55- 暗がりの二人
寒い。サヤカが一番最初に感じたものだった。次には頭痛。頭の外から痛むようなそれが、じんじんと広がって、ふと、眠りから覚醒した。目を開けると暗闇。
扉の窓から漏れる光で、白い壁の四角い部屋にいることが分かる。硬いベッドの上で座り、天井から伸びる光の糸らしき細いもので、両手を吊り挙げられるような形で拘束されていた。同時に、隣の同じベッドにはオリヴィオがいることにも気づく。
一人ではないことに安堵しつつも、非常に危機的状況な場面だと悟る。既に起きていた彼も、拘束されていた。ただ、サヤカと違い手は自由らしく、足に巻かれている糸を、マナのような薄紫のナイフで切断しようとしていた。その集中力は、黄色の大きな獣耳をもってしても、起きたサヤカに気づいていないほど。
彼のボタンの外れたパジャマ。そして、サヤカ自身の薄着のパジャマを見て、段々と記憶が返ってくる。確か、襲われそうになっていたオリヴィオを助けようとして、強盗犯らしき人たちに返り討ちにされたこと。そして、どこかに連れ去られたのだろう、その後の監禁。あの時の会話から察するに、やはり誘拐犯だったのだ。
「っ……!!」
恐怖と、寒さからくる震え声。光の糸を引っ張ろうとして、ベッドが軋む。それでも外そうとするが、声に気付いた冷静なオリヴィオから、囁き声で止められる。
「ダ、ダメですっ、サヤカさん……お、大きな音は出さないでください。ち、近くに誘拐犯がいるかもしれませんから……」
「じゃ、じゃあ、どうしようっ……??」
思考が纏まらないサヤカだが、オリヴィオは違った。
責任があった。本来、誘拐されるのは自身のひとりだけで十分だった。それなのに、家の掃除を疎かにしたという些事によって彼女を巻き込んでしまったのだ。後悔と責任が、今の彼を突き動かしている。
故に、牢獄のようなこの部屋で、オリヴィオは諦める選択はしなかった。光る糸は、彼らを拘束するように両手首に巻かれていた。しかしながら、暗い部屋だというのにわざわざ光ってくれている。まるで、切ってくれと言わんばかりに、煌々と。
実際、オリヴィオはすでに手に繋がれていた糸は断ち切っていた。自身の持つ、ある【能力】によって。
「ぼ、僕が何とかします……。で、ですから、少し待っててください……!」
その言葉通り、静かにサヤカは待つことに。ナイフで糸を、擦るようにして切っていく彼。その様子を眺めつつ、体が寒さで震える。今の季節は冬。オリヴィオの家にいた時は家中がマナの魔法によって温かく、外の環境など無縁だった。
あたりを見回す。白い壁。硬いベッド。薄暗くて狭い空間に、扉が一つ。小窓があって、そこから光が差していた。その向こうには、誰かがいる気配はない。が、いつ誘拐犯が来るか分からない。見えない制限時間の中、何もできないサヤカ。それでも出来ることを、と思い、オリヴィオと自身の状態を確認しておくことに。
まず自分。じんじんと響く頭痛と寒さで万全ではない。痛みは無いことから怪我がないことはわかっていたが、長い時間手を吊り上げられている姿勢だったようで、腕が痺れているような感覚がする。これに至ってはオリヴィオがどうかしてくれることを待つしかない。
そして肝心の彼。はだけたパジャマで、大柄な黄色い体が晒され、サヤカより寒そうな状況である。が、彼女から見て寒がっている様子はない。獣人ほど長いわけではないが、薄い被毛のおかげだろうか、なんてサヤカは考えた。そんな時、遂にオリヴィオが足首を拘束していた糸をすべて切った。
「よ、よし……」
手足が自由になった彼は、急ぎつつも音を立てないようにサヤカへと。まずは、手首に絡みついた糸から切っていく。紫のナイフを宛がうオリヴィオ。そして、安堵の息を吐いた彼女。
「あ、ありがとう……オリヴィオさん」
「ぜ、全然ですよ……!き、切れたら危ないですから、う、動かないようにお願いしますね……!」
糸のような細さだというのに、その見た目に反してかなり硬い。ロープを切るように、擦って切っていく。薄暗い部屋の中、聞こえるのは互いの呼吸音と、糸を切っていく音だけ。恐怖に怯えるサヤカには耐えられず、囁くようにして彼と会話することに決めた。話題は、今のこの状況を上書きするような、楽しい話題をしようと。
「あの、オリヴィオさん……」
「は、はい……?」
話を始めるも、恐怖の方が大きかった。楽しい話題が見つからない。凍える体。ふと、思ったことが口に出る。
「さ、寒いですよね、とても……」
「あ……ご、ごめんさないっ」
急に謝罪するオリヴィオ。その意図がわからず困惑する彼女に、さらに困惑する様子でどぎまぎしている彼。四角い黄色の頭の両側面、大きな獣耳が下向きに。
「き、気遣い出来てませんでした……!えっと、ど、どうしよう……ぼ、僕のパジャマ着ますかっ?」
「え?いや……」
否定しようとするサヤカ。薄着なそれを着たところで変わらないだろう。そう伝えようとするも、糸の切断を中止してパジャマを脱ぐオリヴィオ。冷たい空気に、恰幅のある黄色い体が晒される。
「だ、大丈夫ですっ、これ、せ、先日買ったばかりで毛はそんなについてないですし、お、大きいので絶対に入ります……!」
サヤカの心配事はそこではない。ずれた配慮でいらぬ言葉をかけられた彼女は、思わず失笑。少し遠回りだったが、結果的に面白く感じる会話となった。恐怖の薄れる感覚がした。
「ふふっ、ありがとう。でも、薄くてそんなに温かくならないんじゃないかな……」
「あ、ああ、そういう……も、問題無いですよ……!ぼ、僕には魔法がありますから……!」
パジャマを広げ、両手をかざす。オリヴィオは、マナに情報を書き込むことも、それを物体に付与することも得意である。マナの研究者であるが故に、その理解度はかなり高い。機械を用いらなければ到底成しえない、針に糸を何度も通すようなそれを、時間さえかければ簡単にこなせる逸材。
数分、時間をかけて魔法を纏わせ、サヤカに羽織わせる。その後、糸を切る作業を再開する。先ほどの数分を埋めるように、より力強く擦り切っていく。
一方でサヤカ。最初の数秒だけはオリヴィオのかすかなぬくもりだけだったが、徐々にパジャマが温かくなっていくのを感じる。時間をかければ、冷え切って震える体が、芯まで温かくなれそうなほど。つい感嘆の声を漏らして笑みを紡ぐ。
「すごっ、温かい……これ、どういう感じにやってるんですか?」
片方の手の拘束が切れた。もう一方に取り掛かりつつその疑問に答えていく。
「え、えっと……マナに情報を書き込んで、それを物体に付与させて状態を変化させているんです……!今回の例なら、生物、あるいは生物の着用している服に接触した場合に人肌より温かいくらいの熱を発するという情報を、僕のパジャマという物体に付与させたんです……!」
すっかり研究者モードの彼。状況が状況でなければ、まるで講義のよう。しかし、こんな状況だからこそ、心の平穏を保つために普段のような会話が二人には必要だった。楽し気な会話でありつつ、あくまで見つからないよう囁き合うのだ。
前よりもマナに少しばかり詳しくなっているサヤカ。なんとなく理解すると、そこから付随する疑問を展開する。
「へ~……でもじゃあ、私の服に魔法を付与させればいいんじゃ……?」
「た、確かに……!」
数瞬考えて、はっとした彼。そもそもの話、オリヴィオのパジャマではなく、サヤカのパジャマの方に魔法を付与すればよかったのである。そういう、抜けているところのある彼。物事を一人で進めすぎて、肝心な部分を見逃してしまう。
自身でも呆れてしまう行動に苦い顔をしつつも、止まっていた糸の切断を再開する。
「で、でももう時間が無いので、こ、このままでいきましょう……!」
「そ、そうね。……あ、じゃあもう一つ、質問っ」
自身が、心細くならないよう会話を続けていく。新たな疑問を投げかけることに。
「服じゃなくて、人とか、生き物に魔法を付与するのは?そうすれば、服にやらなくても良い気がして」
「そ、それは結構難しいんですよ……!大前提として、生物に魔法を付与することは、高い技術と知識はもちろん、扱う魔法によっては、その生物に対する様々な理解を深めなければならないんです……!し、種族ごとに体を構成しているマナの組織が違いますし、さらには個体差っていうのもありますから……。治療魔法が良い例ですね……!」
「あ、知ってる。治療魔法。でも、それとさっきの温かくなる魔法って……どれぐらい難しいの?」
困ったように唸るオリヴィオ。いつもの困り顔がさらに顰められる。
手首の糸を断ち切って、両手の自由を得て感謝するサヤカ。だが、考え込んで返事は出来ない。足の拘束糸を切り進んでいくことを忘れず、次には、マナ素人であるサヤカのために簡潔に説明する。
「……せ、生物への魔法の付与は、生物の数ほど魔法付与の仕方が異なるらしいですので……と、とても難しいことなんです……。ただ、僕の個人的な研究によって一部判明したことがあって……」
「……っていうと?」
「き、昨日、夕食を食べている時に話しましたよね……。人体がマナの保有量を大きく超過した時、知識を必要とせずに、想像のみによる魔法の発現がある程度可能になる……。その状態であれば、人体に魔法を付与することが可能みたいです……す、少なくとも、自分自身には……。で、でも、事例は僕だけなんですけどね……」
サヤカも、あの夕食の雑談を少し思い出した。自身の過剰なマナを保有して、呼吸困難になったというアレ。いつもの気弱な彼には想像できないほどの、体を張る胆力さ。というよりは、無茶に近いだろうか。
大きな獣耳を伏せて俯いてしまった彼に対し、率直な感想を述べるサヤカ。
「オリヴィオさんって、マナに対する、執着?みたいなの、すごいですよね……死んじゃうかも、とか思わなかったんですか?」
「け、研究……!ひ、人の暮らしをよくするための……研究ですから……!」
控えめにしつつも、強めの声色。力が入って、片足の拘束が切れた。あとはもう片方。
サヤカは、もう片方分の会話を広げようと、先ほどとは違う疑問を投げかけることに。
「じゃあさじゃあさ……そのマナの保有っていうの、どうやってやってるんですか?私、保有は出来ないみたいで、いつもマナ液の小瓶を持ち歩いてたんです。小瓶なしでも保有する方法って、ありますか?」
「う、う~ん……マ、マナの保有というのは種族ごとに違うんですよね……!サ、サヤカさんは……保有できない種族なので、保有は諦めた方がいいと、思います。ご、ごめんなさい……」
なぜか謝る彼。その意図が理解できず、首を振ってしまう。
「え?……えっと、そういうことなら、しょうがないわね……」
サヤカも、小瓶なしで魔法を扱いたかった。いつも小瓶を腰に付けている影響で歩きずらいうえ、服の上では瓶があることによって服装の乱れにもなってしまう。ワンポイントとしての装飾として割り切っているが、それが無ければ魔法を扱えないという事実。サヤカは悲しみからつい溜息をもらす。
「私も、人間がマナを保有できるようにする、みたいな研究してみよっかな~。……まずはマナがどういうものかを理解するところから始めないといけないけど」
「マ、マナ研究は楽しいですよ……!サヤカさんなら、きっとうまい行くと思います……!」
「ふふ、その時になったら、オリヴィオさんを先生にしようかしら。オリヴィオ先生」
どきり、と彼はサヤカを見る。思いがけない呼び名に驚いたが、だんだんと顔が綻んでいって、嬉しくなる。獣耳が上へと向かれていく。だが同時に、悲しみと苛立ちもあった。綻んだ顔が次第には強張る。
「ぼ、僕は、全然ですから……。僕よりいい先生見つかりますよ……。き、きっといつか……」
「ええ?そう??」
彼はマナ研究者である。技術や知識を蓄えた彼なら教えることが多いだろう。しかし、まったく乗り気ではないオリヴィオ。
彼自身、色々な要因が重なり、最終的には身勝手な思いつきで始まったマナの研究。人のため、などというが、嘘でもなければ本当でもない不明瞭な目標だった。純粋な思いで取り組んでくれるだろうサヤカの学習意欲を、満遍なく満たせると思えなかったのだ。
誰かの上、あるいは隣にいるべきではない性格所以の思考も働いて、控えめな苦笑いを浮かべる。サヤカの足の拘束が、ようやく切れそうなところでもう一言。やんわりと突き放す言葉。
「一人で研究するのが好きなだけの、ただの普通の人ですから……」
最後の糸が切れた。
「そう……?ありがとう、糸、切ってくれて」
研究者ができる人が普通の人なわけないんだけどな、と内心彼と認めつつも、渋々受け入れるサヤカ。元の、そわそわする臆病な性格に戻ったオリヴィオ。
「い、いえいえ……!あ、歩けそうですか……?」
ここから、普段の会話などではない、誘拐犯の魔の手からの脱出が始まる。暗い部屋。扉の光指す小窓を見つつ、オリヴィオの大きいパジャマを、自身のパジャマの上から袖を通すサヤカ。音を立てないよう、ベッドから降りる。少し痺れる感覚があるが、さほど歩くのに影響は無さそうだ。
「大丈夫そう……いつでも行けます、オリヴィオさん」
「よ、よしっ……!ぼ、僕が先頭で行きますね……!」
らしくない逞しさを見せる彼に、心配してしまう目つきになってしまう。が、実際、魔法を使えるか使えないかは雲泥の差だ。扱えるオリヴィオに任せるほかない。お互い裸足。足音を立てることなく扉に近づいていく。
小窓から中を覗き込む彼。外は廊下だった。白くて、無機質な印象。一言で言えば、研究所の廊下のような。どうやら見張りなどの人影は無い。開くかどうかを確認するが、案の定開かない。
やっぱり、とサヤカは落胆。しかし、オリヴィオは諦める様子はない。
扉に向けて意識を集中する。判明したのは、扉自体にマナの情報が書き込まれて、二人を閉じ込めるよう細工されていること。マナを論理的に理解する場合、マナ情報の分析は比較的簡単である。しかし感覚派のオリヴィオは、自身以外が書き込んだ情報は深く分析出来ない。ここから先は、自身が出来ることを俯瞰して考えることに。
物体に書き込まれた情報を消す方法は主に二つ。一つ目は時間経過によるマナ情報の劣化。しかしこれには途方もない時間が掛かる。今の状況では現実的ではない。
二つ目は、そのマナ情報自体を、自身の体に保有すること。マナ情報は、体に保有することによって抹消されるからだ。後ろにいる、不安げなサヤカに振り向いた。
「だ、大丈夫ですよ……!絶対に開けますから……!」
保有することによって情報が消えるとはいえ、その知識やマナの感覚が乏しければ、情報が書き込まれていることはおろか、そこにマナがあることすらわからない。そのうえそれがわかったところで、保有の上限を上回る保有はしたくないという心理も働く。だが、オリヴィオは違う。
凡人と卑下する彼は、凡人では成しえない知識を持ち合わせていた。扉に集中し、書き込められた情報を体に保有し抹消させた。マナの保有上限を少し上回る結果となるが、この程度では少しめまいがする程度。行動する分には問題は無かった。
一連の様子を見て、なにが起きたのか分からなかったサヤカ。困惑のままオリヴィオの顔に目を向けた。
「すごっ……これで扉が開いたんですか?」
「は、はい……。と、扉にあったマナ情報を体に保有させて消しました……!こ、これで先に進めると思います……!」
ドアノブにゆっくりと手をかける。先ほどまでびくともしなかった扉。あっけなく開いた。隙間から漏れる白い光が二人を照らす。
緊張するように息を吐くオリヴィオ。かけている眼鏡を正して、サヤカに振り向く。
「し、慎重に、静かにいきますよ……!」
「……うん。でも……見つかっちゃったら……」
発見される心配サヤカ。しかし、気絶からいち早く戻っていたオリヴィオだから分かっていたことがあった。
彼女が起きる前、監禁部屋には黒山羊の獣人が二人を見張っていた。心底見下げ果てたような目つきを、気絶から覚醒したてのオリヴィオに向けていたが、その時扉から、頭部が四角で目を持たない赤の異頭族が入ってきたのだ。彼はオリヴィオ、そして気絶中のサヤカを一瞥した後に、黒山羊へと顔を向けた。
赤い彼も誘拐犯の一人らしい。オリヴィオがマナ研究者であることを黒山羊が明かした時、あの方と協力すればさらに計画が進むのではないか、と口角を上げて喜ぶ様子を見せた。であればそう掛け合おう、ついでに処理したい事もある、と赤い彼が黒山羊を部屋から出るよう促す。二人が出ていく様子を見たオリヴィオは、今しかない、と脱出を企てたのだ。
時間はそれなりに経った。十数分くらいだろうか。戻ってきていない様子であれば、一刻も早く部屋から出て脱出しなければ。
「お、音は聞こえなかったので、た、多分大丈夫だと思います……!い、行きましょう……!」
手を差し出した彼。その言葉を信じて、しっかりと握る彼女。魔法のパジャマには当たらない冷たい手先が、ぬくもりに帯びていく。緊張も恐怖も、互いに共有し合って中和されるのをサヤカは感じた。必ず脱出しなければ。二人で、無事に。




