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偽物の風信子:中編

攻撃する意思がないならそこで大人しくしていろ。

誰かが立てた波のせいでうちの魔道担当が大怪我しているんだからな。

そういった意の言葉をこの数倍は口汚く機械人間に叩きつけ、タイタンはセレナに向き合った。

「・・・タイタ、ン。わたしは、いいから。」

「あれは心配いらん。今はあんたの怪我を見る方が先だ。」

攻撃する意思は本当に無いようだ。タイタンの言葉に素直に従い、ジャグーンはスラリと長い長身をピクリとも動かさず、川のど真ん中に突っ立ってこちらを見ている。

あの機械は確かに「セレナ」と呼んだ。

ジャグーンは、セレナを知っている。

恐らく、この森のヒーローと名乗ったあの機械人間は、お母様が用意したもの。ならばセレナと、セレナの味方らしい振る舞いをしている自分を攻撃する道理はないはずなのだ。

「腕を見る。少し触るからな。」

「・・・いっ・・・!」

タイタンが腕にちょんと触れた途端、セレナが魚のように仰け反った。

額に浮かぶ脂汗。ただでさえ白い肌は白を通り越して青くなり、細く開かれた唇からこぼれ出す荒い息。右腕だけがただ一色、真っ赤に腫れ上がって、指は力なく五体投地している。

「・・・我慢してくれ。」

そう言いはしたが、非常に胸が痛い。この腕の腫れ上がり方、そして僅かに浮かせただけでこの痛がりよう。きっとセレナの右腕は、見事に折れてしまっている。

「魔道具は・・・あんたの鞄か?キツイと思うが、自力で・・・なんとかしてくれ。」

今日ほど自分が魔道を使えぬことを恨んだことはない。

この場にいる人間で魔道を支えるのは、セレナただ1人であるのだから・・・と、そこまで思い至り、タイタンははっとする。

この場にはもう1人、何やら不思議な力を振るう者がいるではないか、と。

「・・・おい、ジャグーンとか言ったな!お前は魔道が使えるのか!?」

藁にも縋る思い、とはまさにこのことであった。

タイタンの必死の問いかけに、場にそぐわない、腹すら立つような単調な返答が、瞬時に返ってくる。

「定義不明。私は全身が魔道で作られた魔道機械だ。ヒューマンの振るう通称『魔道』と私の振るう力には幾分か認識の差異が存在する。」

「なら単刀直入に聞く!お前はこの魔道具を使ってセレナさんの怪我を治すことができるのか!?」

そう言われたジャグーンは、随分久しぶりに動きを見せた。

彼女は足で歩いているのではないらしい。

小指1本分ほど僅かに宙に浮いた体がふわふわとセレナに近寄り、魔道具を受け取り、それをしばし観察した。ぎぎぎ、と僅かな音とともに眼球が動き、舐め尽くすように魔道具を分析している。

「回答。これを私の腕に一時的に接続し、セレナを治療することは可能である。」

「ならやってくれ。こんな震えた手で自分を治療させて、うっかり手が滑ったらたまったものじゃない。これ以上彼女を疲弊させるのも望ましくない。あんたが治療できるならあんたにやってもらいたい。」

タイタンはこの時点でジャグーンがそれを断らないと思い込んでいた。この森でセレナを知る人間は誰1人セレナの敵に回ったことがなかったし、第一ジャグーンは傷ついたセレナを襲うことはなかったから。

「断る。否定。それはヒーロー憲法第7条に反する。」

縋った藁は存外早くに千切れた。

ジャグーンがそう言って、無表情でタイタンの足元に魔道具を置く、その振る舞いがタイタンの目にはやけにゆっくりと、コマ送りのように映った。

「・・・ッ、ふざ、けるなよ!」

急速に時計が回る。タイタンの腰にもさりと重量が増した。

背を向けて再び川の中に戻ろうとするその背中を、その首に思い切り掴みかかり、硬い地面に無理矢理に引き倒した。

「何が、ヒーローだ、元はと言えばあんたがセレナさんを怪我させたんだろうが!?平然としやがって、それがヒーローの振る舞いか!?」

怒りのまま力を込めた手のひらからメキメキと軋む音。地面にめり込んだ機械の頭部から、今まさに自分の頭を壊されようとしているとは思えない、単調な声が聞こえる。

「・・・質問。私がセレナを怪我させたとはどういう意味だ。」

「見ていなかったのか!?あんたが立てた大波に吹き飛ばされた俺にぶつかって、セレナさんは怪我をしたんだ!」

何も考えずこちらに突っ込んで来たこの澄まし顔の魔道機械が悪いのに、どうして1つも悪びれずに、あろうことかセレナの治療を拒否するのだ。

「謝罪。そして訂正を試みる。セレナの治療を行うことを了承する。」

その手のひらは直ぐに返った。

「・・・は、あ?」

「外的要因によって任務が妨害されるのは私の本意ではない。先ほどの行動を謝罪する。セレナを破壊したことは不慮の事故であった。私にセレナを害する意思は全くない。それを証明する目的と、任務をより正確に達成するために、ジャグーンはセレナの治療を請け負う。・・・なので手を離してほしい。」

少々唖然としながらタイタンが力を抜くと、ジャグーンは起き上がり、両目のメインカメラについた砂を一粒ずつ摘んで取り、セレナに向き合った。









「ふふ、ふふ。ジャグーンは面白いひとだわ!ねえ、ねえ!さっきの紙の花びらをもう一度見せて頂戴!」

「拒否。ヒーロー登場演出第3ギミックスロットの残量は残り少ない。ヒーローの登場が地味になってはならない。ヒーロー憲法第4条に違反する。」

あんたらなあ。毒づく声は2人に届かない。夕暮れで橙色に輝く地面に吐き出された大量の紙吹雪が、役目を終えたとばかりに無残に散っていた。

支えこそ巻いているがセレナの腕はほとんど完治した。

元気一杯興味津々のセレナに付きまとわれるジャグーンは、驚くことに、僅かながら困ったような笑みを浮かべている気がする。機械人間にも感情はあるらしい。

全くセレナは大した女だ。あの鉄仮面を見事打ち破って見せたのだ。

ジャグーンと対面で話したからこそ、タイタンは鉄仮面の堅牢さを知っている。

純朴さは彼女の最大の武器なのだ。タイタンが勝手に誇らしくなる一方、ジャグーンの排熱パイプがぴくぴくと震え始めたので、少々勿体ないが、ここは保護者の自分がそろそろセレナを止めなくてはならない気がする。

「・・・骨がくっついたばかりだろうが。大人しくしろ。それとジャグーン。さっきの説明では正直何を言っているのかさっぱりだった。改めてあんたと情報共有をしたい。」

真剣な話に戻ったことに多少ホッとしたようだ。ジャグーンは鉄仮面を再び被り直し、タイタンに向かって背筋を伸ばした。

「先程言った以上の情報を伝えることは不可能。しかし理解に困ると言うなら、もう少し噛み砕いて説明することを試みる。」

そう言うと、ジャグーンの頭部からファンの音。冷却しなくてはいけない程頭を使わせているなら少々申し訳ないとは思うが、そうは言ってもこの機械人間は少々言葉足らずなところがある。

狼の時のように、碌に情報共有ができないままでは困るのだ。話せる時に最大限の情報伝達を済ませなければならない。

「私はこの西部を外部から守護する役割と、その役割を然るべき時にセレナに引き継ぐ役割を担っている。だがもし、セレナがこの西部を守るのに相応しくない状態でここを引き継いでしまっては困る。だからこれからセレナを試験に案内する。私の手助けなしでセレナが試験を突破できたら、この西部をセレナに引き継ぐ。私が伝えられる情報はこれだけだ。」

「・・・伝えられる情報、ね。」

タイタンはジャグーンを睨んだ。脅したつもりだった。だが当然、頭の固い機械人間にはそんなものは通じず、返ってきたのは何の面白みもない模範解答だ。

「肯定。試験を乗り越えさえすれば情報を其方に提供する。未熟な状態でこの西部に隠されている真実に辿り着かれては困る。セレナは設計図の情報を欲してここに来たと推測。だが、もし試験を受けることを拒否するなら、ヒーロー憲法第19条に従い、この森から出ていってもらう。」

以上だ、と。ジャグーンはそれ以降口を噤み、共に夕飯を囲んでも試験のことは一切口にしないのだった。




翌朝。私は同行しない、遠くから試験官として見守るとジャグーンは告げた。

「試験はリビアンの別荘に辿り着くまでに力を示すことだ。途中の罠で脱落した時点で失敗。協力者としてタイタンの参加も認める。セレナが完全に壊れると判断した時点で、西部の罠を完璧に記憶したスーパーヒーローがセレナを救出するが、その時点で試験は失敗。セレナには北部に帰ってもらう。」

「・・・試験に合格したら、計画について知っていることは教える。その言葉に嘘はないな?」

ジャグーンはふわふわとタイタンの上空を逆さまになって浮いている。

「嘘をつくことはヒーロー憲法第1条に違反する。試験を乗り切れば、計画について、私が伝達するように頼まれていることは教える。・・・では。ヒーロー、発進。」

ジャグーンはそう言うと、片腕を空に突き出し遠くへと飛んで行った。

後に残されたのは、土ぼこりに一度噎せたタイタンと、少し元気のないセレナだけ。

「・・・試験、なんて初めて。力を示せ、って。別荘にたどり着くだけでなく、何かを示さなくてはいけないのかしら?」

「・・・なんにせよ、別荘に辿り着かないと話にならない。一旦は無事に先へ進むことを考えよう。」

と言っても、タイタンには目星がついていた。セレナを術士として大成させろ、という、狼の遺言。それを達成しているか判断する試験官がジャグーンなのだ。

そしてその大成とは、おそらく魔道の変質。だがセレナは、

「うーん、また同じ川に出たわ?幻覚なら大体破壊できるのだけど・・・。」

と、鎖を頭上でブンブン回している。変わったようには全く思えない。

「向こうに薄く見える塔のようなもの、あれがおそらく別荘なんだろう。この川を越えると、別荘との距離が離れる。魔道の強制転移で元に戻されているんだ。」

進路を塞ぐ川は3本。セレナたちは裸足で川を進んでみるが、3本目の川を跨いだ途端、一本目の川のある位置に戻されてしまうのだ。

「・・・ややこしい。」

何度繰り返しても変わらない光景に腹を立て、タイタンが小石を蹴った。すると。

ころん。

小石は3本目の川を渡った先で、止まった。

「・・・タイタン!お手柄よ。魔道の痕跡が見えなくて参っていたけど・・・。川を渡らなければ、向こうに行けるみたいね?」

セレナは川の中に石を投げ込むと、小石は忽然と姿を消した。

「それはわかったが、どうするんだ。川の中に入ったものは消えてしまうから、足場を積むわけにはいかない。橋渡しに出来そうなものなんか、その辺に転がってない・・・ジャンプして対岸に渡れ、とか言うなよ。絶対に無理だからな。対岸まで何メートルあると思っている。」

「もう。いい案だと思ったのに。鍛えてるんでしょう?なんとかしなさいな。」

「・・・いつもの仕返しか?」

一体どうしたものか。とりあえず、セレナを担ごうとすると。

「・・・う・・んと。こう、かしら。」

何やら隣からひゅんひゅん音がする。

「・・・ねえタイタン。橋を建築する時って、どうやって作ると頑丈になるのかしら?なんでも手作りするのが私の特技だけれど、川は大体泳いでしまうから橋を作ったことはないのよね。」

「はあ?それは・・・太い丸太を2本対岸に渡して、その間に足場を・・・って。まさか。」

ぎぎぎぎぎがじゃじゃじゃじゃ!!!!!!

突然セレナのスカートの下から鳴り響いた工事現場のような爆裂音。

耳を劈いた騒音に腰から崩れ落ちて耳を塞いだタイタンの顔の横、銀色の鎖が頰を掠めて飛んでいく。

「ううん・・・耐久度が足りないかしら。ああもう、うねうねと、蛇のように畝らないで頂戴?私が作ったものなのに、私の言うことを聞かなくなってしまって・・・困ったものだわ・・・」

ぶつぶつと不満を呟くセレナの声に、おそるおそる瞼を開いてタイタンは絶句する。

セレナの鎖が、川に橋を作っている。

目を閉じている間に、辺りに生えた木や、岩に何十本の鎖が巻きついていた。

それは崖に近づくごとに束ねられ2本の太い丸太になり、その2本を八の字にするように、今度は細い鎖が隙間なく巻き付き足場を形作っている。

手すりこそないが、遠い対岸まで作られた丈夫そうな橋が瞬時に目の前に、現れた。

「・・・ナイスだセレナさん。やっぱりあんたは凄いな。」

「ふふ。正攻法なんて無駄よ、無駄。さっさと渡ってしまって頂戴。」

「破壊しかできない、なんて言うけれど。あんた、やっぱり壊すより作るほうが向いてるんじゃないか。」

「魔道の性質がそうならよかったのだけどね?まあ、そう物事はうまくいかないわ。」

セレナの作った橋を渡り、2人は先へと進んだ。




「・・・あら?ふふ、ここにもリスがいるのね。」

その言葉を聞いて上を見上げれば、セレナの斜め上の枝に、3匹のリスが身を寄せてくつろいでいるのが見えた。

「本当だ・・・2匹は小さいな。子供か?」

「リスのお産の時期が終わったばかりだもの。夏のリスは子育てで大忙しなのよ。」

シマリスといえば縦縞のものが一般的な気がするが、この森のリスは腹にぐるりと横縞があるようだった。

くりくりとした目とふわふわの尾。文句なしの可愛らしい小動物に、セレナの目はハートマークを浮かべている。

しかし、そんな人間の事情など、リスは知る由もない。

一回り大きな茶色の母リスが、ふわふわした毛玉のような子リスを庇ってタイタンたちを威嚇し始めた。

「流石に西部の生き物は友達じゃないのか。」

セレナが生き物に威嚇されているなんて、珍しい。北部や南部の生き物は大体セレナと友達だった。

なんだか面白くて揶揄ってやれば、むっとしたセレナが即座に反論してきた。

「森のプロは無闇に野生動物を刺激しないの。怯えて可哀想よ、早く行きましょ・・・」

何かの罠かと誤解するほどの速さだった。

可愛らしい子リスは、2人がここを去ろうと背を向けた瞬間をわざと狙って、セレナの後頭部に弾丸のごとく体当たりをかましたのだ。

「どええ!?」

衝撃で仰け反ったセレナは顔面から思い切り転んだ。

「セレナさん!?」

ぎょっとして目を見開くタイタンの真横。華麗に着地したリスが、ぎろりとこちらを睨む。

かわいいからって舐めるんじゃないぞ、と。

「こ、攻撃的すぎないか!?今のはただの嫌がらせだろ!」

セレナがいたた、と薄く目を開いたその横。

逃げ去る3匹のリスのふわふわの尾が頰を掠め、そしてリスの足元からかちり、と不穏な音。

何か耳に冷たい風が。頭を打ってぼんやりした思考に、少しずつ、けたたましい警戒音がフェードインしてくる。

「タイタン!!しゃがんでーーーー!!」

その間僅か3コンマ。セレナは慌てて手を引いて、タイタンを引き倒した。

どごごごごごご!!!!

先ほどまでタイタンの頭部があった場所を、本物の白い弾丸が豪速で襲撃する!!

「あ、あんのクソリス・・・ッ!」

悪態をつく暇もない。

四つん這いのタイタンの下のセレナがモゴモゴ言いながら、急げ、とタイタンの背中をバンバン叩いている。

何が。という疑問はすぐに解消された。

樹木に陥没した白い銃弾からぶしゅううう、という空気の吹き出す音。それと共に、視界が白煙で埋め尽くされる。

「け、煙玉・・・?むぐ。」

「煙を吸っちゃ駄目よ!得体が知れないんだから!!」

セレナがタイタンの口にストールを押しつけた。セレナもそれだけを告げると、唇を固く閉じて鼻をつまんだ。

とにかく、これが毒だとしたらまずい。

急いでここを抜けなければ。しかし腕の中のセレナに全く動きはない。

疑問に思ってそちらを見れば、セレナは何故だかぼんやりしている。様子がおかしい。

「・・・・っ、」

何をしている。と問いかけようとした口を慌てて閉じる。

先ほど警告した時に煙を吸ってしまったのだ、セレナは。

また俺のせいか、と自責をするのは後でも良い。セレナを抱えてタイタンは走り出す。

研ぎ澄ませ。研ぎ澄ませ。研ぎ澄ませ。

全力で感覚を張る。鼻が駄目なら、耳で、肌で、目で、それを全力で感じ取れ。

このまま西部で良い所なしのまま、終わってたまるものか。

なるべく地面を踏む回数を減らす。できる限りの大きな一歩で、地面を思い切り蹴る。

酸素が消費されて、だんだんと視界の隅がちらついてくる。口を開けてしまいそうになる。

毒でもなんでも。一度くらい呼吸をしたって平気なのではないか。

タイタンはそう思いかけた。しかし、視界に入った痙攣する茶色い毛玉を見てそれを考え直す。

先ほどの子リスだ。逃げ遅れたのだ。この子を守るはずの母リスの姿は周囲にはない。

さっさと逃げなければ。構っている暇はない。

「・・・」

第一こんな事態になったのはリスのせいで。

「・・・・・」

小憎たらしいリスの痙攣は、ますます酷くなっていく。

「・・・・・・・チッ。」

タイタンはシャツの胸ポケットにリスを仕舞い、白煙の薄くなる方へと駆け出した。



「・・・優しいのは知っていたけれど。ちょっと意外だったわ。」

「・・・うるさい。放っておいたらあんた怒るだろ。面倒を避けただけだ。」

煙の痺れはすぐに取れたらしい。セレナは魔道具を使うまでもなく元気を取り戻した。

「リスさん。ちょっとだけ痛いけれど、すぐに良くなるわ。我慢してね・・・。」

セレナが取り出したのは小さなメスのような魔道具だ。それを痙攣するリスの腹に添えて、一度だけつぷりとそれを腹に挿し込む。メスの切り口はみるみる塞がり、リスの痙攣はすぐに止まった。

「ふふ、タイタン。早く行きましょう。・・・この子のお母様が困っているわ。」

「・・・次に悪戯したら叩き切って夕飯にしてやるからな。覚えておけよ。」

余計に時間を食ったと、急ぎ足で去っていくタイタンたちの背中はすぐに見えなくなる。

その背中が豆粒ほどの大きさになってようやく、ひうひうと泣き声を上げる母リスが、子リスに駆け寄ったのだった。



「とにかく昼飯だな、あとは川を探して水浴びを。・・・はあ、キツいな。」

休憩と言われた途端、セレナは地面にへたり込んで一言も発しなくなってしまった。

「暑い、暑いわ・・・もう無理、動けないわ・・・。」

全力疾走したあとのように息切れしている彼女を、じりじりと真上から太陽が焼いている。

重労働もそうだが、気温が高い。当たり前だが、数時間直射日光に晒されっぱなしで2人の体力はかなり削られていた。

少し涼しい場所で休むなりしないと、この蒸すような気温にやられて、夕方になる前に2人でダウンしておしまいだ。

「先に水汲みを済ませるから、セレナさんは飯の準備を頼む。」

「はーい。気をつけてね。」

と言っても、彼女はすぐ近くの木陰で作業をしているので、独り言は嫌でも耳に入ってきた。


「あら・・・?ええと、昨日の・・・?・・・ねえ!待って。ちょっと、待ちなさいったら!」

どたどたどた。セレナが走り去る音。

走り去る音・・・?

「・・・っ、て。こら、こらこらこら!!!勝手に何処かへ行くな!」

「ひゃあ!」

絶対に、絶対に聞こえるように。腹の底が振動するような重低音に驚き、セレナは尻から思い切りすっ転んだ。

油断も、隙も、ありはしない!

「だ、大丈夫、私は大丈夫だけれど!ま、待ってったら・・・!」

セレナが、川の向こうを困ったように見つめて羽根をぱたぱたさせていた。

「どうした。何がいた?」

「その、擽ったいと思ったら、リスさんがいつのまにか横にいて・・・ええと、それでね?これを置いて、すぐに川を泳いで逃げていってしまったの。・・・なにかしら、これ。大きな、葉っぱ?」

セレナがそう言って指差したのは、まるで大きな笹巻きおにぎりのような包みだった。

茎と幅の広い葉を器用に使って作られた風呂敷包みは、信じられないがあのリス達のお手製としか考えられない。しかしあのいたずら好きたちの贈り物だ。セレナに念のため離れるよう伝え、タイタンは緊張しながら茎を切って包みを開いた。

中には赤くてつるつるした、丸いものが入っていた。木の実かなにかか、とそれを持ち上げて匂いを嗅ぐ。その青臭い匂いにタイタンは覚えがあった。

「・・・トマトか?」

畑で採れるものよりは一回り小さいし、少し硬いが、トマトの匂いだ。

なんと葉包みの中にはトマトが5個、包まれていたのだ。

「・・・ふふ、きっと助けてくれたお礼よ?よかったじゃないタイタン。」

「どうだかな。西部で採れるものなら、毒があっても不思議じゃないだろう。」

「もう、タイタンったら。なら毒味をすれば信用するわね?貸して頂戴。」

そう言うセレナに、しぶしぶトマトらしきものを渡してやる。セレナは前歯だけで赤い皮をかじり取るとそれを舌に乗せ・・・少しだけ味わってそれを飲み込んだ。

「大丈夫よ。畑のものより原生種に近くて酸味があるけれど、トマトだわ。」

未知のものを食べる時、不本意ではあるが毒味役はセレナに任せている。

タイタンとしては渋々の判断なのだが、思えばセレナは見るだけでものの構造がわかる魔道のプロだ。たぶん毒味も似たようなことをして、安全に行なっているのだろう。

「・・・信用していないわけではないが。それでも毎回肝が冷える。」

「つくづく心配性ね貴方は。お腹が空いているのでしょう?塩をかけて丸かじりしましょうか・・・いえ。いえ!」

ぽん、とセレナが手を打った。

そしてしばらく考え込み・・・興奮したようにタイタンに向かって叫んだ。

「これだわ!ええ、ええ!いいことを思いついたわ!」

いきなりどうしたんだ。ちょっと腰を引いたタイタンとは正反対に、セレナの瞳はきらきらと輝いている。



「・・・スープ?いくら野菜だけだからって、炊事の匂いを立てるのには賛成できないぞ。」

「ふふ、いいから手伝って頂戴な。」

トマトが少し硬かったのが幸いした。いつもセレナが収穫するような、柔らかく熟れたトマトはこれほど簡単に摩り下ろすことはできない。

タイタンはセレナに言われるまま、おろし金でトマトをひとつひとつ擦り下ろしていた。

体良く面倒な作業を押し付けやがったな。

恨めしく思いながらごしゅ、ごしゅ、とトマトをおろし金に擦り付ける。

その間セレナは鞄を漁って調味料を物色している。塩、乾燥ハーブ、木ノ実のタネを絞って作った調理油がセレナの目の前に並ぶ。

そしてすっかり乾いて硬くなってしまった丸パンの皮を刻んで魔道で僅かに炙り、クルトンのように仕立て上げた。空腹も限界のタイタンはその香ばしい香りに喉を鳴らし、クルトンを1つだけ口に放り込んだ。

「あ、ちょっと!」

「炙るだけでかなり食べやすくなるな、うん。うまい。」

軽く炙られたパンは無味であったのが嘘のように、僅かな塩気と香ばしさを取り戻していた。水分がないのは相変わらずだが、それでも以前よりはよっぽど食べやすい。残りのパンは全部炙ってラスクにしてしまっても良いくらいだ。

「つまみ食いしていたらなくなってしまうわ。ほら、剃り終わった果肉は半分寄越して頂戴。」

セレナにボウルを渡す。それを清潔な調理用の布袋に注いで、裏濾しをする。

結構な果肉が布の中に残った。セレナはそれを煮沸消毒した瓶に注いで塩とハーブで味をつけ、蓋をした瓶を再び煮立った湯の中へ入れた。

「ああ、なるほど。加熱するのもやりようだな。蓋さえあれば匂いは立たない。」

「ふふ。それにこれは冷やしてから食べるものだから。でも、今日の主役はあくまでスープ。これは明日からパンに塗るために作ったの。」

セレナはそう言って、瓶から目を離してスープ作りを再開する。彼女はトマトのしぼり汁と擦り下ろしたトマトを混ぜ合わせた。

「意味のない行動に思えるかもしれないけれど。果肉が多すぎても舌触りがよくなくて、あまりスープらしくならないの。」

塩をふたつまみ。乾燥ハーブをふた振り。それだけでバジルとオレガノの爽やかな香りが鼻腔を焼いた。

そして木の実のオイルで甘さと香りを足して、最後にクルトンを浮かべれば。

「はい、完成。味見は自分でして頂戴。」

木の椀に注がれたのは、トマトを擦り下ろした果汁と見た目はそれほど変わらないのに、確かにスープとして成り立っている不思議な代物。

加熱していないぶん、トマトの新鮮な香りが強い。空腹も限界のタイタンはいただきますも忘れてそれを一口含んだ。

「・・・・はあーーーーっ。」

ため息が出た。完璧だ。セレナはタイタンの体が求めていたものを見事に出してみせた。

普段作るトマトスープは煮込んだ野菜や肉の風味を足す。なのでいくら調味料を足そうが味の厚さでは劣るだろうと思っていた。

だが、あれとは全く別物のうまさだ。シンプルな、ストレートな旨さがそこにあった。

ガツンと舌に届く生のトマトの爽やかな香りと、それを引き立てるハーブ。足りないコクは木の実のオイルで補われている。そこにザクザクとしたクルトンが歯ごたえを加える。

セレナがパンをスープに浸けて食べているのを真似ると、足りなかった水分と塩味が補われたパンは、最早別物と言っていい代物に変身した。

「味付けは大丈夫?お塩を足してもいいのよ?」

「いい。旨い。完璧だ。あんた本当天才だよ・・・。」

やっぱり危険な魔道学者からシェフに転職させよう。

少々オーバーリアクションが過ぎるだろうと思うが、それでも噛み締めるようにスープを味わってくれるタイタンを見て、セレナは頰を綻ばせた。

「ふふ、ふふ!リスさんとタイタンに感謝をしなくてはいけないわ。あの時タイタンがリスさんを助けなかったら、こんなに美味しいものは食べられなかったもの。」

しかし感謝をしている間はない。爆速でスープを飲み干したタイタンはすでにお代わりに手を伸ばしている。早く食べないとセレナのぶんが無くなる。

「ちょ、ちょっとは遠慮しなさいな!私だって頑張ったのよ、私のお代わりも残しなさい!」

「トマトを手に入れたのも、一生懸命トマトを擦り下ろしたのも俺だからな!」

慌ててお玉を奪い取ろうとしても遅い。

鍛え上げた身体能力を遺憾なく発揮して、カルタを叩くようにお玉を奪ったタイタンが、椀にスープを注ぐ。1回、2回、3回、4回・・・。

「ああもう、一杯に盛りすぎでしょう!?溢れそうなくらい並々に盛るのは狡いわ!」

怒るセレナに、タイタンは水浴びの順番を先に譲ることで手打ちにしてもらった。



その後もセレナたちは、数々の苦難と戦いながら先へ進む。

長い蔦が道を塞いでいるのを切って先に進もうとしたら、西中の蔦が悲鳴を上げたり。

石ころでできた鹿の群れがタイタンたちを轢き殺そうとしたり。

別荘だと思って進んだ先にあったのは、ロンドンの大きな時計塔を模したハリボテだったり。

挙句の果てには野生化したジャグーンの紙吹雪マシーンが襲いかかってきたり・・・。

一瞬たりとも気の抜けない探索に2人は疲弊し切っていた。


森に入ってから3日が経過した。今2人の前に立っているのは、切り立った崖だ。

「・・・また?橋を作るから少し待っていて。」

「・・・なあ、あんた。いや・・・。」

プレッシャーをかけてはいけないと、タイタンは「日に日に魔道の制御ができなくなっていないか。」という問いを飲み込んだ。

「頼む。一気に渡ってしまって・・・!?」

タイタンたちの目の前に現れたのは、巨大な石人形。石人形は容赦無く作りかけの橋を叩き割る。

『認証。未確認生体反応が1。破壊者の生体反応が1。』

「は、破壊者・・・?」

身に覚えのないその言葉にタイタンは怪訝な顔をする。何事かと問う前に、セレナの鎖が石人形を打ち砕いていた。

「待てセレナさん、様子がおかしい。これがジャグーンの試験の1つなら、慎重に立ち回らないと・・・。」

止める間も無く、セレナの槍が天から降り注ぎ、石人形を粉々に打ち砕いてしまった。

「セレナさん?・・・あ!?」

信じられないことが起きた。粉々に砕かれた石人形の破片たちは、空中をふわふわと飛び回り合体した。

先ほどより小さくなった代わりに石人形は五体に増殖し、再び2人に襲いかかったのである。

「だから、言っただろ!」

「っ、ごめんなさい。・・・ディディの時と似てる。」

あの時は魔道の糸を保護区と拠点から細く伸ばすことで、再生の魔道を広範囲に広げていたのだったか。

だが今回厄介なのは、魔道の糸ではなく、魔道のパイプとでも呼ぶべきものが石人形たちに繋がれていること。

あの時とは、魔道の発信源との距離が違う。さらに言えば、魔道の発信源はおそらくジャグーンであるので、居場所の特定が困難だ。

「逆流させた程度で簡単に壊せるものじゃないわ。解析する時間を稼いだところで・・・。」

「いや、倒して先に進まなくてもいいだろう。崖を渡る時間さえ稼げば振り切れる。」

タイタンは襲い掛かる石人形の腕を弾き返し、五体の石人形に向き合った。

「俺が道を開ける。セレナさんは橋をかけることに集中していてくれ。」

「・・・わかった。」

タイタンが狙ったのは、石人形の膝。鍛え上げられた足が大地を蹴り、そのまま剣を石人形の膝を横薙ぎにする。

まるで稲妻のような土煙が残された、次の瞬間には石人形たちの片膝がバターのように切り落とされていた。

「今!」

セレナのスカートからじゃらじゃらと伸びた鎖が簡素な橋をかける。セレナを小脇に抱えて、タイタンはそのまま突っ走った。

「・・・なん、か。たわんでないか!?」

「ご、ごめんなさい・・・!なるべく早く抜けてしまって頂戴!」

セレナが張った橋はところどころ隙間があり、一歩踏み出すごとに僅かに足が沈む。

こんなことは今までなかった。頭をよぎる、西部に入ってから今までの彼女の不調。

そして、膨れ上がった予感が的中した。タイタンが対岸に着く前に、しゅるしゅると鎖が解け出した!

「まず・・・っ。」

そして再生した石人形が2人目掛けて飛びかかる。

死んだ。セレナが覚悟を決め目を閉じる。だが予想していた衝撃はない。

空中落下を始めた2人の視界に最後に映ったのは、巨大な陸亀。

陸亀がセレナの鎖、石人形たちを、まるごと噛み砕いて、飲み込むのを見届け、2人の意識はそこで途切れた。






















よく眠った。

そうタイタンが思ってしまうほどには、痛みひとつない快適な目覚めだった。

少々右肩が痛むが、寝違えた程度のもの。

「・・・・・タイタンの起動を確認。」

違う。自分は、谷底を落下して。

「ーーーーーーッ!!」

がばりと起き上がると、少し離れた岩場で体育座りをしているのは、あの鉄仮面の機械人形だ。

「セレナさんは!?」

「回答。既に1度目を覚ましている。再起動はまだだ。命に別条はない。」

慌てて辺りを見渡せば、月明かりの向こうに、タイタンの上着の上に寝かされて上下する薄い腹と、力なく広げられた真っ白な翼が見えた。

「・・・・っ、よかった・・・・!」

飛びつきたくなる気持ちを堪えた。彼女は疲れ果てて眠っているのだ。

一息をつき、改めて周囲を確認する。

谷底に落ちたのは間違いない。ここは一度降りてくるはずだった、あの渓谷の最下層だ。

遠くに見える空、丸い月が煌々と谷底を照らし、周囲は真昼のように明るい。

「・・・あんたが、俺たちを助けたのか。ということは、試験は失敗か?」

「否定。試験に失敗していたらもう北部まで送り返している。セレナとタイタンは自力で生き残った。私はただここで監視を続けていただけだ。谷底で危険な生き物に食われる可能性もあった。故に監視が必要。しかしその前にセレナが目覚めた。」

「・・・自力で?自力で生き残っただって?」

落下の直後に頭が真っ白になったこと以外何も思い出せない。

セレナは気絶していたし、何かをしたならば間違いなくタイタンだが・・・生憎あの状況から助かる策など今冷静に考えても全く思いつかない。

「回答。タイタンは壁に剣を突き立てて落下の衝撃を相殺して安全に降りたあと、セレナを自分の上着の上に寝かせて、一度吐いた後に気絶した。壁に跡が残っている。」

言われるがまま、指さされた方を見ると、確かに、硬い岩の壁に、長い長い裂け目が上空からずっと続いている。

なるほど、妙に右肩が痛いのはそのせいだったか。

確かに、今の自分はいつのまに人狼の姿に変化していた。あの尋常ではない筋力をもってしてなら、そんな馬鹿げた芸当も可能であろう。火事場の馬鹿力とは全く恐ろしいものである。

タイタンは傍に落ちていた剣の柄を握った。2人の命を救った相棒を労おうとそれを持ち上げ・・・それが妙に軽いことに気づく。

「・・・まあ、当然か。」

身の丈ほどあった立派な大剣は、根元から見事に砕けていた。

どれほど長く使っていた剣かは知らないが、この自分の性格だ。酷使していたのは間違いないし、なにより狼の力を得てからというもの、何倍にも増した筋力で更に負荷をかけていた。

寿命だったのだろう。あっさりと諦めがついた言葉とは裏腹に、折れてもう使い物にならない柄を手から離すのは何故だか酷く抵抗があった。

「・・・まただ。また・・・俺が、なくなってしまう・・・。」

この名前もない剣は、もう残り少ない、過去の自分が持っていたものだった。

数多の危機を斬り払い、セレナを守ってきた、タイタンの誇りと言うに等しいその鈍く光る刀身は既に砕け散り、名も無い灰色の石ころの中に紛れてしまっている。

「質問。大事なものだったのか。」

急に黙り込んだタイタンを不思議に思ったらしい機械人間が声をかけてきた。

最初こそ腹が立ったその単調な喋り方。だが今は、自分が纏った外面を砕き、打ち破ってしまうような純粋さがそこにあることが、わかる。

「・・・そうだな。壊れてしまったのが、悲しいんだな、俺は・・・。」

つい弱音がこぼれた。

月明かりがこれほど有難いと思った日はない。

ただここで転がっているだけの無価値の石ころと、2人の命を守って命を散らせた誇り高い大剣の亡骸が、一緒にされなくて良かった。

何もない静かな谷底で、死した相棒をこうして、ひとつひとつ見つけることができる。

「・・・提案。大切なものが壊れたなら、墓をつくればいい。」

「・・・馬鹿言え。ただの剣だ、道具だ。人じゃあるまいし。」

「質問。何が違う?体が肉であるか鋼であるか以外の差異を認められない。大切なものが壊れたら墓をつくると私はリビアンに教わった。私は何かおかしいことを言っているか?」

その瞳は硝子玉。だがその奥、青い風信子の草原が心地好さそうに揺れている。

「そうだな。俺が間違っていた。悪かったよ。」

タイタンは重い腰を上げ、ひとつひとつ、月夜に煌めく鋼のかけらを拾い集め始めた。

拳ほどのものから、伸びた爪でつまんでもうまく持ち上げられないほど小さな破片まで、ひとつひとつ、丁寧に。

そしてそれを、壁に残った剣の跡の下、僅かに開いた穴の中に入れていく。

この剣の最後の仕事の痕の下にできた、天然の骨壺。これほどこいつの墓に相応しい場所はないだろう。

「・・・ふう、多いな。」

まだまだ地面はきらきら光っている、これは骨が折れる作業になりそうだと思った矢先、骨壺の横に3つ、鋼のかけらが置かれた。

「・・・俺を手伝うのはヒーロー憲法違反ではないのか?」

「回答。試験には関係がないと判断した。1人で作業するより早いだろう。」

「そうか。ありがとう、助かる。」

そのまま、昨日怒鳴りつけた機械人間がぷしゅぷしゅと動く音を聞きながら、黙々と鋼のかけらを拾い集める、なかなか不思議な時間が過ぎていく。存外早く拾い終わったのは、拾いにくい小さな破片をジャグーンが率先して拾ってくれたからだろうか。

骨壺の中身はきらきらと煌めいていて、もう使いものにならないものとは思えない。

未練を断ち切るように、そこに平らな石で蓋をした。そしてその上の岩の切れ目に再び柄を突き刺し、墓標の代わりとした。

「・・・墓だしな、手を合わせるべきか。」

「・・・疑問。私は手を組むとリビアンに教わったが。」

「どっちだっていいだろう。弔う気持ちがあればなんだっていいんだ、こういうものは。」

「了解した。」

そのまま、無機物の集合体に2人で手を合わせる。

側から見れば辺鄙な行為だっただろう。だってここに埋めたのはただの剣だ、道具だ。

だが、このただの名も無い鋼の塊は、幾度となくセレナを救い、タイタンと共に戦い、ルーヴと共に戦った剣だ。ルーヴがタイタンになっても、何も変わらず背中についてきてくれた、大切なものだったのだ。

「・・・・・・・・」

この剣はもうタイタンと共に戦うことはないけれど、タイタンはこの剣を失ったわけではない。

かつてルーヴだったものは次々に欠落していくが、それでも、ここに確かに、この剣だけは残っていてくれる。

そのことが、タイタンにとってこれほど救いになるなんて、自分が欠けていくことを恐怖するのではなく、欠けていくものをひとつひとつ弔えば良かったのだなんて、考えもしなかった。

「感謝する、ジャグーン。墓を作るというのは良い提案だった。・・・随分気持ちが楽になったよ。」

「質問。墓参りは終わりか。ヒーローソングの演奏は必要ないか。」

「・・・・・要らん。セレナさんが起きるだろ。」

ジャグーンとタイタンは、一仕事を終えたと、魔道ランプを囲んで座った。

食事は要らないと言うので、タイタンはじっとこちらを見つめる視線を気まずく思いながら、最早スポンジにしか思えなくなった乾いたパンを齧る。

「質問。ずっと聞きたかったことだ。タイタンはどうしてろくでなしに義理立てした。あの狼はろくでなしだ。無関係のヒューマンを都合がいいからと利用してこの森の事情に巻き込むろくでなし。タイタンはろくでなしの顔面に一発おみまいしてさっさとこの森から逃げることもできた。どうしてそうしなかった。」

ジャグーンはルゥがどれだけ嫌いなんだ。

「・・・あんまり悪く言わないでやってくれ。狼は狼で自分の役目に思うところがあったみたいだし・・・。」

「否定。役目というのは設計図のアップデートのことは指していない。そちらではなく、引き継ぎが下手すぎるということを言っている。」

いや、それも、襲われながらの引き継ぎだったから狼に非はないわけで。

むしろ襲撃のせいで計画が狂った狼に同情するのが正当なくらいだ。

あれは襲ってきたハンターが悪いというか、タイミングが悪過ぎたのだ。それにしてもやけに高圧的なくせに説明が下手だとは正直思ったが。そのせいで今こんなに苦労しているわけだし・・・いや。設計図のアップデート?

「待て待て待て。設計図のアップデートってなんだ。俺はセレナさんに渡しものを渡すようにしか言われていないんだが。」

「・・・ヒーロー憲法第22条に抵触。」

仮面の額に冷や汗が見えた。

これは言われなくてもわかる。しまった、と顔に書いてある。

「おい、流石にここでだんまりは無しだろ。設計図ってそんなに大事なものなのか?アップデートってどうやってやるんだ。というかそもそもこの・・・わけのわからん記憶が本当に渡しものなのか?」

矢継ぎ早び質問をぶつけ、極め付けに睨んで脅してやる。

脅しはやはり効かなかったが、最後の質問を聞いた途端、気まずそうなジャグーンの表情が、変わった。

まさか、だとか、ぞっとする、だとか、あのろくでなしめ、といった色がくるくると鉄仮面の上で色を変え。

「・・・ヒーローは、人を救うのが仕事だ。ヒーロー憲法以上に、それが一番大切なことだ。タイタン、故に忠告する。さっさと計画を終わらせてそのデータを手放さないと、取り返しのつかないことになる。」

ジャグーンの機械の声が、冷え切っているのが感じ取れた。

舌があれば舌打ちしていた、とジャグーンは心底嫌そうに言い、タイタンに向き直る。

「データの危険性も伝えないまま渡したな、あのろくでなしは。タイタンだって予兆は感じ取ったはずだ。タイタンの空の記憶メモリを、そのデータはすぐに侵食する。急がないと、過去どころか、今のタイタンを上書きされる。計画のタイムリミットは、タイタンがセレナのことを忘れる時だと思うといい。」

「・・・・・セレナさんを、忘れ、る・・・?」

人は、嫌なものから都合よく目を逸らしたがる。

セレナのことをタイタンは責められない。タイタンだって同じ穴の狢だ。

「いや。いや。得体の知れない過去の記憶が・・・見たことのないものが、まるで見聞きしたように記憶の中に当たり前に居座っているのはわかっている。だが、自分を乗っ取られるなんて、そんなこと。」

「回答。そのデータを長く持っているとそうなる。そのデータにある複数のヒューマンの記憶とタイタンが混ぜられて発狂する。・・・だから聞いた。どうしてそこまでしてあのろくでなし狼に義理立てしたのかと。まさか、知らなかったとは思わなかった。」

ジャグーンのため息が、やけに遠い。

タイタンの鼓動が煩い。

どくん、どくん、どくどくん、と、時折不規則になる鼓動が、気持ち悪い。

「・・・俺が。セレナさんを、忘れる?」

これほど自分の奥底に深く根付いた、自分の全てと呼ぶに等しいこの恋情を?

この命を賭して守ると誓った尊い存在のことを?

記憶を失ってこのかた、真っ当な人であることすら捨ててここまで来たというのに。

・・・・俺は、それすらも奪われるのか?

タイタンは崩落の底に置き去りにされたような気分で、眠るセレナの横顔を見つめていた。




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