振り返るようにしてツェルへ。彼の影色の顔を見定めた。ツェルは、研究者ではない相手でもわかりやすいように、ここに来たあらましを説明する。
「……私たちは、とある研究所で装置の研究をしていたのです。その装置の研究チームとして配属された八人の内の二人が、私とマルキスでした。研究が始まってからおよそ三年ほどでしょうか。とある実験で装置が暴走……それに吸い込まれ、この世界へとやってきました」
「装置……実験……やっぱり、なんだか難しそうだね」
頭を抱えて今の話を整理するグラス。ツェルは少し前のめりになり、彼に優しく問いかける。
「分からないところがあれば仰ってください。説明いたしますよ」
「じゃあ……その装置って何?」
最大の謎。ツェル自身も、もちろんその他の研究者も、その存在をはっきり理解できていない。なので、研究で判明した現時点での概要を語ることに。
「その装置は、世界の観測機……すべてを見通す望遠鏡、またはワープ装置として研究を進めていました。マナを多く消費することで、どんなに遠いところでも隅々に見渡せる世界規模の望遠鏡、でしょうかね。実情は全く違いましたが。……機械に深く関わっていた人である、メイやオリヴィオ、あとは主任であるアリアなら、さらに何か知っているかもしれません。私は、装置に直接かかわる仕事ではなかったので」
「かんそくき……まだ全部は分かっていないんだ……」
分かりやすく落胆するグラス。ただ、ここでひとつ口をはさむマルキス。ツェルの言っていた、全く違う実情を話していく。
「そうだ。けど、研究していくうちに、それがただの観測機じゃないってのがわかったらしい。世界を俯瞰して観察できる程度だったら、今頃こんなところにはいないからな。つまりあの装置は、世界と世界を繋ぐゲートのような役割を持つ装置だったってわけだよ。転移の規模が、まさか世界間ほど巨大だとは思わなかったけどさ」
「ゲート……」
復唱するグラス。続けるマルキス。
「俺は装置の配線管理とかのメンテナンスに携わってた。装置の深いところまでは分からないけど、聞きかじった話によると、世界の……根幹を揺るがすような何かがあるかもってさ。極秘中の極秘だから、ツェルが言った三人しかそれを知らないだろうけど……」
「ええ、きっとそうでしょう。……装置について分かっていることとすればこれくらいでしょうか。別の世界の観測、そしてその世界に繋ぐことが出来るゲートとしての役割。その他細かいことは……メイの助手をしていたオリヴィオなら、私たちより詳しく知っているはずですね」
「へえ……そうなんだ。……二人やオリヴィオさんっていう人も、装置の研究をしてたんだ……遠いところで」
マナの研究者というよりかは、マナ機械を扱う装置の研究者と言うべきか。二人が雲の上のような存在になっていくのを感じる。
「じゃあ、オリヴィオさんと会ったら、二人は装置の研究に戻るの?」
「…………」
二人とも気まずそうな顔を浮かべる。沈黙。車の走行音しか聞こえない時間が流れる。何か良くないことを言ってしまったのかとグラスは縮こまってしまう。しかし、優しく、諦観の面持ちで沈黙を破ったのはツェル。
「多分、戻れないですね。どうやら一方通行のようで、この世界に来てから元居た研究所には戻れないのですよ。装置に詳しいオリヴィオなら帰還方法を知っている可能性を否めませんが……いずれにせよ、現時点では元の世界に帰る手立てはありません。もう帰れないと言っても差し支えないでしょう」
「ここで何年過ごしたかもわからないよな。最初は生きるのに必死で数えてなかった。……もう七、八年くらいかな?ここに来てから」
「それくらいですかね。……ですからご安心を、グラスさん。研究に戻りませんよ」
気まずさを感じた理由が分かった。元居た場所に帰れない。いわば、二度と故郷に帰れない、と言っているようなものなのだとグラスは理解する。その境遇が、どうにも労しくて悲しい気持ちになる。
「そうなんだ……帰れないって、辛いね……」
「……まあ、帰れなくとも今を生きれているだけで十分だよ。実験の失敗で死んでないだけマシさ」
微笑みを浮かべてはいるマルキスだが、その心労は計り知れない。俯いたグラスは、次第にマルキスへと視線を向ける。
「本当に……?だって──」
言いかけたところでやめる。彼らに聞いたところで、傷を抉ってしまうようなものだと思ったからだ。家族、という言葉を飲み込んだ。
「いや、なんでもない……。教えてくれてありがとう、マルキス、ツェルさん」
「こちらこそ、小難しい話でしたでしょうが、真摯に聞いてくださってありがとうございます」
互いに感謝を示し合う。少しばかり表情が穏やかになったマルキスが、車のスピードを上げる。
「……街を出た。レストランまでかっ飛ばす。しっかり掴まれ」
朝でも人がひしめき合う街並みを通り抜け、緑が多くなる道へと出る。前にこの道を通ったことがある。サヤカを始めてこの街に連れてきた道、そしてリンゴレストランへの道のりだ。その時の記憶を頼りに、デコボコ道を走っていく。




