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特異点から告ぐ  作者: 宵山
第三章 ──宿命に逆らう者たち、運命を闢く者たち──
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57- 消えた音と繋がる音


 夜に雪が降った昨日。ホワイトガーデンの朝は、まだ暖かくならない。そんなグラスの家にて。サヤカがいない朝食を食べるマルキスとグラス。彼女がいない朝食は何日ぶりだろうか。少なくとも、サヤカが来たのは今から二か月は前だろう。約六十日ぶりの、二人だけの朝食だった。


 彼女がいない影響で、グラスがいつもより元気がない。いつも振っている尻尾が、今日は振っていないのがその証明だった。


「サヤカ、いつ帰ってくるかな。まだ届声(かいせい)が来てないんだよね」


「今日のうちには帰ってくるだろ。夕飯は用意しといた方がいい」


「もちろん、そのつもりだけど……」


 暖かい野菜スープを掬いながら、マルキスは落ち着かない様子のグラスを安心させる。


「心配なのはわかるよ。しばらく一緒にいたしな。でも一日いなくなるくらいだ。俺たちは、ここでいつも通り過ごせばいい。また同じ日常が戻ってくるからな」


「……うん、そうだね。わかってるよ」


 口でそう言っていても、明らかに元気がない。グラスにとって、サヤカがいないというのはかなりの心痛となってしまう様子。マルキスは、その辛さを理解することは難しいが、寄り添うことは出来る。


 和ませようとする。不器用な笑顔を浮かべて一言。


「なら、今日はサヤカのために何か一緒に買いに行くか?」


「え?……確かに、それもいいかもだけど……今日は仕事じゃ?」


 心配するグラスをよそに、水を飲んで一息。


「たった今休みにした。納品はまだ先だし、一日くらい休んだって何も問題はない。……サヤカが喜びそうなものとか、買ってもいいかもな」


「うん……行きたい!朝ごはん食べ終わったら行こう!サプライズだぁっ!」


 心配事は、別の事柄で上塗りすれば紛れる。今のことを考えるより、未来のことを考える方が良いこともある。この場合だと、サヤカが帰ってきて、思いがけないプレゼントを贈り、喜ばせるための未来。


 今日の予定が決まったところで、グラスの尻尾がいつものように左右に振り始める。機嫌が戻ったようだ。日常が再び始まりつつある空気は、とある一本の届声によって切り裂かれる。


「サヤカだ!」


 椅子から飛び上がるようにして離れると、鳴り始めた届声機へ一直線のグラス。すっかり元気を取り戻した彼を見て、安堵するマルキス。だが、届声機のボタンを押して聞こえてきたのはサヤカとは別の声。焦りつつも平静を装う女性の声だった。


『もしもし、サヤカ?』


「え……」


 思考が止まるグラス。聞き覚えがある声だった。グラスにはそれが誰か分からなかったが、重要だったのは、サヤカではなかったこと。分かりやすく声と尻尾が落ち込んだ。向こう側から聞こえる声に、気落ちしながら応対する。


「いや、サヤカじゃないです……誰ですか?」


『そう……その声は、確かグラスさんだったかしら。リンゴレストランで会って以降ね。私はアーガベラよ』


 届声の主が誰かが判明しつつも、依然としてサヤカではないことに変わりはない。リンゴレストランに行ったあの日とオーナーの彼女のことを思い出すと、届声越しに頷くグラス。


「アーガベラさん……覚えてます……。どうしたんですか?」


『……サヤカ、帰ってる?』


「ううん、まだです。泊まるって言ってたから、まだ来ないかもです」


 向こうからため息が聞こえた。呆れよりも、切羽詰まった状況に対しての焦燥からだった。それでも心の中で留めて、彼女は迷う。


『…………』


「……どうかしたんですか?」


 長い無言が続いて、気になったグラスが声をかけた。


 尋常ではない状況を察したマルキス。スプーンをスープに置いて、グラスのもとへ歩み寄った。アーガベラが、重々しく話し始める。


『……私の従業員であるオリヴィオ君が、家の届声に出ないのよ。今日出勤日なのに、他の従業員から出てないって話でね』


「……オリヴィオ?」


 マルキスは小さく呟いた。その名前に、普段の仏頂面が崩れ、心底驚いた様子で目を見開いた。ただ、その様子を知る由もない彼女は話を続けていく。


『昨日、サヤカが彼の家の掃除をしてたから、彼女なら何か知ってると思ってここに届声したの。結局、帰ってなかったみたいだけどね。それで……今の私は、朝から忙しくて家に行けないのよ。だから確認も出来なくて……今まで無断で休むことなんてなかったから、何かあったのかと思って、ちょっとね……』


「ごめんグラス。あの、すみません。マルキスです。隣で聞いてて、ちょっと気になる事があって」


 グラスに割り込むことについて控えめに謝罪した後、話相手をアーガベラに移した。あの名前を聞いた瞬間、一筋の光が見えた気がしたのだ。


「オリヴィオって言いました?黄色の異頭族で、四角い頭の両面に大きな獣の耳が生えてますか?」


『え?ええ、そうよ。知り合いなのね。何か知ってるの?』


 開いた口が塞がらなかった。オリヴィオ。マルキスはオリヴィオを知っている。知っているどころか、仲間だ。頭がこんがらがるほどの困惑と、それを上回るほどの確かな喜び。前のめりになって、アーガベラからの質問を無視して質問を返す。


「オリヴィオの家知りませんか!?今すぐあいつに会わないと!!!」


『あ、あら。確認しに行ってくれるのね。ありがとう……大丈夫?』


 アーガベラ以上に慌てているマルキス。かえって落ち着いた彼女は、彼を気遣った。マルキスは確かに、しっかりと頷く。


「大丈夫です。むしろ、今までで一番、頭がはっきりしてます」


 荒々しい息に、しっかりと届声機を見据えている赤い瞳。彼のいつもと違う雰囲気にグラスは戸惑いつつも、悪い意味で変化したわけではなさそうで、特に引き止めない。


 一方で、オリヴィオの家について少し考えている様子のアーガベラ。


『なら、一回リンゴレストランに来てもらえないかしら。場所は分かるわね?オリヴィオ君の家の地図をそこに置いていくわ。受付のチャックっていう巨態族に家のメモについて聞けば出すようにするから、それでいい?』


「分かりました。ありがとうございます」


『マルキスさん、よね。今のあなた、結構急いでるみたいに聞こえる。くれぐれも安全第一に、ね』


「わかってます」


 自身より余裕のない彼の様子で、一層冷静になったアーガベラ。彼に気遣って、最後に一言。


『何かわかったら、またリンゴレストランに戻って受付に話してね。お願い』


「はい。……それでは」


 ボタンを押して届声を切った。押した手が、口を覆う。


 信じられなかった。オリヴィオという名前を聞いた時の喜び、困惑、感動、安堵。こんなにも、近くにいたとは。


 隣で見ているグラスが、いつもと違う様子の、長い耳を伏せたマルキスの顔を覗く。問題ないと思いつつも、心配になって肩に手を置いた。


「大丈夫?マルキス……?」


 赤い瞳が潤っている。涙目だった。しかし数秒の後、頭を横に振って雑念を振り払ったようなマルキス。深呼吸。その後、おもむろにグラスに向けて安心しきった言葉を落とす。


「大丈夫だ。問題ない。何も」


「そうなんだ……?オリヴィオっていう人と友達なんだね?初めて知ったよ。どんな人なの?」


「……食べながら話そうか。今すぐにでも飛んでいきたいけど、今の高ぶった感情を整理しないと、アーガベラさんの言う通り、車が事故っちゃうかもしれないからね」


 二人は、再び朝食の席に着く。先ほどより少し温(ぬる)くなった野菜スープを飲みつつ、マルキスはオリヴィオとの関係を簡潔に明かす。


「俺とオリヴィオはな……詳しく話すと結構難しい話になるから、掻い摘んで話すと……。あいつとは研究者仲間だった」


「へえ……ツェルさんの時もそうだったよね?マルキスが研究者だったっていうことは前に聞いたし、ツェルさんもそうだったっていうのも教えてくれたけど……オリヴィオさんっていう人もそうだったなんて」


 スープを掬うスプーンが止まった。マルキスは揺れる水面を見ながら、懐かしむように笑みを浮かべて続きを。


「そうだ。あいつはマナ研究者で……とにかくマナに目が無くてさ。俺やツェルよりマナのことをよく知ってる。マナが発展してるレベルシティにいると思ってたのに、郊外のリンゴレストランにいたなんて……近かったのに、見当もつかなかった」


 思い出していた。彼の、臆病で、絶対に角が立たない言動。もっと胸を張ればいいのにと、彼に対してずっと思っていたその感情が懐かしい。


 それを微笑ましく見るグラス。


「見つかってよかったね、マルキス。……あのさ」


 心の内で思っていたこと。真意を聞きたくて、マルキスに問う。


「マルキスは、マナの研究者に戻りたい?画家になる前……この家に来る前はそうだったんだもんね?」


「ああ。前まではね。……でももう戻れない。戻りたくても、もう」


 郷愁の目。それも、悲しみを含んだ。辛い記憶が浮かんでいるのだろうとわかったグラスは、元気づけられるような言葉が思いつかず口を噤んでしまう。マルキスは、ゆっくりとスープを一口。


「……グラス。転移って知ってるよな。前に転移魔法について話したことあっただろ?」


「うん。知ってるよ。サヤカは転移してきたって言ってたけど、結局記憶は戻ってないから分からずじまいだし……」


「俺たちとグラスが初めて会った時のこと、覚えてるか?」


 転移に続いて突然の質問。面食らうグラスだったが、記憶の糸を辿る。グラスとマルキス、そしてツェルが会った時期。およそ、七年ほど前だろうか。確か、サヤカと同じように夜をさまよっていたところを、偶然、喫茶店のバイト終わりのグラスがそれを見かけたところが始まりだった。


 凍えて震える彼らを家に連れて帰り、暖炉に火をつけ、部屋が片付いていないからとソファで寝てもらったところ。その半月後辺りにはツェルが別の住処、レベルシティへと移り住んだこと。大まかに思い出したのはそれくらいだった。ただ奇妙なことに、最初に出会ったその時の状況がサヤカと酷似していることに気づいた。


「覚えてるよ、大体は」


「……俺も、そうなんだよ」


「……ん?」


 言葉の意味が分からなくて、聞き返した。伏し目で物思いに耽るマルキスは、改めて話を明確にする。


「……サヤカと同じだ。俺は別の世界から転移してきた。ツェルや、オリヴィオと一緒にね」


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