生存競争
もうすぐ雨が降るのだろう。
熱気で蒸しあがった雨の予感が肌を湿らせ、じわじわと気持ちが悪い。
タイタンは小さく眉を寄せ、籠いっぱいの洗濯物を外に干すことを諦めた。
湿気が気持ち悪く思うのはどうやらここにいる2人の人間だけのようで、辺りの樹木に巻きつくツタは今日も元気いっぱいにその両腕を広げ、貴重な天からの恵を乾いたからだに受け止めようとしている。
そう、ここは西方。
馴染み深い北部の森を離れて、もうすぐ3日ほどになる。
愛しの真白の少女は今日も埃のかぶった本棚の書籍と格闘中で、少々艶をなくしたタイタンの毛並みには全く気づいていないようであった。
お母様の別荘は、やはり別荘というだけあって一通りの生活器具は揃っている。
北部の家ほど便利ではないが、石鹸があれば温かい湯で身を清めることができるし、少々カビ臭いが布団は暖かく柔らかい。
鞄いっぱいに食料を詰め込み、2人は西方の小さな小屋に1週間ほど滞在することを決めた。
部屋は小さな寝室と小さな風呂場とトイレ、あとは本棚と研究資料に埋め尽くされた大部屋がひとつあるだけ。
長年使われていなかっただけあって部屋の何もかもが埃まみれ、カビだらけだ。
流石にこんな環境で長時間生活したら体を悪くする。だというのに構わず埃の山の中に顔を突っ込み始めたセレナの身を案じて、タイタンはひたすらこの別荘の掃除に専念していた。
勿論止めた。掃除が終わるまで待て馬鹿野郎と。だが止めても止まらないのだから仕方ない。
タイタンはとにかく窓を開け、布という布を片っ端から洗い、本が無造作に積まれたテーブルとソファの周囲を片付け、水垢の酷い炊事場を磨いて清潔にし、作業の後にセレナとくつろぐ為の場所を用意した。
タイタンの涙ぐましい努力の末、ようやく生活可能な拠点が仕上がったのが昨晩。その間セレナはぶつぶつと呟きながら麻布のノートに何かを書き込んでは床に寝転がって仮眠を取るだけの生活を繰り返していた。
「・・・セレナさんストップだ。ストップ。いい加減布団で寝ろ、飯も食え、シャワーでなく湯船に浸かれ、休め・・・休・・・ああもういい面倒臭い・・・」
「わ、わわわわわタイタン・・・!?」
唯でさえ不健康に見えがちな真白の肌はますます血色が悪い。ただ一点、ぎろぎろと血走った瞳がアンバランスで痛々しい。美人は弱った姿も美しいなどとは冗談でも言えない。
まるで内臓が抜け落ちたかのような体の軽さに内心ぎょっとしながら、タイタンは無理やり担ぎ上げたセレナを湯を張った浴室に投げ込み、戸を閉めた。
背中で抑えた扉の向こうから、どんどんと暴れる音。
「忘れちゃう、忘れちゃうわ!せめてメモさせて頂戴ーーー!!」
「煩い。さっさと湯船に入って出てこい。」
数分の抵抗の後、諦めたように衣擦れの音が聞こえたのを見計らい、タイタンは慣れない炊事場に立った。
セレナが読んだ限り、別荘にある情報は魔道人形の作り方を記したものばかりだ。
恐らくはジャグーンはここで作られたのだろうということは察せられた。
あれほど精巧な魔道機械をつくるのは、いくらお母様でも独力では難しかったようだ。どんな手段で用意したのかは知らないが、森の外から旧型の機械人形を一体持ち込み、それを分析し、新たな機能を盛り込んで作り上げた機械人形がジャグーンであったらしい。
「・・・そのオリジナルの魔道人形は解体して壊してしまったのかしら、いいえ。お母様は絶対にそんなことはしないもの。きっとこの森のどこかで生きているわ。その子に会えたらまた何か新しいことも分かるかしら。いえ、いえ・・・それは今考えても仕方ないことだわ・・・。」
昨晩から振り続ける雨は西の大地を洗い流さんとばかりに降り注いでいた。
初日より遥かに快適な気温になった別荘の中、セレナは次の本へと手を伸ばす。
空が灰色だと、まるで家の中の空気さえ灰色になったかのような気持ちになる。
体が重だるい。少しだけ昼寝をしてしまいたくなる気持ちを抑え込む。
「頑張らなくちゃ・・・と言っても。もうこの本棚は殆ど読み尽くしたけれど、見知った機械技術のことばかり・・・全部もうお母様に教わっていることだわ。紙束はジャグーンの設計図のようだし・・・本当にここにヒントがあるのかしら?」
そもそも、大前提として、ここはジャグーンの試験を突破した後に辿り着くはずだった場所だ。この埃臭い本たちはジャグーンから何かしらの知識を与えられた上で読むべき書籍たちだ。
やはり、この探索は無茶だったのだろうか。ジャグーンを失ったことは取り返しのつかない損失だったのだろうか。だとしたら・・・。
ごん、と頭を本の背で叩かれた。本人は手加減しているつもりだろうが、大男の手加減などセレナから見れば全力と大差ない。ひりひりと痛む頭を抑え背後に立つ男を睨みつけた。
「何よ!何にも悪いことなんかしていないわ!」
「・・・昨日と何にも変わっていないじゃないか。」
むしろ半端に休ませたせいでよりパワフルになってしまっている。違う。タイタンはそんなことを言っているのではない。
その妙に血走った目を、普段より早回しの話し口調を、やめろと言っているのだ。
「だって・・・あ、この紙束。今までのとラベルが違うわ。」
「無視するな。」
タイタンが適当に手に取った、セレナを諌める為に使われた赤い背表紙の本。
紙束の上に置かれていたそれを動かしたことで、今まで目に留まらなかった”ラベル”が見えたらしい。
「これを読んだら休憩を入れるわ。少しだけ待って頂戴。」
口早に窘められ、タイタンは不機嫌そうに黙り込んだ。
タイタンにはラベルどころか紙束を纏めるクリップもホッチキスも見えない、ただの紙の山から10枚ほどの用紙を迷いなく掴み取り、それに目を通し始めた。
やはり、ここの書籍にはなにかしらの魔道的措置が施されているようだった。
居間を少し片付けようと紙の山を運び出そうとした時に「資料と資料を混ぜないで頂戴!」と叱り飛ばされ、タイタンは首を傾げていた。セレナにはこの意味のない無造作に積まれた紙束も、整理整頓された資料の保管庫に見えるのだろう。魔道を極めた故の能力・・・魔道の構造を理解する能力。相変わらず彼女はタイタンと別の世界を見ている。
「タイタン。ビンゴよ。見つけたわ。」
「はあ?」
「その赤い本、きっと開いてもなんにも書いていないわ。隠匿の魔道を仕掛けた蓋みたいなものなのね。意図的に手に取ろうとしない限り、この紙束を気にも留められないんだわ。どうして貴方がその本を手に取れたのかは分からないけれど。」
言われた通り赤い本を開いてみると、セレナの言う通り、そのページは僅かに発光するばかりで文字など1つも書かれていなかった。
「その資料には何が書いてある?」
「崩落と結界のこと。・・・結界は崩落が好んで食べるエネルギーを秘匿する”対生物結界”だと、そう、書いてあるわ。」
セレナが炊事場に立つのは久しぶりだった。
セレナが3時のおやつに用意したのはパンプディング。
セレナが食事を食べないせいですっかり乾燥して硬くなってしまったパンを切って、器に並べて卵液を注ぎ、あとはオーブンでじっくりと焼き上げるだけ。
タイタンはセレナの菓子が焼けるまでを待つ時間が好きだ。2人で時折オーブンの中身を覗き込みながら、暖かいお茶を口に含んで取り留めのない話を繰り返す。
だが今日ばかりはそんな穏やかな気持ちではいられなかった。
セレナはオーブンの扉をそっと閉じると、質素な真っ白のティーカップが2つ用意された居間のソファに座った。
「・・・整理はついたか?」
「ある程度はね。これからあの下の資料を読んだらまた何かわかると思うけれど、現状分かっていることだけを簡潔に話すわ。」
セレナに説明をさせる、というのは良い案だったかもしれない。
情報共有が大切なのは何よりだし、セレナもタイタンに伝える為に情報を纏めようと、自然と思考を落ち着かせる。
「ええと、まず、崩落の原因は生物よ。今この世界の地底深くには巨大な生物が住み着いているのね。最初は無力な微生物に過ぎなかったそれは地底を掘り進んで巨大なエネルギーの海・・・地球の内核まで辿り着き、そこでゆっくりと成長した。そしてそこのエネルギーを食い尽くし、次は人類に標的を向けたわ。」
「・・・ああ待ってくれ、もう理解が追いついていない。生物、だって?6000℃の熱に耐えきる、生物?」
あまりにさらりとセレナが告げるので受け入れそうになってしまった驚愕の事実を、タイタンは慌てて吐き戻した。
「・・・俄かに信じがたいものは貴方だって山ほど見てきたでしょう?」
「そ、れはあんたのお母様が作ったわけのわからんものだろうが!2000年前にそんな意味のわからん生き物が突然現れて地面を掘り進んで、地球の内核を食い尽くしてしまっただと?そんなことが起きたら地球はどうなるって言うんだ!」
「さあ、どうなのかしらね。でも事実、私たちはこうして生きているもの。それはそこまで大事な話では無いわ。謎の生物は内核を喰らい尽くしたことで肥大して、地上に戻れなくなってしまったわ。だから一生懸命に息を吸って、地球に大穴を開けるのね。6000kmの地底の下で、人間を探して、そこを狙って大穴を開けて、飲み込むのよ。それを繰り返した結果がこの滅亡。・・・全く、最悪ね。憎むべき災厄が、まさかただの生存競争に過ぎなかったなんて。」
そこで初めて、セレナの表情が僅かに歪んだ。
「人類は生存競争に負けた、ということなんだろうな。」
永劫に思えた人類の繁栄は、たった1匹の微生物の食事行為によって崩壊した。
摂理に打ち勝ったと思い込んでいた人類もまた自然の循環の中で生きているに過ぎなかった。
だからといって滅びを受けいれるわけではない。やることは1つも変わらない。
こうしてタイタンとセレナは今生きている。まだ滅んでなどいない。ならば抵抗する。
人類最後の抵抗の手段が、この森には残されているのだから。
「・・・他に結界や計画については何か書かれていないのか?」
「結界は崩落に飲み込まれないよう、エネルギーの存在を隠すものに過ぎない、ってことくらいかしらね。だから、簡易結界なんてものを容易に量産することができたんだわ。崩落の発生を強制的に封じているなら難しかったでしょうけれど、ただあるものを隠す程度の魔道なら、保護区の結界に込められた無尽蔵の魔力を枝分けしてやればいいだけだもの・・・。だから簡易結界を見ても何も分からないんだわ。あれはやはり子機に過ぎなくて、親機を見ない限り本質なんて見抜けない・・・・・ええと、んん?」
「説明してと頼んだのに申し訳ないが、魔道具の話をされても俺は何もわからん・・・。」
「だって、だって・・・じゃあ、エネルギーって、何?」
セレナが投げかけてきた純粋な疑問。タイタンは僅かに言い淀むが、すぐに言葉を返した。
「何って・・・熱量だろう?そのままの意味じゃないか?」
「ならどうして崩落が最初に飲み込んだのは女神像だったの?単に人が多い都市にあったものだから?いえ、いえ。絶対に違うわ。熱量が欲しいなら、活火山だとか・・・とにかくもっと狙うべきものが別にあるはずだわ?いくら大量でも、熱量を集めるために人を食らうのはあまりに効率が悪いもの。」
「それ・・・は・・・。でも、最初に微生物が食らったのは、地球の内核、で。」
重大な情報を掴んだと、内心舞い上がったのは一瞬。分かれば分かるほど、次の疑問が湧いてくる。
チン、と気楽な音が鳴る。パンプディングが焼け上がったようだ。
考え込んでしまったセレナの目の前に、蜂蜜をたっぷりかけたパンプディングを、どん。わざと大きな音を立てて置いてやった。
「頭を回すなら糖分を摂ってからだな?」
「・・・・・それ、どころ、じゃ。」
ごくり。セレナの目がきらきら輝き、生唾を呑み込んだ喉がゆっくりと上下する。
全く、彼女の人らしい姿を見るだけでこうも安心する日が来ようとは。
「ちょ、ちょっとだけよ。・・・もう、子供っぽいとか思ったでしょう、貴方。」
「別に。女の子らしいんじゃないか。」
「・・・また、心にもないことを言って。」
ふん、と拗ねたようにセレナは口いっぱいに熱々のプディングを頬張った。
全く冷まさなかったが、熱くないのだろうか?
「どうせ私は色気の1つもない”がきんちょ”よ。お姉さんらしさも可愛くもない。もういいわ、好きなだけ馬鹿にすればいいじゃない。」
「何も言ってないだろ。それに、あんたは可愛い・・・し・・・。」
口を滑らせた。余計なことを言った、とタイタンは直ぐに後悔する。
こういうときここぞとばかりに調子に乗ってこちらを揶揄ってくるのがこの意地悪い女なのだ。
最近ますます自分の恋情が加速しているのは自覚しているが、ついに口にまで出てしまった。
タイタンがそう思い頭を抱えていると、わなわなと震えるか細い声がぽつぽつと。
「な・・・にを言っているの。・・・・・お馬鹿。」
嘘だろう。タイタンがハッとして向かいを見れば、耳まで真っ赤になって照れたセレナが小さく俯いてフォークを握りしめた手を震えさせていた。
「・・・いや、何で本気で照れてるんだ!?そこは『私は絶世の美少女なのよ!』とか言って踏ん反り返るところだろうが!」
こちらまで照れくさくなるだろう、やめてくれ!とタイタンが絶叫するとセレナはがたんと立ち上がってこちらに詰め寄ってきた。
「私のことを何だと思っているのよ!?少女という歳でもないし絶世の美女でもなんでもないわよ!」
「いや美人には違いないだろう!あんたより顔が整った人間がこの世にいるかよ!」
「わーーーー!やめなさいやめなさい!貴方に褒められると背中がぞわっとするのよ!」
「失礼だな!?」
そこで思い出したのは、かつて酔っ払ったセレナが自分を散々揶揄ってきた時のこと。
そういえば、自分は心の中で可愛い、美人だ、ああ可愛いと彼女を讃えたことはあれど、それを口にしたことなどほとんどなかったのではないか?
「・・・・・確かに、今までの態度は反省すべきだな。うん。」
「へ、な、何・・・?」
確かに自分は優しいセレナを心から尊敬し、彼女に生きて欲しいと願っているが、それと同時にこの恋を成就させることもタイタンの大きな願いなのだから。
自分はセレナの生存のことばかり考えて、そちらを疎かにしていたな、と。
男なら男らしくセレナにアプローチをすべきだと、ようやく、全く遅すぎるくらいようやく、そこでタイタンは気づいたのだ。
「セレナさん。」
タイタンは思い立ったら即行動、真面目で真っ直ぐな男であった。
そう、クソ真面目な男タイタンは、セレナをじっと見つめ、彼女が食ってしまっている細い髪の毛をそっと指で取り払い、その仏頂面を変えることなく口を開いた。
「俺はあんたを美人だと思っているよ。甘いものが好きなところも可愛いし。」
「お馬鹿。」
べちん!!
「い、痛いな!?何だよ!褒めてやってるだろ!?」
セレナはそのままプディングの皿にスプーンを突っ込み、立ったままそれを食べつくすと、お茶を一口で煽り、再び本の山の中に隠れてしまった。
「何だよ!何で怒っているんだ!?」
せっかく人が慣れないことをして頑張ったというのに、全く信用されないのはどういうわけだ。
タイタンは若干落ち込んで、残された皿を片付け始めた。
「・・・セレナさん。」
「・・・・・。」
「セレナさん。これ以上の収穫はないだろう。いい加減諦めろ。」
あれから数日が更に過ぎた。
昨日の夜からずっと、セレナは既に何度も目を通した本に食らいついてため息を零しているだけ。
全く、こうも事態が逆転するとは。西部に行く前だったら、本に食らいついて呆れられていたのはきっとタイタンの方だった。
西部で収穫がなければ計画を諦めてもらうなどと、タイタンを脅していた人間とは思えない必死さであった。
「まだ。まだ、崩落が起きる条件なんか1つもわかっていないわ。ここにあの資料があったんだもの、関連するものがあるはずなの、なければおかしいのよ・・・。」
「・・・セレナさんのお母様は、セレナさんを成長させるための道筋を引いている。まるで宝探しのゲームのように、情報を小出しにしてあちこちに隠している。1週間も探して見つからなかったんだ。ここにこれ以上の情報はないだろう。」
タイタンだってセレナほどではないが探索を手伝った。粗方の書籍は読み尽くした。それでもそう思うのだから、セレナだってそのことは痛いほど分かっているはずなのだ。
それでもセレナはこちらを振り向くことはなかった。一心不乱に、もう何度も繰り返し読んだ書籍のページを捲っている。
「・・・そう思って、ここにある情報を見過ごしたら取り返しのつかないことになるわ。」
「セレナさん。あんたがここで必死になったところで、ジャグーンが帰ってくるわけでもないし、これから出る犠牲が減るわけでもない。」
図星だった。セレナの脳裏で沸騰した不安と怒りが噴出する。
「タイタン!」
小柄なセレナが掴みかかったところで、ぴくりとも揺らがぬ鋼の巨体。
「悪かった。俺が弱っていたからあんたは強がるしかなかった。傷ついてるのはあんたも同じだってのに、頑張ってくれて有難う。・・・その上で言う。これ以上は、無駄だ。」
わかりきっていたことだった。タイタンに突きつけられなければ止められなかった自分自身にも、まどろっこしいことを仕掛けるお母様にも腹が立って仕方なくて、吊り上がっていた目が少しずつ力なく潤んで、ぼろぼろと悔しさがこぼれ出す。
タイタンがいなかったら、あの資料すら見つけられなかっただろう。自分の無力ばかり思い知る。その度に呪いのようにジャグーンの言葉が蘇るのだ。セレナでは、無理だ、と。
もう無くしたくないと思った。もう何も奪われたくないのに、頑張っても頑張っても自分の理想の姿は遠いままで。いつもいつも、お母様の影ばかりが自分を追い詰める。
「ごめん、なさい。」
意地を張って引き伸ばした時間でどれだけのことができただろう。
セレナにこの時間を無駄だと突きつける辛い役目をタイタンに押し付けてしまったことが、ただ申し訳なかった。
「これ以上は無駄だと言っただけだ。あんたのおかげで、気づいたことがいくつかある。エネルギーの正体を、俺1人だったら熱量だと信じて疑わなかっただろうから。あんたのおかげでそれは間違いだと確信できた。」
「正体がわかったの!?」
セレナがはっとして期待の眼差しをタイタンに向ける。だがタイタンは浮かない表情で、とても事実がわかったというような晴れやかさはそこになかった。
「逆だ。俺たちにその情報を得る手段はきっと・・・もう無い。信じられないかもしれないが、きっとジャグーンが死ぬことをお母様は全く想定していないと、思う。」
「・・・嘘。」
だって、あれほど完璧なお母様だ。
どれほど難解な魔道具でも作り出してみせた。どれだけ傷ついた命でも救ってみせた。
そんなお母様だ。どんな可能性をも想定して、完璧にレールを敷いてくれているに違いないのだ。
「セレナさん。キツいことを言うかもしれない。構わないか。」
セレナは即座に頷いた。だというのに、タイタンは暫し迷ったように俯き、やがて決意したようにセレナをまっすぐ見据えた。
「ジャグーンも、あんたも、お母様を信じすぎだ。俺が見ている限り、お母様がそれほど完璧な計画を組んだとは・・・到底思えないんだよ。」
お母様に見惚れてしまった数多の森の住民たちは、その不完全さに、脆さに、全く気づけないのだ。だから狼はタイタンを選んだ。セレナの代わりにお母様の不完全さを見抜け、と。
お母様が用意したものなら完璧だろう、という先入観に囚われるな、と。
「・・・妙に切羽詰まっている、と感じる。まるで、本当はもっと用意する時間があったのに、何かが起きて、その予定が狂ってしまったかのような。だから足りないものを代用するために、狼やジャグーンに慌てて後を託した。セレナさんを完璧に育て切るのも本来お母様がやりきるつもりだったことで・・・狼やジャグーンに託した情報というのも、本来お母様が直接あんたに伝えるはずだったもの、なんじゃないだろうか?」
「貴方は、そう感じるのね?別に怒らないけれど・・・でも貴方がそう感じたのは、どうして?」
「ジャグーンが、本来狼が伝えているはずの情報が俺に伝わっていないことに相当焦っていたからだ。セレナさんもそう思わなかったか?」
何も、あの崖の下で2人で話した時だけを指しているわけではない。
例えば、狼の死を知る前。わざわざ、息災か、だなんて。大嫌いな狼のことをそう聞いて。
「・・・それは、思った、けれど。」
「情報伝達を代用する手段が本当にあるなら、あんなに焦るわけがないんだ。狼も、ジャグーンも、自分が替えの効かない部品だと分かっていたんだ。もし自分が死んだら、外敵の侵入する可能性がますます高くなるこの森に、絶対に書面では残してはならない重要な情報を・・・絶対に口を割らないだろう従順な僕たちにギリギリで託した。」
今後他の奴隷たちが現れたとして、ジャグーンの持っていた情報を持っている可能性は低いと考えて動いた方がいい。奴隷たちが互いにあまり情報共有をしていないのはジャグーンを見ていれば分かった。奴隷たちは他の奴隷に託されたものを、断片的にしか知らないのだ。
「書面にわざわざエネルギー、なんて、論文らしくないあやふやな書き方をしたのは、わざと。ジャグーンの与える情報がないと断片的にしか読み取れないようにしている・・・のね。ジャグーンの認めた人間しか、崩落の真実にたどり着けないように。」
1つ部品が壊れたら2度と修理のできない機械など、完璧と呼んでいいわけがない。
完璧なお母様が用意したものを完璧だと盲信していれば、いずれ本当に取り返しのつかない事態になる。
「・・・俺たちが犯したミスは俺たちの思っている何倍も重大なことだった。いや、狼が死んだ時点で計画は既に破綻し始めていたのか、あるいはもっとずっと前から計画の破綻は始まっていたのかもしれないが・・・とにかく俺たちは計画の破綻をより進行させてしまったんだ。」
「・・・ええ、分かったわ。認めましょう。話を次に進めて構わないわ。」
セレナはテーブルに腰を預け、足を組んだ。理路整然とした話を聞いているうちに自然と、焦っていた気持ちが落ち着いてきた。
そうだ、この男は、ただ家事をしている間も、常にその先を見据えていた。
「ああそうだ。大切なのは次の手をどう打つかだ。お母様の想定外の事態には、お母様の想定外の手段で対応する。・・・俺は改めて、ディアンの手を借りて保護区に向かうことを提案する。ジャグーンから得るはずだった情報を、保護区で手に入れることでカバーする以外に方法はないと思っている。」
この世界でこの森以外に結界の存在する唯一の場所。
結界を維持する為に、崩落の秘密を秘匿しているであろう機関。
この世界最大の人間の共同体に、こちらの情報を開示する代わりに、協力を取り付けた上で不可侵を結び、計画に必要な情報を提供させる。
「・・・いいでしょう。此の期に及んで私情で反対を挟むことはしないわ。だけれど、問題点はきちんと言わせてもらうわ。まず私たちは、協会に害なす行動を今まで躊躇しなかったということ。森に訪れたハンターは誰1人結界まで帰還していない。ハンター殺しの罪から逃れることは不可能でしょう。それでなくても、協会は結界の外に人間が暮らすことを、正式には認めていないもの。・・・貴方はハンター協会の記憶を無くしている。貴方の予想の何百倍も、この事実は重いということも、敵意を持たれるのも間違いないと思って頂戴。」
その認識が甘い自覚はあった。
「・・・ディアンと、元々の俺の地位、そして記憶を無くしていること。それを上手く利用しようと思っている。だが、そうだな、何となくそこは考えているが・・・ディアンと相談して決めるつもりだ。その答えはもう少し待ってくれ。」
慎重に考えなくてはならない。ディアンを巻き込むのだ。ディアンの手を借りるということは、ディアンの裏切りを白日の元に晒してしまう可能性を孕むのだ。
ディアンは協会に害なす犯罪者に手を貸した。
そういうことになったが最後協会でディアンは生きていくことができなくなる。協力を申し出てくれた彼を危険に晒す真似は避けたかった。
「そして、次。・・・そもそも協会を納得させられるだけの情報を西方の探索で手に入れられたとは私は思わないわ。私たちが西方で知ることができたのは、崩落が生物によって起きているという、協会も知っているであろう情報だけでしょう?私たちは未だ計画の全貌を知らないわ。知っていることと言えば、計画に成長した私が必要なことと、何か設計図があることぐらいでしょう?」
「そこはハッタリをかける・・・とか。」
「無茶を言うわね。嘘が通用すると、本気で思っているの。」
セレナは心底呆れたように言う。だが、協会の事情に疎いのはセレナも同じなのだ。
「恐らく、ディアンにセレナさんのの工房を見せれば・・・これは解決する問題な気がするがな。・・・まあ、とにかく。計画に真実味があると思わせられたら何でもいいんだ。そもそも俺たちはそこらの詐欺師では知り得ない、崩落が生物によって起きているという情報を持っているんだ。・・・さて、まだ何か問題になることがあるか?」
セレナは僅かに俯いた。
「あるわよ・・・あるにきまっているじゃない。」
相当、迷っているようだった。セレナはちらりと、タイタンの表情を伺い、その表情に一点の曇りもないことにため息をついた。
「貴方が心配に決まっているでしょう。貴方は自分の過去と対面することになるのよ。貴方が見捨てた数多の人間と対面するのよ。貴方がどういう気持ちでそれに立ち向かうの?」
「・・・セレナさん。あんたを守ると誓った今、俺はもう迷わない。俺はもうハンターじゃない、俺はタイタンだ。この森の住人で、あんたの剣だ。気合いと熱意で何とかするさ。」
・・・タイタンのこういうところが好きだけれど、今は本当に気に食わない。
「気合いだとか、根性だとか。貴方のそういう所、今すぐ直して頂戴。」
「む。わ、悪い。そんなに嫌だったか?」
「ええ。とても嫌。・・・貴方がいつもそう言って、本当に気合いで何とかしてしまうところが、本当に嫌よ。」
よくわからない。よくわからないが、今日一番彼女の機嫌を損ねたのは確実なようで、タイタンはおろおろとしたまま彼女に詫びた。
謝る理由もわからないままの謝罪が、一番不誠実なのだ。
「・・・・・今挙げた問題に私が納得できる答えを返せるまでは、保護区に行くことは認めないわ。分かったら、帰る準備を始めて頂戴。」
セレナはぴょん、とテーブルを飛び降り、背中を向けてしまった。
「ちょ、ちょっと、待て。悪かった。訳がわからないまま何となくで謝ったのは認めるから・・・理由を教えてくれないか。無茶振りで振り回すのが気に食わないからか?」
流石に、北部へ帰るまでの長い時間を、彼女の機嫌を損ねたまま気まずく帰るのは避けたい。
彼女が自分を嫌だと思う面があるなら、これから末長くお付き合いして行くためにも、早めに改善しておきたい。
「・・・私の無茶を責める権利なんか貴方にはないでしょう。自分に無茶ばかり言って、自分を削り落として・・・私よりよっぽど自己犠牲が酷い癖に。」
ひやりとした視線が、タイタンの自分に吐いた嘘を見抜いていた。
「無茶なんか・・・していない。俺がしていることは、全部、俺が自分で納得して選んだことだ。」
「あら、私もそうよ。なら、貴方は私が選んだことなら、私が自分の命を投げ出しても責めないのね?」
「そうは言っていないだろ!」
セレナは首だけを僅かにこちらに向けて睨んでいた。
自分よりふた周りも小さな体。その眼光が、凄みのある表情が、タイタンの心を凍りつかせていた。
「自分が出来もしないことを、人に偉そうに説教しないで頂戴。」
カチン。久しぶりにタイタンの怒りのスイッチが踏まれた。
こいつ、言わせておけば偉そうに。
「俺がいつ実力以上の無茶をした?確かに俺だって無敵の人間じゃない、心が弱れば迷いもする、それは確かに認める!だがいつだって俺はできる範囲のことを全力でやってきた、あんたは俺の覚悟と実力を疑うっていうのか?」
「・・・ふふ。貴方の嘘を許容するとは言ったけれど。今のは駄目よタイタン。」
セレナはそう言って、ゆっくりとタイタンに歩み寄った。
そしてタイタンの頰に手を当て、
「なら、今すぐ私に頭を覗かれても文句は言わないわね?」
その無表情がタイタンの心臓を突き刺した。
ひくり、とタイタンの口の端が引き攣る。
「ええ、改善すべき自分の欠点は認めるわ。だけれどね。『計画を実行しなければどうなってしまうかも分からない。』そんな危険な賭けを許容してしまった貴方が、自分は実力以上の無茶をしない人間だなんてどの口で言うつもり?」
愚かにも、そこでタイタンはようやくセレナの焦りの理由に気付いたのだ。
彼女は、もう大切なものを失いたくないから、ただ、必死に頑張っている。
「自分によくないことが起きるのを分かっているくせに、計画を取り上げてやる、ですって?ねえ、貴方を守ろうとしている私にどれだけ不誠実なことを言っているのか理解している?」
「・・・すまな、い。」
セレナは、怒っている。
確かによくわからないまま受け入れた変質で、自分の身に起きたことなど事後承諾だった。
だが、セレナからしてみたらそんなもの関係ない。タイタンの為に頑張っているのに、当のタイタンが気合いだの根性だの、適当にしか聞こえない返事をしてきたら、そんなの腹が立つに決まっている。
ただただ申し訳なかった。
自分の痛みは彼女の痛みだと、とうの昔に理解していたつもりだったのに。
セレナはまっすぐにタイタンを見つめて。
「切り捨てたことで傷ついた自分を否定しないで。私にどれだけ嘘を言ったって構わないから、自分の痛みにだけは嘘を吐かないで。」
その表情は、怒っているはずなのにどこか悲しそうだ。彼女はタイタン自身が見捨てた痛みさえ拾い上げてくれた。
「ねえ。自分がなくなっていくのが怖いって言ってくれたタイタンは・・・どこに行ってしまったの?」
「・・・・・っ。」
その恐怖はいつだって隣にあった。
今だってそれは変わっていない。セレナを守ることですら、自分が縋るものを失う恐怖が始まりだったのだから。
失くすのが怖いのは、失くしたものが未知であるからだ。それがどれだけ大事なものだったかが分からないから、失くすのが怖いだけだ。
それがセレナよりも大事なものでないと知ることができたなら、タイタンはそれを「失くした」ではなく「捨てた」と呼べるようになるのだろうか?
「・・・悪い。そうだな。俺は、向き合うのが怖いよ。俺が切り捨てた・・・失ったものが、本当は大切なものだったんだと知った時、俺はどうしたらいい?俺はそれでもセレナさんを選べるんだろうかと、疑ってしまう自分が嫌で仕方ない。・・・あまり、考えたくないんだよ。」
やっと、正直な気持ちを聞くことができた。
やっぱり、このまま保護区に連れて行かなくてよかった、とセレナは心底安堵した。
「それで私を選べないなら、そうすればいいわ。そうする権利が貴方にはあるから。ここまできてしまったのに、だなんて考える必要なんかないの。」
「まだ、俺に、あんたを捨てろというのか。」
「そうしたいならそうしてもいい、と言っているだけよ。いつまでも後悔したままでは、貴方だって辛いでしょう?」
セレナはタイタンの頭に手を伸ばした。撫でようとしているその手を素直に受け入れ、タイタンは僅かにその身を屈める。
「私と一緒にいなきゃじゃなくて。私と一緒にいたいって思って欲しいの。大丈夫、タイタンは強い子だから・・・きっと向き合えるわ。大丈夫、私が隣に付いているから。貴方を1人になんてしないわ。」
優しく、大丈夫、大丈夫、と繰り返す声。
細い指がタイタンの髪を柔らかく撫でる。なんだか妙に泣きたい気持ちになって、それをぐっと飲み込んで、タイタンは答えた。
「分かった。俺は、自分の過去に、ルーヴに、ちゃんと向き合う。その上で、あんたの隣にいることを俺はきちんと選びたい。」
久しぶりの北部の家は、西部の別荘とは似た雰囲気だと言うのにどこか懐かしい。
セレナは玄関を開けてすぐ居間のソファにダイブして、柔らかい毛布を抱きしめた。
「ふふ、ふふ!やっぱりここが私たちのお家、って感じがするわね!」
「はいはい。・・・1週間も掃除していないと、流石に埃が積もるな。」
タイタンもすっかり主夫である。真っ先に荷物を片付け始めたタイタンに、ああ渡すものがあったのだと、セレナは自室へ向かい、一通の封筒を取り出してきた。
「・・・・・それ。ディアンの封筒か?」
「向き合う覚悟ができたのなら、これを渡してもいいと思って。ここに、昔のタイタンのことが書いてあるわ。」
タイタンは荷物を放り出して、封筒に飛びついた。
「・・・・・昔の俺のこと・・・?」
緊張した表情で、封筒を恐る恐る取り出すのが微笑ましく、セレナは頰を緩める。
ああ、早く、あのルーヴの冒険譚を読ませてやりたい。
タイタンは自分のことだからきっと驚きはしないだろうけれど。あの無茶苦茶な伝説に、真顔で、まあできなくはないけれど、とか言うのだろうかと思うと今から笑える。
紙束に没入し始めたタイタンを横目に、セレナは換気の為に窓を開く。
1週間篭りきりだった部屋に新鮮な空気が吹き込み、ばさばさばさ、と机に積まれた紙束が吹き飛んだ。部屋を踊るように灰色の紙が舞う。
「あーーーー・・・。」
「折角西部から持ってきたんだ、失くすなよ。」
「分かっているわ。ああもう、飛ばないで頂戴・・・。」
見渡す限りの用紙は拾ったが、あと一枚だけ最後のページが足りない。
棚の下にでも潜っただろうか、と埃っぽい本棚の下に手を突っ込むと、目的の用紙と共に余計なゴミがいくつも出てくる。
「もう、タイタン。失くした靴下が出てきたわよ。適当に脱ぎ捨てるからこんなことになるんじゃない。」
「あーーー悪かった、悪かったから。もうしない。」
「返事が適当ね!次に脱ぎ捨てたら・・・あら?」
お母様は確か、新聞のスクラップ?というものをファイルに束ねて集めていた。
ファイル自体は確かタイタンの部屋にあったはずだったが、いつのまにか新聞が抜け落ちて本棚の下に落ちてしまっていたらしい。
軽く数十年越しの失くし物の発見に胸が踊る。新聞など骨董品のレベルだ。
旧時代の印刷技術、文字のレイアウト、色あざやかな写真に惹かれ、昔は字も読めないのによくこのスクラップというものを眺めていた。懐かしくなって、それを手に取る。
「・・・ええと、崩落直前のころの記事だから、結構新しいものね。・・・って、こ、これ。」
ぱちり。抜け落ちたピースが、嵌る音がした。
このピース1つで、パズルが完成するわけでも無い。でも、これは、ひょっとして。
「大事な情報・・・かもしれないわ。ええ。だって、こんな話、森の外にいた時に一度も聞いたことないもの。」
「・・・・・セレナさん?」
大事な情報、という言葉に釣られてタイタンがセレナを覗き込んだ。
そしてその新聞の切り抜きの小見出しを読み、僅かに目を見開く。
「地球内核の物質を持ち帰る、探査機・・・?」
「人が、地球の中心に干渉しようと。未踏の地に挑もうとしていたのよ。崩落の、ほんの数ヶ月前に。・・・しかも、それだけじゃないの。この、科学者の名前。」
「女性科学者か。当時じゃ珍しいものでもなかっただろ?その人がどうかしたか?」
セレナは新聞記事の、記者会見会場で微笑む金髪の女性の頰を親指でなぞった。
「ルネ・クライシス。・・・ふふ、姓と名があるのが昔らしいわね。彼女は2000年前のハンター協会の初代女帝よ。彼女にこんな過去があったなんて、驚いたわ。」
タイタンはそう言われ、驚いて写真を見る。
かつて世界中の新聞の一面を飾ったであろうその写真の中、世界初の新技術の開発に挑まんとする1人の女性科学者が、シャッターの光を浴びて誇らしげに微笑んでいた。




