素朴実在論:後編
会見以降、保護区はお祭り騒ぎだった。
と言っても、保護区の人々のスケジュールは変わらない。いつも通り決まった時間に働き、決まった時間に決められた娯楽を摂取する。
しかし不穏な雰囲気だった以前とは打って変わり、反乱がなくなって安堵したらしい人々が庭園を眺めていたり、劇場に向かって楽しそうに歩いている姿を見ることが増えた。
その表情は誰も彼もが熱に浮かれている。これから保護区に訪れるであろう革新を心待ちにしている、かつてセレナが敵だと思っていた人々。
「・・・・・。」
セレナは周囲に男衆が居ないことを確かめ、パジャマを脱ぎ捨てた。早起きの彼らは今頃キッチンで朝食の準備をしている。今のうちだとさっさと保護区指定の衣服に着替えることにする。
真白の綿のシャツに、ごわごわしたデニムのズボン。街を見渡せば男も女も皆これと同じ服を着ている。
お手製の薄ピンクの下着には飾りでリボンが縫い付けられているが、きっとこれもバレれば派手だと咎められる。
「はあ。暑くて仕方がないわ・・・。」
護送車に乗って協会本部と家を往復するだけなら良かった。
だがこうして事情が落ち着いた今、いつも通りの人通りに戻った保護区を出歩くならば、必ずこれを着なくてはいけないらしい。
「・・・でも、もう少し早く支給してくれたらよかったのに。作戦の時は目立たないといけなかったけれど・・・協会の中でもワンピース姿は変に目立っていたもの。秋島は気配りが足りないのよ。」
朝の気だるい体に着替えは重労働だ。
取り敢えず人に見せられる姿にはなったと、寝癖も直さずセレナは再びベッドに腰を落としてしまった。
「眠っても眠っても眠り足りないわ。ええ、でも、人助けの為にいっぱい頑張っているんだもの。」
見下ろした先、セレナと同じ真白のシャツを着たたくさんの見知らぬ人々が、歩いている。
ここから見ていると蟻の兵隊のようだ。顔も見分けられない豆粒の人々。こうして眺めていると、各々の体に各々の個性をはち切れんばかりに詰め込んでいるのだいうことを忘れそうになる。
「いっぱい、頑張って・・・。」
本当はちょっぴり嫌だった、なんて、とても今では口に出せない。
見知らぬ人たちに、お母様が人生を賭けて作り上げた技術を譲り渡すなど。
「・・・お母様・・・。」
秋島たちの保護区を大切に思う気持ちに動かされたのは嘘ではない。でも、まだ少しだけ、それを割り切れていないのも事実。誰かが救われたことに仄暗い気持ちを抱いてしまう自分はやはり救世主の器ではないのだろう。
・・・”特別”を奪われてしまった。そんな風に思ってしまう自分はきっと悪い人間なのだ。
「セレナさん、飯だぞ。起きてるか?」
そんなことばかり考えていたら、セレナを呼ぶ優しい声に、少しだけ後ろめたい気持ちになってしまう。
女帝の間。
ハンター協会の長い廊下を進んだ最深に位置する広間に、簡素な白い椅子とテーブルが置かれた女帝の執務室がある。
「私欲の為だけに保護区に来たとは言わない。・・・だけれど、約束は約束だ。」
「ええ、約束は守ります。・・・殆どミサオの独断だとしてもです。」
聖堂のような女帝の間の横には小さな応接間が据えられている。
低いテーブルに並べられた茶には一度口を付けたきり。まるでどろどろのコンクリートの中に閉じ込められたような気分だ。
緊張というよりも萎縮に近い。ずっしりと伸し掛かる重圧に潰されそうなタイタンの耳に、不釣り合いな呑気な声が流れ込んできた。
「だってよお。絶対に虎ババアに文句言われんだろ?あーだこーだ言ってるうちに対応が遅れて余計面倒になる。腰の重いババアに保護区の未来を任せていられっかってんだ。」
・・・保護区の偉大な女帝。その隣に座った秋島が、踏ん反り返って、ふた回りは年齢の違う少女相手に拗ねている。
セレナが女帝の前で余計なことを口走る時と、同じ緊張をタイタンは感じた。
タイタンには関係のないことだというのに、胃がキリキリ痛くなる。
「虎さんのことを悪く言わないでください!ミサオはいつもいつも・・・!やるのはいいんです、ですがせめて最高権力者のわたくしに一言くらい相談しなさいと言っているのです!」
「へいへい、わかったよおチビ。」
「おチビではありません!せめて人前では女帝と、女帝と呼びなさいって何度言わせれば・・・ッ!」
「おい、秋島。あんた、まさか女帝様に一言も相談していなかったのか・・・?」
青ざめるタイタンに当たり前のように秋島は告げる。
「おう。おチビは余計なとこにまで告げ口するからな。融通がきかねえんだよ頭が固えから。」
「告げ口ではなくて、最低限の報連相ですッ!あと、わたくしの頭が固いのではなく、ミサオの頭がゆるゆるすぎるのです!」
女帝は初対面の時に纏っていた真っ赤な司祭服を纏っているのだが、怒りで顔まで真っ赤になっているせいで、威厳ある司祭服も海老の着ぐるみか何かのように滑稽だ。
「おチビも立派になったなあ。女帝の間の立派な天蓋ベッドでおねしょして泣いてたのをこっそり片付けてやったのは誰だと思って・・・。」
「ミサオッ!!!」
「へい。」
自分のことながら、どこかの誰かとのやり取りにそっくりである。
「こほん。とにかく、ここからは真面目なお話なので、ミサオは口を挟まないでください。ええ。事情は全てミサオから聞いています。貴方達の技術を目の当たりにした今、世界を救う計画というものを・・・わたくしは信用しようと思います。協会から正式に貴方達にお願いします。どうか、あの森に隠された、世界を救う計画というものの解明を。その為に・・・ルーヴ、ええ、ごめんなさいね、貴方がタイタンと呼ばれたがっているのはわかっていますが。ルーヴ、ディアン、貴方たちの長期遠征を許可します。セレナ、貴方の結界外の居住を特別許可します。」
女帝は真っ赤なペンでするするとサインを書き込み、セレナ達に用紙を手渡した。
「そして、ええ。森の結界の調査任務は凍結しましょう。当然のことですが、貴方達がもし保護区に対して不穏な動きを見せた場合はその限りではありません。調査任務はあくまで一時凍結だということを胸に刻んでおいてください。」
用紙はセレナの指先に触れた途端一度ふわりと浮き上がり、そしてくるくると丸まって手のひらに収まった。
「ええ。それで構わないわ。・・・女帝のお仕事は大変、ね。」
「ふふ、それをわかってくれる貴方で安心しましたよセレナ。ただ、流石に無条件で、というのは無理です。渡した端末での定例報告、ミサオの直属部隊の定期的な訪問を受け入れる。これが条件です、いいですね。」
「構わないわ。ただ、無許可で森に入られると魔導罠にかかって大変なことになるわ。迎えに行くから、来る前には必ず私に一報入れて頂戴?」
それで条件の交渉は決着がついた。といっても魔導に精通しているであろう秋島直属の部下を生体装置のある自宅まで招く気は無い。だが、裏があるのはきっとお互い様だ。
これについては、これ以上何も話すことなどない、セレナは話を次に進めた。
「・・・本題よ。崩落のお話をしましょう。崩落は一体、何を飲み込もうとしているの?」
「・・・。」
女帝は一度、不安げに秋島に目をやった。
「・・・ま、俺の独断だからな。いいぜ。・・・保護区の理念は絶対平等だ。ただ1人このおチビを除いてな。どんな職場にもリーダーというものは存在しない、全員が等しく労働者という階級を与えられている。あれだけ偉そうな連中に次々呼びつけられた坊主たちには信じられないかもしれないが、ハンターも例外じゃないぜ。便宜上本部との連絡を担う人間を隊長と呼んでいるだけで、そこに待遇の違いなど一切ない。」
実際は全くそのように回っていないじゃないか、という言葉は飲み込んだ。
共同体があれば、取り仕切る人間がいないと歯車が回らない。人はそのようにできている生き物だ。
絶対平等など、ハナから破綻している。此の期に及んで理想論か。タイタンの小さく息を吐いた音を無視し、秋島は言葉を続ける。
「俺だって偉そうにしてるが、民衆と同じものを食べ、民衆と同じ間取りの家に住む。俺がこれだけ無茶苦茶やっていることは絶対に民衆に伏せなくちゃいけない。・・さて、こんな面倒なことをやっているのは何故だと思う?」
「保護区内での諍いと、差別を防ぐ為?狭い保護区内で人間同士が争ったら、大変なことになるから・・・。」
「・・・本気で正解だと思ってないだろ嬢ちゃん。俺たちだって馬鹿じゃねえんだ。こんな極端な治世を続けたらいずれ民衆の不満が噴出する。それを理解した上で俺たちはこんなことをやっている。」
・・・彼らはきっと、分かっていてそうするしかなかった。
秋島たちは決して、保護区の厳しい現実に気づかぬ阿呆ではない。
第一、保護区の貧困を公衆の面前で謝罪したのは他でもない女帝なのだから。
「・・・・・。」
ディアンは唇を小さく噛んだ。本当はわかっていた。秋島がこの空虚な街をどれだけ大切に思っているのかなんて。
秋島が、保護区の人々を虐げる選択を嬉々としてするわけがないのだ。
それでも、そうするしかない事情。それはきっと崩落の真実というものと強烈に結びついている。
それが、秋島から渡されたあの計算式の正体だ。
黙り込んだ3人に向かい、ヒントだ、と秋島は言葉を重ねる。
「この極端な治世は、崩落から一体何を隠す為にやっていると思う?結界は完璧じゃねえ、って、ヘムレンが言っていた通りだ。ただ嬢ちゃんのとこと違って大変なのが、人が多いぶん、崩落を呼びやすいモノってのが管理しきれねえってとこだ。だから俺たちは民衆の反感を覚悟の上でこういう治世を敷いている。崩落を呼びやすいモノを均等に保って、突出した数値が出ないように。極端に突出した数値を持つものがうっかり結界の外周に近づこうものなら、保護区内で容赦なく崩落が起きるからだ。」
数値。秋島はそう言った。エネルギー量のことを指すのだろう。
崩落が欲しているエネルギー。それは様々なものが持つ普遍的なエネルギーであり、その数値が突出すると崩落を呼び込みやすくなる。だから突出した数値を持つものを管理している、ということだろう。
つまり、崩落を起こしたものには共通して高い数値があるということだ。ならその共通点を探っていけば良い。
「最初に崩落に落ちたのは、ニューヨークの女神像、だったよな?」
「おう、歴史に詳しいのか?次はエジプトのピラミッド、イギリスなんか島ごといかれちまった。あとは・・・何だったかな。」
「・・・一度、俺たちは崩落を目撃している。その時は、森から飛び出した希少な生き物が飲み込まれた。歴史書にもそんなことが書いてあったな?最初は歴史遺産。次は各国要人、芸能人だとか・・・著名な人々。これらに共通する、数値、だろう?」
建物と著名人に共通する数値。何だかまた頭がこんがらがってきた。
セレナは自分の髪の毛先をくるくると弄んでいる。
「ええと・・・どれも替えのきかないものというか・・・すごい、もの?」
「お、近いぞ嬢ちゃん。どれもこれも、世界に1つしかない貴重なものばかりだな?」
ディアンが行う結界外任務にも、そういった貴重なもの絡みのものが時折あった。
過去の遺物だとか、美術品だとか、結界の外の人々によって偶然発見された高価なものを破壊する。紙だったら燃やす、石だったら砕く。金属だったら潰すし、それを妨害する人間は殺害も許可されている。
「世界に1つしかないもの、替えのきかないもの。それは、どういうものだ?」
「どうって・・・とても貴重な、価値があるものなのだな、ぐらいしか・・・。」
いや。待て。
保護区の人間は皆平等。女帝という特権階級を除いて、それ以外の人間は上も下もない。
各国要人、有名人、著名人。そういった人間は存在しない。実情がどうなっていようと、最高権力を持つ女帝が特権を持つ人間を認めていない。法という盾がある限り、どれほどのカリスマを持つ人間でも、皆等しく女帝の下なのだ。
「この街には、女帝と、女帝の下の民衆以外の階級が、存在しない・・・。」
脳に電流が走った。
「・・・協会の極端な治世は、極端に価値ある人間を生まないように行っている。そういうことか・・・?」
「そうさ。この保護区では女帝以外の人間全てが平等だ。上もなく、下もない。全ての人間の価値を一定数値以下に保つ為にただ1人祭り上げられたこのおチビが、たとえばもし結界の外周に近づこうものなら・・・」
「容赦なく崩落が・・・起きる!あああ!!そういうことか!?」
女帝の柑橘の瞳が小さく震える。
セレナの唇がわなわなと震え、答えを、絞り出した。
「崩落が飲み込むのは、価値・・・!」
わかってしまえば簡単なこと。条件は共通していた。
人が多い場所で崩落が起きるのではなく、強大な価値を持つものの元に人が集まるのだ。
「保護区が貨幣を認めないのもそういうことか。人間の格差を生むものの代表格。」
金ほど分かりやすい価値など存在しない。貨幣の流通を認めることで保護区の治世が安定するとしても、それを認めれば崩落を起こす危険因子がいずれ大量に発生する。
「ええと、でも、価値の数値って、エネルギーってどういうこと?単純に金銭的価値があるかどうかで、飲み込まれやすいかどうかが決まるということ?」
それはそうだ。価値というのは人によって様々だ。
セレナにとって価値あるものは、タイタンにとって価値あるものではないかもしれない。
それに、セレナにとって価値あるものが、明日も価値あるものだなんて誰にも保証できない。
価値というものが数値だとするならば、それはそれを判断する存在によって常に流動し続けるものであるはずで。
「・・・それが崩落の恐ろしいところなのさ。価値とは、対象に向けられる観測者の正の感情エネルギー数値と、俺たちは定義している。それが濃くなれば濃くなるほど、崩落はそれを飲み込みたがる。個々の世界を持つ人間たちの多彩な感情世界の干渉によって、価値というものは常に流動し続ける。たった1人の人間の気持ちひとつで常に変動し続けるそのエネルギーを、協会はできるだけ一定に保ち続け・・・もし突出したエネルギー数値を持つものが現れたら、それをどんな手を使っても処分しなくてはならない。実体さえなければ、崩落に飲み込まれることはないから。」
「・・・そんなの、惨すぎるわ。」
セレナがぽつり、と呟く。
「だって、それは、私たちがなにかを大切だと思う気持ちが崩落を引き起こすと、そういうことでしょう・・・?」
何かの対象に向けられる、観測者の正のエネルギー数値を飲み込む災害。
多くの人間がある1つの対象に正の感情・・・例えば大切だとか、好きだとか、そういったものが集まると、それは崩落のターゲットになるということ。
「ま、そういうこったな。さながら人を滅ぼす為に存在する災害だぜ。ただ人命を奪うってだけじゃねえ。崩落から逃げようとすれば、人として当然の感情を封じなくちゃいけねえ。・・・そういう意味じゃ、これほど最悪な人を殺す災害などないだろうよ。」
秋島は俯き唇を噛んだ。
憎いのだ、崩落が。
例えばタイタンがセレナを愛しく思う気持ちであったり。ディアンを弟のように慈しむ気持ちであったり。それがこの崩落に襲われる世界では、世界を破滅へと導くファクターになる。
価値あるものを奪う災害。何かを守りたいと願えばそれは奪われる。
何かを大切に思えばそれは奈落の底へと落ちてゆく。
「だから、保護区は崩落の真実を秘匿するのか?人の人らしい感情をできる限り抑制せずに済むように。限られた中でも、せめて、人々が自由に感情を抱いて生きられるように・・・。」
「ええ。その為にどれほどの咎を背負うことになろうとも、人々の防衛を決して諦めないと決めたからこそ、わたくしたちは”ハンター”をなのですよ。」
後光が差し込む。女帝と秋島、その2人の輪郭がまぶしく照らされる。
それは、自分たちと違う方法で、崩落に抗い続けた覚悟。
「わたくしたちは、悪だと罵られようと、崩落からこの人類最後の砦を守護する為、人々の大切なものを狩ることを決してやめません。大切なものを奪われた人々によってどれほど憎まれようとも、決して諦められません。だからこそわたくしたちは”ハンター”・・・誰かの大切なものを奪い続ける狩人を名乗るのです。この名は、わたくしたちが自分たちの咎を決して忘れないためにあるのですよ。」
協会の治世には意味があった。
それは人類を守護する為に、2000年間連綿と受け継がれてきた壮絶な覚悟だ。
飄々と振舞っているかのようにしか見えなかった秋島も。
可憐で皆に愛される明るい少女である齢18歳の女帝も、それを背負う覚悟を決めている。
「実は・・・女帝は世襲制ではありません。代々とある魔導を使えることを条件に、保護区で生まれた子供から選別されます。わたくしにはね、崩落が飲み込む価値というものが、数値で見えるのですよ。そういう素質のある魔導を秘めた子供に教育を施すことで、保護区は価値を見ることのできる子供を・・・女帝を人為的に作り出しているのです。」
「喋りすぎだおチビ。」
女帝は秋島を一瞥した。飴玉の瞳の奥底に脈打つ血潮。
「いえ。いえ。それは誠実ではないでしょう。わたくしは・・・セレナに誠実でありたいのです。」
「わ、私・・・?」
どく、どく。セレナの鼓動と女帝の血潮の脈打つ音が重なる。
「・・・性別など関係ありません、処置を受ければ素質のある子どもは皆女帝になります。例えば血液、遺伝子、骨髄から髪の毛一本に到るまで、全てが完璧に魔導で練り上げられた人間。それが女帝なのです。保護区の象徴となり、価値を観測する、人類の守護の象徴。それがわたくし。」
ディアンが気まずそうに目を逸らしたことをセレナは見逃さなかった。
女帝の誕生は、鴉も絡んでいること、なのだろう。
「わたくしには価値が見えます・・・だから、セレナ。貴方の隠し事を、わたくしに教えてくれませんか。」
保護区の頂点に立つ、最高権力者、あの女帝がセレナ相手に頭を下げた。
「見えるのですよ。貴方の価値数値は、極端に低すぎる。数値は流動するのが当たり前です。でも貴方の数値は、この保護区に来てからというもの、一度の揺らぎさえ見せなかったのです!」
しかしそのことにたじろいだのはディアンだけ。タイタンは放った殺気を一度も緩めることはなかったし、秋島は目の前の若者たちの緊迫したやり取りにどこか怯えているようにさえ見えた。
「・・・お願いしますセレナ。わたくしはは世界を守る為、ただ1つの異常も看過するわけにはいかないのです。」
・・・タイタンに内緒で、秋島に内緒で、彼女たちが夜な夜な秘密のお茶会をしていたことはこの場の全員が知っていることだった。
同じくらいの歳の女の子が、気負わずに話しかけてくれるのがおチビは嬉しいんだよ。だから、見逃してやってくれ。危険がないかはオッサンがちゃんと見張ってっから。
そう言われ、その通りにしていた。だから、たった数度のお茶会で、セレナと女帝がどのような会話を交わしたのかをタイタンは全く知らない。
「・・・だから私は崩落に吞まれないのかしら。ああ、そういうこと・・・。」
「崩落に、呑まれない?」
「ええ。私が結界の外の街に居た時だって・・・私が居る場所は不思議と崩落が起きなかったの。”特区に居た時だって”・・・もご!」
・・・・・・・・・・馬鹿。
慌ててディアンがセレナの口を塞ぐ。
「・・・・・・・特区?」
秋島がぽかんと口を開く。
「やりやがった、この馬鹿。僕ちゃんとセレナに言ったよね!?面倒なことになるってさあ!」
「銀髪の、少女。セレナ、貴方まさか!?」
「お前かーーーー!!!あの時特区の壁をぶち壊しやがった阿呆は!?」
『ハンター協会が把握しているのは、過去に一度、たった1人だけ、特別指定区域の強固な警備を無理やり破ってこちら側に侵入してきた、銀髪の少女がいたことだけ。人などいるはずもない特区から、何故か、こちら側に。今でも協会はその少女の行方を血眼で追っているよ。まさかこの森の結界の主人と同一人物だとは思っていないみたいだけれど。』
「あっ!!その、その・・・!違うの!ごめ、ごめんなさい・・・!!」
いろいろ忙しすぎて、ディアンの忠告など頭からすっかり抜け落ちていた。
ただ焦っているのはハンターの事情に詳しい3人で、事態の深刻さがいまいち分かっていない森暮らしの2人は、あまり話について行けていない。
「えっと・・・セレナさんは捕まるのか?」
「捕まえねえよ。きっちり説明はしてほしいけどな。」
態度は先ほどとそう変わらないが、秋島の声のトーンが低い。
「その歳でその魔道の腕前ならまだ、天才なんだろうで話は分かる。だが、当時の嬢ちゃんの歳で、自身の魔道世界を構築しているのはあり得ないだろう。そしてその、全く揺らがない価値。崩落に呑まれない体質・・・お前、本当に何者だ?」
「えっと。私の価値数値が低い理由・・・なら。そっちの理由はなんとなく分かっているの。それは貴方たちが何故か血眼で欲しがっている、特区の情報にも繋がることだわ。」
セレナは一度、隣のタイタンの手をぎゅっと握った。
いつか、タイタンと出会ったばかりの夜を思い出す。
ああ怖い。怖くて仕方ないけれど、それ以上に、ここまで助けてくれた彼らに不誠実であることはしたくなかった。
強いタイタンに代弁してもらうのではなく、自分の力で。
「先に言っておくわね。私は本当に・・・幼少のことは何も覚えていないわ。ただ、私を産んだ本当のお母様の後ろをずっとついて歩いていたことと、突然お母様が私を捨ててしまったこと、お腹が空いて、必死にご飯のある方向に走っていたらいつの間にか特区を出てしまっていたことしか覚えていないわ。だから、教えられるのは、特区で生まれ育った私の体が今現在どうなっているのかという情報だけよ。それでも構わない?」
「・・・・・ええ。構いません。特区について、わたくしたちは本当に無知なのです。どんな小さな情報でもいいのです、私たちは特区のことを知りたい。」
全く。タイタンはそう言わんばかりの態度でセレナの手を握り返し・・・そして大剣をそっと手繰り寄せた。
セレナはそっと、自分の髪を結いあげるように持ち上げる。そして、その耳元・・・真白でふわふわの羽根を女帝と秋島に見せた。
「な・・・ッ。」
仰天した秋島が目を見開く。
しかし、女帝はただ、表情を変えずにセレナの耳元を見つめていた。
「これだけなら・・・まあ、耳飾りと言って誤魔化せるのだけれど。こっちは、もう魔導的に措置しないと人前を歩けないの。きっと価値数値に影響が出ているのはこの隠匿魔導のせいだわ。これを解けばたぶん、数値が正常に戻るはずよ。」
そう言って、セレナは立ち上がる。このまま広げたらタイタンとディアンの顔面をふさふさにしてしまうから。
セレナは応接間の上座の方にそっと立ち・・・一呼吸を置いて、そっと魔導を解いて見せた。
急上昇した価値数値。セレナが女帝にしか見えない価値の光を纏い、強く輝く。
真白の応接間に、真白の透き通った羽根が舞う。
女帝は、幼いころ読んだ御伽噺の天使様を思い出した。
生まれて初めて見る種類の美であった。白銀の髪が太陽を浴びてプリズムを放つ。
「きれ・・・い。」
熱に浮かされたように、女帝がぽつりと呟く。
彼女のその声に、天使様は切れ長の月色の瞳を困ったように揺らして。
「その褒め言葉はあまり好きではないの。ふふ、でも不思議。生まれて初めて、その言葉を、今、誇らしいと思ったわ。」
彼女は自らの羽根にそっと手を添えた。緊張でまだ強張っているその羽根を、落ち着けるようにそっと撫でる。心臓がまだどくどくと音を立てている。
彼らなら大丈夫と思っていても、やはり怖がられたりしていないだろうか。
彼女はそっと秋島の方を見やった。
驚いていたはずの彼は、いつの間に落ち着いて、大真面目な表情でセレナの羽根をじっと観察していた。
「・・・なるほどな。鳥人か。真白の鳥人が居るとは知らなかったが。」
「!?」
セレナは目を見開いた。
「純粋な鳥人とは体の構造が違います。本来の彼らは腕がそのまま翼になっていますから。こうして人間の腕を持っているということは、セレナは人と鳥人の混血・・・ということなんでしょうか。」
「ちょ、ちょっと待って!?私の体のことがわかるの!?」
セレナは再び女帝に詰め寄り手を握った。
「特区に昔住んでいた種族です。私が知っている鳥人たちは皆黒か焦げ茶の翼を腕から生やして、それ以外は人間の体を持った人々です。ここ最近は彼らの姿を観測できないでいましたから、てっきり滅んでしまったかと思っていましたが、まさかこうして生き延びていたなんて・・・。」
「そん、そんな種族がいるのか、特区って!?」
タイタンも驚いた。いくら謎だらけの土地と言っても、この世界と地続きである場所がそのように異世界めいているとは俄かに信じがたい。
「そもそも、特区がどういうものなのかお前らは知ってるのか?お前ら3人とも、多かれ少なかれあそこに関わりのある人間みたいだがな。」
秋島はちらりとディアンを伺った。
あの後、きっちり彼の過去についても調べ上げたらしい。抜け目のないことである。
「ミサオが偉そうに言うことではないですけどね。私たちがあそこの情報を得られたのは、殆どがルーヴの持ち帰った情報ですから。」
「・・・ディアンは知っているんじゃなかったのか?」
「僕は変質の材料としてあそこの情報を1人で欲しがっていただけ。特区のことは機密だからねえ。そうそう情報なんかもらえないからセレナに縋ったんだよ。」
要はこれっぽっちも成果は得られていなかった、ということか。
「結界装置が通用しない。あそこに行くと結界を無視して崩落が起きる。一歩踏み込めば崩落が起きる頻発地域。特区の入り口は協会が警備している。俺たちが知っていることなどその程度だろうか。」
「結界を無視して、というよりも、俺たちが作ることのできるレベルの簡易結界は貫通される、と言う方が近いな。あそこは・・・まあ、言葉通り、異世界だ。」
「本当に、言葉通り違う世界、と考えていただいて構いません。私たちの住む世界に、子供の粘土遊びのように・・・全く違う世界がくっつけられてしまっているんです。既にこちらの世界とあちらの世界の植生は混じり合い、境界が曖昧になりつつありますが・・・空気は窒素が殆ど含まれていませんし、地面にあるのは土ではなくグリムメタルに似た謎の金属片、水は黄色、空はいつも薄錆色・・・そんな常識とかけ離れた世界が、ずっと奥に広がっているのです。」
「待っ・・・てくれ。そん、一体いつからそんなことになっている!?あの区域の先にあったはずの世界は一体どうなっている!?」
女帝は静かに首を振った。
それは、そうだ。世界で一番特区を熟知していたルーヴの記憶は世界から失われた。
自らの足で特区を歩き、調査して回っていた、彼の記録が残っていたならば話は違ったかもしれないが。
「あいつはな、ハンター資格を失効されないように、週に一回生存報告をしてくるだけでよ。今どこで何をしているんですか、って聞くと、生きてます、って返事が返ってくる。俺のこと舐めてんだろ、なあ?」
ドカン!!秋島が苛立ちを隠そうともせず机の残骸を蹴った。
「冤罪だ!俺は関係ない!・・・そうではなくて、さっきの話を!」
「冤罪だァ!?お前が今死ぬほど困ってんのはお前の過去の行いが原因だって言ってんだ!ええ!?半失踪状態のまま協会から消えやがって!会うたび叱り飛ばしても言うこと聞かねえしよ!!お前が報告書をサボるから協会に碌なデータが残ってねえんだよ!」
タイタンには関係ないことではあるはずなのだが、彼らがルーヴにどれだけ手を焼いていたかが容易に想像できるその剣幕を見るだけで身が縮こまる。
「こればかりは貴方を擁護しませんよタイタン。何百万回報告書を催促したと思っているのです。記憶を無くしたことはこの際関係ありません。わたくしたちが貴方に振り回されて、今どれだけ困っているかを理解したら今すぐに謝罪してください。」
「女帝様。タイタンを見つけた時、荷物のいっちばん底に裸の通信装置が仕舞ってあったわ。臭いものに蓋をして適当に仕舞うから、あの時地面に叩きつけた程度で壊れたんでしょう?」
「うっそだろお前!あの精密機器を金属ケースに仕舞ってなかったのか!?僕だってそんなこと怖くて出来ないぞ!研修生時代に教わる基礎の基礎だろ!」
・・・集団リンチだ。
立ったセレナ、隣にディアン、向かいには秋島と女帝。
四面楚歌。この場にタイタンを擁護する人間は1人としていない。
「悪かった。ルーヴが迷惑をかけた。認める、認めるから話を戻してくれ!秋島、あんたは歴史に詳しいんだな!?」
「・・・音信不通クソ坊主よりは詳しいぜ。どうした?」
「ここは旧世界地図のどこにあたる地域だ?特区というのはどこからどこまでだ?今世界地図がどうなっているのか、それを協会はどこまで把握しているのか知りたい!」
揶揄われて困っている場合ではないのだ。
旧世界が、馴染み深い国々が異界に押し潰されている。なんということはなくそれを受け入れた他の面々とタイタンは違うのだ。
「んなこと知ってどうする・・・いや、まあいいか。」
タイタンの焦燥に首を傾げながら、秋島は棚から取り出した初等教育の教科書を放り投げる。
「おらよ。今保護区やお前らの森があるのは大体アジアのど真ん中にあたる地域だ。保護区の方がちょっとヨーロッパ寄りだな。特区は・・・そうだな、大体中国や日本があった辺りか。」
「そう、か。海が枯れているから、日本まで車だけで行けてしまうのか?」
「時間さえかければな。」
森や保護区があるのはおおよそインドやパキスタンがある辺りだ。保護区の方が少し北西寄り。
ヨーロッパ方面は最早地図範囲外になっている。
この世界の地図はロシアの端から端までほどの大きさで拡大されており、中国の端から日本のあったあたりを含むその先は、赤丸で塗りつぶされていた。
印象的なのは、旧世界地図では、大陸がない部分は全て青・・・海を示す青色で塗られていることが殆どだった箇所が、低地の大陸として描かれていること。
本当に海が枯れ始めているのだ。
「・・・ッ、海が枯れたら、崩落の有無なんか関係なしに人類は滅ぶんじゃないのか・・・?」
「・・・あまりそのことは口に出すな。海に大穴を開ける気か?」
口の端が引き攣る。
「悪い。」
「前にも言ったが、縮小した海、失われたマグマ・・・それに、これだけ地球が穴ぼこだらけになって、地球の磁場が狂っていないのがおかしい。崩落が俺たちという餌を生かしているのさ。もうとっくにボロボロになっていなくてはおかしい地球を無理矢理に維持して、自分の餌を養殖するために・・・。ったく、反吐が出るぜ。」
改めて、世界の滅びを思い知った。
「人が価値を作り上げるのを、待っているのか・・・。」
まるで紙面を虫が食ったかのような、壮絶に食い荒らされた世界地図。
かつて地球を埋め尽くして繁栄した人類は、その積み上げた価値を食われ、食われ、これほどまでに小さく縮小してしまった。
地図に忽然と現れた赤染み、子供の落書きのようなその赤丸が、まさか現実を記録した地図だなんて。
タイタンは心底気分が悪そうに俯いた。なんだか頭がくらくらとしてきた。
「そもそものお話なのだけれどね?特区の情報が失われたことに貴方たちがそれほど焦るのは何故?確かに異常ではあるし、危険な場所ではあるけれど。立ち入らなければ済むお話ではないの?」
「・・・崩落が、そこから来た可能性があるからだ。」
秋島は長時間の会議についに耐えられなくなったようだ。
ポケットの金属ケースから紙巻きたばこを取り出し、炎をつける。
「はあ、秋島。わたくしにもください。」
女帝はその可憐な見た目に不釣り合いな、不健康の塊を秋島から奪い取り、炎をつけた。
「・・・おチビのくせに、悪いことばっか覚えやがるねえ。」
「文句はトラさんに言ってください。」
甘いココアの香りがセレナの鼻腔を灼く。
「・・・俺はいいが、セレナさんの肺を黒くしないでくれませんか、女帝・・・。」
彼女を信仰する保護区民が見たら卒倒しそうだ。
「ふふ、私もこの間もらったわ?」
「・・・女帝。」
「セレナは貴方が思っているより悪い子ですよ。ふふ。わたくしたちは、崩落がこの世界に発生したのは、あちらの世界から崩落が持ち込まれたからだと考えているんですよ。それが悪意なのか、救難信号なのかは・・・判別がつきませんけれど。」
特区は崩落によって取り返しがつかなくなってしまった異世界。秋島はそう仮説を立てた。
「ルーヴの報告書・・・数少ない報告書によるとだな、あっちはこっちの世界の比では無いくらいの崩落跡が残っている、生き物など殆ど見られない。鳥人だって10年ちょっと前にうっかりこっちに迷い込んで来たのが最後の観測だ。比喩抜きで滅んだ世界だと、あいつも言っていた。いつからそんなことになっていたのか、どうしてそんなことになっているのか、誰にもわからない。俺たちが特区を発見したのは、マキシミール事件がきっかけだったし。それ以前は保護区の維持と崩落から逃げるので手一杯で、遠い土地を探索するだなんて考えもしなかったからなあ。」
「・・・。」
秋島はぷかりと煙を吐き出した。真白の雲が清浄な空気を汚し、侵食してゆく。
「わたくしたちが知る崩落についての情報はこれが全てです。・・・ええ、わたくしたちにとっても良い収穫になりました。セレナ、貴方の存在は・・・貴方の言う計画というものの信憑性をさらに高めてくれました。貴方の勇気に、感謝を。」
「私の、存在が・・・?」
首を傾げるセレナに、呆れたようにタイタンは助言をする。
「・・・あんたが特区で生まれたことと、あんたのお母様の言う”素質”ってやつが、関係ないわけがないだろう。」
「ええ。きっと貴方のその羽根は、崩落に対抗する意思そのものなのですから。だからそんな風に、自分の本当の姿を恥じなくてもいいのです。誰が何と言おうと、わたくしは貴方の羽根を美しいと思います。貴方の姿を蔑む人間がいたら、わたくしが・・・いえ、この場にいる全員が、その言葉を否定してみせます。」
女帝は震えたセレナの手を見ていた。羽根を晒す瞬間、怯えてぎゅっと閉じられた月光の瞳も。
それだけで容易に彼女の送ってきた人生というものを想像できた。自分と彼女は似た者同士だ、自分たちは同じものに怯えているのだと理解できた。
「・・・ふふ、ありがとう女帝様。」
その言葉が社交辞令だと分かっていても、彼女の瞳に再びなにか暗いものが陰った様を見ていても。・・・彼女の心の奥深くに潜り込んでしまった本音を、自分では引き摺り出すことができない悔しさもぐっと飲み込んで。
「・・・お願いします、セレナ。わたくしたちは、貴方を信じます。どうかこの世界を救ってください。」
女帝はセレナの手を握った。女帝は彼女を信じて見送ることを、決めた。
『保護区に住む人々は・・・いえ、わたくしも。まるで飼われているよう。毎日与えられたものを食べて、与えられた仕事をこなして、与えられた娯楽を享受して。そんなものは人間の人生ではありません。それを分かりながら・・・そんな人生を人々に強要している自分が、腹立たしいのです。でも、わたくしには、そうすることしかできないのです・・・!ええ、だから、わたくしは貴方が妬ましい!!』
女帝の寝室。星降る夜に、年頃の少女2人の、3回目の秘密のお茶会。
先ほどまで、遠い森の暮らしの話に目を輝かせていた女帝は、一転して肩を震わせていた。
『こんなことを考えてしまうわたくしが、わたくしは大嫌いです!わたくしよりずっと自由に生きている貴方が、わたくしには一生見ることのできない景色を見ている貴方が、わたくしにできないことを成し遂げようとしている姿を・・・美しいと思えない自分が・・・!』
「女帝、様?」
困惑するセレナに女帝は縋り付いた。
きらびやかなベッドの上、2人の少女が倒れこむ。ハーブティが波打つ。
『ごめん、なさい・・・貴方に言っても、どうしようもないことだと、分かっているのです・・・。』
『いいわ。月並みな言葉に聞こえるでしょうけれど・・・貴方の気持ちは、分かるもの。』
あの時は、セレナが自分を蔑んだと思った。次に会った時に何もなかったように振る舞うセレナを見て、心が縮こまった。
だけれど、きっと違ったのでしょう。
あの時蔑んだのはわたくしではなくて、セレナはわたくしに重ねた自分を蔑んだのですね。
明日の早朝、自分たちは保護区を出立する。
波風の立たないうちに、というのが正直なところだ。事態は収束したとはいえ、保護区の帰還命令を受けていたハンターたちが事実確認のため次々保護区に集まってきている。
その中には勿論タイタンをよく思わない人間も、ディアンに一泡吹かされたことのあるハンターも数多くいる。
「坊主を保護区の外に再び送り出すことに反対する連中も多い。面倒なことになる前に逃げておけ。」
帰りの運転は秋島の直属部下が請け負うらしい。数々の独断専行を責められ、急に忙しくなってしまった彼はそれだけを言い残すと再び執務室に閉じ込められてしまった。
「・・・大丈夫、かしら・・・?」
「僕が関わった以上暗部沙汰にはさせない。何かあっても女帝が守るだろ。大丈夫大丈夫。」
心配そうなセレナの肩をそっと叩き、ディアンはセレナを置いて歩き出した。
「ディアン?どこかに行くの?」
「セレナはタイタンと合流したら家に戻ってて。僕はちょっと散歩してくるからさ。」
・・・自分の用事のある間セレナを見張るようにディアンに言いつけていたタイタンは、間違いなく激怒するだろうが。
こうでもしないと自分1人の行動などあの男はきっと許さない。
「ディアン、だめ、だめよ!1人になるのは危ないわ。」
「ちょっとだけ。作戦の時は実家がどうなってるか、結局確かめられなかったから。お願いセレナ。タイタンにはうまく言っておいて。」
「なら、私も・・・。」
「セレナを巻き込んだら余計にタイタンを怒らせるだろ。ちょっと1人にさせて、お願い。」
情に訴えかければ、セレナは少しだけ迷った後に、ため息を吐いた。
「・・・タイタンに上手く言うのは無理よ。怒られるのが嫌ならさっさと帰ってきて頂戴。」
「はーい、ありがとセレナ。」
可愛らしくウインクをして、走っていってしまった背中を見送り、セレナはうんざりとした様子で座り込む。
「まったく、もう。面倒な弟が2人もいて、たまにはお姉さんも労ってほしいわ。」
ディアンはフードを深く被り、人ごみの中を歩いてゆく。
夕方にもなると、労働を終えた人々で保護区の大通りは賑わう。
殆どの人間はまっすぐ帰宅する途中なのだろうが、中には大庭園の百日紅を眺めようと寄り道をする人や、井戸端会議に勤しむ中年女性たちも居る。
当然推奨された行為ではないが、何かと禁則事項の多い日常で、こうした僅かな規則違反が人々の心の慰めなのだ。
比較的健全な通りを曲がり、ディアンは細い路地に入る。
こちらがテント街への近道だったはずだ。保護区に来るのは・・・ましてやテント街に近づくのは、作戦を除けば数年ぶりだが、道は特に変わっていないようだった。
人っ子一人いない細路地を抜けると、懐かしいテント街の街並みが見えてくる。
比較的早期に作られた、食肉加工場付近のテント街・・・即ちディアンの故郷は、ますます人が増えていた。記憶にあるよりも随分と数が増えたテントから、各々の夕食の匂いが立ち上っている。
見慣れぬ黒づくめの少年に怯えた子供達は、ボール遊びをやめて家へと戻っていった。
かろうじて自分がハンターであることは理解できたらしいが、あの歴史的会見の場に立っていた少年が自分だとは誰も思わないらしい。女帝の隠匿魔導と情報隠蔽はやはり絶大なようだ。
道自体は変わっていなくても、テントが増えれば当然街並みは変わる。
朧げな記憶を辿り、確か自宅があったあたりを目指して、ディアンは足早に歩いてゆく。
『いくら言ったって信用してもらえるもんじゃねえが、それは思い込み、勘違いってやつなんだぜ。』
均等に保たれたテントとテントの距離。炊事にも風呂にも困ることはない。
先住民が亡くなり譲り受けたテントは確かに築年数が経っていたし、それを承知で母親は比較的職場の近いあのテントに住むことを決めたはずだ。
だったらあの煩わしい雨漏りも多少仕方のないことだった気がする。
冬は寒かったし、夏は暑かった。
だが、ディアンが今の家に移住した後だって、冬は厚手の毛布に包まっている。
夏はタオル地のブランケット一枚が煩わしく、それを蹴飛ばして腹を出して眠っている。
・・・勘違いを確かめたかった。
誰よりも偏見を憎んでいたくせに、自分もまたそれに囚われていたのだとしたら。
「そんなのは、きっと正義じゃない・・・。」
自分の常識、感情、憎悪。
どれが正しくて、間違いなのかだなんて、自分だけを信じて生きてきたディアンには、もう分からない。だから、ちゃんと自分の目で見てひとつひとつを確かめたい。
駆り立てられるように、ディアンはテントの群れの中を掻き分け進んでゆく。
ミーシャと飛行機ごっこをした空き地に、三軒のテントが建っていた。それから慌てて目を反らし、足を進める。
今日の夕飯はなんだろう。牛乳スープの匂いだよ。違うよ、これはお隣さんの匂いだよ。
違うもん。今日は牛乳スープだよ。あ、お母さん。ね、今日の晩御飯は牛乳スープでしょう?
駆け出したミーシャを追って、この路地を曲がった先に。
「・・・・・あ。」
材木が積まれていた。
細路地の一番奥に、周囲より少しだけ古ぼけた、ベージュ色のテントが建っていたはずだった。
あの頃は真白のテントが羨ましくて、真白のコンクリートの家がもっと羨ましくて、母さんによく我儘を言っていた気がする。
「・・・だよね。ボロかったもん、あの家。」
周囲より古い家に耐えかねて引っ越したのか。今の保護区にそんな余裕があるとは思えないが、家がないということはそうとしか考えられないだろう。
「無駄足だ。・・・帰ろ。」
そう声に出して言い聞かせても、足がうまく動かない。
・・・母さんを憎んでいたのが間違いだったかもしれないなんて。
偏見。偏見。偏見。ここ数日で自分に潜んでいた偏見を次々突きつけられ・・・つい希望に縋ってしまった自分はまだまだ甘いのだろう。
冷酷になることには慣れていたはずだったのに、未だ自分の中にこれ程の甘さが潜んでいただなんて。全く、恐ろしい。
「母さんは、悪魔だ。最低な女だ。ミーシャを殺したのは母さんだ・・・そうだ、間違っていない。大丈夫だ。」
ディアンは髪を掻き毟った。張り詰めていた緊張が解けて、このままここに寝転んでしまいたいような気分だ。
牛乳スープを焦がして申し訳なさそうに潤んだ垂れ目。
ディアンのシャツを低い背で一生懸命干していた後ろ姿。
飛行機ごっこに夢中の兄妹を呼ぶ、僅かに息切れした小鳥の声。違う、こんなこと思い出したくもないのに!!
「あー、お兄ちゃん、そっち入っちゃ駄目なんだよ。」
「・・・・ッ!?」
ひくりと口の端が引き攣る。お兄ちゃん、と自分を呼んだらしい名詞に心臓がひっくり返りそうになったが、あまりに聞き覚えのない声だと、自分を一度落ち着ける。
振り返ると居たのは、ミーシャとは似ても似つかぬ、さらさらの赤毛の少女だった。
「・・・びっくりさせるなよ。何、急に。」
「いけないんだよ、そっちに入っちゃ駄目なんだよ。タタられるから。」
人の実家に酷い言い草である。
「なんだよ祟られるって。」
「死んだ女の人のオバケが出るんだよ。危ないから寄っちゃ駄目なの。お兄ちゃん知らないの?」
「・・・知らないよ。この辺のお兄ちゃんじゃないもん。」
自分が住んで居た頃はそんな噂は無かったはずだが。知らなかっただけで事故物件を押し付けられたのだろうか?
「うらぎりもの?のお家があったんだって。ここに1人で住んでた女の人が、怖い人に殺されたんだよ。だから近寄ったら駄目なんだよ。」
少女が小石を蹴った。
「・・・・・え、っと。・・・いや、ちょっと待て。1人で住んでいた女の人が、殺された?」
「嘘じゃないもん。リッくんが言ってたんだもん。」
ここに1人で住んでいた女。もしかして。もしか、して。
「母、さん・・・?」
妄想だ。所詮子供の噂話、鵜呑みにするのが間違っている。
だけれど、状況証拠が揃いすぎている。
「・・・なあ。この辺りで一番物知りな人は誰だかわかる!?ずっと昔から住んでる人、誰か知らない!?・・・っ、いや、協会に戻って事件記録を辿った方が早いか・・・!」
「お兄ちゃん、怖ーい。・・・変なのー。」
少女は怖がったようだった。それだけを言い残すと踵を返して去っていく。
「・・・ちょっ、待って・・・!待てってば!!」
逃げ出した少女を追いかけようとした足。
だがギリギリの理性で踏みとどまり、数歩で無理矢理に歩みを止めた。
これ以上やったら不審者だ。目立つ行動は厳禁、自分を恨む人間は多いのだから。
大声を出して路地を飛び出した時点で、かなりの衆目を集めてしまったらしい。自分を不審そうに見つめる容赦のない目線、目線、目線が刺さる。
「ーーーー。」
いきなり踏み込んできた”知らないハンター”を不審に思う沢山の住民たちが、ディアンを警戒の目で滅多刺しにしている。
「・・・それは、そうだ。当時のことを知る人間なんか、ここに居るわけない。全員処罰されているか、鴉に記憶処理されてるに決まってる・・・!」
逃げるようにディアンはテント街を飛び出した。ここにはもう敵しかいない。
自分を知る人間も、自分がここで生きた痕跡も、ミーシャの生きた証も、母さんの身に起きた真実も、全てが風化し、拭い去られている。
「タイタン、セレ、ナ・・・・ッ!」
自分が幾度となくやってきたことだ。都合の悪い事実を知る人間の記憶を抹消し、存在を抹消し、命じられるまま事実を覆い隠してきた。
幾度となくやってきたことが、こんなに怖いことだとは知らなかった。
早く帰らないと、タイタンやセレナ、秋島や女帝。彼らの記憶の中からすら自分が消えてしまうのではないかという恐怖が、ディアンを突き動かした。
ぐちゃぐちゃになった頭で、忘れず展開していたはずの幻影魔導すら解除し、取り柄の冷静さを失ったディアンが踏み込んだ暗い細路地。
「ーーーーーッ、やっと見つけた、鴉!!!」
頭上に煌めいた銀色の刃に、ああ、自分を覚えている人間が居たと。
あまりに場違いな安堵を胸に浮かべてしまった。
「・・・チッ!!どう責任とる気だあんた!!」
「お説教は!!後からでいいわよ!!ああもう、ディアンの魔導は希薄すぎて見つからないのよ!!」
血眼でセレナは目を凝らし続けるが、そこは流石の”騙す魔導”だ。常に魔導を使い続けているくせに、痕跡が殆ど見当たらない。
もう夕飯の時間はとっくに過ぎている。通信装置も音沙汰がない。流石に異常だと、我慢ならずに飛び出した2人はテント街で聞き込みをしながら走り続けていた。
「痕跡はある、でもテント街を出た途端に途絶えている。チッ、嫌な予感がする・・・。」
「タイタン、秋島を頼るほうが確実だわ!発信機が生きているかもしれないし・・・。」
「通信なんかとっくの昔に入れている!あの忙しさで秋島が捕まるわけがない!」
セレナは知らないが、世話になったと別れの挨拶をしようとしたタイタンが、秋島を探すのに一体どれほど苦労したか。
1分おきで会議に呼ばれる秋島を見つけるのに協会中を走り回り、夕方までかかっても挨拶1つできなかったのだ。
「せめてハンターが1人くらい捕まえられたら頼れるのだけど・・・このあたり、人が全然いないわ。もう、秋島にちゃんと協会の連絡先を聞いておけばよかったわ。走っていくにも遠すぎるし・・・。」
「他のハンターと関わらせたくなかったみたいだからな、もうそれは仕方ない。とにかくセレナさんは全力で目を凝らしてくれ。」
「貴方を怒らせた方が確実な気はするけれど。」
「今すぐ出来るなら是非やってみてくれ。」
フツフツと溜まった苛立ちが胸をジリジリ焼いている。あの人狼の力が急激な感情の上下をキーにしているとして、もしこの怒りの段階から尾が出るような事態になったらタイタンの頭の血管が切れるかもしれない。
「・・・う・・・んと。ここも多分ハズレだわ。ちょっぴり残ったディアンの痕跡と、誘うみたいに一本の見知らぬ魔導の痕跡。このまま追ったら絶対に痛い目を見るわ。」
恐らくこれは、狩りだ。
餌を引き摺り、本命の獲物を誘き出す。餌が欲しければ追うしかない。こちらに最初から選択権など存在しない、不利など理解した上で罠にかかるしかない戦いだ。
「ターゲットはディアンじゃない、俺たちのどちらか。セレナさん、恨まれるような覚えは?」
「山ほどあるけれど、それがバレていたら致命傷よ。」
セレナは顔を晒したハンターを1人として生きて帰していないはずだ。その大前提があるから保護区に直接殴り込むなんて無茶ができた。2人がハンターを殺していることを知る人間が保護区にたったの1人も存在するわけがない。
「・・・だが、俺を誘うにしてはやり方が悪い。魔導の痕跡なんか俺1人じゃ追えない。俺がセレナさんを連れている前提で誘導している・・・考え過ぎか?」
「ディアンがヒントをくれていると信じたいわね。罠とわかっていても行くしかないもの。」
セレナは小さくため息を吐いて路地を進んで行く。途切れぬ濃い魔導の痕跡に、殆ど消えかけの、どんどんと薄くなるディアンの魔導の気配。
彼の命が薄れているようにすら思えて、セレナの胸にもだんだんと焦りが込みあげてくる。
「・・・大丈夫だ。そう簡単にやられる奴じゃない。」
「・・・ええ、そう、ね。」
やがて辿り着いたのは見知らぬテント街。先日の作戦の場所とは随分離れている。
あそことは雰囲気も随分と違うように感じた。開けた広場に碁盤の目状にきっちり均等に建てられたテント。その最奥に、周囲より一際明るいテントが建てられていた。
「悪趣味。均等に同じ建物なのに、配置で自分が周囲のリーダーだと主張しているのね。そこまでして自分が権力を持つことを誇示したいのかしら。」
「痕跡はあのテントからか?」
「ええ。警戒して頂戴。」
テントとはいえ人の住居だ。開けることに僅かに躊躇したセレナが、一度大きく息を吐いた瞬間。
どがん!!
人間が1人テントの布入り口を突き破って飛び出してきた。
「ディアン・・・っ!?」
「セレナっ!?なんでここに・・・っ、いや、呼びやがったなお前!?クソ!」
布扉を突き破ってディアンがテントの外に放り出された。セレナとタイタンを見るなり焦ったディアンの腹に、黒い影が即座に蹴りが入る。
「がっ・・・・・!」
碁盤の目の道をディアンが吹き飛んでゆく。
「・・・抵抗しなきゃ殺しはしませんって。俺は君たち3人と、お話がしたいだけなんです。」
「っ、セレナ、タイタン!!」
頭から血を流したディアンが叫ぶ。だが既にタイタンが黒い影に向かって剣を抜いていた。
「見つけた、ルーヴ。久しぶりですね。」
キン。
「ーーーー!?」
しかし。タイタンの剣は、少年の細いレイピアで受け止められる。
「嘘・・・っ、タイタンが押し負けた!?」
柔らかな剣はタイタンの怪力を受け流し、それをはじき返す。
「・・・セレナだって覚えてるだろ。僕の隊長からタイタンのことは聞いていたはずだよね?」
ディアンは小声でセレナに囁いた。
「隊長・・・って。」
セレナが自ら手を下した人間だ。それ以上に彼女のことはよく、覚えている。
『お嬢さん。私たちは、生きているなら彼を取り戻したい。死んだなら・・・私たちは彼の代わりをすぐに協会に差し出さなくてはいけないの。私の弟が、彼の担っていた危険な役割の数々を担わなくてはいけないの。』
タイタンの過去。あまりに酷い仕打ちに怒り、我を忘れて魔導を振り回した。
「まさか・・・あの人が、タイタンの、代わり?」
見覚えのある赤毛。姉によく似た無表情。
そしてその瞳に滾る強い殺意は、タイタンに向けられている。
「代わり・・・?セレナさん、あんた何か知っているのか?」
仕切り直そうと飛び退いたタイタンが、セレナを庇うように前に立つ。
「・・・う。その、これは本当に言い忘れていたわ。貴方が自分の過去を知った時点で隠すことでもなかったのに・・・。」
「・・・まあいい。・・・あいつは何者だ?」
「君たちが殺した、栄光の第18小隊隊長、ディディの弟・・・そこの裏切り者の元同僚ですよ。」
そこでタイタンも思い出した。タイタンを保護区に連れ戻そうとする勢力が存在すること。そして、ディアンたちはもともと、居なくなったタイタンを探して森に侵攻してきたことを。
「俺が居なくなって困った連中ってのが、あんたらのことか。俺を、連れ戻す気か?」
「・・・俺は話がしたいだけなんです。なあディアン。姉さんに救われておきながら、姉さんを見殺しにし、姉さんを殺した相手と共に世界を救うだって?冗談も休み休み言いなさいよ。」
細身の長身の男は後ろで結わえた赤毛を風に靡かせながら、ゆっくりとタイタンたちに詰め寄ってゆく。
「・・・ロータス。隊長を殺したのは彼女の母親が作った魔導罠であって、セレナじゃない。」
「関係あるか。・・・それに、それも本当なのやら、ね。」
ロータスと呼ばれた男はそう言うと、抜いた剣を鞘に戻した。
「・・・え?」
「俺は姉さんの死の真相を知りたいだけです。」
タイタンの心臓が跳ねる。
この男は、勘付いている。
「・・・姉さんは体に魔導措置を施していた。魔導罠なんかで死ぬはずがないんです。姉さんは肉片1つになったとしても生き続けられる。体に仕掛けた魔導を解かれて、肉体が維持できなくならない限りはね?」
迂闊に口を開くな。視線でセレナにそう念押し、タイタンはロータスを睨み返す。
「あの魔導を解くなんて、誰にでもできることじゃないですよ。そう疑問に思っていた時、君たちが保護区に来た。姉さんが血眼で探していたルーヴと、第18小隊の生き残りのディアンと・・・魔導の天才の少女。怪しいことこの上ないでしょう?」
「だからディアンを使って俺たちを誘い出したのか?こんな力づくの方法を使って!」
「そうしないと、秋島操が君たちに近寄らせないですから。あの男の隠匿魔導を打ち破るのにどれだけ苦労したと思っているんです。協会内部から秋島を狙って・・・今頃血眼で君たちを探しているんじゃないですか。」
成る程、自分たちにあれだけ魔導の匂いの濃い発信機をつけたのはそういった意味合いもあったのか、とセレナは1人納得する。あれはタイタンたちを監視すると同時に、秋島がセレナたちに魔導をかけておくためのビーコンでもあったのだ。
ディアンを真っ先に狙ったのも、彼が一番魔導の干渉を受けにくいからだ。彼は魂が希薄故に、魔導を受け流しやすい。自分にかけられた魔導を体に溜め込めない。秋島の気が緩んだとき、一番存在を特定しやすいのは・・・秋島の魔導が真っ先に途切れるであろうディアンだ。
ロータスは、セレナたちが保護区に入った瞬間から、セレナたちに狙いを定めていた。秋島の監視を掻い潜り、こうしてセレナたちをここに集めてみせたのだ。
「とにかく俺は真実が知りたいだけです。姉さんは、俺がルーヴの代わりに生贄になることを嘆いていたけれど、俺は姉さんが無事でいてくれればなんだって良かったんだ。」
ちゃき、ちゃき。
真実を知りたいと語る口、既に真実を見据えている赤い瞳。
「姉さんは非業の死を遂げた。俺は大切な姉さんの仇を討つ。それだけです。」
既に全身打撲だらけのディアンが、ひゅう、と浅い息を吐く。
それが合図だった。ロータスのつま先が地面を蹴る。
「・・・来る!!!」
剣を構えた腕に、落石を受け止めたのではと疑うような衝撃が走った。関節がズレたかのように軋み、両腕に強烈な痺れが走る。
「・・・・・ッ、あんた。」
「いつまでも自分が一番だと思われては困るんですよ・・・ッ!」
見開かれた瞳が愉悦に歪む。撓った剣先がタイタンの首めがけて真っ直ぐに振り下ろされる!
「何が英雄ですか、俺たちを裏切ったくせに。」
「ーーーーーーー。」
心臓が、凍った。
「お前ッ、馬鹿!!!」
気づいたら地面に叩きつけられていた。自分の腹の上にディアンが浅い呼吸をしながら倒れ込んでいる。
「・・・っ、悪い!」
瞬間、顔の真上に降ってきた斬撃。ディアンを抱えて転がり避ける。
次、次、次。立ち上がる暇もなく飛んでくる斬撃。打ち所が悪かったディアンは軽い脳震盪を起こしてしまっている。
「タイタン、捕まって!!」
眼前に迫る銀色の鉄色の斬撃の間。銀色の鎖が割り込んで受け止めた。慌ててそれを掴むと、命綱が無理矢理にタイタンとディアンを後方に引き摺り、殺意に滾る少年から2人を引き離した。
「助、かった・・・。」
「相手が悪いのよ。・・・あの人の言葉を心に入れては駄目。」
ディアンを寝かせ、2人は真っ直ぐテントの方向を睨む。血の色に滾る瞳が月光を浴びて、てらてらと輝きながら、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
「酷い言い草だ。裏切られたのは俺たちなのになあ。」
ちゃき、ちゃき。男は剣を弄びながら、心底楽しそうに此方へと迫ってくる。
「・・・・・ッ。タイタンを利用したのは貴方たち、でしょう・・・!」
「必要なことだった。その男も二つ返事で了承しましたよ。ええ。これは取引だった。居場所のない可哀想なルーヴに、役割を用意してやった。・・・ええと、今はタイタンだったか?まあどうでもいいけれど。路頭に迷うのは嫌だ、仲間に入れてくれとみっともなく縋ったのは君のくせに。剣の化け物の分際で、今更人らしく扱われなかったことに怒るつもりですか?」
「な・・・・・ッ。」
絶句するセレナ。ロータスは心底面倒そうに唾を吐き捨てる。
「タイタンがやると言ったから俺たちは了承したんです。それがしくじって記憶を無くして、挙句の果てに俺たちを裏切って・・・姉さんを殺しただって?どれだけ俺たちに迷惑をかければ気が済むんです。」
殴られたような衝撃だった。自分がどういった扱いを受けていたのか、それを知っていたとしても。
セレナを貶められたら怒った。ディアンが傷ついたら悲しかった。
だが、自分のことで自分がこれほど傷つくなどと、思ってもいなかったのだ。
「・・・いつも剣ばかり振って。会話もろくにしようとしない。居ないと思えば血まみれで村の外から帰ってくる。俺たちはいつ君に殺されるかと怯えていたんだ。それでも君を村に受け入れていた、村中の人間が諦めても、何度も会話をしようと試みていた、優しい優しい姉さんを、君は、裏切ったんですよ。」
ロータスの瞳に赤い月が浮かぶ。
「まあ、君が保護区に戻ろうがここで死のうがどうでもいい。俺は姉さんがどう死んだのか知りたいだけです。そして姉さんを殺した奴に姉さんと同じ苦しみを味わって死んでもらう。・・・姉さんは村中の人間が幸せになることを望んでいた。そのためなら自分の体がどうなろうと厭わず戦い続けた。俺はそんな姉さんの墓すら用意してやれない!ふざけるなよ、姉さんを返せよ!」
ロータスの叫びがテントの隙間で反響し飛び抜けてゆく。踏み躙られた唾がぐじゅりと音を立てる。
半身を裂かれた男の絶叫が耳を劈く。タイタンの目の前で地獄の門がぽっかりと口を開けている。
これが、裁きだ。
ロータスが剣を抜く。小さく震えたセレナの肩にそっと手を寄せ、タイタンは自分の後ろにそっと隠す。
「・・・・・。」
剣の柄をもう一度握り直す。たとえ裁きだろうと、今自分の背中で震える2人だけは絶対に生きて帰す。
セレナは一度、タイタンを見上げた。
・・・大きな背中。伸びた髪が、脂汗で首元にべたりと張り付いている。
一閃。
殺意に煌めくレイピアが、再びタイタンに襲いかかる。
「・・・ええ。ええ。よく分かるわその気持ちは。」
タイタンの視界を埋め尽くす銀色の光。
「だから、私もそうよ。貴方と、おんなじだわ。」
いつの間に、セレナがタイタンの前に立っていた。
「セレナさ・・・ッ、なに、やって・・・!?」
「せっかく忘れかけていたのに。貴方が火を点けるのがいけないのよ。そうね、貴方達はそういう人達だわ。自分の大切な人のために、タイタンの命を、尊厳を、踏み躙ることに何1つの罪悪も感じない悪魔達・・・・ッ!!!」
目の前で燃える復讐の炎を踏み消さんとばかりに燃え滾る月光。
ふわりと舞った銀糸に見惚れた瞬間、銀色の槍が空から雨のように降り注いだ。
「姉さんを殺した君に言われることではないね。」
「タイタンを殺した貴方に言われることでもないわ。」
「殺した?」
ロータスは槍の柄に足を掛け、傷1つないその美しい顔を歪めて笑ってみせた。
「元から死んだようなものだったろ。ルーヴのことなんか何も知らないくせに。」
「謝りなさい。」
キン。伸びた鎖を細い剣がはじき返す。
「やだね。」
首に向かって飛んだ剣を鎖が巻き取る。
「・・・チッ!セレナさん、落ち着け・・・ッ!!」
「嫌。」
人払いをしてあったらしい。テント街は無人で、怪我人は出ずに済んでいるが、テントの殆どはセレナの初撃で倒壊していた。
「俺のことで怒る必要はない!そのことは全て秋島に聞いた!あんたがこんなことをする必要なんかッ!!」
「・・・あれだけ怒りんぼのくせに。ああ貴方にも腹が立つわ。」
2人に割り込もうとしたタイタンの頰を槍が掠めた。
「ーーー殺されたくないなら、黙って居なさい。」
「怖い怖い。それだけ人を想って怒れるくせに、姉さんのことは見殺しにしたのか。罠にかかった姉さんを助けもしなかった?嘘くさいなあ。大方、強引にルーヴを連れ去ろうとした姉さんを殺したってオチでしょ?」
速度だけならばタイタンよりも早い。
いや、人狼の力を得たタイタンには劣るだろうが、通常時のタイタンとなら力も見劣りしない。
剣神の後を継いだ男の名は伊達ではない!
「そうやって嘘を吐いて。人殺しが無垢な民衆を騙して救世主を名乗って。詐欺師もいいところだなッ!!!」
「ディアンッ、捕まれ!!」
巻き込まれる。ディアンを抱きかかえ、タイタンは慌てて飛び退いた。
「あんの、馬鹿・・・、余計なことを漏らしたら全部台無しになるってのに!!」
「・・・それに関してはタイタンも人の事言えないだろ。げほ、何を今更・・・立場が逆なら同じ事してるくせに。」
地面中に広げられた鎖が蛇のように伸び、ロータスを飲み込もうと暴れる。
さながら津波のよう。右腕に命中した鎖にロータスの動きが一瞬止まるが、負けじと振るわれた剣がセレナの右腿を切り裂く。
「いっ・・・・!」
「・・・ぐっ・・・!」
何とかしてあの殺し合いを止めなければならない。だが怪我をしたディアンを庇って逃げ回るのが精一杯。どくどくと流れ出た血で汚れてゆく白いシャツに、タイタンは唇を噛む。
「お前が行っても逆効果だよ、タイタンが怪我したらセレナが逆上するだけ。」
「・・・分かっている。それでも割り込む。あの赤毛を殺しても、俺が死んでも、セレナさんは生かす。」
遠くで瓦礫と鎖が竜巻のように舞っている。
その中を縫うように進んだロータスをセレナが弾き返し、前に進んだセレナをロータスが蹴り返す。一進一退の死闘が今まさに繰り広げられていた。
流石に、あれに巻き込まれては無事で済まない。それが分かっていながら、タイタンの立ち向かう決心は、その楔色の光はひとつも揺らがなかった。
「ほんと、そういうとこだと、思うけど。勝ち目が無いのがわかって殴りかかった僕が馬鹿みたいだ。」
その冷たい一言に、作戦が崩壊する、だとか。ここでボロを出したら水の泡、だとか。
散々頭のなかをぐるぐる回っていたものが吹き飛んでゆく。
「・・・俺が迷惑をかけたのも、俺たちがあいつの姉を奪ったのも、事実だから。」
ごおん!!
タイタンの頭上を大きな瓦礫が吹き飛んで行った。だがそれに気を取られることなど目の前の男は許さなかった。
「それでも、前に進むって、決めたんじゃなかったの。」
どれだけ苦しくとも、どれだけ痛くとも、お前は栄光の道を前に進め。
「お前なんか、もっと図々しく、いつもみたいに怒鳴り散らしていればいいんだ。お前の心を殺した相手に、何を遠慮する必要がある?おあいこだって、堂々とあいつに殴りかかるのが正しいに決まってる!」
「・・・そう、だな。あんたの言葉に全て納得は、しない。迷いは・・・ある。だが、出来もしないことを説教したのでは、セレナさんに申し訳が立たない。」
酷い言い草だと思う。
タイタンだって流石にそこまで図々しくはない。ディアンは自分を買い被りすぎだ。
でも、タイタンが、人間でなくても、人殺しだろうとセレナを好きなように、セレナとディアンは、たとえタイタンが薄気味の悪い剣の化け物でもタイタンを好きでいてくれて、たとえ正論でもタイタンが貶められたら腹が立つのだ。
だとしたら、自分もそれに応えてやりたいと思う。
ディアンが太々しい横暴な英雄が好きだというなら例え上っ面でもそう振る舞いたい。
「腹は立った。だがそれとこれとは話が別だ。セレナさんの行動は計画を阻害している。セレナさんもあんたも、後でみっちり説教だ。・・・感情のままに振舞って計画を台無しにするな。」
自分の中に一本芯が通ったような感覚だった。冷静な思考が戻ってくる。
一度不満げに歪められた黒曜が、戻って来た楔色の輝きに気づき安堵する。
ディアンはニヤリと笑い、立ち上がったタイタンの足を踵で思い切り蹴った。
「やめな。坊主がこんなに貶められたのは坊主のせいじゃねえよ。」
覚悟を決めたタイタンの頭に置かれた小さな手。
ぽん、と、気の抜けた感覚。驚き振り返ったその背後には、既に姿はない。
「喧嘩すんならもうちっと周りの迷惑を考えてやるんだな。美人が台無しだぜ嬢ちゃん。」
秋島の右手にはロータスの剣の刃が。
秋島の左手にはセレナの槍が。
その細腕にどれほどの筋力があるのだと目を疑った矢先、セレナの槍と同様にロータスの剣が溶けて消えた。
「・・・!あれ、魔導だったのか!?」
「な、るほど、だからセレナがついていけてたの、か。筋力増強、隊長の魔導の応用って感じ・・・。」
秋島を振り払おうと即座に身を振ったセレナの足が硬直する。
「へ・・・っ!?」
セレナの足に巻き付いていたのは、炎。
焼ける痛みはない。暖かいランプのような、柔らかな緋色の光。
だが、質量のあるその炎がセレナの足を、全身を即座に包み込み、そして体の力ががくんと抜けた。
「ーーーーーーあ。」
テントだった瓦礫の山に、惨劇を作り出した2人の魔道士が同時に倒れ込んだ。
「秋島、操・・・ッ!!」
「ったく、やりやがったな。一体いつから俺の部下に仕込んでやがった。」
秋島が眉を顰める。瞬間、灼熱に身を灼かれたロータスの体が悲鳴と共に跳ねた。
逆らえば、ああなる。見せしめだ。
身を灼かれたのは一瞬とはいえ、激痛に全身を苛まれたロータスはがたがたと全身を震わせる。
だがその殺意の叫びは止まらない。声帯が千切れるほどの枯れた絶叫が、静まり返った戦場に虚しく反響する。
「ぎ、あ・・・・ッ黙れ、その女が姉さんを・・・ッ!!殺す、殺す、殺す殺す殺す!!!」
人が変わったように顔を歪めて暴れ続けるロータスに、秋島は顔を近づけ、そっと囁く。
「・・・ッ、秋島操、お前、全部・・・ッ!!!」
「秋島、秋島ッ!!!離し、なさいッ!!!そいつが、そいつさえいなければ、タイタンは・・・ッ!!!」
怒りで半狂乱になって暴れるセレナの頬に、秋島はそっと手を添える。
揶揄うような仕草に反して、秋島の瞳は強い意思を秘めている。
「・・・嬢ちゃん。坊主はそんなこと望んでねえし、嬢ちゃんが暴れたところで過去は変わらねえ。飲み込め。計画の為にここまで来たんだろ。大人になりな。」
「黙りなさいッ!!!」
「黙れッ!!!」
狂犬二匹の絶叫が瓦礫の山に虚しく木霊する。
「貴方も同じなのね!?タイタンの過去を知っていた!!タイタンに起きていることを見過ごした!!タイタンを見殺しにした!!だとしたら私は貴方を許さない!!!」
「お前は協会の人間の癖に、お前は、姉さんの、俺たちの敵だ・・・ッ!!!殺す、殺す!!!」
方向違いの怒り。
人違いだ、と。そう一言言ってやれば済む話だった。だが。
・・・秋島は2人の絶叫に、僅かに眉を顰め、痛みを堪えるように俯いた。
「歳を食うと、いろいろ諦めもつくもんなのさ。それでも俺は人類の防衛だけは諦めない。その為ならどれほど卑劣にも、冷酷にもなれる。それが俺の思う誠実さってやつだ、悪いな。」
地面に転がったセレナの頰の横、秋島の言葉がころんと落ちてきた。
秋島の涙だ、と。
それを理解した瞬間、煮えたぎっていた頭がすっと冷える。
「・・・っ、ちが、私、こんなことを言うつもり、じゃなくて。貴方に言って、どうにかなることではないのに・・・!」
「いいさ。若いってのはいい。羨ましいくらいだ。」
セレナを拘束していた炎が解ける。彼の炎は最後まで1つの痛みさえなかった。
魔導の性質はその人の心を表す。彼の炎は慈悲深く、暖かい。
怪我だらけだった体も、完全にというわけではないが、問題なく動ける程には癒えていた。
役目を終えた緋色の炎が、まるで魂が天に昇るように一筋の尾を描いて搔き消える。
「・・・綺麗。」
場違いなことを呟いている、とは思った。だが、これが秋島操という男の本質なのだと思うと、セレナは何だかとても泣きたいような気持ちになったのだ。
まるで霊魂、まぼろしのような炎だと思った。
害なすものは無慈悲に焼き払い、守るべきものは癒す。
だが温かな緋色の炎はどこか空虚で、本物の炎のような力強い生命力はとうの昔に枯れ果ててしまったよう。
肉は枯れ果て、魂は既に天に昇り、ただ強すぎる意思だけが残った、亡霊。
そんなものがもし、秋島の本質なのだとしたら・・・それはあまりに悲しいことだと、思ったのだ。
「・・・さて、嬢ちゃん。この大馬鹿のせいでちょっと面倒なことになってる。坊主と一緒にさっさと保護区から逃げろ。ついて来な。」
「面倒な、こと・・・?」
「こいつはこの大惨事の責任を全部ハンターでもない無名の嬢ちゃんに押し付ける気なのさ。ハンター殺しの汚名もついでに被せて、な。嬢ちゃんは今日の夕方保護区を発った。そういうことにして丸く収める。行くぞ。」
秋島はそう言い、セレナの発信機をとん、と指で叩いた。
途端に全身を温かい秋島の魔力に包まれる。隠蔽の魔導だ。
「っ、クソ、待て!!この、人殺し!!殺す、殺す殺す殺す殺す殺すーーーーーーーッ!!!!!」
絶叫を背に、ディアンを背負ったタイタン、背を丸めた秋島。そして、一度だけ、と、振り返ったセレナはロータスの瞳を真っ直ぐ見据える。
「・・・・・。」
必死の形相が姉の死に顔によく似ている。
猫のような吊り目。整った顔を歪めて、必死に目的に縋っている姿だとかが、特に。
随分前のことだというのに、よく覚えているものだ。
「・・・セレナさん。」
足を止めてしまったセレナを、タイタンが促した。
そっとセレナの腰に手を添え、そして彼自身もロータスを振り返り、
「俺はあんたたちを許せない。・・・もう2度と俺の前には現れるな。他の連中にもそう伝えておけ。」
それだけを告げて、睨みつけた。
「・・・貴方。」
「行くぞ。急ぐんだろ。」
その声が届いたのかどうか。半狂乱で叫び続けるロータスの声が何歩歩いても、耳を塞いでみても、どこまでも追いかけてくる。
耐えきれなくなったセレナがもう一度だけ振り返ると、
「・・・諦めろ。」
タイタンはそっと目を伏せる。
ロータスの姿は黒服の男たちに覆い隠され、見えなくなってしまっていた。
門の外、深夜には門番の姿すらない。
来た時と同じ、ぼろぼろの車がセレナたちを待っている。
「タイタン、僕は、保護区に残る。」
傷だらけになり、背負われたディアンの力ない声が、タイタンの耳に落ちて来た。
「・・・ディアン?」
「確かめたいことが、できた。僕の魔導の変革に・・・僕の人生に、必要なことなんだ。協力しなきゃいけないのは、分かっている。だけど、少しだけ、僕に時間をくれないか。必ず、森に戻るから。約束するから、だから・・・っ。」
「・・・秋島。」
「いいさ。小僧1人守るくらいどうってことはない。」
タイタンは黙って、ディアンを下ろした。ふらふらのディアンに秋島が肩を貸す。
「ディアン、絶対帰ってきて頂戴ね。」
「僕の畑を枯らすなよ。・・・待ってて、絶対戻るから。約束。」
黒曜の瞳は不安に揺れて居た。だが、大切な弟分もいつかは旅立つ。それを暖かく見送ってあげるのが、良いお兄さん、お姉さんというものなのだと、思うから。
セレナとタイタンは一度俯き、無理矢理に笑顔を作った。そして秋島に向き直り、頭を下げる。
「・・・ディアンを頼む、秋島。それと、世話になった。本当に何から何まで世話になってしまった。」
「本当だよ、死ぬほど迷惑かけやがって。過労で死んだら化けて出てやる。・・・さっさと行きな。」
しばらく、もしかしたら永遠に、2人が保護区に来ることはないかもしれない。
そして、多忙な秋島が直接森を訪れることなど、きっとないだろう。
・・・・これが、一生の別れなのかもしれない。
そう思うと、なんだか名残惜しくて。
あれほど怖かった保護区を離れることを惜しむとは、ここに来た時は考えもしなかった。
「あき、しま。ごめんなさい。酷いことを言ったし、いっぱい迷惑をかけたわ。」
「今更さ。それに、迷惑度じゃ隣の坊主の方が数倍上だ、嬢ちゃんは心配要らねえよ。」
これはきっと、誠実じゃない。
秋島は得体の知れない自分たちを最後まで守ってくれた。信用してくれた。
そんな彼の仲間たちを自分は殺した。殺したのだ。
「秋島・・・ッ、私、私は・・・ッ!」
私は所詮人殺しなのだ。
秋島がそうまでして助けて良い人間では無いのだ。
秋島のあの亡霊のような炎が胸に焼き付いて離れない。
肉を失い魂を失い、最後に残った保護区を守る意思すらも、もし私が奪ってしまったら、この人は・・・!
「セレナさん。」
タイタンの大きな左手が、セレナの口をそっと塞いだ。
セレナを驚かさないよう、優しく、タイタンは耳元の柔らかい羽に向かって言い聞かせる。
「セレナさん、それは・・・違う。」
それは誠実さでもなんでもない、ただの愚かな偽善だと。
一度、丸い月光が見開かれ、潤み、崩れる。
タイタンはセレナを車内に促し、半ば押し込むように彼女を車に乗せた。
「じゃあな。」
「おう。・・・器の小さい男はモテないぞ、気をつけろよ。」
「煩いな。父親じゃあるまいし。」
本当、何から何までお見通し、らしい。
ニヤニヤと笑う秋島を睨みつけ、タイタンも車に乗り込む。
男の別れなどその程度のものだ。離れてゆく保護区の真白の門を、タイタンは一度も振り返ることはなかった。
だが、歳を重ねると男も感傷的になる。車が地平の果てに消えるまで、秋島はじっとタイタンたちが去って行く様を見つめていた。
「オッサン、名残惜しいならそう言えばいいだろ。」
「そういうキャラじゃないだろ、俺。おら坊主、治癒を受けたら責任持って後始末を手伝えよ。」
「うげー。オッサン最低。」
貸していた肩を突き放し、ディアンはふらふらと保護区にむかって歩き出した。
放っておいたらすっ転ぶに決まっている。諦めたようにディアンの後を追い・・・最後にもう一度だけ振り返った地平に彼らの姿はもう、ない。
「本当、嫌なところだけ似やがった。」
やはり、慣れないことなどするものではない。・・・父親役など2度と御免だ。
一度頰を掻き、自分の表情が妙に湿っぽくなってしまっていることに、そこでようやく秋島は気づく。
こんなことではきっとおチビに笑われるな。顔を隠そうとポケットに手を入れ・・・
「あんの、クソ坊主。俺のサングラス、借りパクしやがった・・・!」
ポケットにサングラスのケースがないことに気づいた。
そこそこ気に入っていたのだ。というかあれは秋島が我儘を言って作ってもらった拘りの一点もの。
あれだけは、返してもらわなくては困る。
「チッ・・・行くか、森・・・遠いんだよめんっどくせえなあ・・・!」
今生の別れの情緒はどこへやら。
妙に凝り固まったような気がする肩を一度大きく回し、秋島は心底嫌そうにハンター協会に向かって歩き出した。




