それは燦然たる英雄譚
確かにタイタンは「ディアンに作業場を見せれば解決する」とは言った。
だが、まさかここまでとは思わなかった。
思えば出会いは総攻撃、1度目の来訪は罠の歓迎、そして今回と、会うたびに碌な目に遭っていない彼に少々申し訳ない気持ちになる。
「こんなの殆どオーパーツじゃないか・・・嘘だろ、信じられない・・・。」
「その、なんだ、本当にすまない・・・。」
作業場を見るなり知恵熱を出してぶっ倒れ、作業場の簡易ベッドに寝かされたディアンに、別に悪いことは何もしていないはずのタイタンは思わず頭を下げてしまったのだった。
「だから、グリムメタルを細く伸ばすの。そうしてこう、回路を内殻に編み込むみたいに引いてやれば、それだけで内部コアを削減して別の命令が書き込めるじゃない。」
「無茶言うな!グリムメタルをそんな粘土みたいに加工できるかよ!」
早速始まったセレナの魔道講座に、ディアンは開始10分と経たずに悲鳴を上げていた。
やはり素人目では何をしているか全くわからない。
諦めてタイタンは手持ち無沙汰で始めた剣を研ぐ作業に戻ることにした。
タイタンには、ただごつごつとしたグリムメタルの原石をセレナとディアンが睨みつけているだけにしか見えないが、頭を抱えるディアンを横目にセレナのグリムメタルはするする解けるように糸状に形を変えていく。
金色の糸はセレナの指に巻きつき、それを指から外すとバネになった金糸は一度大きく跳ねて机に落ちた。
「魔道を教えてと言ったのは貴方じゃない。根性が無さすぎるわよ。」
びし、と指を突きつけられた先、突っ伏しているディアンは原型をなくしてグッタリしている。
流石に助け舟を出してやらないといけないだろうか。セレナの監督役として。
タイタンは、座っていたソファから立ち上がり、香ばしい氷茶をのんびり味わい、それから呑気な声で講義に口を挟んだ。
「俺がよくわかっていないだけか?魔道を変質させたいのにどうして魔道具作りをする必要があるんだ。というかそもそも、魔道の変質は魔道を振るう人間の世界の変質・・・なんだろう?ここで魔道教室をやる意味があるのか?」
魔道の変質がディアンの気持ちに深く根付いたものであるなら、魔道の技量というのはあまり関係なさそうに思える。魔道の変質というものが鍛錬してどうにかなるような事象であるとは思えない。
てっきりタイタンは、ディアンとカウンセリングのようなことをするとばかり思っていたのだ。
心理的な作用で魔道の変質を引き起こすのだと、そう思っていた。他人事のようにのんびりしているタイタンだったが、始まった厳しい魔道の鍛錬に少々面食らったのは事実である。
タイタンの素直な言葉にディアンが首をぶんぶんと縦に振る。
これはセレナは何も説明していないと見ていい。タイタンがセレナに批判的な目線を送ると、心外そうにセレナはむっとした。
「・・・素人のタイタンはともかく、ディアンはこのくらい汲んで頂戴な。」
一度休憩するらしい。セレナもタイタンの隣に腰掛け、タイタンのグラスを奪ってお茶を一気に飲み干した。
「ただ魔道を変質させたいのなら変化を待てば良い。でも僕が要求しているのはそれ以上のことだから・・・。はあ、僕にもお茶くれ、口が乾いた・・・。」
「グラスはそっちに置いてあるから好きに注げ。で?それ以上のこと?」
「ディアンは自分の理想の形に魔道を変質させようとしているのだもの。例え過去の自分の魔道というお手本があったとしても、理想の形ぴったりに自分の世界観を調整するなんて、神業以外の何物でもないでしょう?」
確かに、ディアンの常識が覆る何かが起きた時にそれが理想の形に収まる可能性など、闇雲に繰り返していては極小なのは確かだろう。
それはまるで針の穴に糸を通すような繊細な作業なのだとセレナは言う。
「確かにキーが必要よ。ディアンに世界が変質するような大きな変化がなければ、ディアンの魔道が変質することは無いでしょう。だけれど、それは私にはどうしようもないことだから。私が行うのは変質したその先でディアンの魔道が理想の形に収まる可能性を上げる準備よ。成功は保証できないけれど、それはディアンも承知の上でしょう?」
「そこまでは、わかっている。だけれど・・・それが!どうして!専門でも何でもない、しかもお前の完全自己流のオーパーツ作りに付き合わされることなんだ!?」
暑いせいかディアンも普段より少々苛立っているのだろう。
顔を真っ赤にしてがあがあ怒鳴るディアンと正反対に、セレナは涼しい顔。
「自分の魔道の形質を把握するには最適な方法だと思うのだけれど。具体的な形で魔道を見る機会などそうそうないでしょう?魔道を変えるにしても、まず変える前の自分の魔道の形を把握しなくてはいけないわ。魔道が変質する過程の渦巻きで、理想の形を揺らさないためにも。」
やはり魔道の専門家は伊達ではない。
文句を垂れていたディアンも、流石に一言唸って黙り込んだ。
「まずは自分の今の魔道の形質をきちんと把握すること。それが出来たら今度は過去の自分の魔道の形質を思い返して、出来る限りそれを真似てみる。本質が変わらない限りは真似事に過ぎないけれど、貴方の変化が始まった時の道標になるはずだわ。」
「っ、分かった。頑張るよ、頑張るけど・・・もう少しお手柔らかに頼むよ・・・」
「ふふ、やるなら徹底的に、よ?変な魔道具の作り方を教わっていないのも好都合。お母様直伝の魔道具作りの技術を叩き込んであげるわ。」
やるなら徹底的に、という言葉に基本的にストイックな男であるタイタンも同意していた。
だが数分と経たずに、タイタンは掌を返した。やる気十分だったディアンがどうしてあれほど渋っていたのか、その意味を理解する。
「・・・なあ、そこまでする必要があるのか?」、
「魔道の形質を測る為と言ったでしょう?魔道を注いだ時の浸透度、金属が柔らかくなる感覚、触れた時の弾ける感覚、その全てを体に叩き込む必要があるのよ。」
「というか、その。余計なお世話だったらすまん。ただ、ディアンがやろうとしていることと、セレナさんに起きていることは、話が違うと言うか。ディアンの魔道は、確かに嫌な思い出が付き纏うのかもしれない。だけれど、今の自分に見えている世界を全て否定してしまいたいなんて・・・。」
あまりに、痛々しい覚悟だ。タイタンは素直にそう思う。
「変質する前の魔道も、良かったとは呼べないけどね。とにかく世界がうるさくて、気を抜くと周りの感情・・・機嫌とか、嘘とか。そういうものが自分に飛び込んできて。でも眩しくて、嫌いじゃなかった。」
「濃い共感、みたいなものなのかしらね。それが反転した結果が、今。そのマントを使っているのよね?」
ディアンが驚いた顔をした。
「すご、わかるんだ。・・・これは僕の魔道の粒子みたいな・・・まあお手製のグリムメタルみたいなものを、染み込ませてる。それが相手に入り込むと、その人間に溶け込める。と、同時にこれは、自分に戻ってくるための目印でもある。」
「目印?」
「自分の意識を希薄にすると、自分が自分なのかわからなくなるんだよ。セレナに溶け込もうとすると、自分がディアンであることを忘れそうになる。そう言う時はこのマントの形を意識すると、元の意識の形に戻れる。・・・って聞くと、怖いのが分かってもらえるんじゃない。僕は、消えたくないから。今はね。」
「そう、か。」
別に俺はディアンのことを忘れないけどなあ、と思ったけれど、なんだか無責任な気がして、それ以上タイタンは何も言えなかった。
「タイタン、助けて。」
「無理だ。」
・・・ディアンには申し訳ないが、セレナがタイタンの思い通りになった試しなどない。
「ええい魔道具作りに姿勢が関係あるもんか!」
「魔道の通りが悪くなるでしょう。姿勢が乱れれば心も乱れる。心が乱れれば魔道が乱れるの。ほらまた猫背になっているわよ!」
少しでも姿勢が崩れると厳しい声が飛び、少しでも気が緩むと細く練り上げたグリムメタルがちぎれる。やっと一本の金の糸が出来たと思えば、
「まだちょっと太いわね。もう半分くらい細く出来ない?」
「無理!」
厳しい一言。自分も魔道を彼女から学ぼうとすれば、こんな風にしごかれていたのだろうか。
安易な気持ちで魔道を学びたいと口に出した過去の自分を、今なら止めていたかもしれない。
せっかくディアンが来ているんだから、俺の素人料理でなくセレナさんの美味しいご飯が食べたい。
そう言われれば悪い気はしないのか、少し得意げに照れたセレナはるんるんと肩を弾ませて炊事場に出て行った。
「ディアン、平気か。」
可哀想に何時間も連続で慣れない作業を強要されたディアンは、普段の飄々としたクールな立ち振る舞いとは程遠く、床に座り込んで息を切らせていた。
「頭が割れそう、無理だ、絶対無理。ものを作るなんて、僕ととことん相性の悪い作業、絶対無理・・・。」
「相性・・・ああ、ディアンの魔道の性質がそもそも魔道具作りに向かないのか。」
「・・・セレナみたいに直接の破壊ができれば話は早いんだけれど・・・まあ、ああやって振り切ってしまうと今度は小回りが効かなくて困るんだろうな・・・。」
ぶつぶつ、とひとり作戦を練りだすディアンの口ぶりが、学者の覚悟を語るセレナの上気した声となんだか似ていて、タイタンは思わず吹き出した。
「っくく、なんだ、心配は要らないみたいだな。」
「・・・後が無いから無理でもやらなきゃいけないってだけ。まあ実際しんどいしセレナはいちいち細かいし休みなしなのも勘弁してほしいけど!」
魔道を修める人間とは誰も彼も同じ穴の狢らしい。
いや、セレナからしてみれば毎日飽きもせず剣を振っているタイタンも同じように見えているのだろう。何かを極めようとする人間は大体どの分野でも似たようなものなのだ。
「まあいいや。・・・で?何か変わりはあったか?西に出かけたんだって?」
「まあ、細かい話は夕飯の時にセレナさんを交えてで構わない。セレナさんに伏せるのは渡しものと狼のことだけでいい。」
「自分が作戦の重要人物である、ということは話したんだな?」
ああ。と呟いて、タイタンはため息と共にソファに丸めた背中を沈めた。
「話した結果良くも悪くも状況は前に進んだ。セレナさんは計画に前向きになり、同時に俺たちを前より深く疑っている。」
「やっぱり迂闊にここで話さない方がいいな。お前は忘れているかもしれないけれど、ここはお前の家であると同時にセレナのお膝元だからね。」
ディアンはそれだけ言うと、作業場を出ようとふらふら立ち上がって歩き出した。
タイタンもそれに続こうとしたが、ディアンがぴたりと動きを止め、こちらを振り返った。
「・・・封筒の意味は分かったか?」
「意味・・・あのよくわからない数字か?」
その言葉だけで全てを察したディアンは、やれやれ、と首を振った。
「まあいいよ。薄々そうなる気はしていた。」
「む、なんだよ。気になるだろうが。」
知らないものは仕方ないというのに、妙に小馬鹿にした態度が気に食わない。
「そのうち教えてやるよ。とにかく飯だよ飯、腹が減った。」
ディアンは渋るタイタンを無視してそのまま部屋を出て行く。
無理やり引き止めてやろうかと思ったが、ディアンがドアを開けた途端に作業場に流れ込んで来た濃いスパイスの香りにタイタンの腹が鳴り、諦めて食事をすることにした。
ちょっと褒めるだけでこれほど腕によりをかけてくれるなら、毎日だって褒めてやりたい。
捌きたての野鳥の肉でハーブと夏野菜を巻いて、まるでロールケーキのように仕立てられたステーキのプレート。わざわざ新しく焼き直したらしい暖かいパンは、粗く挽いた麦を混ぜ込んだらしく、香り高い。
その他にもスープにごろごろと具の入ったポテトサラダ、野菜の炒め物などがテーブルいっぱいに並べられている。目を輝かせたディアンは
「いただきます。」
きちんと手を合わせ、そして我慢ならんとばかりに肉に噛り付いた。
こうしていると年相応で微笑ましい。そう思ったのはセレナも同じようで、彼女は一度クスリと笑った後、ディアンにナプキンを差し出した。
「ちゃんと野菜も食べないと大きくなれないわよディアン。」
「子供扱いはやめてくれないか。」
もごもご反論しているが、口の端から肉汁を垂らしていては説得力もない。
ふん、とそっぽを向いたディアンの手の先、ぎこちなく握られたナイフが皿に擦り付けられてギシギシ音を立てるのを見て、今度はタイタンが声を掛ける。
「ナイフに慣れないなら俺が切ろうか?」
「お前はお前で、僕を舐めているな?」
別にそんなつもりはないと謝罪すれば、意外と素直にディアンは皿をこちらに差し出した。
「成人はしていないけれど、僕だって自分で稼いで生活してるんだ。確かにお上品なハンター上層部様に比べればガタイは良くないけどさ、ガキ扱いは心外だよ心外。」
食べやすい大きさになったステーキを頬張るディアンは、文句を言いながらも美味しい肉で口を満たされて幸せそうだ。
確かに保護区や結界の外ではこれほど充実した食事は、摂れない。
まるで夢のようだと、幸せそうな黒曜の少年。彼の辿って来た人生に、これほど充実した食事は果たして存在していたのだろうか。
「・・・・・。」
タイタンの貸してやった白いシャツの袖から、鳥のように骨が浮き出たディアンの細腕が覗く。
普段はぶかぶかとしたローブに隠れて見えないディアンの薄い腹。妙にぎょろりとした目。
体にも彼の苦労が垣間見える。そんな彼の年相応の無邪気な表情になんだか胸が痛い。
ああ。この少年がやっとの思いで手に入れた安寧を、タイタンはこれから危険に晒すのだ。
「食べながらちゃんとお話ししましょう。ディアンにね、頼みたいことがあるのよ。」
口火を切ったのはセレナだった。
「もご?」
「ああ。・・・俺たち、保護区に行きたいんだよ。その為にお前の力を借りたい。俺たちをハンター協会に連れて行って欲しい。」
「・・・正気か?」
予想通りの反応といえばその通りだ。タイタンは一通り西方で起きた出来事を説明した。
最初こそ疑念に満ちていたディアンの表情も、少しずつ納得したように、そして僅かに不安そうな色を帯びた後、それは諦めに変わった。
「まあ・・・そういうことなら納得できなくもないけれど。ハンター協会と交渉するったって、僕じゃやれることは限られるよ。」
「協会に多大な貢献をしたハンターのルーヴが持ち帰った情報なら、どうだ。」
ディアンの目が見開かれる。
「お前、嫌がってただろ。」
「こうなれば手段は選んでいられない。計画の存在を明かす代わりに崩落の情報を引き出し、森に2度と攻めてこない約束を取り付ける。保護区は崩壊寸前で、協会は今や手段を選べる状態じゃないんだろう?崩落を止める確実な手段があると信じさせれば、絶対に飛びついて来る。」
「お前が生きているのを知れば、お前は絶対に保護区に戻るよう言われるぞ。」
「計画の実行のために森に滞在すると言って振り切る。第一俺は記憶喪失なんだ、協会の重要情報を漏らす心配もないだろう。」
「・・・協会がこの森に介入しようとしたらどうするんだよ。」
「計画の要のセレナさんが人間嫌いだからな。セレナさんの精神の安定を乱すのは絶対にセレナさんの完成を遠ざける。計画を邪魔したいのかと脅せば協会は引くしかないだろう?」
ディアンがとっさに思いつくようなことは、タイタンはとっくに想定しているようだった。
ディアンの口を挟む余地など、そんなものを残しておくほどタイタンは甘くない。
「・・・はあ。そもそも、本当に保護区に行くことが必要なんだろうな?その情報とやらが本当に重要なのか?計画について本当に何もわかっていないくせに、何が必要なのかなんてお前たちに判断できるのかよ。」
「魔道的な目線で口を挟むなら・・・崩落を倒す計画がなんらかの魔道術式だとするなら、それは絶対に必要になるわ。術者が崩落のことを知らずに崩落を倒せるわけがない。まあ、もし計画が何らかの魔道具によるものだとしたら、必要ない行動かもしれないけれど・・・。」
「弱気にならなくていい、セレナさん。これは本来お母様の引いた道筋の上にあるはずだった情報なんだ。不必要なわけがない。それ以前に俺は森の襲撃をやめさせるために保護区に行こうと思っていた。今俺たちはジャグーンを失って森の防衛の手が回らない状態だ。協会の襲撃に怯えずに計画に集中できるようになるのなら、これは全く無意味な行動ではないだろうさ。」
タイタンはテーブルの向かいを見る。
ディアンはあれほど夢中に食べていた食事の手を止め、ただただ冷めていくスープをじっと見つめて暗い顔をしていた。
「・・・・・お前、本当運がいいと言うかなんと言うか。タイミングがバッチリだよ。ああ、確かに、保護区と交渉するなら今以上のチャンスはないだろうね。」
「・・・?何かあったの?」
セレナが怪訝そうな顔をする。確かに、前回のディアンの来訪から時間はかなり経っていた。
そっと覗き込んだ黒曜の瞳。陰ったオブシディアン。空虚な、硝子玉。
先ほどまで無邪気に振舞っていたディアンの瞳に、あの暗い影が戻っている。
なんだか、とてつもなく、嫌な予感が、した。
「3日前、保護区で一般市民とハンターの衝突が起きた。協会は保護区の内部の制圧に手いっぱい。結界内の住民もハンターにも、もう何十人も死者が出てる。・・・まあ、保護区が過去最高にヤバい、ってこと。」
どきり、嫌な予感は真正面から的中した。
いつかは起きるだろうと思っていた。これは予想の範疇の中でも、かなり最悪の状況。
「当然、でしょうね。あれだけの圧政を続けて・・・配給が途絶えつつある今、結界さえ維持できるなら、協会に従う理由なんか1つもないもの。」
いつかは起きることだった。そう言ってしまうのは簡単。
だが、今、ここでタイタンが仲間たちと楽しく食卓を囲んでいる間にも、保護区では沢山の人間が争い、貧困に喘ぎ、血を流し、怯えている。
人類最後の砦。崩落と戦う前線基地。人類保護区の終焉の火蓋は既に切って落とされた。
「・・・あんた、ここでのんびりしていていいのか?」
「根無し草だからね。保護区に知り合いがいるわけでもない。けどまあ、保護区に残っているハンターなんて碌に戦闘訓練もしてない腰抜けばかり・・・だから、結界の外の歴戦のハンター達に次々招集命令が下ってる。僕もそろそろ呼ばれるだろうし、その前に顔を出しに来たのが今日って訳。」
「なる・・・ほどね。確かに外のハンターが集結したら反乱は沈静化されるでしょう。でもそれ以上に大切なのは、保護区の完璧な治世に遂に亀裂が入ったという事実。」
セレナのやけにゆったりとした言い回しが、妙に芝居がかって感じられた。歌うような、囀るような彼女の声が、幕の向こうから聞こえてくる。
「一度入った亀裂は修復しないわ。もう保護区にかつての日常が訪れることはない。今回が駄目でも、きっとすぐ次の革命が起きる。崩落が解決しない限り、保護区はこのまま疲弊して滅びを迎えるのは免れないでしょう。・・・となれば、畳み掛けるのは。」
「・・・今しかない、な。なるほど、よく分かった。」
唯でさえ強面のタイタンときりっとした美人のセレナが並んで真面目な面をしていると、尋常ではない迫力がある。悪いことなどしていないはずのディアンの背中がひやりと冷えた。
「とにかくね、ディアン。計画を立てるのを手伝って欲しいの。私が挙げた問題点は3つ。私たちがハンター殺しの大罪人であること、西方で十分な情報を得られなかった私たちがどうやって協会に計画を信じさせるのか。そして未だ謎が多い、タイタンの過去のことが降りかかる危険性。」
「いいさ。乗ってやるよ。セレナの技術があれば信用を勝ち取るのも難しくないだろうし。」
そう言われ、セレナの表情が僅かに曇る。
「・・・本当に、適当に言って騙す気?ええ。はっきり言いましょうか。無茶よ。今の保護区のことを知ったから、尚更そんな作戦は認められない。本当にそれだけで突き通すつもりなら私は保護区に行くのを反対するわ。保護区が慌ただしいうちに急いで森を探索する方がずっとマシよ。」
セレナの言いたいことはわかる。
保護区がかつてない危機に陥っているからこそ、新たに浮上する問題点。
「考えてみなさいな。ハンター協会は結界の秘密を持っているからこそ市民たちに優位に立ち回れるの。それが民衆に漏れたら協会はおしまいなのよ。かつてない危機に、かつてないほど警戒しているに決まっているじゃない。いくらタイタンが居たって、ディアンが居たって。そう易々と最後の切り札をこちらに渡してくれると、貴方はそんな甘いことを考えているんじゃないわよね?」
「ああそうだ。それは否定しない・・・。かつての信用と方便だけで乗り切るのは・・・厳しい。だが同時に保護区がかつてないほど奇跡を欲しているのも事実なんだ。何か。何か協会の絶対の信用を勝ち取る手段が、あれば。」
テーブルの下で組まれたタイタンの長い足が、天板の裏からぶつかり一度大きく音を立てる。
がちゃん。3対の食器がテーブルの上で跳ねた。
「ハンター協会に嘘をついて立ち回るなんてのが無茶なのよ。最初から騙そうとしている相手を信用するわけないじゃない。そうでなければ・・・協会の暗部のことは、前に貴方自身が語ったことよ。」
ハンター協会には暗部が存在する。おそらく生前そことも関わり合いのあったタイタンは、磨り減った知識記憶の中に残酷な拷問の手順や薬物、自白剤のような魔道が存在するという知識を持っている。
僅かにでも疑われようものなら、いや、そうでなくても、協会相手に嘘をついて立ち回るというのは無謀すぎるように思える。
「誰が、協会を騙しにいけと言ったよ。」
流石に口ごもったタイタンに、何ということはないように声を発したのはディアンで。
「要はお前たちが計画の価値を証明できないのが問題なんだろ。協会が払う対価とお前たちが払う対価の価値が釣り合わないから騙すなんてリスキーな手段しか取れなくなる。対価が足りないなら払う対価を増やすしかないだろうさ。」
「・・・そうね。交渉の基本はそうだわ。対価に対して相応の対価を払えることが信用になるわ。でも・・・西方で失敗した私たちに、これ以上差し出せる情報なんて・・・」
「いや。・・・あるな。」
セレナはその声を聞き、はっとして横を見る。タイタンはニヤニヤと笑っていた。
「何よその顔。気色悪いわね。」
「失礼だな・・・いや、何だ。いいことを思いついてしまったからな。ハンター殺しの大罪すら塗り替えて、協会の信用を勝ち取り、情報を引き出す、最高に面白い方法ってやつを。」
ああそうだ。身を以て知って居るのだ。
嘘は軋轢を生む。騙そうと腹の探り合いをすれば信用は瓦解する。
身を以て知って居る。
未知は未知だからこそ恐怖であると。怖いのなら探求すれば良い。他者から恐れられるなら自分を知ってもらえば良い。
「実力以上の無理をする必要なんかない。俺たちの得意なことを全力でやればいいだけだ。その為に・・・セレナさん、ディアン。あんたたちの助けがいる。俺の作戦に乗ってくれ。あんたたちはただ俺の要求することに全力で応えてくれればそれでいい。」
「・・・何をする気よ。」
出た。横暴タイタン。
げんなりとした表情のセレナにタイタンは堂々と告げる。
「人助け。」
俺たちは人殺しでも化け物でもなく、世界を救う正義の勇者なのだと。
ただ堂々と胸を張っていれば良い。
滞在する以上は家事を手伝う。それはこの家の掟である。
「とにかく準備を急ぐのね。ディアンに召集がかかると同時に、私たちは保護区に向かう。ええ、やってやるわよ横暴お馬鹿馬鹿馬鹿タイタン。私が過労死したら地獄で呪ってやるわ。」
予想外に予定の早まった保護区への小旅行の準備で作業場に篭ってしまったセレナに代わり、男衆は南部に駆り出されていた。
「くっそ、分かっていたが南部の暑さは北部の比じゃないな。もう夏も終わるというのに、なんだこれ、ふざけているのか。はあ。」
「日陰があるだけこの森はマシだろ。意外と根性ないな、お前。」
「煩い、叩き斬るぞ。」
イライラと足音を立てるタイタンの、その腰に尾はない。
尾と耳が現れるのはあくまで急激な怒りの感情の噴出が条件なようで、こうして長くじわじわと持続する不機嫌には作用しないらしい。
ぶつける先のない怒りほど腹立たしいものはない。南部に来て数分と経たずに彼は口を開かなくなった。
「お前、本当に植物の見分けなんか付くんだろうな?」
「・・・お使いも碌に出来ない歳ではない。」
自宅のシャワーはただのお湯と体を洗う為の薬液がスイッチ1つで切り替えられる便利なもの。
最初は全身で薬液を浴び、それをスポンジや手で泡立て、最後に湯で洗い流す。
見た目こそただの狭いユニットバスだが、風呂が面倒な深夜でも手早く身を清められるので、このお母様の最新技術にタイタンは大変感謝しているのだった。
そんな家のシャワーの薬液が、妙に泡立っていることに気づいたのは昨晩。
また何か機械の不備だろうかと、風呂上がりのタイタンがセレナに報告すると、
「ああ、薬液が残り少ないのね。ストックも残り少ないし・・・丁度無患子を摘む季節だわ。南部へ行かなくてはね。」
そう言われた。しかし植物を熟知しているセレナは、保護区行きの準備で手一杯。
作戦なら歩きながらでも立てられると、ディアンと2人、セレナの書いたメモを片手に無患子の実の採取に向かうことを決めたのだった。
今は各々の立場はあるが、危険な戦場で目的のため戦い続ける男たち2人。その歴戦の戦士たちが大きな籠を背負って必死に小さなメモを覗き込んで頭を抱えている姿は悪い冗談としか思えない滑稽さだ。ハンター協会の人間がこれを見たら青ざめるか爆笑するに違いない。
「葉の形もありがちだし、花もとっくに落ちてしまっているから、木を見分けるのは難しい。地図を頼りにしたほうがいいだろうな。」
無患子は、実に石鹸成分の含まれる大きな樹木だ。南部にはいくつか無患子の大樹が生えている箇所があり、実が生る季節になるとそこを巡って籠いっぱいに無患子の実を摘んで1年分の薬液の元を作る。
無患子の石鹸成分を抽出し、肌に馴染むよう何種類かの油と砕いた蜂の巣と得体の知れない、いや正体も知りたくない謎の固形物たちを擦り入れ、最後に香料で香りをつける。すると何故かそれは鉄のような硬さの巨大な石になり、それを機械で少しずつ湯に溶かすことで薬液を作っているのだそうだ。
タイタンは毎日のように薬液のシャワーを使いながら、石鹸をどうやって作るのかなど考えたこともなかった。
まさかあれが植物からできているなんて。森で生きる上で学ぶことは未だ数多い。タイタンはもう一度、セレナから渡されたメモの几帳面な細かい字と、図鑑のような精巧なイラストに視線を落とした。
メモには葉の形や実の特徴、無患子の木の付近に居る可能性のある危険な生き物について書かれている。
だがそれは目的の木に目星を付けてから使うものだ。タイタンはメモをポケットに仕舞い、籠に入れていた大きな布を取り出した。
それはセレナと2人、南部を歩き回って作った地図。
道しか書き込まれていなかった南部の地図に、今は朱色の丸が5つ書き込まれている。
「場所は全然覚えていないわ。書けと言うから書いたけど、ねえ本当に、地図をあまり信用しないで頂戴ね。ねえ聞いてるのタイタン〜。・・・似てるだろ?」
「似てない。ぶっ飛ばすぞ。」
あの人は何となく歩き回っているのに、毎年無患子の場所を正確に探し当ててしまうような人なのだ。
場所を思い出してくれ、明確に地図に書いてくれと言われて、セレナが困るのは目に見えていた。
だがそれでも、タイタンは「何となくでいい」と、無理やりセレナに地図に書き込ませ、家を出た。なんとなくでいいわけないだろ、というディアンの叫びを無視して。
妙に自信満々なタイタンと、心底不安そうなセレナが、森に慣れていないディアンを不安のどん底に叩き落としたのは当然の事。そう、タイタンは自信なさげに差し出されたそれを何故か信用しきっているらしいのだ。
本当に大丈夫なんだろうな、と内心うんざりしている。ディアンはそれでもタイタンの後を追うしかないのだが。
川の大岩がある位置から、川を渡って西へ。目印は幹の捻れた不思議な栗の木。
「ほらな、当たってる。」
栗の木の隣の茂みを跨ぐと、遠くにメモに書かれた通りの細い葉を生やした大樹が生えていた。
「なーにが、自信がない、だ。セレナ、本当は覚えてるじゃないか。」
「いや・・・多分、あの人はいちいち木の位置なんか本当に覚えていないと思うぞ。ただ、地図というものとあの人の得意な事が、とてつもなく相性が良いのだと・・・それだけだろうな。」
意味深に言い残したタイタンの表情は満足げ。
やっぱり俺のセレナさんは流石だ。俺の読みは当たっていたな。と、顔に書いてある。
これ、惚気だ。年甲斐もなく僕にマウントを取ろうとしていやがる。
じっとりとしたディアンの視線を無視し、タイタンは籠を下ろし、無患子の大樹を見上げた。
セレナの言った通り、花はとっくに落ち、大樹は青い実をこれでもかとばかりにつけている。これを籠2つ摘んで帰ればとりあえずは一安心だ。
「さっさと摘んでしまおう。実を摘むだけが今日の仕事じゃないからな。」
慣れた手つきで木に登るタイタンを見届け、ディアンはため息をつく。
「お前のことは嫌いじゃないけど、お前のその彼氏面だけは見ていて本当に腹が立つ・・・。」
「これでも振り向いてもらえない俺を可哀想だと思って許せ。」
堂々と言い放つタイタンにディアンは少々腹が立ち・・・だがその一方、『羨ましい』と僅かに思ってしまった。
自分にはもう、ああやって誰かを想う顔は、できないから。
これで木は3つ目。既にディアンの籠は満杯で、あとはタイタンの籠の残り半分を無患子で満たせば、きっと十分な薬液が出来上がる。
頭の上から降ってくる青い実が、こつこつとタイタンの頭を叩いて落ちていく。
狙って落としているんじゃないだろうな、と恨めしそうに上を見上げれば、ディアンは懸命にハサミを動かしている最中。慣れない茂みの中で働き回った結果、ディアンの白い腕に細い切り傷がいくつも付いている。
軽口憎まれ口ばかりだが、性根はやはり真面目な男だ。
「その辺にしよう。川で手を洗って休憩するぞ。」
「ん。」
ぴょん、ぴょん、と枝を飛び移ってディアンが降りてくる。タイタンだって太っているわけではないが、背と筋肉のぶんやはり体重は重いのであんな芸当はできない。真似をしたら枝が折れる。
「身軽で羨ましい限りだな。」
「中年太りか?」
「2つしか歳は違わないだろ。見た目だけで人をオッサン呼ばわりするなよ。」
ずいぶん重くなった籠をしゃがんで担ぎ上げ、ディアンを無視してタイタンは歩き出す。
「・・・へえ。セレナの封筒を見たのか?」
ぎくりと肩が跳ねる。タイタンの籠が満杯だったら無患子の身が零れていただろう。
そうだ、タイタンは自分の年齢を知らないはずだった。
別に隠すようなことでもないが、封筒を渡したディアンの意図が読みきれない今、なんだか勝手に気まずい気持ちになってしまう。
「・・・言っておくが合意の上だぞ。セレナさんが自分から渡してきた。保護区に行くなら自分のことはある程度知っておけと・・・。」
「別に責めないよ。僕だって保護区に行くならそうすべきだと思う。」
籠を担いだディアンがタイタンの隣を歩き始めた。実を零さないように掛けられた薄青い布が終わりかけの夏の風に揺れる。
「で、どうだった?」
「どう、って?」
「感想。どうだ、かつての自分は。なあ英雄。」
その声に、タイタンには正体の分からぬ郷愁のようなものが詰まっているように感じられた。
「・・・別に、あれが全てじゃないだろ。ただ、そうだな。俺はきっとやれることを全力でやっていただけで、英雄と呼ばれるのは・・・ちょっと気恥ずかしいし、そんな名は俺には似合わないと、思った。」
「ふうん。てっきり、俺には関係ないって、ばっさり切り捨てるのかと思ってた。」
かつての自分だったらそう言っていただろう。
ルーヴは死に、記憶を全く新しく塗り替えたタイタンが今ここにいる。
かつての相棒の剣も、記憶も、人間の体も失った。
ルーヴだったものを削ぎ落とした自分はもうルーヴではない。最早赤の他人と化したルーヴに抱く感情など、最早無であったはずだったのに。
「結局、他人だと切り離そうとしても、過去への執着は消えなかった。結局俺も、ルーヴの先に居るんだ。ルーヴは死んだが、ルーヴの歩いていた道の先に俺は立っている。それを、認めることに決めた。俺が捨てたものは大切なものだった。死んだルーヴは価値ある人間だった。・・・それを認めるのが怖かったはずなのに、認めてみたら少しだけ気が楽になった。英雄呼びは気恥ずかしいけどな。」
ディアンは隣を歩くタイタンの、憑き物が落ちたかのような表情を覗き込んだ。
そして、やはりタイタンは輝かしい男だと、それをありありと理解させられる。
記憶を失おうと、この英雄の背にはいつだって太陽が輝く。追い風が吹く。
その瞳に輝く楔色は輝きを失わない。英雄は決して歩みを止めることはない。
過去を認められず、切り離し、今こうして闇に葬ろうと奔走している自分は、ただ彼を追ってとぼとぼと情けなく歩くことしか許されない。
「そうか。そう思って、くれるんだ。」
ディアンは小さく笑った。劣等感に満ちているはずの胸は、何故だか暖かい。
「お前が、お前を切り捨てないでいてくれるのが、僕は、嬉しい。」
「ディアン?」
ディアンの心に凪いでいる郷愁。その意味を、タイタンが問おうとした。
だが。
「チッ。伏せろディアン。なにか・・・居る。」
「はあ?何かって。」
言われるままに茂みに伏せるディアンが、小声でこちらに問いかけてくる。
「メモに書いてあっただろ。この時期の南部の木は甘い木の実をつけていることが多い。野生動物には気を配れ、よそ者扱いの俺たちは尚のこと気をつけろと。」
そう言われても、ディアンには魔道を帯びていない野生動物の気配など分からない。
タイタンの睨む方向をじっと見てみれば、馬鹿野郎変な気配を出すなと咎められるし。
でも、きっとタイタンが言うのだから正しいのだろうと、じっと茂みの中で息を潜めていた。
すると。
「・・・ひっ。」
一体どうやって隠れていたのだ。タイタンの睨んでいた茂みが立ち上がり、のそのそと川の方向へと歩き出した。
葉だと思っていたものは毛皮。枝だと思っていたものは牙。
先ほどまでディアンとタイタンが歩いていたそのすぐ隣にあった茂みは、大きな猪の形になって動き始めた。
「うっそ、だろ。なんだあれ。あんな生き物アリかよ。」
猪は小柄なディアンなら一撃で薙ぎ払われてしまうであろう巌のような巨体。いや、タイタンだって大怪我を負うに違いない。あれだけ大きいと猪ではなく象のようだ。
もし誤ってあの茂みを踏んだりなどしたら、どれほどの惨事になっていたかなど、想像もしたくはない。
猪は一度、茂みの中のディアンの目をじっと見つめ、そして興味なさげに目を逸らす。その間もディアンの心臓はどくどくと脈打っていた。この生き物が自分の上に立っていると、それを嫌という程理解させられる瞬間だった。
そして猪の背中が遠くに去るのを見届けて、ディアンとタイタンは茂みから這い出た。
「野生動物って、あんなに怖いものなのか・・・。」
自分たちと違うルールで生きている生き物というのは恐ろしい。自分の道理が通じない存在というのは恐ろしい。
そう思い、心底怯えて震え上がるディアンを横目に、タイタンは澄まし顔で。
「・・・ひょっとして。セレナさんがこの間言っていたのは、あいつのことか。」
「この、間・・・?」
「ああ。突然変異した猪が南部で繁殖しすぎて困っているのよ、と。夏のうちに狩りに行かないといけないと、セレナさんが罠の準備をしていた。・・・・・ふむ。」
タイタンが背負っていた籠を地面に置き、背中の剣をちゃきちゃきと試しに動かしている。
まさか、嫌な予感がする。
「喜べディアン。きちんと血抜きをした猪は美味いからな。今日もステーキが食えるぞ。」
ニヤリと笑ったタイタンは完全にやる気だ。久しぶりに思い切り剣が振れるとやる気十分のタイタンを必死でディアンは引き止める。
「嘘だろ。いや、いやいやいやいやいや!!この森の動物はセレナの友達なんだろ!?狩っていいのか!?」
「生きるための最低限の狩りはするさ。それに、一部の生き物が繁殖しすぎるとセレナさんが必死に均衡を保ってきた生態系が崩れる。繁殖しすぎた猪に食われて、南部の貴重な野生の稲植物が絶滅しかけているらしい。それを放っておけば稲を餌にする他の動物が飢えるんだ。まあ、1匹狩ったぐらいで変わるものでもないかもしれないが、見過ごす理由はないな。」
タイタンはすっかり野生で生きるものの思考に染まっているらしかった。
与えられるまま、保護区の配給物資で生き続けてきた自分とは、違う世界を生きている生き物が隣に立っていた。
いや。果たして自分のそれを生きていると呼んでいいものか。
人間として正しく生きているのは、いや正しいとかどうとかは関係ない。
ディアンは、保護区の生活よりも、タイタンのこの生き方のほうが好きだと、そう思った。
「・・・本当に美味いんだろうな。獣の肉は臭くて食えたものじゃないって聞いたことがあるけど?」
「血抜きを失敗すればそうなる。安心しろ、今はセレナさんより上手くできる。」
諦めたように、ディアンもポケットの鏃を取り出し、手に握った。
「痺れ薬は使うなよ。」
「あれは魔道でやってるんだ。気づいてなかったのか間抜け。」
タイタンと軽口を叩きあっていると、それだけで緊張が解ける。
タイタンの背の大剣が太陽の光を反射して輝く。ディアンの鏃がそれを浴びて鈍く光る。
劣等感に満ちていたはずだった自分。背を丸めて瞳を翳らせることしかできなかった自分。そのはずが、“英雄”の隣に立つ、ただそれだけで自分が誇らしく思える気がした。
でも勘違いするな。たまたま、いろいろな偶然が重なって今、隣に立っているだけ。僕が強くなったわけじゃないんだ。
猪は、川で水を飲んでいた。
残暑の蒸し上げるような気温は、毛皮だらけの体では余計に暑い。油断した瞬間。足に灼熱が走る。
「動きは止めたよ。頼むタイタン。」
声に驚いて振り向くと、背後に立つのは先ほどこちらに怯えていた、小柄な人間だった。
この野郎。そちらに向かって飛びかかる。
足が潰されたからなんだ。
自分にはこの牙がある。あんな細い体、この鋭い牙でなぎ払ってやればそれでおしまいだ。
そう思って走り出した猪の巨体に、影が落ちる。
見上げたその上空。
気配など全くなかった。だがきっと先ほどから自分に狙いを定めていたのだ。
そこに居たのは、先ほど、怯える人間の隣で自分をじっと威嚇していた、狼。
「悪いな。」
太陽にきらきらと煌めくグリムメタル。
大剣は断頭台だ。ギロチンの刃が猪の頭を滑らかに切り落とす。
がつがつがつ。
作業場でペンを走らせていたセレナの耳に入ったのは、遠慮のない2人ぶんの足音。
まだ外が明るいというのに、ああやっと帰ってきた、という気持ちになる。どっと吹き出した安堵に押され、座り込みたくなってしまうが、彼らの無事な顔を確認したい気持ちが優った。
お使いは無事に終わっただろうか。怪我はしていないだろうか。ああ無事に帰ってきてくれてよかった。
疲れているだろう2人を労おうと、セレナは玄関に走る。
「お帰りなさい!大丈夫だった・・・って、ええ!?」
ぼふん。背中から飛び出した羽根が玄関先に飾られていた花瓶を吹き飛ばす。
「ねえ、貴方たち、何をしてきたの!?血塗れになって・・・木の実を取りに行ったのになにがどうしてそうなるのよ!?」
わなわなと震えるセレナの唇。
彼らに憎まれ口を叩く元気があることを理解した途端、今度は苛立ちが込みあげてきた。
セレナだって、森について無知なタイタンとディアンを1人で送り出して心配だったのだ。
その上驚いて花瓶を割ったのはタイタンのせいなのに、出会い頭に叱り飛ばされたとなるとムッとするのも当たり前のことで。
「猪が繁殖して困ってただろ!?なんで怒るんだよ!」
「いや、これはどう考えても悪いのはタイタンだって。血塗れの男が猪抱えて玄関に立ってたら普通はびっくりするって。」
そういうディアンも猪の血を浴びて血塗れ。
体の倍近く大きな猪を楽々担いだタイタンは、セレナが喜ぶと思っていた予想を裏切られて少々・・・いや、かなり不服そうだ。宛ら玄関にネズミの死体を並べる飼い猫か。
怪我はなさそうなこと、ふたりは血塗れだが背中の籠には教えた通り無患子の実が山盛りになっていることに安堵し、セレナの背中の羽根はすぐに消えた。
「・・・はあ。もう、驚かさないで。血抜きをしたなら川で血を落としてきなさいよ。すぐに血を落とさないと服にこびりついて取れなくなるじゃない!」
「・・・乾かしてくれるあんたがいないからな。猪を捌くのは俺が1人でやる。ディアンに薬液作りを教えてやってくれ。」
がつがつ、わざと大きな足音を立てて、タイタンは再び外へと出て行こうとする。
「待ちなさい、先に血を落として・・・いえ、せめて着替えてからにして頂戴な!」
「止まらない止まらない。あの服は諦めたほうがいいよセレナ。」
同じく血塗れのディアンは心底愉快そうに、むくれたセレナとそれを拗ねて無視するタイタンを見て笑っている。
「もう、笑い事じゃないの!人がせっかく作った服をすぐ汚して!タイタンのお馬鹿お馬鹿お馬鹿ーーー!」
ついに爆笑したディアンの背中、玄関から午後の光が差し込む。
「おら。捌いたぞ。」
ドン。
ディアンと一緒に無患子を擦り下ろしているセレナの目の前に、乱雑に肉の塊が置かれる。
もう夕方。帰ってきてからかなり時間が経っているというのに、タイタンは大人気なくまだ拗ねているようだった。
「ええありがとうタイタン。残りは冷凍しておけばしばらくお肉には困らないわね。」
感謝の言葉と裏腹にセレナはタイタンの方を全く見ない。
「まだ拗ねてるの、タイタン。」
「拗ねてない。」
タイタンはそのままタオルを担いで風呂場に消えていった。
ガツガツとした音が風呂場から響き、彼の不機嫌をそのまま表している。
「・・・セレナ。タイタンのこと褒めてやってよ。素直じゃないけど、セレナが困ってるから頑張ったんだよあいつ。」
「・・・ええ、ええ。そうね。私もつい言いすぎたし・・・ディアンの前でタイタンのプライドを傷つけるような真似をしてしまったし。」
そこでどうして僕が出てくるんだ。疑問符がぽんぽんとディアンの頭上に浮かぶ。
セレナは、そんなディアンを見て僅かに笑った。
「きっと弟ができたみたいな気持ちなんでしょうね。いつも私に弟みたいに扱われてるタイタンだから、森の先輩として頑張りたくて・・・私の為ってのも嘘じゃないけれど、ディアンに美味しいものを食べさせてあげたかったのよ、きっと。」
タイタンはぶきっちょだから。
そう言ってセレナは立ち上がって包丁を握った。
「僕のため・・・?」
「ええ。森の外だとあの美味しくもない硬い簡易食ばかりなんでしょう?ここにいるときぐらい美味しいものを食べて欲しいって、そう思ったんじゃないかしら。それに、貴方を危険な計画に巻き込むことに罪悪感を感じていたみたいだったもの。」
ディアンはかなり驚いた。
自分はあくまでタイタンの協力者に過ぎず、タイタンに憧れていたのは勝手な自分の感情で。
ただそれだけだと思っていた。
タイタンが自分を信頼しているのは分かっているつもりだったが、それを除けば自分はセレナとの蜜月を邪魔する不届きもの程度にしか思われていないと、そう思っていた。
「ふふ、昔は違ったけれど・・・今のタイタンは私とちょっと喧嘩したくらいであんなに拗ねないから。」
嘘だろう。ええ。タイタンがあんなに拗ねたのは、セレナが怒ったからではなくて。
「・・・・・セレナ。薬液はまだ無くなるわけじゃないんだよね?別に急ぐわけでもないなら、今は料理を手伝ってもいいかな。」
ディアンは勇気を出して、セレナの背中に声を掛けた。
料理などしたことはない。初めてだ。
「あら。・・・ふふ、いいわよ。猪といえばね、タイタンが大好きな料理があるの。作ってあげたらきっと喜ぶわ!ええ、2人で作ったら、もっと喜んでくれるわね!」
セレナはそう言って、畑で採れた葉野菜をどっさり取り出した。
気合十分のセレナは、名前もよく分からない青々とした野菜とキノコをどんどんテーブルに並べていく。
魔法のように次々出てくる食材たちに目が回りそうだ。
「ふふ、包丁は使える?食べやすい大きさに野菜を切ってザルに入れていって頂戴。ええと・・・夏だから土鍋は仕舞ってしまったのよね。」
「土鍋?」
鍋料理をするのだろうか。夏に鍋とは、ずいぶん季節感がないような気がする。
セレナは慣れた手つきで肉とキノコを切っていく。
見よう見まねでディアンも包丁をとんとんと下ろす。時折アドバイスを受けながら、ザルいっぱいに切られた野菜が盛られたところで、がたりと、風呂場のドアの向こうから物音。
「タイタンが来ちゃうわ!ふふ、急がなきゃ!」
セレナに言われるまま、鍋に野菜と猪肉を詰めていく。
そしていつのまに用意していたらしい、茶色く濁った鍋のダシ汁を鍋に回し入れ、ガタンと慌てて蓋を閉める。
かちり、コンロが点火した。同時に風呂場のドアが開き、髪を湿らせたタイタンがのそのそと風呂場から出て来た。
「タイタンおかえりー。飯はもうちょっと待ってくれ。」
「・・・・・ん。」
風呂で多少気分も解れたらしい。先ほどのような尖った雰囲気は和らいでいた。
横目で様子を伺うと、タイタンはコップに注いだ冷たい水を、今のソファに座ってぐいぐいと飲んでいる最中。
キッチンに背中を向けているが、その背中は少々力なく丸まっている。
多分これは、謝るタイミングを逃して困っているだけだ。だが普段はそういう時に察して自分から謝るセレナは、副菜の和え物を作るのにかかりきり。
いくらタイタンを喜ばせようと料理を作っても、肝心の本人がこの調子では。
その時、鍋からぼこぼこぼこ、と音がなる。
不穏な音に、ああ、何か大切な料理を失敗しただろうか、初心者の自分が手を出さなければ、と不安が込み上げる。
ディアンが思わず小さく竦めた肩に、セレナの優しい声が、とん、と届く。
「大丈夫大丈夫。美味しくできてるわ。いい匂いがして来たもの。」
セレナの言った通り。土鍋の蓋の端から煮汁が泡立ち、野菜と肉の良い匂いをこちらまで運んで来た。
勿論それは居間のソファの辺りまでも届く。ぴくり、とタイタンの背中が揺れる。
「セレナさん、それ。」
タイタンが驚いて振り返った。一度しか食べたことのないはずの鍋の匂いを、タイタンはしっかり覚えていた。
「ふふ。初めてタイタンに猪肉を食べさせたときに、これを作ったものね。まだタイタンがここに来たばかりのころ、猛吹雪の日に・・・美味しいって言ってくれた猪鍋!」
セレナもタイタンも、よく覚えていた。
味噌なんて見たこともないタイタンは、その怪しげな見た目の調味料に不安そうにしながら調理を手伝い・・・恐る恐る一口食べて目を輝かせた。
なんだこれ、すっげー美味い!今までの料理で一番好きかも。
その後タイタンはセレナが猪を狩ってくるたびに鍋をせがんでいたが、鍋は冬にやるものだから、とその度説得されていた。
「折角タイタンが頑張ってくれたもの。・・・ごめんなさい、さっきは言い過ぎて。ディアンと私のためにいっぱい頑張ってくれたんだものね。」
「やめてくれ、そんなあやすみたいな言い方・・・。その、俺も驚かせて・・・・・悪かった。」
タイタンは再びそっぽを向いてしまった。こちらから見える首筋が真っ赤なのは、きっと風呂上がりだからだ。そういうことにしておいてやろう。
「僕も揶揄って悪かったよ。お詫びにセレナと一緒に慣れない料理を頑張ったんだから、機嫌直して。」
「なんだ急に。あんたが素直だと気色が悪い。」
「失礼な。この美少年になんて言い草だよ。」
セレナと随分態度が違う。やっぱりセレナの発言は勘違いだったのではないか?
だがその暫く後、タイタンがぼそりと、
「シャワーしか浴びてないだろ。今日は湯を張ってるから夕飯まで浸かってこい。・・・仕事に戻ったら、ゆっくり湯に浸かる機会なんかないんだから。」
そう言ってふわふわのタオルをこちらに投げてきた。
その不貞腐れた表情が単なる不機嫌ではないことぐらいは、流石に分かる。
風呂上がり。
テーブルには湯気を立てるほかほかの土鍋と、和え物が入った小鉢が並んでいた。
くたくたに煮えて味の染み込んだ野菜と、とろとろに脂身の溶けた薄切りの猪肉。
味噌の甘い香りが食卓を満たしている。味噌など食べたことのないディアンだったがその料理を警戒することはなかった。
ちなみにタイタンはディアンが風呂から上がるのをきちんと待っていた。
遅いぞ、といつも通り掛けられた声だが、その声の端に滲む優しさにディアンは気づくことができるようになった。
「・・・いただきます!」
手を合わせ、頂いた猪の命にきちんと感謝を。
行儀の良いディアンの声に、今か今かと鍋に匙を伸ばそうとしていたセレナとタイタンは固まる。
そして己を恥じたふたりはいそいそと椅子に座り直し、手を合わせた。
「・・・いただきます。」
鍋の締めに麺まできっちりと用意されていた。
大食漢のタイタンが満腹になるくらいだ。少食のくせについ食べ過ぎたディアンは疲れもあったのか早々にソファで眠ってしまった。
そんなディアンをベッドに運んだタイタンもそのまま自室に篭ってしまった。同室のディアンが眠っているのだから、きっとタイタンも早々に眠ってしまっただろうと思う。
皿洗いを終えたセレナは、物音を立てぬように細心の注意を払い、鞄に食料を詰める。
掻い潜る人目が増えたのは辛いが、それでも、森の外で秘密の友達が食料を待っている。
セレナはそっと家の扉を開き、南部へ向かって歩き出した。
「ごめんなさい、ピピ。また、遠くに行かなくてはいけないの。前みたいにいっぱい保存のきく食べ物をもってきたから・・・。」
「なんで。なんで。ぴぴ。さみしい。せれな。さいきんおでかけばっか。り。ぴぴ。つまんない。つまんない。」
西方探索の後も、ピピはご機嫌斜めだったが・・・今回はますますご機嫌斜めだ。
いつも通り話しているうちはご機嫌だったのだが、今はきっと口の端を尖らせているに違いない。不貞腐れた声で、セレナに不満を漏らしていた。
「その、私ね。頑張らなくちゃいけないの。タイタンとか、ディアンとか、お母様とか。この森とか・・・守りたいものが、いっぱいあるの。だから、頑張るの。」
「ぴぴ。せれな。ぴぴ。わかんない。たいたん。くまやろう。きょうも。せれな。こまらせた。」
「意地悪じゃないわ。確かにタイタンは素直じゃなくて怒りん坊でプライドばっかり高くて面倒臭い困ったちゃんだけれど。タイタンのそういう可愛いところ、私は嫌いじゃないわ。」
「でも。でも。せれな。いつも。いっぱいがまん。してる。ぴぴ。」
どきりと心臓が跳ねた。
この純粋な少女との問答はセレナの本当の気持ちを浮き彫りにする。
「でも今日は、私だって悪かったわ。頑張ってくれたタイタンを無下にするようなことをしてしまって・・・それに守りたいのはタイタンだけじゃないもの。大好きなお母様の、ことだって。」
くるくる。怖くもなんともなかった崩落の奥底。覗き込むと今は目眩がする。
くるくるくるくる回った視界の奥。無邪気な声がセレナを貫いた。
「ぴぴ。うそ。せれな。ほんとはおかあさま。だいきらい。」
「・・・・・ッ!」
頭の血が、下がっていく。視界が、ばちばちと点滅する。
「なん、で。私、そんなこと、一言も貴方に。」
「ぴぴ。わかるもん。おかあさま。いじわるする。もの。ぴぴ。だったら。きらい。」
「意地悪なんかされてないッ!!私はお母様に愛されているわ!!!」
セレナの血を吐くような絶叫が、崩落の奥底へ、落ちていく。
それは触れてはいけない琴線だ。セレナの逆鱗だ。カッと血の上った頭に、涼しくなってきた夜風が優しく吹き込む。柔らかく髪を撫でて、吹き抜けて行く。
・・・やってしまった。ピピを驚かせてしまった。
「ごめ、んなさい・・・わ、私・・・。」
さーっと青ざめたセレナは小さな手で頰を覆う。指の隙間から覗く月光は今にも雫を零しそうに潤んでいる。
「いいよ。ぴぴ。せれな。やさしい。しってる。わ。でも。せれな。いっぱい。がまんしてる。しんぱい。ぴぴ。いないとこで。たいへん。ぴぴ。」
誰もいないはずの崩落の淵。だが、ピピの無機質な声だけは、そっとセレナに寄り添う。
「たいたんは。くまやろう。こまったちゃん。ぶきっちょ。おかあさま。いじわるする。でぃあ。ん。は。せれなから。たいたん。とろうとする。みんなみんな。せれなに。いじわるばっかり。なのに。ぴぴ。」
セレナの疲れ切った心に、浸透する優しい声。
「なんで。せれな。がんばるの。まもるの。ぴぴ。わかんない。わ。」
「・・・心配してくれてありがとう、ピピ。」
でもそれは、違う。
その心配は杞憂だ。だって、あの人たちと一緒に過ごしていると、こんなに胸が暖かい。
もう一人ぼっちになりたくないと、人間嫌いのはずだったセレナがそう願ってしまうくらいに、あの家での暮らしは幸せだ。
「タイタンが意地悪なのは、本当は優しいけど素直じゃないだけ。お母様は私を沢山守ってくれたし、優しいディアンは計画のために仕方なく私に隠し事をしているだけだもの。ピピにはつい愚痴ばかり言ってしまうから、そう思うかもしれないけれど・・・ふふ、ええ、私は優しくて可愛いみんなのことが大好きよ。その気持ちは嘘でもなんでもないわ。」
「せれな。」
可愛い可愛いピピに、セレナはそっと微笑む。
「ごめんね、ピピ。もう行かないと。お家にいっぱい人がいるから・・・あんまり長くいると、ここに来ているのがバレて、もう貴方に会えなくなってしまうかもしれないもの。」
「やだ。やだ。またせれな。とおくにいっちゃう。」
縋り付くような声に、セレナはそっと手を伸ばす。
「大丈夫。絶対帰ってくるわ。私を信じて。」
「ほんとに。ぴぴ。」
「本当に。貴方を置き去りにするわけないでしょう?他でもない、貴方のために絶対に帰ってくるから。待っていて。約束。」
しばらく、声が止んだ。
そして、泣きそうな、優しい優しい、友達の声。
「やくそく。ぴぴ。」
遠く遠く、穴の底。その手は届かないが、確かに指切りは交わされた。
一歩、一歩。踏みしめて。しかし足早に。
自宅へと戻る道中、彼女は確かに決意する。
この世界を救う旅路の果てで、どうかあの心優しい友達が、再び太陽の下で笑って生きられる世界を取り戻すのだ。




