56- 曙光を求めて
先ほどまで監禁されていた暗い部屋とは対照的な、明るい白の廊下。遮蔽物などは一切ない平坦な道に、白髪の人間と黄色の異頭族の二人。出口を求めて歩き出す。
あの部屋を出てから数分。誰もいない長い廊下を、前後も分からずにひたすら歩いていた。両側には扉たち。小窓から見えたのは、サヤカとオリヴィオ、二人が監禁されていた部屋と同じ内装のものばかりだった。
ここはどこなのだろう。誘拐された先の、謎の施設。やけに広く、無機質で何もない。お互い無言で手を握る二人。未だ誰も見つかっていないことをいいことに、少しだけ歩みを速めた。
そんな矢先だった。曲がり角の先をおもむろに見て、誰もいないことを確認すると、ついに、どこかへと通じそうな扉を発見した。二人は速足で、突き当たりの扉に近づいていく。オリヴィオが、中に誰かいないかを確認しようとサヤカを引き留めた。
「う、後ろにいてください……」
了承した彼女は後ずさる。忍び足で前に出た彼。白い扉に、その大きな獣耳を宛がった。話し声。男性の低い声と女性らしい声。この扉の向こうに人がいることは確実だ。十中八九、この二人を誘拐した人たちだろう。
獣耳を離して、進んできた廊下に振り向くオリヴィオ。彼女に囁く。
「サ、サヤカさん……この先はいかないほうが、い、いいかもしれないです……!も、戻りましょう……!」
「は、はいっ……わかりました」
再び手を握る二人。先ほど進んだ廊下を見返し、踵を返すことに。ここまで誰とも鉢合わせなかった。あの扉の奥に大人数の誘拐犯らがいるのだろうか、と思考するオリヴィオ。なんにせよ、廊下に誰もいないだろう今が即行動の要。彼は慎重になることを止めて、足取りを速くする。
先ほどの監禁されていた部屋を過ぎ、曲がり角を曲がり、白い廊下を進んでいく。出口を求めて、ひたすらに。
冷たい廊下。裸足の二人。必死に歩いて、足裏を凍えさせないようにしていく。サヤカは、前を歩くオリヴィオの黄色の裸足、そして半裸である広い上半身を見て心配する。
「……オリヴィオさん、寒かったら、パジャマ着てもいいですよ?私、動いて体があったまってきたので……」
「ご、ご心配なく……!い、今は外に出ることだけを考えましょう……!」
心配をやんわり返し、逞しさを装う。とはいえ、実際は確かに些か寒い。しかし黄色の薄い被毛によって、人間よりは寒さへの耐性があることは確か。耐性の無い彼女からの厚意に甘んじず果敢に前へと、自身を鼓舞するオリヴィオ。
渋々サヤカは頷いた。ぶかぶかで温かいパジャマを再び着直して、先頭のオリヴィオに遅れないよう着いて行く。
そうしてまた数分。早歩きで進む二人の前にまた曲がり角。先を覗き見てまた誰もいないことを確認すると、飛び込んできたのは、ようやく違う景色。
突き当たりに階段があった。上にのぼる階段。
思わず見合う二人。こぼれたのは笑み。サヤカが口を開く。
「やった……出口に繋がってますかね……!?」
「い、行ってみましょう……!」
上への階段ということもあり、この場所がかなりの広さがあるように窺える。もし、あの誘拐犯らしき人たちがいたところが入口であれば、この先の階段を登りきれば屋上に着く。ここがどこだか分かるかもしれない。
が、それはそれとして、オリヴィオは別の事を思案する。このまま外に出られるのあれば、いくらなんでも脱出が容易過ぎるのだと。外に出るすんでの所で、何かしらの罠が発動する、なんてことがあるかもしれない。最大限辺りを注意しながら、一段一段、上がっていく。
ふと、長い階段が目の前に。二階分上がってすぐだった。おおよそ二十段ほどの段数だったのが、数えきれないほど一気に増えて上へと続いている。その先を見てみると、茶色の天井が見えた。行き止まりのように見える。早歩きの後に四十段ほど登って疲労の二人は、その先の様子に落胆する。
「嘘でしょ……上がってくのに行き止まりなんてこと、あるぅ……??」
「……も、もしかしたら天井が開くようになってるのかもしれないです……だ、だって、階段がある意味が無いですから……い、行きましょう……!」
確かにそうかも、と考えを改めるサヤカ。何段あるかもわからないくらいの長い階段を、オリヴィオの数歩後ろから上がっていく。上るほどに疲労が蓄積し、足が重くなる。が、確実に外に近づいているかもしれないと思うと、心は軽やかだった。
監禁から脱出まで、あと一歩かもしれない。誘拐犯らの油断が生んだ奇跡の大脱出。歩みを止めず、ようやく天井付近へ。オリヴィオの目論見通り、木製のハッチのような板枠がある。ここから屋上へと繋がっていそうだ。
大きな獣耳を宛がって聞こえてきたのは、籠った大雨の音。人の気配はなかった。隙間から抜ける冷たい風が頬に触った。
オリヴィオがハッチを押し開けようとする。しかしびくともしない。ここも鍵がかかっているらしい。ハッチに書き込まれた情報を見る。
どこにもない。マナが込められていなかった。つまり純粋に、外から鍵がかかっている、ということだ。後ろにいるサヤカ。期待を込めた眼差し。
「これも開けられそうですか?」
「う、う~ん……ざ、残念ですがマナがありません……で、でもちょっと待っててください……!サ、サヤカさんのために頑張らないと……!」
彼女を外に連れ出し、安全な場所まで進まなければ。その一心で、オリヴィオは躊躇うことなく邁進。この先はおそらく屋上だろう。だが、何かしらの方法で地上に降りれる可能性を信じて、自身の【能力】を発現させる。
オリヴィオの黄色い掌から、薄紫色にぼんやり光る液状のマナが溢れだす。通常、保有されているマナは、魔法の発現によって消費したり、靄として体外に排出されたりする。保有マナをそのまま液体にして体外に流すことは、その性質上、不可能に近い。
だが、オリヴィオの開花している【能力】によってそれを可能とさせていた。こればかりは、いつもの並外れた才能ではなく、とある【能力】として実現させている。マナ液でたっぷりの掌を、天井のハッチにぴったりと宛がう。それを見ていたサヤカは、興味深そうにしていた。
「オリヴィオさんって、なんでも出来てすごいですね……」
「っ…………」
すごくなんかない。そんな、心から這い出てきた言葉を、なんとか口にしなかった。代わりに出たのは、歯を食いしばる苦い顔。幸か不幸か、サヤカは背後にいるために、それを見ることは無かった。
意識を集中させるためのため息。オリヴィオの操るマナ液がハッチの枠の隙間を通り、鍵の正体に迫る。床とハッチ。繋げるようにして、一つの南京錠が掛けられていた。これをどうにかすれば開けられるだろう。しかし開ける場合、錠の内部を知識として理解していなければならない。オリヴィオにはそれが無かった。
であれば出来ることは一つ。壊せばいい。
オリヴィオから発するマナ液は、彼からすればもう一つの腕のようなもの。巧みに動かし、床とハッチを繋げている半円状の部位、シャックルに液体を包んだ。目を瞑って感覚を研ぎ澄ませる。捻じ切っていく想像を鮮明に紡いでいき、徐々に力を込めていく。
金属の軋む音。より想像しやすいよう、手に力が込められる。
十数秒の後、断絶。捻じ切ったあと、がちり、の音。壊れた錠をハッチの端まで移動させると、オリヴィオは自身のマナ液を体に戻していく。
成功した。この【能力】をこういった形で駆使するのは初めてだった。案外うまく行ったことで、つい顔が綻んだ。後ろにいるサヤカに振り返る。
「あ、開きました……!……こ、この先は屋上ですかね……」
「すごっ……ありがとうございます!」
後ろで見ているだけだったサヤカ。何か手伝えたことがあったのだろうかと、今更ながら思った。が、魔法を扱えない以上ここで出る幕は無かっただろうと、すぐに考えを改めた。
二人は協力して、ハッチを少しだけ上へ、音を立てないよう開けていく。隙間から見える景色は、二人が想定していたものとは全く違っていた。サヤカが見たままの感想を呟く。
「なんか……家の中っぽい?」
「み、みたいですよね……だ、誰もいないです……」
場所は屋内。木造で建てられた、生活感のある小屋だった。外の大雨が繁吹く音がやけに籠っていたのは、こういう事だったらしい。屋上ではなかったことに驚きつつも、音を立てずに階段を上りきる二人。内装を見回す。
サヤカは、出入り口の扉に近づく。問題無く開いた。ただ、オリヴィオがクローゼットに向かって行くのを見て、出るのをやめておいた。代わりに、近くの園芸用品を眺めて、使えそうなものを拝借してみることに。
一方でオリヴィオ。目に止まったのはクローゼット。この小屋も誘拐犯の縄張りだろう。発見されてしまった、などの状況によっては大雨の下を駆ける必要も出てくる。そんな時に上裸では、体調不良は免れない。
音を立てずにクローゼットを開く。しかし、オリヴィオが着られそうな服は無かった。中にあったのは、球形族の着る小さな服や装飾品のみ。これを身につけるのは、たとえどんなに痩せていたとしても絶対に不可能だ。諦めて、サヤカの元へと。
状況を察したサヤカ。腕を広げて、着衣中の温かいパジャマを見せた。
「やっぱりいりますよね、これ」
「い、いえ、お気遣いな──」
唐突に影と風。サヤカとオリヴィオの間に挟まれたそれ。二人には見覚えがあった。黒と灰の、夜に紛れるような服装。顔がある場所を見上げるオリヴィオ。
あの時、寝室にいた黒山羊だった。彼の黒い被毛に覆われた腕が、オリヴィオの首元を力強く掴む。
「贄の分際で遁走を謀りおって」
語気はあくまで冷静な黒山羊。しかし心中は、怒髪天を衝くほどの激しさ。背後のサヤカに気づかない、周囲を用心しないほどの憤怒。オリヴィオの黄色い首をきつく締め上げ、彼の足が床から離れていく。
後ずさるサヤカ。発見されていないことをいいことに、辺りを見回して彼を助ける方法を探す。一方、つらつらとほしいままに言葉を投げつける黒山羊。
「しかし、あの部屋出て、ここまで這い出た気概は礼賛に値する。我が主に忠誠を誓えば、その命は潰えずに済むだろう。貴様にはその資格がある」
サヤカは見つけた。視線の止まったそれの先は、護身用の武器として目星をつけていた園芸用のナイフ。危機的状況と救出しなければならない使命が相まって、思考がままならず、すぐさま手に取った。直後、黒山羊の腕へ一突き。
肉を裂く感覚。そして引き抜いた。溢れ出る血しぶきと、驚き。黒山羊の絞り出すような呻き。振り向いた。
「ぐ──ッ、貴様、マナを持てぬ人間、如きが……──!」
拘束から解放されたオリヴィオ。首を掴まれて霞む思考。しかしすかさず、痛みでままならない黒山羊の体に追撃を加えようとする。自身の【能力】でマナ液をハンマーのように変化させ、脇腹に重い一撃を与えた。衝撃で態勢を崩した彼をすぐ、先ほど上がってきた長い階段へと、重く放ってやった。
転がり伏す黒山羊。ハッチを閉めたオリヴィオ。マナ液を閂のようにして閉めると、ナイフを持って腰を抜かしているサヤカへ手を伸ばした。
「ま、またすぐ来るかもっ!は、早くっ!」
右往左往の視線。混乱する思考と後悔、罪の意識の中、たちまち彼の温かな手を握る。引かれて、小屋から飛び出した。
雨の中、二人。月の光が遮られた森。明かり一つない暗闇で、ひたすらに走り続ける。豪雨に鞭打たれる苦痛を感じても、泥濘に足を掬われそうになっても、ただひたすらに足を動かした。
逃げ切れるだろうか。また捕まってしまわないだろうか。その不安が糧になって、息が切れても、足が痛くなっても走り続けていく。ひたすら、闇の奥へと。
*
それからどれくらい走ったか。オリヴィオもサヤカも分からなかった。息切れのままなんとか走って、辿り着いた所は、とある木造の小屋。誘拐犯らがいた小屋とは別のそこに、二人、ずぶ濡れのまま飛び込む。あの追手、黒山羊が来ていない事を数分後に確信すると、ようやく安息にありつけたことを二人は実感した。
埃っぽくて、寒い。淀んだ空気の中、オリヴィオが燭台の蝋燭に火をつけて、辺りの視界を確保する。中は、狩猟小屋を包含したような家、といった様相。台所も寝室もあることから、最低限の狩猟や採集ができれば、ここで寝泊まりができる設計になっているようだ。
ありがたいことに暖炉もある。窓と鎧戸をしっかりと施錠し、火の光を小屋の外に漏れないようにすると、マナを駆使して薪に火をつけた。マナを供給源にすれば、新たに薪をくべずともしばらくは燃えてくれる。外に出る煙は、大雨と暗闇で翳みのように消えてくれることを願う。
二人分、靴を拝借して、二人は温かい炎の前へと。ぱちぱちと鳴る、安心感。やっと、時間が元の遅さに戻ったような。そんな感覚。
この小屋で見つけた大きめのコートを羽織り、静かにうずくまるサヤカ。雨が滴る白髪。疲労を回復させるための深呼吸の繰り返し。暖炉に手をかざして、少しでも体の調子を戻していくが、依然、体の震えが止まらない彼女だった。おもむろに、口を開く。
「私…………」
隣にいるオリヴィオ。先ほどまでサヤカが着ていた魔法のパジャマを、乾かすようにして前方に広げている。独り言のように呟いた彼女の言葉が、大きな獣耳に届いて、ぴくりと動いた。
「……ど、どうかしました……?」
「…………」
返事が出来なかった。頭の中で、先ほどの出来事が堂々巡りに再生されていたから。
何も返って来ないことに心配なオリヴィオは、彼女の顔を覗き込む。心ここにあらず。空虚な視線は暖炉の炎だけを見ている。ただ、少しだけ視線を上げた。震える声で。
「……刺しちゃった……」
ナイフ越しの、肉を裂く感覚。引き抜く直後の、あっさりした感覚。今でも、その手が鮮明に覚えていた。震えが、寒さから恐怖に。自身の両手に目を落として、顔を埋める。
「人を……刺しちゃったぁっ……」
尋常ではないサヤカの様子。オリヴィオは寄り添って、すぐさまその正当性についてどもりながら語る。
「つ、辛かったですよねっ、で、でも、そうしないと、僕たち、また、か、監禁されてたかもしれないですよ……!サ、サヤカさんは、た、正しい、ことをしたんです……!」
顔を上げ、眼鏡越しの緑の瞳と合う。震え、涙目、歯を食いしばる。オリヴィオの言っていることはもっともだった。理解できた。だが、心が納得できていなかった。感情が追い付かなかった。落ち着こうにも、あの感覚が手に纏わりついて離れない。
「あのヤギさん……死んでないよね……死んでたら……どう、しようっ……あれじゃ、死んでる、よね……」
再び、手に視線を落とした。思い浮かんだのは、血を流しながら階段を転がるあの黒山羊。ハッチが閉められてあの後は分からない。生きているのか、それとも死んでしまったのか。
ここでも、オリヴィオがなんとかして彼女を励ます。ただ、視線は暖炉の燃え上がる炎に。
「……く、黒山羊の人は、悪い人だったんですから……だから、き、気に病むこと、ないです……!ほ、ほら、むしろ、あれで死んでれば、今後の事件は起きないですし、ね……?」
サヤカにとって、黒山羊が良い人、悪い人というのは問題ではなかった。そこに関わらず、殺めてしまったのではないか、という事柄が一番の不安だったのだ。
オリヴィオは、視線を炎からサヤカに。未だ顔を伏す彼女。どうするべきか悩む黄色。言葉をかけてもなお、この傷心だと、オリヴィオから出来ることはもうない。獣耳を伏し、大きな体を縮こませ、彼女と同じように蹲ってしまう。
そんなとき、ふと思った。メイなら、どう言葉をかけるか。オリヴィオの親友。口達者な人だった。そんな、もう遠くなってしまった彼。メイならばどういった言葉をかけるだろうと、思い立った。
「サ、サヤカさんっ……!」
「……?」
疲れ切った群青色の瞳と目が合うが、言葉が思い浮かばないオリヴィオ。所詮、口下手が思いつくものなど無かったというのか。しかしそれでも、自身に彼の面影を重ねて、言葉を紡いでいく。
「な、なにも分からなくて、どうしようもなくなって、い、嫌になっちゃったときは、落ち着くまで寝ちゃいましょうかっ……!じ、時間が解決してくれることも、あ、ありますからねっ……!」
「……」
唇を固く結ぶサヤカ。小さく、頷いた。
人を殺めたかもしれない。だがしかし、そもそも死んでいないかもしれない。殺したことを事実として挿げ替えて考えていたネガティブ思考は、次第に、着実に正常へ戻っていく。暖炉のそれが、パチリと音を立て、明々と燃え上がっている。
「そう、ですね……」
手に持った、あのナイフ。怖くなって、ついここへ持ってきてしまっていた。途中で落としてしまえば、それが足跡となって気づかれてしまうのを恐れてだった。あの時に付いた血は、雨で流れて消えていた。誤って刺さないよう、少し手を伸ばしてから離して置くことに。そしてゆっくり、息を吐く。
彼女の落ち着いた様子を見て、肩の力が抜けたオリヴィオ。いつもの困り顔のままでも、顔が綻んで心から安心する。
まだ雨は止まない。雷のような急襲を乗り切った二人。今はただ、心も体も芯から温かくなるために寄り添い、暖炉へ手をかざす。
夜はもうすぐ明ける。雨を持ち帰り、暖かい太陽を引っ提げて、明日が迎えに来てくれるのだ。
それまで、もう少し暖炉の前で。




