偽物の風信子:後編
真っ青になってしまったタイタンから、ジャグーンは目をそらした。
「謝罪。気分を害させた。脅すつもりではない。リミットといってもすぐではない。1年は猶予がある。それまでにセレナにデータを渡しきれば問題ない。」
まるで長い時間のように言うじゃないか。
1年。後1年この訳のわからない記憶を保持し続けたら、タイタンはセレナのことも、ここでの思い出も、全て他人の記憶に塗りつぶされて発狂するのだと言う。
反省した。自分は浮かれていた。世界を救うと言う字面に酔っていた。
失敗すれば、俺は自分の全てを、失くしてしまうのだ。
「言える範囲で構わない。・・・もしセレナさんにこのことを教えたらどうなる。」
「回答を続行。セレナがこれを知れば、どれだけ止めてもタイタンからデータを摘出しようとすると予想。そしてそれは現時点では85%の確率で成功する。そうなれば計画は全て破綻する。」
「その破綻、というのは何だ?」
「回答。セレナは発狂して壊れる。元々満タンの記憶の中に他人の記憶を流し込まれて即座にパンクする。」
パンク。
淡々と告げられたそのワードが、どれほどグロテスクな事態を引き起こすのかは想像に難くない。
「だから、俺の記憶を一度空っぽにする必要があったと?満タンの記憶の中にはデータを渡せないから・・・?」
ジャグーンは心底面倒そうにそう言った。
「質問。セレナがその気になってタイタンの頭を本気で観察したらどうなると思う。」
「観察・・・?観察って、見たって何も気づくわけないだろ。・・・って、いや待て。」
西部に入ってすぐ、ジャグーンと出会う直前。
思い出せ。セレナは何かとんでもないことを言っていた気がする。
「ものを見れば・・・ものの構造がなんとなく分かってしまうと・・・ああ!!だから”気づかせるな”なのか!?あの人が俺を本気で不審がったが最後・・・いや、あの性格だ、ちょっと匂わせただけで興味本位で俺の頭を覗いて大惨事を引き起こしかねない・・・!」
あの人は研究者だ、学者だ。好奇心と未知への探求が頭を常に占めている暴走特急だ。
本当は疑念すら抱かせてはいけないのだ。というか、あの女神像の下で、セレナには既に悟られかけている。
ギリギリ「互いの隠し事に踏み込まない」という約定があったから、今までなんとかできていただけだ。
あの時、後少しタイタンが目を覚ますのが遅かったら、とんでもない大惨事が起きていたのだ。
「・・・いいか。セレナに求められる仕事は、データをインストールするのではなく、触らないようにうまく閲覧し、必要なくなったらきちんと消去すること。だからそれが十分にできるようになるまでセレナにデータを渡してはならない、悟らせてもいけない。・・・私がデータに知っていることはこれで全て話した。」
「なあ、疑問に思ったんだが・・・全てを正直に話して、データに触れてはいけない理由を説明すればいいじゃないか。それを理解して尚踏み込んでくるほど、あの人は馬鹿じゃないだろ。」
「・・・・・以前。」
ジャグーンは不満げに、つま先で小石を蹴った。
「以前。全く同じことを私はろくでなしに聞いた。回答。それが一番最悪の展開だとなぜわからない。世界で一番お姉ちゃんを理解しているおれの言うことを黙って聞いておけこのポンコツロボット。所詮役立たずの2000年遅れのスクラップには”ヒューマン”の気持ちなど理解できないだろうよ、と。・・・臨場感を出そうと、声真似をしてみた。伝わるだろうか。」
「・・・ああ、なんであんたがルゥを嫌うのかがよく分かった。」
言葉の節々から怨念が滲み出ている。
「・・・・・その、申し訳ない。本当に申し訳ないんだが。ええと、理由はわからないが、とにかく狼は、正直にセレナにデータのことを正直に話すのは絶対に駄目だと言ったんだな?」
「肯定。計画について一番詳しいのはあのろくでなしの性悪狼だ。どれだけ腹立たしくても言うことを聞いておくことを推奨する。」
「・・・・・・・そう、か。」
色々なことを明かされ、どっと背中に疲労がのしかかった。
当たり前のことだが、聞いていないぞそんなこと、と叫びたくなった。
セレナのことを、忘れるだって?一歩踏み間違えたらセレナが死ぬ、だって?
タイタンが想定していた以上に、タイムリミットは短かった。
「・・・まったく、あのろくでなしは息災か。今からでも探して問い詰めたほうがいい。私さえ知らないことをあの真っ黒の腹の中に隠しているに違いないからな。」
「あ・・・。」
タイタンは腹の底が冷えた。果たして伝えて良いものか、一瞬迷い・・・なるべく慎重に選んだ言葉を、発した。
「・・・もう問い詰めることはできないんだ。狼は、俺を守って死んだ。穏やかな最後とは、言えなかったが。俺に役目と力を託して死んだよ。」
ジャグーンは目を丸くし、一度顔を伏せ・・・だがそれだけだった。
「そうか。」
「俺を責めないのか。」
「そんなわけがない。ろくでなしはろくでなしらしく死んだだけのこと。だが、そうだな。ろくでなしでも、暖かいリビアンの膝の上で眠る権利くらいはあったと、思う。それだけだ。」
しばらく2人の間に沈黙が流れた。そしてジャグーンが口を開く。
「質問。セレナを、面倒だと思わないのか。悪意の1つもないのが余計に面倒。セレナは自己中心的で後先を考えない。セレナは好奇心で危険に突っ込んでいく。セレナは弱虫のくせにそれを隠したがる。セレナは自分の力を過信する。」
「・・・ジャグーンはセレナさんがあんまり好きじゃないのか。」
当然だと思う。初対面であれだけガツガツ構われたら、引いてしまうのも仕方ないだろう。
だがジャグーンは、まるでとんでもない禁忌を口にするかのように、これを言ったが最後火あぶりにされてしまう、といった口ぶりで、細い声を零した。
「・・・肯定。そうだな。私はセレナがあまり好きではない。」
きっとヒーローはこんなことを言わない。
ヒーローというのは、誰の悪口も言わない。ヒーロー憲法に、悪口を言ってはいけないとは書いていないが、それでもきっと、今のジャグーンはヒーロー失格だ。
「それは多分、あんたがまだあまりセレナさんのことを知らないからだと思うぞ。」
それでも、目の前のタイタンというのは奇妙なヒューマンで、大好きなセレナを貶められたというのに、まるで陽だまりのような、優しい笑顔を浮かべたままだ。
「疑問。深く知ったからと言って、好きになるかと言われると、それは話が別だ。」
「まあ、そうなんだけれどな。セレナさんは、あんたと同じで、亡くなった人を弔って手を合わせる優しさを知っている人間だから。・・・きっと、話してみれば通じ合うところはあると思うんだ。」
「・・・・・」
別に、自分はただ、リビアンからそういうものだと聞いていたからそれをなぞっただけだ。
優しさでもなんでもない。
墓を作ることが優しさなら、きっと本物はセレナで、ジャグーンは偽物だ。
だがそれでもタイタンは自信ありげに笑う。
「セレナさんは誰かを救うために命を投げ打てる人だから。だからそれに救われた俺たちはセレナさんのために命を投げ打てる。・・・それだけが優しさだとは呼ぶつもりはないが、俺たちが、”おれが”セレナさんに命を投げ打てる理由は、それだけだ。」
やはり、後を継いだだけのことはある。
タイタンはやはりあのろくでなしにどこか似ているのだ。
例えば毛並みの色だとか。人を揶揄う時に一度眉尻を下げる癖だとか。
・・・セレナが大好きで仕方がないところ、だとか。
だからこそ、ジャグーンは『このこと』をタイタンに隠しておくべきではない、と思った。
「・・・・・訂正。セレナが好きではないというのは、少し語弊がある。」
ぽつりと、ジャグーンがこぼした。
「私は、セレナを疑っている。・・・何故なら、リビアンが死んだ時、その現場にいたのも、死んだのを見たのも、リビアンの墓を作ったのも、セレナだからだ。」
「何が言いたい。」
すう、すう。セレナはまだ目覚めない。
タイタンの上着に包まれて、夢の中で美味しいクッキーをお腹いっぱい食べてご満悦。
「リビアンは壊れない。自動修復機能があるから、老朽化すらしない。故にリビアンが死んだ時、私とろくでなしは悲しむ前にまず驚いた。あのリビアンを一体どうやったら壊すことができるのだと。だがリビアンは壊れた。ろくでなしが墓を掘り返して確認した。」
本当はそれこそ、墓まで持っていく気だった事実だ。
ろくでなしは大好きな姉を疑うことができずに酷く荒れていたし、大好きなリビアンの突然の死はジャグーンの胸に暗い影を落としていたから。
「セレナの魔道は、壊す魔道だ。セレナならきっとリビアンを壊せる。この森で、あれほど壊すのが得意なヒューマンはセレナの他にいない。」
「嘘だ、セレナさんがそんなことをするわけないだろ!だって、あの人は。」
お母様のことが、本当に、大好きじゃないか。
あの墓参りでのセレナの振る舞いを思い出す。
タイタンは、セレナが母親への素直な愛情を吐露しているのを、確かに見たではないか。
「謝罪。タイタンを不快にさせる。それをわかっていて言う。・・・そんなもの、いくらだって嘘はつける。質問。タイタンはセレナの気持ちが本物だと証明することができるのか?」
「それ・・・は。」
「できないだろう。当たり前だ。タイタンはセレナではないのだから。・・・死なないはずのリビアンが死んだ。その時リビアンの側にいて、リビアンが死ぬのを見たのは、壊すのが得意なセレナだけ。証拠は何もなくても、疑うには十分な理由だ。」
細くなった気道が酸素を求めてひゅうひゅうと呻いている。肺が枯れてしまいそうだ。
タイタンの頭にぐるぐると回るのは、セレナのいつかの一言。
お母様が亡くなる前の晩、お母様と喧嘩をしてしまって。
タイタンは確か、こう聞いた。どうしてお母様と喧嘩を?と。
その瞬間。セレナの言葉は冷え切って、そう、彼女は露骨に話題を逸らさなかったか?
「・・・ちがう。絶対に・・・違う。」
タイタンの知るセレナは、優しくて、人を助けることに全力で、確かに少し無鉄砲で面倒臭いところもあるけれど、でも、間違っても私怨で大切な母親を手にかけるような人間ではないのだ。
「悪いが・・・証拠のないものは、信じない主義だ。俺は、セレナさんを、信じる。」
「・・・了解した。」
ジャグーンは少しだけ、寂しそうに見えた。だがそれも一瞬。
「タイタン。忘れるな。ろくでなしの後を継いだ以上、タイタンもリビアンの奴隷だ。」
背を向けて歩き去る。たった一度だけ、ジャグーンはタイタンを振り返ったが、その視線が交わらないことを理解すると、右腕を突き出し、空高くへと飛んで行ってしまった。
深い深い渓谷の底。残されたのは温い寝息を立てるセレナと、膝に顔を埋めて座り込むタイタンだけ。
タイタンよりずっと先に眠ったというのに、セレナは朝日が昇っても、ずっとずっと眠っていた。
剣の代わりにセレナの小さなピッケルを振るい、タイタンが鍛錬を始めても、終えても、ずっと眠っていた。
流石に起こさなくては、と控えめに肩を揺すられて、ようやく目を覚ましたセレナは、しばらくぼーっとタイタンを見つめた後、
「・・・あ、その。おはよう・・・。」
気まずそうに目を逸らした。
「調子は?」
「・・・その、昨日はごめんなさい。今は平気よ。」
「ならいい。疲れでミスをするのなんか当たり前だ。気にしなくていい。」
そこでセレナの目に入ったのは、タイタンが片手に握るピッケル。
「何か掘るものでもあったの?」
「いや。・・・昨日の落下で剣が折れてしまったから、鍛錬の棒代わりに使っていた。まずかったか?」
「ええっ!?お、折れてしまったの・・・?あの立派な剣が?」
セレナは大きな目を見開いた。
タイタンの唯一の武器が折れたのだ。戦力が大幅に落ちたと考えていい。
僅かに焦り、青ざめ・・・そしてセレナは心配そうに眉を下げた。
「大事なものでしょう?・・・その、平気?」
「どうしようもなかったからな。こんな時の為に体ひとつで戦えるよう鍛えているんだ、気にしなくていい。・・・先のことを考えるほうが先だ。」
そう言ってセレナにパンと水を差し出してやった。
彼女は無理に会話を打ち切られたことに戸惑っているようだった。
予想通りすぎる反応が、タイタンは少し申し訳なく、そして誇らしく思えた。タイタンも水をボトルから煽る。
今日は随分と暑くなるようだ。朝から既に暑い。せっかくならこんな温い水ではなく、川のよく冷えた水が飲みたいが、この深い谷底ではどうしようもない。
「・・・朝ごはん、いらないわ。その、せっかく出してもらったのに申し訳ないけれど。」
「馬鹿。崖を登るのにへばられたら堪らん。無理にでも食べておけ。」
受け付けない気持ちはよくわかるが、それは駄目だ。
タイタンもちょっと噎せながら頑張って食べた。これからここを登るというのに、エネルギーがなくてはどうしようもない。どれほど高性能な車も、ガソリンがなくては走れない。
「昨日から食べてないから・・・もう空腹をあまり感じないの。食べなくても平気な感じがするわ。」
「水と漬け野菜を少し食べて胃を慣らすといい。じきに腹が減ってくるに決まっている。」
常温でも日持ちする漬け野菜はともかく、パンはそろそろ消費してしまわないと腐る。
パンを食べきったら次は乾燥させて硬くしたクッキーだ。
通常のクッキーのように甘くはなく・・・旧時代のもので表現するなら、平たく少し大きい乾パンのようなもの、だろうか。
一度試しに食べたが、あれはスープやミルクに浸けて食べるから美味いのであり、素朴すぎて最早無味と言っていいあのクッキーだけを主食にするなど正直想像もしたくなかった。
あれに比べればまだマシだ。そう思って無理矢理にパンを胃に詰め込んだのが先程。
「・・・お野菜、美味しい・・・。」
「貴重なんだからな。温存しろよ。・・・ちょっと寄越してくれ。」
2人で薄切りの蕪をぱりぱりと齧る、無言の時間が続く。
漬物だって残り少ないのだと我慢していたが、セレナが齧歯類のように小さな口をもぐもぐと動かしているのを見ていたら堪らず手が伸びてしまった。
濃い塩味と、野菜の繊維質な食感が、鍛錬を終えた気だるい体に嬉しい。
久しぶりに感じる、舌への強い刺激。
自分の体が栄養に枯れていたことに、タイタンはようやくそこで気づいた。
やはり塩分を欠乏させるのはよくないな、とタイタンは1人反省する。塩自体は瓶一杯に持ってきたのだから、変に遠慮せずに栄養はきちんと摂取すべきだ。
「・・・どうだ。朝飯は食えそうか。」
「んん・・・お野菜でお腹いっぱいよ。私のことはいいから、ここを脱出する算段を考えましょうか。」
そう言ってセレナは無理矢理にひとくちパンをかじった。
皮が硬めの丸いパンを苦労して飲み込む彼女を見守り、そうだな、とタイタンは口を開いた。
「といっても、俺があんたを背負って登る以外の方法は思いつかないがな。上に引っ掛けられないから鎖も使えん。」
「むぐ・・・流石にもう平気よ、自力で頑張るわ。」
「馬鹿言え。元からそんな筋力ない癖に。」
正直、図星だった。というか、この何十メートルあるかわからない崖を上り下りする筋力があるほうがおかしいのだ。
「壁面は凸凹だからな。ロープと足場を上手く使えば・・・まあ、いけると思う。むしろ怖いのは罠だ。セレナさんはそっちを警戒するのに集中してくれればいい。魔道をうまく使って俺をサポートしてくれ。出来るだろう?」
ほら出た。また、出来るだろう、って。
できないと言ってもやれと言うのだから、最初から聞かなければいいのに。
「・・・できるわよ。できるけれど・・・その、申し訳ないけれど、あまり過信はしないで頂戴。」
正直に伝えてくれたのは良いことだ。タイタンは頷き、セレナを背負った。
やはり、このくらいは大したことはない。
万が一にも手が滑らないように、セレナは赤子のように抱っこ紐でタイタンの背中に括り付けられていた。背中の大剣がなくなって唯一幸運だったことはこれかもしれない。
なのでタイタンの両手は空いている。片手で上り下りすることを覚悟していた昨日に比べれば随分気が楽だった。
老朽化しているとばかり思っていたロープも随分と頑丈なようで。
セレナ曰くグリムメタルを細くして編み込んでいるものらしい。しかし金属ロープを握るような痛みはなく、感触は麻縄そのもの。
グローブをつけて上り下りをすれば、負担はそれほどなかった。
流石はお母様が作ったものだ。上り下りの手段についてももう少し方法を考えてくれていれば1つも文句はなかったのだが。
「あ、タイタン。あそこ、引っ掛けられそうだわ。」
セレナの言葉より先に、タイタンの腰元からずるずると鎖が這い出していく。
昨日の架け橋の要領で作られた足場が対岸の岩場まで伸びている。鎖帷子の坂をなるべく急いで駆け上がる。
対岸のロープを掴んで合図をすれば、ふわりと鎖が霧散する。そして再び崖に足を掛けて登り、罠がありそうなところを足場で回避。
落ち着いてさえいればセレナは指揮が上手いのだ、とこの時タイタンは気づいた。
普段の関係性から、2人で戦うときはタイタンがセレナに指示をして動かすことが多かった。
人殺しに慣れているのはきっと自分の方だし、そちらの方が収まりがいいと思っていた。
だが、タイタン本人としては、指揮をするよりも戦場で駒として動く方が好きなようだと、今なんとなく理解した。
セレナにそう正直に伝えれば、
「それはそうよ。貴方が指揮官に向いていないのは分かりきっているじゃない。」
と呆れたように言われた。
「何故だ。何かあんたに苦労をかけたか。」
「指揮官に向いている人はね、自力でなんとかしろ、天才なんだろ、絶対にうまくやれ、なんて言わないのよ。」
「・・・気をつける。」
ロープを握る手からがっくりと力が抜けかけて、タイタンは慌ててロープを握り直した。
「・・・っふふ。やだもう。気を使っていたのが嘘みたい。やっぱりタイタンはお馬鹿さんで子供のままだったわ!ふふ、あははっ!」
けらけらと、突然、セレナは弾けるように笑った。
「・・・むぐ、なんだよ。急に人の悪口か?」
「違うわよ。褒めているの。・・・ねえタイタン。どうして最近ずっと落ち込んでいたの?私が嘘つきなのも、貴方が怒りん坊で隠し事だらけなことなのも今更なのに、どうして?」
急に踏み込んでくるなよ。顔を隠すタイタンとは裏腹に、タイタンの首に手を回したセレナは随分と楽しそうで。
「・・・最近あんたが遠慮ばかりだからだ。言っただろうが。」
「遠慮なんてしていたかしら?」
「してただろ?・・・自覚はあるんだ。俺は苛つくと、あんたに非がないのが分かっていても、ついあんたを責めてしまう。直そうとは思っている。それは本当に悪いと思ってる。」
だいたいこの森で起きる面倒ごとは、この森が異常な場所であるせいで起きることだ。
常識ではあり得ない生き物、わけのわからない罠、仕掛け。
そういったもので溢れたこの森で生きる以上、トラブルだらけなのは仕方のないことだ。
それを監督責任だと、つい八つ当たりでセレナを責める悪癖が自分にはある。わかっている。
「不当に怒られたらあんたはきちんと俺に怒ってくれていただろう。前なら。最近は不当に怒られてもごめんなさいの一点張りだ。」
「だって、そうしたら怒鳴りあいになるじゃない。喧嘩はお互い疲れるでしょう?」
セレナとタイタンの喧嘩は、だいたい本題からどんどんと脇道に逸れる。
やれ皿洗いが汚いだ、服を畳まないだとか。本題から逸れているぞ、と、湯だった頭で建設的な提案ができるほど、セレナもタイタンも大人ではない。
「・・・それは、確かにそうなんだが。でも、そうやって仲良くなっただろ、俺たちは。確かに喧嘩になれば腹は立つが・・・本音を言ってくれないのは寂しい。それに、俺が不当に怒った時はきちんと教えて欲しい。何が間違っているのか気づけないのは、怖い。」
「ああ・・・それで、嫌われたと思ったの?注意することすら諦めたとか、見捨てられたとか、そんな風に思わせてしまったのかしら?」
タイタンですら気づかなかった感情を、セレナは的確に言い当ててみせた。
言葉にされた途端、その感情は素直にタイタンの胸に降りてきた。
「だとしたら、それはごめんなさい。貴方が反省していたなんて思っていなかったの。だって、言い返せば言い返したぶんだけ言い返してくるじゃない。」
「・・・その、本当に悪い。それは、気をつける、本当に。」
「不気味なくらい素直ね。・・・いえ。」
だってタイタンにはセレナしかいないのだ。タイタンが散々言っていたことではないか。
タイタンはセレナを追いかけるしかないのだ。この世界で唯一頼れる人間が、セレナなのだ。
セレナとはぐれたら、タイタンは何もかも未知の世界にひとり投げ出されてしまうのだから。
親を見失った子供の不安や絶望は、セレナ自身痛いほどわかっていること。
「大丈夫よ。私が貴方を嫌いになるわけないじゃない。」
そう、安心させるように微笑んでやれば、タイタンはホッとしたように顔を情けなく緩めて、そしてすぐに気まずそうに目を逸らした。
生体装置の終着は近い、とセレナが言ってから数分が経つ。
終わってみれば、随分とあっけない旅だったように思う。
喉元過ぎれば・・・というやつだ。
崖に落ちたのも、剣を叩き折られたのも、味気ないパンも、本当に辛くて辛くてしかたなかったのに、思い出になってしまえばこんなものだ。
というのは、言われるままに体を張るだけだったタイタンだから思うことで。
装置を探して魔道を探り、罠を警戒して気を張り続けたセレナはきっともっと辛かった。
帰ったら労ってやらないといけない。
「・・・あ。あれ、タイタン、見て!」
「・・・何も・・・いや。見えないけれど、気配があるな。」
タイタンの目には何も映らない。だが、鼻を突く金属の匂い。皮膚で感じる存在感。
なにか、視覚を歪めて秘匿されたものがそこにある。
「・・・んと。ドアノブを握れば見えるようになるはずだったかしら。・・・多分、ここ。」
セレナが空中を握った。
するとまるで今までの風景が夢であったかのように視界が解け、目の前に小さな塔が現れた。
「別荘。結局、ここに生体装置があったのか。」
「回答。正解だタイタン。これにて試験を終了とする。」
いつのまに居たのか、ジャグーンが2人のすぐ背後に浮いていた。
「言った通り、ここまで辿り着いたわ。お母様の計画のことを、教えてくれるわね?」
「否定。私はここに辿り着くことだけを試験と言った覚えはない。」
ジャグーンはふわ、ふわと。セレナに詰め寄り、顔を寄せた。
「ここに辿り着く道中の、セレナをずっと観察していた。・・・不合格だ。セレナはまだリビアンの要求した基準を満たしていない。」
タイタンとセレナは固まる。
「な・・・。」
ここまでせっかく頑張ったというのに。一体何のためにここまで来たと思っている!
「質問。具体的な指摘が欲しいか。」
「・・・ああ。あんたの要求はなんだ。」
「簡単なことだ。セレナは破壊者のままここに到達してしまった。セレナはもう自分でわかっているはずだ。セレナは破壊者であることを止めようとしていない。それでは世界を救えない。」
それは、魔道の変質のことだろう。ディアンの言った通り、セレナの魔道の変質が計画のキーになっている。
「・・・私になんの関係があるっていうの。お母様が完璧な計画を用意しているんでしょう?確かに実行するのは私たちかもしれないけど。」
「違うんだセレナさん。・・・この計画の基幹に、セレナさんの魔道の変質がある。俺はそう予測しているが、違いないか、ジャグーン。」
ジャグーンは迷いなく頷いた。
「変質を終えるまで、真実は伝えられない。セレナの本質は破壊ではない、そのことにセレナが気づくまで、スーパーヒーローは協力しない。」
絶望的な一言。タイタンはどっと力が抜けてしまった。
収穫がなかったとは言わない。既にジャグーンからさまざまな情報を聞き出した。だというのに、ここまできて彼女が秘匿する真実とは一体、なんだ。
タイタンは深い思考の海へと沈む、故に、隣に立つセレナの絶望に、気づくのが遅れた。
「・・・ふふ。私にできるわけがないわ?」
はっとセレナをみやると、彼女の小さな小指が震えていた。
「見誤ったのはあなたたちよ。私に期待する方が間違っているわ。」
はは。力無い、自嘲の笑いが、喉を込み上げる。
だって、だって。私は。
「人殺しの魔道を振るってきた私たちが、人を救えるわけがないじゃない。」
「・・・!」
「お母様の名前を出せば、簡単に協力すると思わないで。私を都合よく利用してやろうって目をしている、そういう連中のことは、わかるのよ。ええ、お母様だけは、違ったのに。お母様だけは違うと、信じていたのに・・・!」
ぽろぽろ、ぽろぽろ、大きな瞳から涙が溢れていくのを、ジャグーンは冷たい目でみやり、
「こちらが言えることは全てだ。破壊者、セレナ。中央に帰るといい。またの挑戦を待っている。」
そう、突き放した。
その瞬間。ああ、今までこれほど自分は怒ったことがあるだろうかと。
タイタンの頭が真っ白になった。
「・・・何が世界を救うため、だ。どれだけセレナさんを苦しめれば気が済むんだ、あんたらは。」
「苦しめ、る・・・?」
あの鉄仮面が、初めてタイタン相手にたじろいだように見えた。
「人殺しの魔道だって使いようだろ。セレナさんの人殺しの魔道は橋を架けて俺を救った。それだけじゃない。今までだってずっと、そうだった。セレナさんの魔道に、俺は何度も救われているんだ。」
あと一歩、タイタンが踏み込めば、その丸太のような足が大地を蹴り、その長い爪が容赦なくジャグーンの鋼鉄の体を切り裂くだろう。
「この際、計画に必要とか不要とか、そんなものどうだっていいんだ。俺は計画のことを全部知っているわけじゃない。セレナさんが未だ不完全だというあんたの判断はきっと正しいんだろ。だけどな。」
ジャグーンの長身を、さらに上から見下ろす鋼の男がひとり。
「謝れ。彼女の西方の旅を否定することは、俺が許さない。」
ジャグーンの鉄仮面を、大きな手が握りつぶさんとばかりに掴んだ。
ばきばきと、経年劣化で朽ちかけているメモリが、悲鳴を上げて砕け散った。
「否定・・・否定。言い方が悪かったのは・・・謝罪。だが、それは、認められない。私は、セレナの今の魔道を、認めることはできない。そのように、作られている。完璧な計画に不要なものは、取り除かねば・・・」
「・・・所詮、奴隷のあんたはそうなんだろうな。」
タイタンがふっと力を抜くと、ガシャガシャ、と酷く虚しい音を立ててジャグーンが地面に崩れ落ちた。
「なら。いい。セレナさんをお母様の理想に押し込めるのが計画というものなら・・・そんな計画は要らない。俺は降りる。そんなくだらないもの、ご破算になってしまえばいいだろ。」
「た、タイタン!?」
セレナは耳を疑った。だって、あれほど、計画に執着していたタイタンだ。
そんな簡単に投げ捨てていいものなわけがない。
セレナは何も計画のことを知らないけれど、タイタンにとってそれが大切なものだからここまで付き合ったのだ。
「質問!否定否定!そんなことをしたらどうなるか、私はタイタンに伝えただろう!?」
タイタンはもう計画を実行するしかないはずだ。
計画を放置してデータを保持し続けたら、タイタンの記憶は再び消滅する。
大切な大切なセレナとの思い出、その全てを失うというのに。
タイタンはジャグーンを一度ぎろりと睨みつけ、何1つの迷いもなく吐き捨てた。
「要らん。そのくらい気合いでどうにかしてやる。・・・セレナさんが自分らしく生きることを捨ててしまう方がよっぽど恐ろしい。」
タイタンは、セレナの骨が折れてしまうのほどの力で、セレナの震える腕を掴んで、そのままずんずんと引き返しはじめた。
生体装置も、設計図も、計画も、お母様も、別荘も、全部全部どうでもいい。
お母様の理想を追って泣くセレナも、それを押し付けたお母様も、それを疑いもしないジャグーンも。全てが気に食わない。
1人の人間として生きている彼女を、世界を救うための歯車にしようと、理想の姿に押し込めようとしやがって。
タイタンは、セレナが幸せになれるというから協力したのだ。
だが、計画のために彼女の持つべき最低限の権利すら侵害するというなら話は別だ。
気に入らなかった。だからご破算にしてやった。それだけのことだ。
やがて小屋が見えなくなり、森が深まってきた頃。
「いい加減にしなさいな!!」
セレナがタイタンの腕を振り払って飛び退いた。
「ジャグーンに命令したのはお母様!言葉が悪かっただけで、ジャグーンにひとつも悪意がなかったことぐらい分かるでしょう、貴方なら!」
かたかたと、可哀想にその小さな肩は震えている。
振り返らずとも伝わる振動に、罪悪感はひとつもない。
「あんなの殆ど八つ当たりじゃないの!」
「なあ、ずっと、あんな風に思っていたのか。ああ、腹が立つ。あんたにも、気づきもしなかった俺自身にも、何よりあんたの気持ちなんかひとつも考えないまま死んだあんたのお母様にだ!」
よく考えればわかったはずだった。
タイタンに魔道を教えた時に、自分の魔道を蔑んだセレナの悲しげな瞳だったりとか。
「あんたがあんたを蔑ろにするのが、俺は許せない。あんたがあんたを蔑ろにするのは、あんたに救われてきた沢山の命を蔑むのと同じだと分からないのか!?」
ヒントなどいくらでも散りばめられていた。
セレナは、セレナが計画の中心人物だと知ったら、劣等感で押しつぶされてしまう。
大嫌いな自分を殺そうと、そうやって自責を続けたらセレナの心はきっと壊れてしまう。だから、言ってはいけないと。
心のどこかでわかっていたから、だから言えなかった。
「俺を大事に思うなら、俺の大切な人を蔑むのはやめろ!あんたがどれほど俺にとって大事な人なのか、まだあんたは分かっていない!!」
「黙って、黙って黙って黙って!!黙りなさい!私をわかった気にならないで!?」
セレナの絶叫が森をこだまする。それは怒りの咆哮のような、悲鳴のような。
「私は人殺しよ、自分から見ず知らずの誰かを助けたいなんて、思うわけがないじゃない!人は私を裏切るわ、人は私を傷つけるわ!ええ、皆大嫌いよ、人間なんて大嫌い!こんな人間を、貴方は優しいと呼ぶつもり!?本心から世界を救いたいと願えない女に、貴方は世界を救う役目をやらせるつもりなの!?」
今初めて、セレナの本心に触れた気がした。
世界に裏切られ続けた少女が、優しい人に助けられて世界を愛せるようになった。
やっぱりそんな美談は初めから存在していなかった。
世界を憎んだ少女は、世界を憎んだまま、ただひとつ縋るしかなかったものに必死に縋った。
セレナが生きるにはそうするしかなかった。タイタンがセレナに縋らないと生きられないように、セレナはお母様に縋らないと生きられない。
「・・・それでも俺は、あんたを優しい人だと言うよ、セレナさん。」
「なん、で・・・」
「・・・あんたが俺をたくさん助けてくれたから。本音を言ってくれて、ありがとう。」
そう言って、笑ってやった。今できる精一杯は、セレナを信じることだけなのだ。
世界を憎む気持ちと、世界を素敵だと思う気持ちの間で、セレナは今揺れている。
汚いはずだった世界に、お母様やタイタンという優しい人がいる事に困惑している。
だから魔道が揺れる。
それが、怖くて仕方ないのだ。綺麗な世界を信じて裏切られるのが怖いから、魔道の変質を恐れる。隠そうとまでする。
きっと多分、そういうことなんだろう。
「・・・俺はあんたが自分を蔑ろにしたら、怒る。面倒が嫌だったら2度とあんなことは言うなよ。」
「・・・タイタン。」
タイタンを怒らせると面倒なのだ。だから喧嘩をするのが嫌だったのに。
タイタンは喧嘩をする体力と度胸があるかもしれないが、気の小さいセレナがそんなものを持ち合わせているとは思わないでほしい。
それが、喧嘩を避けようとしても怒るのだから困ったものだ。本当に面倒臭い男。
「本当、こんな子に育てたつもりはないのだけれど。」
「・・・あんたに育てられてはいないけどな。はあ、疲れた。これからどうする?」
タイタンはそう言ってセレナの隣に座り込んだ。あれほど至近距離で大喧嘩をしていたのに、こうして隣に座ってようやく、互いの息が切れていた事に気づくなど。なんだか間抜けだ。
「貴方が全てご破算にしたのでしょう。・・・できるなら生体装置を起動させて、安全に帰りたいけれどね。」
それはそうだが、きっとジャグーンがそうはさせない。
「どうせどこかで見ているんだろうが、手を出してこないと言うことは、今のところ敵意を持たれてはいないと思う。だが・・・」
「別荘に近づこうものなら話は別だわ。・・・はあ、歩いて帰るしかないの?」
ここからまた苦労して罠避けか。いや、現実的に無理だ。
そもそも、生体装置を起動して最短距離を突っ走って帰る前提でここまで突き進んだ。
ここから今までと同じことをして折り返すのでは2人の体がきっと保たない。
「計画を考慮しないなら、強引にジャグーンを突破するのもありだがな。」
「なんてことを言うのよ。もう友達でしょう、彼女は。」
・・・そう思っているのはきっとセレナだけだが。全く、善意を信じるとは言ったが、ここまでお人好しだと、セレナを甘いと言ったジャグーンに同意したくなる。
はあ、と大きく吐いた息を、2人は同時に飲み込んだ。
「まっ・・・て。タイタン。」
「っ、分かってる。隠れるぞ。」
2人は茂みに隠れて息を潜めた。
最初こそ罠の振動か何かかと思った大地の震えは、だんだんと大きくなり、最初の予想が勘違いであったことをありありと分からせた。
「・・・・・・・・。」
やがて、黒い大きな動物がこちらに迫ってくるのが視界に入る。
あの時、崖で出会った陸亀だ。
天まで伸びているかのような4本の太い足、ひくひくと蠢く腹、そして見えないがその上にはきっと大きな甲羅がある。
近くで見ると、昨日よりも随分と大きな生き物に思えた。2人の住むあの家がまるごと背中に乗ってしまいそうな大きさだ。
茂みで必死で息を潜めるセレナはその大きな生き物と1度目を合わせてしまい肩を震わせたが、大きな傷のあるガラス玉のような瞳に光がないことがわかるとほっと息を抜いた。
ばちばちと、踏み抜かれた罠が次々と作動するが、どこからか吐き出される弾丸も杭も大岩も、厚い甲羅に傷1つ付けることは叶わない。
息を止め、震えたまま、一体どれほど時間が経ったやら。
巨大な亀が遠くで黒い点になった頃、ようやく2人は大きく呼吸をすることを許された。
「ふう・・・五感は鈍いみたい。目も見えていないのね。」
見つけても必死で息を潜めれば見つからずに済む。それが分かっただけでも安心できる。
「ったく、あいつは何なんだ。セレナさんは知っているのか?」
「話だけは知っているわ。お母様が力を与えた腹べこペコル。」
「・・・私には。」
突如聞こえた機械音声に驚いて振り返れば、ジャグーンが2人の背後にふわふわと浮いていた。
「私には、ペコルができるだけ安らかに生きられるように支える義務がある。」
「あんた、いつの間に。いや、丁度いい。話がある。」
「拒否。今はそれどころではない。危機だ。私は試験官だが、それ以前にヒーローで、この西部を守る守護者なのだ。」
ジャグーンはそれだけを言うと、すぐさま2人の横を通り抜けようとした。
「待って頂戴。危機ってどういうこと?」
「・・・ペコルが森の外を目指して歩き出した。このまま放っておけば森の内部で崩落が起きる。ペコルを止めなくてはならない。」
ジャグーンの鉄仮面に、焦りと冷や汗が滲んでいた。
説明している暇などない、と言わんばかりの態度だ。だが緊急事態で切羽詰まって情報共有を疎かにすることで生まれる悲劇を、タイタンは経験している。
「分かった。俺たちもあんたと一緒に走るから、移動しながら説明してくれ!どうして森の外にペコルは向かっている?どうして結界がある森の内部で崩落が起きる?」
「回答。森の外にどうやら多量の鉄を持った密売人がいるようだ。ペコルは金属を食べる。西部ではもう貴重な鉄を求めて、ペコルは一目散に森の外を目指している。」
全速力で飛ぶジャグーンを追走して、魔道で飛ぶセレナと走るタイタン。
「2つ目の回答。結界というのは中心から離れるほど効果が弱くなるものだ。森の出口に近づけば近づくほど弱くなる。ペコルはヒューマンより崩落を呼びやすい。ペコルなら森の出口に近づいただけで崩落を起こす。ヒーロー憲法に違反するから詳しくは言えない。だが、森の内部で崩落が起きるというのは、リビアンの計画が全て瓦解するに等しい絶対にあってはならないことだと、納得することを要求する。」
「っ、くそ、聞きたいことが山ほどあるが!・・・とにかく、あいつを森の出口から遠ざけないと大変なことになるんだな!?」
「回答。その通りだ。」
がすっ、タイタンの踏んだ罠が作動する。
足元から飛び出した杭は全てジャグーンの背から発射された光線で破壊された。
「なら私がやるわ。私は崩落に呑まれないもの。万が一森の外に出ても、一番危なくないのは私だわ。・・・ペコルを引き付ければいいのよね?」
「拒否。セレナに過度なリスクは踏ませない。私がやる。私の体は最高の餌だ。こうやってペコルを誘導するのは何度かやったことがある。そのために私は体に鉄を組み込んでいる。」
ジャグーンはそれだけを言い残すと、見えてきた黒い背中に向けて思い切り速度をあげて飛び込んだ。
「ペコル、ペコル。こちらを見ろ。こっちだ、餌はこちらにある。」
ジャグーンはペコルの耳元に寄り、そう叫んだ。いつもならそれでペコルは踵を返して、ジャグーンを追って森に戻ってくれた。あとは適当なところで撒けば終わり。
しかし。
「不明。不可解。なぜこちらに見向きも、しない・・・!?」
鈍足の亀と言えど、ペコルの一歩は巨大。全く速度を緩めないペコルはセレナ達をどんどんと置き去りにしていく。
「それは、そうよ。今までうまくいっていたのが、おかしいのよ!何度も追いかけさせられて、ペコルはもうジャグーンを追っても無駄だってことを学んでいるのよ!」
「・・・!?否定、否定!」
ジャグーンは野生というものを甘く見ていた。遠く、西部の樹木が途切れているのが見えた。あと少しで、ペコルはジャグーンの言う危険な領域に踏み込んでしまう。
「タイタン!貴方はここに、残りなさい!貴方は崩落から逃げられないんだから、ここで大人しくしているのよ!いいわね!?」
セレナの服から鎖が伸びた。
「っ、待て・・・!」
セレナは遠くの樹木へ鎖を絡みつけ、それを伸縮させてペコルの元へ飛んでいく。
そしてすぐに立ち止まってしまったジャグーンの横をセレナが通り過ぎた。セレナが飛んで来たのを見てぎょっとしたジャグーンが、再びセレナを追い、血相を変えて叫ぶ。
「セレナ!セレナが来てどうする!?セレナはタイタンと待っていろ!」
「策があるの!それに、お母様の後悔を拭うのが、私の役目だから!!」
そう言って、セレナは大量の鎖を体に巻きつけて、ペコルの元へ飛んでいく。
あの時。セレナの鎖帷子の橋を、ペコルは食らった。
魔道で作られたものだが、セレナの鎖の素材は鉄だ。なら警戒されているジャグーンより、きっとセレナの方がうまく誘導役をやれる。
その予想自体は当たっていた。セレナが残り数メートルほどの距離に近づいた時、ぴくりとペコルの動きが止まり、セレナを振り返った。
だがペコルは気づいた。セレナの隣には、何度も何度も自分を騙したジャグーンが立っている。
仲間だ。
ふい、と踵を返して、すぐにペコルは再び歩き出してしまった。
「・・・っ。駄目!!そっちに行ったら貴方は死んでしまうのよ!?」
「セレナ。提案する。ペコルの生存は諦める。ペコルを殺せば解決する。ペコルに戦闘能力などない、ペコルを引き止めるより殺す方が簡単だ。」
「駄目、絶対に駄目よ!そんなこと許さないわ!お母様の行いに縛られる苦しさを貴方は知っているわ。だったらそんなこと絶対に許してはいけないって、貴方なら分かるはずでしょう!?」
セレナの瞳は正義に燃えていた。リビアンの行いに苦しめられ続けたペコルを、絶対に救おうと決意に燃え上がる月光。
リビアンが、セレナを選んだ意味は、きっとこういうことなのだろう。
だが、セレナはまだ足りない。まだ至っていない。それを誰よりも分かりながら、セレナは、ジャグーンを置いてペコルの元へと向かっていく。
「とにかく、引き止めれば良いの。この際餌は関係ないわ、森の外の人が、離れるまで持ちこたえさえすれば・・・!」
計画云々はどうだって構わない。崩落が起きればペコルが死ぬ。周囲にいるジャグーンやタイタンだってどうなるかわからない。本当は自分だって無事では済まない。セレナは崩落を起こさないというだけで、自分以外を狙って発生した崩落から無事に逃げ切る術など持ち合わせていないのだから。
とにかく森の外周に近寄れば近寄るほど崩落のリスクが上がるのなら、ペコルを力ずくで遠ざける。自分が失敗すれば最後、ジャグーンはペコルを殺すのだ。
森の外周がもう見えていた。亀の足とは思えない速度でのしのしと歩んでいくペコルは、既に結界の薄い危険地帯へ突入してしまっていた。
「お願い、今だけは・・・力を貸して頂戴。」
どれだけ忌々しくとも、この鎖がより強固なものになってくれるのならば、私はあの悍ましい記憶の中へと回帰してみせよう。セレナの襟から、ズボンの裾から、袖から、数多の鎖が飛び出す。
まるで彼女の体が解けたかのようであった。
彼女の白い肌を覆い尽くす、銀色の数百の集合体たち。蛸のように鎖を侍らせる彼女はまさしく異形であった。
飛んだ鎖は木々に絡みつきながら前進し、やがてペコルの後右足を巻き取ることに成功する。
次は後左足、そして前足を纏めて。ぐるぐるに四肢を巻き取られたペコルは苦悶の叫びを上げながら、ずるずると、後ろへ引き摺られ始めた。
「ゆっくり、ゆっくりよ。落ち着いて・・・後は下がりながら鎖を巻き取るだけよ。大丈夫、出来るわ、私なら・・・!」
当然、重量は凄まじい。魔道で鎖を少しずつ短くしているだけだ、この行為にセレナ本人の筋力は関係ない。それでも、服の端は既に千切れ、血が滲む代わりにぼたぼたと脂汗が落ちる。
だって、セレナは本当にもう、限界だったのだ。
数日間、神経を張り詰めて、それをたったの一度も切らすことなく魔道を振るい続けた。
眠っても眠っても、頭を割るような頭痛が止まない。自分の視界が常に半分暗転しているような感覚だった。崖を登る時点で、彼女のつま先の感覚はもう殆どなかった。
痛みに鈍いセレナは愚かにも、この最終局面に至るまで、自分の体の限界が目の前に迫っていたことにに気づかなかったのだ。
「・・・・・い、たい・・・っ!!!」
頭がカンカンと警鐘を鳴らし始めた。先ほど食べたトマトスープが食道まで迫り上がる。
どっと背中に重さを増した危機感に怯えて、どくどくどくどくと心臓が早鐘を打ち始めた。
ああ、一体なんのために自分はこれほど頑張っているのだろう?
お母様が恩人だから?タイタンが望んだことだから?世界を救わないといけないから?
どれもこれも、本当に自分がやりたいことでもないくせに。
本当は、お母様に任されたこともタイタンの信頼も重圧も、全部投げ出して、ただあの平和な我が家でのんびり平穏に暮らしていたいのに。
「違う、違うわ。そんなの私の気持ちじゃないわ。私は、お母様の大事なものを、守りたいの・・・ッ!!!」
彼女の絶叫が、悲鳴のような咆哮が。
彼女の背後で、最後まで彼女を見定めていた鉄仮面の、魔道機械の心臓を、叩いた。
「理解、した。ああきっと、私はセレナにはなれないんだな。・・・そう、か。」
やっぱり、ジャグーンはセレナが嫌いだ。
彼女はジャグーンが今まで出会った誰より澱んでいて、その眩しい月光の瞳はどこか空虚だ。
空虚なくせに理想ばかりが先走って、見たくないものから必死に目を逸らして。
でも、目を逸らしていても、彼女の心は正しい方向を真っ直ぐ見据えている。
正しい方向を向いているから、目を逸らすのが苦しいのだ。
だから、悔やんでも苦しんでも、彼女はきっと正しい道を歩む。そういう人だと何故だか信じられるから、リビアンは全てをセレナに委ねた。
ぎり、ぎりと。セレナの鎖が少しずつ、歪んでいく。
「だが、セレナはまだ、至っていない。」
至った彼女ならば、きっと、ペコルもジャグーンも世界も、全て救ってみせただろう。
でも、狼の死から歯車が狂い、急加速した計画に、彼女を追いつかせることは出来なかった。
「ここで取れる、最良の選択を私は取る。」
ジャグーンは、セレナとは、違う。
計画を全てご破算にして、自ら命を投げ捨ててでもペコルを救おうとするであろうセレナと、計画をどんな手を使ってでも存続させようと今行動を起こすジャグーンは、絶対に相容れない。
ジャグーンは、そっとセレナの肩に細い指先を置いた。
「セレナ、謝罪。私は他人の感情、言葉を模倣して学習し、会話を可能とした機械だ。・・・参考にしたのが少々口の悪いろくでなし野郎なせいか、私は人より少々言葉が刺々しい傾向がある。先ほどの発言にも、・・・今から言う言葉にも、セレナを貶める意図はない。先に、誤解を解いておく。」
ジャグーンの全てであるその計画に必要なのが、ジャグーンではなくセレナなのが、本当に気に食わないが。
それでも、優しいセレナには選べない、合理主義で模倣の感情しか持たないヒーロー失格のジャグーンだから選べる選択肢が、きっと世界を救う一助となるだろう。
「・・・セレナ。今のセレナには、無理だ。」
その言葉に、ああやっぱりと、安心したように緊張が解け。
ばきりと、セレナの鎖は絶望的に、跡形もなく崩れ去った。
そしてそれをわかっていたとばかりに、ジャグーンは足から炎を噴射し、
「スーパーヒーロージャグーン、全速力・・・っ!!!」
鋼の体がペコルの巨体に思い切り体当たりをする。
「メタモルフォーーーゼ!!!!」
がしゃぎゃぎゃぎゃ、という機械音。ジャグーンの腕が、大きなナイフに変化する。
ジャグーンは飛び乗った大きな甲羅に、その腕の大剣を振りかざし。
「私は、ヒーローだ!私は私の選択を、恥じない!私は私の方法でこの森を守り、リビアンの理想に殉じてみせる!」
ヒーローの戦いには、胸踊る音楽が相応しい。
流れ出す音割れたヒーローソング。
ヒーローの必殺技には、光り輝く剣が相応しい。
ジャグーンの右腕が沈み始めた太陽の光を集めて力強く輝き。
そしてヒーローはどれほど非合理でも、最後に最高に格好良い必殺技の名前を、叫ぶのだ。
「必殺、ジルコニアソーーード!!!」
振りかぶった瞬間、魔道の光を纏ったその剣が、硬い甲羅を貫き、柔らかな腹を食い破った。
「イーーーーーーーッ」
苦悶の絶叫を上げたペコルは、激痛から逃げようと暴れ、闇雲に走り回る。
走っても走っても、硬い甲羅に刺さった剣から逃げられるわけもなく。
またジャグーンも、暴れ馬と化したペコルの背から逃げようにも、その右腕は深々と甲羅に刺さって引き抜くこともできず。
「最後は、格好い、い、決めポーズを、決めなくては、ならない。」
硬い甲羅に精密機械の腹が何度も激しく叩きつけられ、ジャグーンの神経系がショート寸前だとばかりに火花を散らした。
「ジャグーン、今助ける、から・・・っ!!」
セレナは鎖をジャグーンの右腕に絡める。
引き止めるのではなく、とにかくジャグーンの腕を引き抜いて遠くへと離脱しなくてはいけない。
だって、闇雲に走るペコルの向かう先は、もう。
「止まって、お願い・・・!」
点滅するメインカメラ。ようやく安定した回路、復活した視界で辺りを見渡し、ジャグーンは恐怖で息を呑んだ。
辺りには既に樹木など存在せず。広がるのは一面の砂漠と、ぼこぼこと大地に開いた大穴。
振り返れば、ジャグーンの愛した西方の森は既に遥か遠く、見えるのは必死にこちらを追って砂漠を走るセレナ。
「・・・・・あ」
ペコルは、人より遥かに、崩落を起こしやすい。
それは既に遺体と化していたとしても、同じことで。
最初は、甲羅が傾いたと思った。
斜めになった甲羅はやがて垂直になり、そしてジャグーンの体が重力に従って甲羅にぶら下がる。
着地するはずの大地は既に崩れ落ちていた。そしてメインカメラが捉えたのは、ジャグーンの足元、遥か彼方のマントルまでぶち抜かれた、直径10mほどの大きな、穴。
"全ての希望を、捨てよ"
黒々と口を開けた崩落が、ジャグーンを取り込もうと、大地を正円に切り崩して待ち構えていた。
「っ、させないわ、そんなこと、絶対・・・・・っ!!!!」
ジャグーンの皮膚を、腐臭が灼く。ただの臭いに過ぎないはずのそれを感知し、彼女はただ、溶ける、と思った。
恐怖で固まった視界に飛び込んできたのは、強風で飛んできた、1枚の白い羽根。
一本だけ、セレナがジャグーンの右腕に絡めた鎖だけが、命綱。
心もとないそれを、強風の中でセレナは必死に手繰り寄せて、より強固に束ねようと追加で数本の鎖をこちらへと飛ばしている。
「馬鹿者・・・っ。セレナまで崩落に落ちるだろう!?」
「腕を引き抜いて!!いえ、右腕を折ったっていいわ!!とにかくペコルから離れて、そうしたら貴方1人くらい引き上げてみせるから、だから・・・!!」
いいや。それでは駄目なのだ。
ジャグーンは既に、崩落の標的になった。この崩落は、もうジャグーンの肉片1つ逃さない。
ジャグーンはペコルの一部として崩落のターゲットにされたのだ。
崩落は、標的を飲み込むまで止まらない。ジャグーンがここから脱出して森に逃げかえろうものなら、崩落はジャグーンを見つけるまでひたすら拡大し続ける。そう、森の内部まででも崩落は追ってくる。
・・・などと一つ一つ丁寧に説明してやるのが、ジャグーンの役目であったというのに。
全く本末転倒だ。屈辱だ。あのろくでなしを笑えなくなった。
まさか自分も、与えられた仕事をろくにこなせず壊れてしまうなんて。
「・・・セレナ!」
だからこれは、自分の最後の爪痕だ。
大切な西部の森を守る役目も、大好きなリビアンの寵愛も、全部全部横から掻っ攫って生きていく、妬ましくて仕方のない森の愛子へ。
そして、セレナを望まぬ役割に押し込めるな、セレナの個を殺すなと怒った心優しい男へ。
ジャグーンが至った結論を、伝えなくてはならない。
「セレナは、奴隷ではないのだ!自ら奴隷になろうとするな!!」
既に朽ちかけの鎖は、左手の握力で簡単に砕けた。
最後の命綱を失った体が、ゆっくりと腐臭で灼け落ちる。
・・・・・ああ、模倣の感情でも、これは、怖いな。
先ほどまでジャグーンを支えていた大地が、正円に切り取られて虚無へと落ちていく。
逆さまになったジャグーンは、真っ直ぐと奈落の底を見てしまった。
その手にあるのは死への片道切符だ。これは最後の旅行だ。
6000kmのフリーフォールのカウントダウンは既に、始まっている。
後数分後に自分は、地底に叩きつけられて、跡形もなく体がひしゃげて、ぐちゃぐちゃの腐った遺体の山の中、ただの無意味な鉄屑になって、腐り落ちて、壊れる。
人なら気絶できただろう。だがジャグーンはきっと、その体が風圧で砕けていくのを痛覚神経で認識し、崩落の奥底にある腐った数万の生き物だったものを視神経に記録し、きっと無様に発狂して壊れるのだ。
だったら、自分の最期が、せめて少しでも格好良いものであれと願って。
ジャグーンは自らのメインカメラに、左指を突き立てた。
「いやああああああああああああああ!!!!!」
激しい土埃。ジャグーンの姿はあっという間に見えなくなった。
セレナの絶叫だけが、共に虚しく奈落の底へと落ちていく。
座り込んだタイタンの耳に、がさがさと音が聞こえた。
あの後何が起きたのか、遠くから聞こえてくる轟音で察してはいたが、セレナの頼りない足音でそれが確信に変わってしまった。
彼女は、失敗したのだ。
「たいた・・・ん。」
涙に濡れたその声が、わなわなと震えて、
「ごめん、なさい・・・!」
どさりと、セレナはタイタンの隣に崩れ落ちた。
「ごめんなさい、ごめんなさい!!!ジャグーンを助けられなかった!ペコルも助けられなかった!もっと、もっと魔道の練習をしてたら!!もっと、頑張っていたら、私が立派な魔導師になれていたら、こんなことに、ならなかったのに・・・!!」
見なくても、ぽたぽたと、涙が大地を打つのがわかった。
ペコルを救えず、ジャグーンに命を救われ、呆然と崩落を見つめて・・・でもどうしようもなくなって、とぼとぼこちらに歩いてきたのだろう。
屈辱だっただろう。悲しかっただろう。彼女の悲嘆を今すぐにでも受け止めてやりたかった。
だけれど。
「・・・・・・・・違うんだ。セレナさん。」
タイタンは自らのポケットを探り、丸くて硬い金属の塊を、そちらへ転がしてやった。
俯いたセレナの膝に、タイタンの体温を吸って温くなった金属塊が転がって、こつんと当たって動きを止めた。
その魔道機械には見覚えがあった。だってそれは、タイタンが、ここにきた時に荷物に入っていたもの。今では唯一、タイタンが記憶をなくす前から持っていたもの。
「協会の、結界装置・・・?」
「・・・全部、分かっていたんだ。俺は、あんたの体がこれ以上魔道に耐えられないことも、きっとあの亀を追ったら失敗するのも、そうなったらジャグーンが犠牲になってでもセレナさんを守ることも、全部予想がついていた。気づいていなかったのなんか、あんただけだ。」
タイタン。そう声を掛けようとして、セレナは声を呑み込んだ。
タイタンはセレナを見ない。
俯いて、胡座の上に祈るように組んだ手を力なく置いて、震えていた。
「俺は、結界装置を持っていた。遠出する時は、お守り代わりに絶対に持ち歩いている。万が一結界の外に出ても平気だった。俺はここで待っている必要なんかひとつもなかった。」
タイタンはセレナの膝元に手を伸ばし、結界装置を手に取る。
鈍い光。沈み始めた橙色を反射してきらきらと輝く魔道装置。
結界の外で戦ってきたルーヴを、ずっと守ってきたもの。
「なんで俺がそれをやらなかったと思う。」
セレナは、答えられなかった。
タイタンは手のひらの中でころころと魔道装置を転がし、弄んで、それを苛立ちのままに握りつぶした。
「・・・ひっ。」
魔道装置の壊れる音。そこに込められた守る意思が砕ける。
子供の悲鳴のような音を立てて砕けたそれに怯えて、セレナは僅かに肩を震わせた。
どうして、そんなことを。
いくらB級品の魔道装置でも、それはタイタンにとって大切なものだったはず。
驚きで涙も止まってしまったセレナは、羽根を小さく縮めて、食い入るようにタイタンを見つめる。
長い前髪で見えない表情。だが、その頰は見たことがないほど血の気がない。
「・・・・・怖かった。俺は、崩落が怖くて動けなかった!」
ダン!!
拳が、地面に叩きつけられた。壊れた魔道装置の鋭い金属片を握ったまま、硬く握られた拳から、ぽたぽたと血が滲んで落ちる。
「崖から落ちたり、乱雑に扱った魔道装置が、もし壊れていたらと、1度考えてしまったらもう足が動かなかった!俺は、あんたを守ると誓ったのに!!・・・それに、ジャグーンは、俺の・・・!」
友達だった。
ジャグーンがどう思っていようが関係なかった。
ジャグーンはタイタンの思いを汲んで、弔ってくれた。友達だと思うにはそれだけで十分だった。だというのに、タイタンはその気持ちをジャグーンに伝えられないまま、ジャグーンに当たり散らして、挙げ句の果てに我が身可愛さで見殺しにして。
「俺は、自分が情けなくて仕方ない・・・!俺は、ジャグーンを見殺しにした、あんたが死ぬかもしれないのに、危険に向かうのを止めなかった!!きっとジャグーンがあんたを守ってくれると、自分を誤魔化してここで震えていることしかできなかった!!あんたを守るだなんて、恥ずかしくて2度と言えるものか!!俺は、自分の恐怖にも勝てない、弱虫だ・・・ッ!!」
「タイタン!!!」
どす、と。タイタンの体に僅かな衝撃。あたたかくて柔らかい、セレナの体がタイタンの縮こまった体を優しく抱きしめていた。
「自分を責めて、怒らなくていいわ。それは後からでもいいの。今は、怖かったって、悲しいって、素直に泣いていいの・・・!」
セレナの羽根が、ぎゅっと縋るようにタイタンを包んだ。
自分だって、心細くて、情けなくて仕方なくて、頰を涙でぐちょぐちょにしているくせに、セレナはそう言って、タイタンの震える獣耳を撫でた。
あたたかい。
そのことに気づいた途端、恐怖で凍りついていた心がゆっくりと溶け出して。
ぼろぼろとタイタンの瞳から涙が零れだす。
「・・・っ、くそ!!怖かった!!あんたが帰ってきてくれてよかった・・・!俺が、俺がジャグーンを殺したんだ!!ジャグーンに謝りたいのに、死んじまったから、もう、謝れないんだ・・・!!」
ぐちゃぐちゃだ。
恐怖と後悔と悲しみと安堵と絶望が次々胸から湧き出して、支離滅裂に口から言葉が溢れ出す。
ジャグーンは、誰かを弔うことを知っている、優しい人だった。
そんな人が埋まる墓が、あんなに忌々しくて空虚な大穴であっていいわけがないのだ。
「っ・・・タイタン!私、わたし・・・どうしたらよかったの!?もう嫌、置いていかれるのは、もう、嫌なのに・・・っ!!もっと上手くやればよかった、私が、もっと頑張ればこんなことにならなかったのに・・・っ!!!」
セレナとタイタンは肩を寄せ合って、日暮れまで泣き続けた。
会話ですらない、頭に浮かんだことをただ互いにぶつけ合うだけ。
たった数日、しかも殆ど共に過ごしすらしなかった相手だった。
聞きたいことがまだまだあった。
元より壊れかけの「完璧な計画」は、またひとつレールを外れた。
本来伝達されるはずだった情報は途切れる。
抱くはずがなかった蟠りが生まれる。
元より完璧なものなど、この世界には存在しないのだ。
歯車はやがて錆びる。風信子はいつか枯れる。感情はやがて色褪せる。
一体いつから破綻したのか。破綻した道の先は天国か、地獄か。
そして、その破綻が、もしかして自分のせいなのではないかと。
先の見えない暗闇の中、2人は、ただ怯えて震えることしかできない。




