素朴実在論:前編
がたがたと揺れる、檻のように狭い車の中。
隣に座ったセレナは、ただ窓の外の景色がびゅんびゅんと過ぎ去っていくのを眺めている。
タイタンは彼女の視線の先を好奇心のままに辿り、そしてすぐにそれを止めた。
この車の進路が時折緩やかに蛇行している理由を・・・一体何を避けて走行しているのかを、なるべく思考の外に追いやって、タイタンはじっと助手席の男の背中だけを見つめることにした。
吐きそうだ。
呼吸をしても酸素がうまく吸い込めなくて、脳が一心不乱に危険信号を発している。
密閉空間でどんどんと薄くなる酸素。本当に空調が機能しているのか疑わしい、蒸しあがった車内。タイタンはだらだらと流れる汗を先ほどから何度も拭っていた。
「暑いなら窓を開けてやろうか?」
冗談にしてもあまりにタチが悪い。
結界外調査隊第5小隊隊長『秋島操』・・・タイタンの知り合いを名乗る男は意地の悪い笑みを浮かべてこちらを見やるのだった。
飄々とした態度と裏腹に、白髪混じりの黒髪がやけに草臥れて見えた。彼も長い移動で疲れているのかもしれない。戦闘員にはとても見えないひょろりとした体と撫で肩が、妙に印象に残る男であった。
「俺が事前に聞いていたのは、お前らは保護区と取引がしたいということと、保護区に収容される意思はないということ・・・後はルーヴが生きていた、という朗報だけだな。記憶喪失というのは本当か?」
「・・・ああ。俺は彼女から教わった以上のハンター協会の知識を有していない。信用してもらうのは難しいと分かっているが。」
「いいさ。どちらにせよ同じだ。お前は自分がハンターであることを自覚しながら、ハンター協会を離反しようとしている。全く、こんなやんちゃ坊主だと知っていたらなあ。」
男の茶褐色の目がこちらをじとりと睨む。
「その離反行為が、どれほどの重罪なのかは俺は知らないが・・・ハンター協会の理念に背いたつもりも、ましてや敵対するつもりなど微塵もない。俺は最も協会の利益になる、最適解の行動をしてきたと胸を張って言える。」
「・・・理念、ねえ。」
「ああ。崩落を止める。その為に協会はある。そのはずだろう。」
運転席の男の小馬鹿にしたような薄笑いが、ミラー越しに見て取れた。当たり前だ。普通の協会の人間は・・・いや、世界中の人間の殆どはそう思うのだ。
嵐が来たら家に篭り、怯えて頭を低くして、それがが過ぎ去るのを待つしかないように。崩落に飲み込まれぬように人間は結界の中に篭るしかないと思い込んでいる。
「・・・それとも、それを夢物語だと嘲笑うほどハンターというのは堕落してしまったのか?」
だが、秋島はタイタンを笑わなかった。振り返った彼の瞳の一条の光が真っ直ぐタイタンを射抜く。
「いいや。」
茶褐色の瞳は老いのせいか、白く濁りつつあった。だがタイタンはその濁った瞳に信念の光を見た。
ああ、ひょっとしたら自分は、とんでもない幸運によって迎えの役に彼を引き当てたのかもしれない。彼は、この世界でも稀有な、同族だ。
「まあ、お前たちの真偽を証明するのは俺の仕事じゃない。」
その言葉の指すところはタイタンにも想像がつく。・・・セレナの言っていた、ハンター協会の暗部のことだ。
「小せえ坊主は元々あっちの出身だろ?」
「・・・ディアン?そうなのか?」
そのようなことは、一言もディアンから聞いてはいなかった。
不機嫌そうにそっぽを向いたディアンは、
「別に。ただの古巣ってだけ。」
それっきり運転席の裏側を睨みつけて黙ってしまった。
「記憶を失ってから俺は彼女・・・セレナさんの元にお世話になっていた。右腕が千切れかけ、体を真っ二つに割かれた瀕死の俺を、救ったのが今隣にいるセレナさんだ。」
「その子供がか?」
「・・・大人だ。こう見えても。」
驚いたように皆がセレナを振り返る。
いきなり話題の中心に立たされたセレナは、だが、唇を固く結んだまま。
「あの森には、彼女と、彼女の母親が作ったとんでもない量の魔道機械が存在する。その全てがオーパーツ級の代物、保護区の技術の数十年先を行っている。・・・だよな、ディアン?」
「・・・そうだね。自動化した農業、生活器具、採掘、広い森を自由に飛び回る転移装置。あの森の魔道技術は保護区の数段先を行っている。」
「ふうん。それはまた大層なことだな。」
秋島はあからさまに興味を失ったように前を向きなおした。
オドオドとしてばかりの少女に信用を置けなかったのか、はたまたタイタンの話があまりの夢物語すぎたのか
だがそれでもタイタンは話し続ける他なかった。
保護区到着までに突破口を見出さなければ、全てが無駄になる。
「その生活の中で見つけた設計図の断片。それがセレナさんのお母様が残した、世界を救う計画の断片だった。俺たちはお母様が引いた道筋通りに計画がどのようなものなのかを追っていた。その過程を追う途中で、計画に絶対に必要になるであろう情報の一部が欠落していることを知った。だから、情報を求めて保護区に来た。簡単に言えば経緯はこんなものだ。」
「ほー。で、欲しい情報ってのは?」
「崩落の真実を。具体的に言うと、崩落の原因になる生物が、何を求めて崩落を起こしているのか、そのエネルギーの正体だ。」
生物。タイタンがそう口を開いた途端に運転席の男の肩がびくりと跳ね上がり、車が急停止した。
驚いたのかと思った。だが、違う。運転席の男の首元が秋島によって押さえつけられ、酸素を失った運転席の男は魚のように跳ね上がったのちに気絶したのだ。
瞬きの間に男を襲った暴力。真っ先にそれに気づいたタイタンは窓の外を見ていたセレナの目をそっと塞いだ。
「タイタン?なあに?」
「いいから。あんた絶対驚くだろ。」
ここで驚いたセレナが羽根を出そうものなら全てが瓦解する。タイタンはゆっくりセレナに状況を説明した上で目を塞いだ手を取り払った。
「・・・急に物騒だぞ。驚かせないでくれないか。」
「崩落は謎の自然災害だ、ってことでほとんどのハンターには情報を伏せてんだ。・・・鴉どもの巣にブチ込まれるのはこっちの新米になっちまっただろ。可哀想に。」
記憶に関する処置を受けるのか、はたまた監禁されるのか。
無遠慮に情報を口に出したことをタイタンは反省する。
だがしかし、ここまでやる必要があることなのだろうか。崩落の真実とは、余程の機密事項らしい。
「・・・やはり、崩落の正体をあんたは知っているんだな?」
「先代女帝の代から協会に所属している爺だからな。隣のガキンチョにお得意の拷問でもさせたか?」
「ディアンにそんなことはさせない。・・・セレナさん、あの資料は持って来ているな?」
気絶した男の代わりに運転席に座る秋島に、セレナは荷物を後部から取り出し、渡した。
昭島はものの数秒でそれを読み終えると、車を発進させた。
「ま、事実だわな。それは否定しない。その肝心のエネルギーってやつが何なのか。果たして協会の結界とは一体何を崩落から秘匿しているか。それがわからん限りは計画がどれほど壮大な魔道的措置だろうと何だろうと立ち行かない、と。どうやって実行するかなど想像もつかないが、手法だけの話をするなら・・・成る程、魔導の基礎にきちんと習っているな。」
「お、おお・・・。」
急に話が早くなったことにタイタンは動揺する。やはりこの男はこちらを試していたのだろうか。
「そんな簡単な話なら良いのだけれどね?」
だが、セレナがぽつりと口を開き、秋島を遮った。
「ええ、崩落が生物だというのなら、それを殺すのには私が適しているでしょう。私の魔道は壊すことに特化しているもの。でも・・・お母様は私に魔道の変質を求めているの。計画そのものもそうだし、術者として私が大成することにも、きっと貴方たちの助けが必要なの。」
「まあ、そうさな。結末の定まっていない魔道などクソの役にも立たない。果たしてお前たちは崩落を殺すのか、世界を救うのか。情報を得てそれをはっきりさせる必要があるってわけだ。」
「ええ、ええ。きっと崩落を殺しておしまい、なんて単純なお話では・・・貴方が私たちを独房に放り込むことには変わらないものね?」
ふふ、と。セレナは威圧的に笑った。
「ま・・・て。セレナさん、どういう意味だ。」
「崩落の原因生物を殺したその先で、世界がどうなるかなんて誰も保証できないでしょう?」
セレナは当たり前のようにそう告げたが、タイタンの頭には疑問符が浮かぶ。
「坊主。お前、答えられるのか?地球の6000kmの地面の下で、内核の代わりとなるほどの熱量を放ちながら日々肥大化している新種生物。それをいきなりぶっ殺してみろ。この星は一体どうなる?」
「あ・・・。」
かん、かんと警鐘が鳴る。ぐらぐらと揺れる頭で、セレナがいなければここでゲームオーバーだった事実を痛感する。タイタンはようやく、軽率に協会を騙そうなどと口にしていた自分が誤っていたことを反省したのだった。
「ええ。想像もつかないわね。地球が真っ二つに割れてしまうか、とんでもない気候変動が起きるのか・・・なんて、そんなこと、私はとうの昔に理解している。私たちがしようとしている行為はそんな単純なものではないわ。だから・・・それが分かったならこの車に張り巡らせている気持ちの悪い魔道を解きなさい。不快よ。」
そこでようやく、初めて秋島がたじろいだように見えた。
窓の外ばかり見ていたはずのセレナは今、運転する秋島の背中をまっすぐ睨んでいる。
蒸した車内がますます沸騰してゆく。
耐えきれなくなったディアンが水のボトルのキャップを開く音が、ばきり。
「・・・剣呑だねえ。美人が勿体無いぜ。」
「暑くて苛々しているの。どこかの誰かさんが意地悪をしているから、ええ、仕方ないわね?」
その言葉を最後に、蒸していたはずの空気がすっと冷えた。タイタンのつむじに吹き当たる冷たい風。
まさか。
これほど、不快なまでに空気が蒸しあがっていたのはこの車がボロボロだからではなく・・・。
「なーんだ。第五小隊は随分金がないんだと思っていたのに。」
「結界外に空調の壊れた車を出すわけねえだろう。技術ではあんたらに劣るとしても、整備くらいはきっちりしてるのさ。」
魔道使いの戦いは心理的優位を奪うことから始まる。
蒸しあがった車内の空気。温度と湿度による不快さは人間の思考を殺す。
それは気づかぬうちに人間たちを侵食する。鈍った脳であらぬことを口走ってようやくその脅威に気がつくのだ。
「秋島が私たちを信用しないのは、実績もないのに空論ばかりを語るからかしら?」
「ああ。嬢ちゃんたちの言葉には具体性が何一つないからなあ。世界を救う魔道だなんだと、いきなり乗り込んできたよくわからんやつが、よくわからんことを言っているだけだ。ましてや保護区が今どんな状況かよく分かっているだろ?そう易々と協会の最重要機密を渡してやれるほどオッサンは優しくないんだよ。」
そう、秋島の言葉は事実で、これ以上、具体的に計画を証明する手段など、タイタンたちは持ち合わせていなかった。
「なら、実績があれば、どうだ。」
・・・だが、そんなこと最初から分かっている。
それに反論する術をタイタンはきっちり用意してきた。
「実績?」
「ああ。俺たちが協会に利益になる・・・信頼できると言う実績。俺たちが結界外で活動することを認めざるを得ない。俺たちに協力せざるを得ないほどの、実績だ。」
ふうん、と面白そうに秋島は食いついてきた。
「最初から言っていたはずだ。俺たちは取引をしに来たと。」
これは決して嘆願ではなく、対等な対価を持った上で行われる取引だ。
「協会の最重要機密を取引すると?一体あんたらに何が差し出せるんだ?」
運転中だというのに、秋島はニヤニヤとこちらを振り返って見ている。
だが、そんな威圧的なにやけ面を、タイタンは震える唇を歪めて不敵に睨み返してやったのだ。
「保護区の反乱を完璧に鎮圧してみせる。これ以上1人の犠牲も出さずに。」
およそ2日半の旅路の間、秋島は目を冷ました運転手と2度交代しながら、仮眠も殆ど取らずに車を走らせていた。可哀想な運転手の男は、ディアンの手によって殆ど自我を奪われたままドライブを終えた。
長いドライブの間、秋島自身の話を聞くこともあった。
元々旧世界の政治家の家系であった彼は、先祖代々ハンター協会に所属し、その代の女帝たちに仕えてきたらしい。
「と言っても、俺は結界外の統括だけどな。反乱が起きてから保護区に帰るのは初めてだ。」
「・・・ええと、秋島は、私たちを処分するために同乗していたのではないの?」
意識不明者1名のこの不思議な珍道中に真っ先に適応したのはやはりセレナで。
初日の警戒ぶりは何処へやら。セレナは助手席に座って秋島と普通に話している。
「バーカ。犯罪者の護送にそこそこお偉いさんの俺が乗せられるもんか。仕事帰りでちょうどいいから乗せろって俺がゴネたのと・・・あとはそこの小僧が居たから許可が出たんだ。」
「どっちの小僧?」
「でかい方。」
「ああ・・・やっぱりタイタンは偉い人だったのね?」
「俺より偉くはないけどな。こいつが音信不通になった時はそこそこ大騒ぎだったんだぞ?」
「その・・・そんなに大変だったのか?」
おそるおそる、タイタンは秋島に聞いた。
「お前らが住んでるあの森。崩落頻発地域の入り口に結界に守られた土地があるなんて・・・しかも調査に行ったハンターはもれなく帰ってこないって曰く付き。そんな場所であのルーヴが行方不明になったとなれば、大騒ぎになるに決まってるだろ。」
「それは・・・その、ごめんなさい。森にはいっぱいお母様の魔道罠が仕掛けてあるから、ハンターの人が皆引っかかって・・・その。」
セレナにはもしハンター殺しについて聞かれたら、余計なことは一切言わず、それだけを言って突き通せと最初から言ってあった。外部の人間に森の事情などわからない。セレナが罠を制御できないと言えばそれを信じるほかないのだ。
「良いとは言えないが・・・嬢ちゃんのお母様って奴も相当曲者みたいだしな。このちっこい嬢ちゃんにあのクソデカい森の管理責任を問うのも酷な話だというのも理解できる。から、今だけは目を瞑ってやる。」
真実を告げれば間違いなく牢屋に投げ込まれる。
セレナを信用しているのか何なのか、分からないが、秋島は彼女を哀れみの目で見つめている。ひょっとしたら秋島は随分と人情家であるのかもしれない。
それと、未だ腹の底が読めぬ男ではあるが、秋島はタイタンたちの”対価”が随分お気に召したらしい。
保護区内部の情報が足りないタイタンたちの計画に幾度となく口を挟み、その確実な成功を楽しみにしているのは他でもなく秋島だ。
あまりに急激に柔らかくなった秋島の態度を、タイタンは勘ぐってしまう。
「本当に、協会に口利きしてくれるのね?反乱を鎮圧すれば、情報提供と私たちへのこれ以上の干渉をやめてくれるって・・・。」
「世界を救う云々は、信用したわけじゃない。だがあんたらの保護区を救う計画は信用に値する。俺はお前らの、保護区を救いたいという意思を信じることに決めた。それだけだ。」
秋島は、小さく俯いた。丸まった秋島の背中の向こう、保護区の白壁が、見えてくる。
「・・・俺の、故郷が、罪のない民の血で濡れている。藁にでも縋りたくなるのは、仕方ないだろう。」
最初こそ、セレナは保護区の惨状を利用してやろうと考えていた。それはセレナにとって保護区が憎むべき敵であったから。彼女の大切な森を侵食し、人の中で生きていくことが難しいセレナを保護区に収容しようとする協会とは、どうやっても敵対する道しか存在しなかったから。
「この保護区の未曾有の危機を救ったとなれば、坊主どもの世界を救う計画とやらにこちらも協力せざるを得なくなる。。全く、本当に悪どいな坊主ども。人の不幸をしたり顔で利用しやがってよ。」
「・・・秋島。」
けけけ、と何でもないように笑って見せた秋島の表情が痛々しかった。
保護区では今、たくさんの人間たちが戦火に怯え苦しんでいる。
何の罪もない人々が貧困に喘ぎ苦しんでいる。
確かに、セレナが最も憎んでいたのはそういう人間たちだった。
自分たちのコミュニティでの平穏を守るために、異物を排斥することになんの疑問も持たない、普通の人たち。そういう人間たちが異物に対して最も残酷になれるのだと、セレナはよく知っている。
だけれど・・・保護区の人たちが、本当にそういう人間たちだと、断じてしまってよいのか。
だとしたら、今こうしてセレナと共に戦うことを選んでくれた彼らのことを、一体どう説明したら良いのだ。
「秋島。私たちだって、いっぱい人が怪我をしていたら悲しいわ。」
「そーかい、・・・そりゃ、悪かったな。」
なんだか、外が急に眩しくなった気がする。
最初はただの白い点だった。
それがだんだんと白璧に姿を変え、そして進みゆくセレナたちの目の前に現れるは巨大な城門。
真っ白な城門が太陽を反射して眩しく輝いている。強い光にセレナは思わず目を覆った。
「多少眩しくても見ておいたほうがいいぞ。保護区の観光名所だからな?」
そう言われ、秋島に渡されたのはサングラス。セレナは言われるまま、男物のそれを掛けて城門を見上げた。
御伽噺のお城のようだと、思った。
石造りの外壁は全てが貝殻のような乳白色。空まで届きそうな高さまで積み上げられた壁の中に唯一通じる三角屋根の巨大な門。
門の上には女性の顔を模った金装飾が施されている。ひょっとして彼女が初代女帝であるのかもしれないが、長年野ざらしにされて溶け落ちた女性の表情はうまく読み取れない。
巨大な城壁の周囲にはお堀があり、白いボックスカーはその上に架けられた白い石橋をゆっくりと渡ってゆく。
「・・・綺麗な建物。」
ようやく崩落から逃れられたと、安堵で背中を椅子に沈めるタイタン。
見慣れているのか特になんの感想も示さないディアン。
セレナだけが、ただその美しい真白に目を奪われている。
これほど巨大な、白い建築物を見るのは初めてだった。
白さは神聖の象徴だ。その佇まいは荘厳。人類最後の砦に、神が微笑んでいるように思った。
セレナがそう正直な感想を告げれば、秋島は嬉しそうに笑う。
「だろ?これは原初の大魔導師アレクサンドラが、ここからずっと南に行った海から、魔道で切り取って運んだ砂岩なのさ。海はもう残っちゃいないが、今でもあそこの大地には正方形に切り取られた跡が残ってるんだぜ。」
「意外とメルヘンだねオッサン。そんなの初等教育の読み聞かせで聞かされる御伽噺だろ?」
ディアンは冷めた態度で携帯端末のバスケットボールのゲームに耽っている。
「けっけっけ。マセたふりすんなよ小坊主。今度南方の海の近くに連れて行ってやるよ。地面が塩の結晶のようで。地平線まで四角い切り取り跡が密集していて・・・あれを見れば御伽噺を信じたくなる俺の気持ちも分かるだろうさ。」
ハンターが各地から集められている故、保護区入場の手続きには時間がかかると告げられた。
前には3台の車が自分たちと同じく手続きが終わるのを待っている。
車の列が解消されるまで、タイタンたちは秋島の語る保護区の話に耳を傾けていた。
協会の建物の最上階から一望できる夕日。保護区の設立記念日に毎年振舞われる焼き菓子。
2週に1度だけ行くことができる劇場では旧時代の映画が放映されており、そこで見た海賊の映画が痛快さが未だ忘れられないこと。
「・・・・・。」
タイタンは正直に言うと、困惑していた。
保護区とは、人の道理に反した土地であったはずだ。
人が人らしく生きることなど許されない。人間たちは家畜のように均等に管理され、個人の尊厳など持つことなど夢のまた夢。
そう聞いていたから、タイタンは保護区のあり方に反感を抱いていたし、保護区に起きた混乱を利用することに何の罪悪も抱かずにいられたというのに。
複雑な表情をしているタイタンを、横のディアンが一度きつく睨みつける。
騙されるな、と。
なるほど、確かにそうなのかもしれない。
この秋島というハンターは聞く限りはかなり偉い人間だ。だとすれば一般市民よりある程度生活は優遇されているだろう。この男は保護区の闇というものを知らないのか、はたまた初めて保護区を訪れる人間たちからそのような汚い側面を隠し通そうとしているのか。
彼の話を鵜呑みにしてはいけない。保護区の闇は実在する。その証拠をタイタンは短い人生の中で何度も目の当たりにしてきた。
そうかも、しれない、けれど。
「けけけ。今は大変だから厳しいかもしれないけどよ。保護区が平和になったら一度は大庭園を見ておくべきだぜ。秋になると薔薇の花が綺麗でな・・・。」
秋島がそれほど浅慮な人間であるとは思えなかったし、何より秋島の濁った瞳にきらきらと輝く少年のような無邪気さを、タイタンは疑うことができなかったのだ。
保護区に入場すると、そのまま3人はハンター協会本部へと護送されることとなった。
窓の外を流れて行く街の景色はどこまでも真白。
全く同じ形、同じ大きさの長方形の建物が、まるでお菓子の箱のようにきっちりと城壁の中に詰め込まれている。
今は労働時間なのだそうだ。話に聞いていた混乱は何処へやら。
街中では1人も人間を見かけることはなかった。住居と言うよりは、なにか遺跡でも見ているような気持ちになる。
最初こそ物珍しい風景をじっと見ていたが、数分もすれば目がチカチカしてくる。秋島のサングラスを借りているセレナが羨ましい。
タイタンは秋島と談笑しているセレナのサングラスを、息を潜め、手をそろりと伸ばし・・・こっそり奪い取った。
「あ!ちょっと!」
「・・・サングラスなんて初めて掛けたが、いいな。こういうの作れないのかあんた?」
サングラスといえばダンディーの象徴だ。大きなスクエア型の無骨なデザインと、ブラウンの濃いレンズカラーがとても格好良い。
そっと車のミラーを覗くと・・・自分で言うのも何だが、なかなか男前だ。
「ええと・・・薄いガラスか何かで出来ているのかしら?」
「ガラスじゃすぐに割れちまうだろ。・・・はあ、ここにいる間は貸してやるよ。」
秋島はそう言うとタイタンに簡素なサングラスケースを手渡してきた。
私が借りていたのに、と不満そうにセレナがむくれるのを、まあまあと秋島が宥めた。
「嬢ちゃんよりそれが必要だからな。・・・保護区を出歩くときはそれで顔を隠しな。お前が居なくなったことをよく思わない連中も多い。余計なトラブルは賢く避けろ。」
「その、俺をよく思わない連中って、どういう奴らなんだ?迷惑をかけた自覚はあるし、憎む人間がいても仕方ないとは思っているが・・・。」
家族や友人が居たら悲しませただろうなとは思っている。部下がいたなら迷惑をかけただろうとは思う。だが、自分を憎むほど、自分がいなくなったことで迷惑を被った人間が居ることなど想像もできなかった。
「計画のこともそうだが。俺は自分の過去を知りたいと思ってここに来た。あんた、ルーヴの知り合いだと言っていたな?なあ、ルーヴが一体どんな奴だったのか、俺に教えてくれないだろうか。」
「・・・まるで他人のようにルーヴを語るんだな。」
秋島の表情は固い。
「ルーヴは、馬鹿でクソ生意気で・・・まあ、可哀想な奴だった。それだけさ。」
「・・・格好つけて誤魔化そうとするなよ。」
「けっ。生意気坊主の分際で。いいさ。知りたきゃ今夜はオッサンの晩酌に付き合いな。」
ぶるる、と一際大きな音を立てて車両が停止した。
窓の外、真白の円筒状の建物・・・言われなければ分からないであろう、無個性なハンター協会本部の建物が、他の住宅に紛れながら鎮座している。
協会の人間との会議はあっけなく終わった。
事前に秋島が話を通していたのだろう。ここまで来て”鴉”に連行するそぶりでも見せようものなら、セレナとディアンを両肩に担いで逃げようと思っていたのだが、タイタンの不安は全くの無意味だったようだ。
だが当然、警戒はされている。
3人は右腕に発信器付きのリストバンドをつけることを義務付けられたし、ハンター協会に宿泊することは認められなかった。
それが分かった時点でディアンは間髪入れずに秋島とタイタンの会話に口を挟んだ。
「なら僕の家に泊まれば良い。」
得体の知れない連中の用意した宿よりは遥かに安心できる。秋島もそれで構わないと同意した。
というわけで、セレナ達は既に2人でディアンの自宅に向かっている。
ディアンに任せれば大丈夫だろうが、いや、ディアンもあれでいて少し抜けているところがあるし・・・と1人心配しているタイタンは、自分こそが敵地のど真ん中に1人で置き去りにされ、誰より危険な立場であるということに気づいていない。
案内されたのは壁も床も、簡素な調度品もやはり全て真白の小さな部屋。
ハンター協会の食堂ではなく、こうして人払いをしてくれた配慮は秋島の優しさだと分かっているのだが、テーブルと椅子しかない空白の部屋でこうして待たされていると、やはりここが独房なのではないかという疑念が浮かんでしまう。
「けけ。やはりオッサンは信用ならんか?」
「・・・こんな部屋に置き去りにされたら不安になるに決まっているだろうが。」
落ち着かなそうに足を動かしているタイタンを見て秋島が噴き出す。
「まあ、慣れていないと当然だわな。」
秋島はテーブルにお盆を2つ並べた。
さながら小学校の給食のようだ。皿が2つと汁物の入った椀が1つ。
右の皿には丸いパンが2つ。左の皿にはマッシュポテトと鶏肉のグリル。
椀に入っているのはキャベツを煮込んだ透明なスープだろうか。あとは水を飲むためのグラスとポットだけ。
・・・覚悟していたことではあるが、量が少ない。
鶏肉はタイタンの拳よりも小さい。パンも二口で食べられてしまいそうな大きさだ。
本来何日か食べないくらいは平気な体ではあるはずなのだが、テーブルいっぱいに並んだ食事に慣れ親しんでしまった今では、これだけの食事で数日過ごせと言われるのは、少々辛いかもしれない。
「・・・本当にあのガキンチョの元で潤沢な食事を摂っていたんだな。」
態度に出したつもりは一切なかった。保護区が貧困していることは十分わかっていたし、そんな大変な生活の中で客人の自分たちに食事を出してくれただけでも有難いというものだ。
不平不満を一切隠すことができないのは、全く、自分の酷い欠点である。
「まあ、育ち盛りには仕方ないか。俺のパン食って良いぞ。」
「・・・育ち盛りはとっくに終わっている。」
秋島のニヤニヤした笑いが癇に障り、タイタンは差し出されたパンの皿を突き返した。
「そういうところは変わらないな。」
「・・・どういうところがだ。」
「意固地なところがだよ、クソ小僧。」
そう言って秋島はマッシュポテトをちまちま突いて・・・そしてポケットからスキットルを取り出した。仕事中にも酒を持ち歩く不良ハンターなのか、タイタンと腹を割って話すためにわざわざ持ち込んでくれたのか。
水のために用意されたであろうグラスに、容赦なく飴色の液体が注がれる。恐らくは以前ディアンが森に持ち込んだのと同じものだ。あれはあまり・・・好きではない。
止める暇もなく、秋島は自分のグラスに酒をどばどば注いでいく。
「俺の分は少しでいい。少しで・・・頼むからなみなみに注がないでくれ。」
「あいよ。」
グラスの縁が膨れ上がるほど注がれた酒に怯えたタイタンが声を掛ける。
タイタンのグラスにぽとぽとと、一口ぶんほどの酒が注がれた。豪胆なオジサンに見せかけて、嫌がる人間に無理に飲ませてはいけないという、最低限のルールはきちんと弁えているらしい。
食事はほとんど口に入れず、秋島は酒を煽る。
食事を食べ終わったら本当に手持ち無沙汰になってしまうと、タイタンは何時もの何倍の時間を掛けて、パンがペーストになるまで顎を動かした。
話をしたいと言ったのはタイタンだが、晩酌に誘ったのは秋島。話すなら会議室でも客間でも良いだろうに、秋島がわざわざ食事の席にタイタンを連れ込んだ意図が、読めない。
食事の席、自分から会話を切り出すのがなんだか気まずい2人は、暫く無言で口を動かしていた。
「・・・なあ。」
いい加減に、と停滞した食事の席に耐えきれなくなったタイタンが口を開いた。
「俺を恨む人間がいると、言っていた。どういう意味なんだ。」
秋島の感情が、タイタンにはわからなかった。
普段は余計な軽口ばかりで、いつも通り軽い調子で晩酌に誘った秋島の・・・沈黙の意味は、何だ?
「俺の親だろうか、友人だろうか。俺が置いてきぼりにしたから、憎んでいるのか?」
「・・・ダチとか居るタイプじゃねえよ、お前。親がいるって話も聞いたことねえ。」
「じゃあ・・・部下とかか?」
「いや。お前は殆ど1人で活動させていた。所属上同じ隊のやつは居たが、知り合い程度の間柄だったよ。」
「・・・じゃあ、なんなんだよ。」
秋島は一度大きく息を吐いた。
「お前が死んで困った連中。お前を体良く利用していたクソ野郎どもが、お前の帰還を聞いて躍起になってるのさ。」
秋島の白く濁った瞳が、グラスの飴色の上でころころ転がる。
「お前は元々結界の外の出身だ。結界の外で細々生きていた小集落の人間が協会に保護を要請、それでお前は7つの時に保護区に来た。もうテントの民で保護区がパンクしかけていた頃。協会が昔、無理な保護活動はやめるべきだという方針に転換しかけた頃。」
結局方針転換することはなく、保護区がパンクしてしまった今でも、見つけた保護区外の人間は基本的に全員収容するらしい。・・・協会の方針に疑問を持つ一部のハンターがお目こぼしをしない限りは。
「保護した人間で、一番厄介なのはどういう人間か、わかるか。」
「・・・金持ちか?」
「まあ半分正解・・・要は権力者だ。保護区の預かり知らぬところで、保護区とは全く関係のない価値基準で権力を手にいれた人間は、保護区に入る以上は最早意味を為さない権力に縋る。自分が相応の扱いを受けられないことに不満を持つ。権力者も、周囲の人間も・・・。お前の集落の人間も、そういう連中だった。」
結界の外でも、かなり大きな集落だったのだそうだ。
痩せた火山灰の土地では農業も畜産も林業もろくに出来ない。そんな土地で集落の人間は、商売で生計を立てることを選んだ。
周辺の小集落を統率し、各集落の特産物を交換することで金を稼ぎ、金でまた別の集落から物を買う。そうやって賢く生き延びてきた集落の人間たちは、周辺集落が次々と保護され、崩落に飲み込まれ、いずれ生活が立ち行かなくなることを予期して自ら保護区に入ることを選んだ。
そして保護区でも賢くのし上がることを企んだ。貧困しているテントの住民ではなく、正当な保護区住民たちと同じ生活を手に入れるのだ、と。
「たまたま、その集落には1人剣に秀でた子供がいた。親は幼い頃に亡くして天涯孤独。朝から晩まで、誰とも話すことなく剣ばかり振っている変わった子供が。集落で怖がられていたそいつをな、連中は協会に差し出しやがったんだ。こいつが協会に貢献する代わりに自分たちの生活を保障しろと。」
「・・・。」
「実際そいつは、信じられないくらい剣が振れた。剣の神様が付いているとしか思えないくらいだった。協会はそれを了承して、残り少ない保護区の住居地区の一部をそいつらに与えたんだ。その子供が協会で働き続ける限り、という条件付きで、だ。」
それが、自分。
「都合の良い人質・・・という、ことか?」
返事は、ない。
家族、友人、恋人、もしかしたら子供も・・・などという予想は大幅に外れる結果となった。
秋島は濁したが、閉鎖的な傾向の強い保護区外の集落で、人と話さず剣ばかり振っている子供がどのような扱いを受けるのかなど・・・容易に想像がつくというものだ。
自分はセレナと違って、明確に対抗手段となる力を誇示していた男だったから、追放や暴力といった酷い目に遭わず集落に住むことを許されていただけ。自分もまた、人間たちから弾かれた生き物だった。
「・・・別に、気を使わなくてもいい。その集落の連中というのが、俺を逆恨みしているってことだな?多分、俺が消えて、自分たちの生活の優遇がなくなったから。」
ショックではあったが、しかしそれだけだ。
タイタンは舐めるようにウイスキーを口に含む。じりじりと喉が焼けるが、その程度で酔うようなヤワな体ではない。
「優遇、ってわけでもねえんだがな。ま、この話にはまだ続きがある。」
秋島は酒好きの癖に存外酔うのが早いようだった。煽ったグラスを置く手つきが段々と粗雑になり、テーブルが揺れる。
「いいか。協会は取引を了承したんだ。移民の権力者が結界の中で力を持つことを忌み嫌う協会が、一部の移民の我儘を了解した。この意味が、分かるか。」
そうだ、普通に考えれば、こんな取引を受ける必要など、協会には1つもないのだ。
この保護区において、協会は絶対なのだから。協会が一言否といえば、集落の人々にそれ以上の我儘を言う権利など1つもないのだ。
人材が欲しかったから?保護区が取引を蹴れば、集落の人間は絶対にタイタンを手放さない。タイタンが成長しどれほど立派な剣士になろうと、ハンターになることはできなかっただろう。
だが。
「たかが人間1人と、テントの民の不満を高めるリスクを、天秤にかけたのか・・・?」
「そうだ。”真実”はどうあれ、このことが知れれば絶対にテントの移民たちは不満を持つ。協会が何より恐れていた、保護区民の反乱が起きる。それでも協会は取引に応じた。何故か?答えはシンプルだ。」
とっくに皿は空になっていた。ただ美味くもない酒で喉を焼く、不毛な時間が続く。
「見せしめだ。協会はお前を次々危険地に投げ込めば、いくら剣に秀でた子供でもすぐに死ぬに決まっていると思って取引を受けた。お前が死んだ後、取引をした人間たちの辿る凄惨な末路を保護区中の人間に知らしめることで、権力者供の我儘を封殺しようと目論んだ。協会は今でこそお前を英雄だなんだと持ち上げてなかったことにしているが、協会はお前の死を望んでハンターに引き入れた。・・・そのことを忘れんな、坊主。」
秋島は一気にグラスを空にすると、2つのトレーを持ち上げた。
「集落の連中は、なんとか此方に引き戻そうと躍起になってお前を探している。協会の連中は、そうなっては困ると躍起になってお前の生存を隠そうとしている。お前の生存を望む連中、お前の死を望む連中、その2つにお前は今板挟みになっているんだ。その意味をよくわかった上で賢く立ち回れよ坊主。・・・おら、俺の部下に送らせるから帰り支度を始めな。」
「・・・ああ。よく分かった。感謝する、秋島。」
タイタンは素直に秋島に頭を下げた。
自分の所属組織の汚点だというのに、秋島は1つ残らず、包み隠さず話してくれた。
自分の知りたいことに誠実に向き合ってくれた秋島を、タイタンはただ有り難く思った。
「けっ。良い子ちゃんか。・・・協会の人間を憎まないのか?」
「別に。それはルーヴの話だからな。俺はルーヴではなくタイタンだ。」
タイタンは上着を羽織り、鞄を背負った。
「だが秋島。俺はルーヴではないが、俺はルーヴの先に立っている。それは決して矛盾することではない。」
秋島の丸まった背中に向けて、タイタンは堂々と、そう言うことができた。
「だからルーヴに起きた過去に真剣に向き合う。あんたが言うことをきちんと気をつけて行動する。だからそう悲しまないでくれ。あんたが俺をそこそこ大事に思ってくれていることは、分かった。」
「・・・ふん。生意気言うなよクソ坊主。さっさと帰って寝な。」
トレイを持って出て行ったが最後、秋島は見送りにすら来ることはなく、タイタンはそのまま秋島の部下の車に乗ってディアンの家へと帰ることになった。
夜闇の中、本来の役割を果たすことなく、ただ視界を暗くするだけのサングラス。
タイタンはそれを一度車内で外し、月光に翳して・・・僅かに嬉しそうに微笑んだのだった。
まさか、保護区で尾を出す羽目になるとは思っていなかった。
「ふざ、けるなよあんたらッ!!ここをどこだと思っている、敵地で不用心だとは思わないのか!?」
教えられた部屋番号の扉を開くと、狭い室内に2つ広げられた布団と、ベッドが1つ。
だが家主を追い出してベッドに突っ伏しているのは顔が真っ赤なセレナ。同じく顔の赤いディアンが、ふらつきながら泥酔したセレナを介抱していた。
見覚えのある忌々しい酒瓶が2つ、ベッドの脇に転がっている。
この阿呆供、この大事な作戦の前日に、あの強い酒を1人ひと瓶ずつ開けたのだ。
「勘弁して、セレナの頭が割れちゃう・・・。」
「勘弁するか!!こっちはその馬鹿を今すぐ叩き起こしてやりたいくらいなんだよ!!」
そういうディアンも、まあセレナよりはマシだが、足元がおぼつかないくらいには酔っている。
タイタンが鬼の形相でディアンに詰め寄ると、ディアンは心外だとばかりにむっとした。
「僕は!セレナがあんまり酷い顔をしてるから酒を出してあげたんだよ!タイタンが心配でご飯を食べようともしなかったんだぞ!?」
そんなに自分を疑うならセレナに聞けと、セレナの元にタイタンを突き飛ばした。
「おい!」
「あーーーー無理。必死にセレナを励まそうと頑張ったのに怒られるし。もう今日はこれ以上頑張れない。」
そのままディアンは布団に倒れ伏して唸り始めた。これ以上彼と会話をするのは難しいだろう。諦めて布団に寝そべったセレナに目を向けた。
意識があるのかないのかよく分からない。目は閉じているが、ずっとうーうーと唸っている。
「・・・・・セレナさん。セレナさん。」
ぺちぺちとセレナの頰を叩いてみれば、ゆっくりと真っ赤な瞼が開いた。
「たいた・・・。」
「酒は飲むなと俺は散々あんたに言ったはずなんだがな。・・・はあ。全く。」
「・・・ふふ。たいたん。よかった。」
朦朧とした視線がタイタンをゆっくり捉え、柔らかく緩んだ。
「帰ってきたぞ。・・・水飲むか?」
「・・・ん。いいわ。もう、眠いもの・・・。」
そう言って、セレナはタイタンの小指を握って再び瞼を閉じてしまった。
さながら母親に甘える赤子だ。
タイタンだってさっさとシャワーを浴びて寝たいのだが、こうも安堵した寝顔を見せられては、小さな手を振り払ってさっさと床に就くことなど出来そうもない。
沸騰していた頭が少しずつ冷え、パンパンに膨らんでいたはずの熱風船が萎んでゆく。ふさふさとした尾はいつのまにか消えていた。
「・・・僕に何か言うことはー?」
じろりとこちらを睨むディアン。厳しいようでどこか生温い温度を帯びたその視線を、タイタンは毅然と弾き返す。
「明日2人纏めて説教だ。覚悟しろ。」
「うえー。」
ここは敵地。人類保護区域。忌まわしきハンター協会のお膝元。そんな非日常の中でも、我が強い3人は日常を決して譲らない。
2人の・・・いや、自分も含めて、その我儘さが嫌いではないのだと。
タイタンは窓の外でいつも通りに輝く月を見上げて、重い溜息を吐き出した。
・・・秋島操に与えられた部屋は、ハンター協会宿舎の最上階。
半年ぶりに帰る自室で、秋島は寝酒を煽っていた。
「・・・ああ。全く自分が嫌になる。」
ぽつぽつと、簡素なテーブルに埃が積もる。
「きっと俺が泣いて許しを乞うても、同じことを言うんだろう、坊主。俺はルーヴではない、ルーヴはもう死んだんだ、と。」
瞼の奥。青灰色の少年が、協会の庭で剣を振る姿を思い返す。
忘れたくても、忘れられるものか。
「秋島はどうしてそう、俺に構うんだ。皆俺には近寄らない。あんたが俺より強いからか?」
「友達の1人もいない寂しい男を揶揄いに来てるだけだ。年頃のくせに好きな女の1人もいないのか?」
「俺には剣しかないからな。」
少年は、一度ちらりと秋島を見て、すぐにまた剣を振り始めた。
天辺に登った太陽が少年の旋毛を焼く。
「集落の連中と気が合わないのは分かるが。ここには歳の近いハンターだっているんだ。少しは話してみたらいいだろう。」
「現状に不便は感じていない。」
力を持つ者は、孤独だ。
彼を引き取った時に集落の人間から、幼少の彼についてはいくつか聞いていた。
いつから自分たちの集落に住んでいたのか、覚えていない。
彼は、自宅の玄関の前で剣を振っていた。
狩りや採集を頼むと、とても優秀な結果を出した。
何故か崩落を言い当てる。人の名前を覚えず、崩落が起きれば容赦なく仲間を見捨てる冷酷な少年。
・・・その程度のことしか、聞くことはできなかった。
彼は、結界の外に行けと言われれば行った。水を汲んで来いと言われれば汲みに行った。
人を殺せと言われれば殺した。
・・・もう少し、自分の願いというものに我儘になればいいのに、と思う。
だがそれを、秋島が言う権利はない。
「・・・坊主。仕事だよ。結界の外に独自の宗教を立ち上げた集団が見つかった。できれば穏便に・・・それが無理だったら、殺せ。」
保護区に来て、ようやく人らしく生きられるかもしれなかった少年。
その少年を売り渡そうとする悪魔の取引に、首を縦に振ったのは、他でもない。
「・・・あと、鍛錬は朝にやったほうが効率がいい。こんな真っ昼間に剣を振ってたらぶっ倒れるぜ。」
秋島だった。
「結界の外に投げ込んでやれば、すぐに死ぬと思ったんだよなあ。」
秋島にとって、結界の外の権力者たちは、唾棄すべき悪だった。だから、1人の子供の犠牲で保護区が守られるならとそれを承認した。大切な故郷のためなら、見知らぬ少年1人を犠牲にするなど容易いと思い込んでいた。
彼の武勲を讃える者がいる一方、当時の事情を知る僅かなハンター達は少年の過去が公になることを恐れて、地位を上げた秋島に圧力をかけようとする。
それでも秋島を糾弾する声がそれほど大きくならなかったのは、秋島が少年を死地に送り込むことを辞めなかったからだ。
「・・・けっ、今更父親を気取るのかよ、阿呆くさい。」
ずっとそう思っていた。だが、一生告げるつもりなどなかったその気持ちを、まさか本当に一生告げられなくなってしまうだなんて、秋島はちっとも思っていなかったのだ。
「・・・ったくよ。歳を食うと、素直にものが言えなくなる。いや、昔っからそんなもんだったかなあ。」
秋島はグラスに口をつけ、それを傾け・・・先ほどまでグラスに満ちていた飴色の液体がすっかりなくなっていることに気づいた。
「ああ、もう思い出せねえや。」
酩酊した頭が上手く回らない。秋島はグラスを片付けもせずに固いベッドに倒れこんだ。




