偽物の風信子:前編
「見つけた。この下に生体反応装置の子機が埋まっているわ。」
セレナはそう言い、こんこんとつま先で地面を蹴った。
「・・・あーーなるほど。これは確かに。何かが地面の下で脈打っている感じがする。」
靴越しにも感じる、ばくん、ばくんという気持ちの悪い脈動。脈動する地面を踏んでいると、なんだか自分の心臓まで同じように脈打っているように錯覚する。
「本当、五感が人間離れているわね。ええと、次の装置は・・・。」
「こっちか?」
タイタンが意識を傾け、無用意な一歩を踏み出した途端。
「わーーーーっ!!!!止まって止まって!!!!」
セレナが叫んだ。瞬間、地面からなにか尖ったものが突き出し。
タイタンがセレナを小脇に抱えて飛び退いた先、がちりと何かスイッチを踏む音。
「あっ。」
吹き出した冷や汗。木の幹を蹴って飛び上がった足にすれすれでロープが掠め、それがはるか後方、崖の方へと引きずられていく。
太い枝の上、ほっと一息をついた顔の真横、大きな岩が括り付けられているのに気づき、タイタンはひゅっと息を飲み込んだ。
油断も隙もありゃしない。額を手の甲で拭い、息を整える。
殺す気か。
部外者はともかく、ここにいるのはあんたの大事な大事な娘だというのに。お母様が生きていれば間違いなくそう怒鳴っていた。
・・・西部に来てからと言うもの数分おきにこんな調子だ。
1歩歩けば岩が降る。2歩歩けば地面が崩れ、それを避ければ槍が降る。
まだ西部に突入してから半日も経っていないと言うのに、既に精神がすり減っている。
一瞬も気を抜けない状況がこれからまた何日も続くのか。
うんざりと、ため息をついたタイタンの腰元から蛙の潰れたような呻き声。
「・・・うう、タイタン、そろそろ、おろして。」
「わ!悪い!」
まるで鉄棒に洗濯物が干されているかのように、タイタンの腕の中で二つ折りのセレナが青い顔をして呻いている。お腹を思い切り押されて吐きかけているセレナを、タイタンは慌てて木の枝に座らせた。
西部の植生は北部とも南部とも違う。
木が全体的に細長く、ひょろひょろとしている。葉の色もなんだか黄ばんでいて、青々と元気良く茂っていた北部と南部の樹木と比べるとなんだか日焼けしたような印象すら受ける。
ただ、この森の木以上に印象的なのが、樹木にびっしりと巻きついた蔦だ。
樹木と同じ色の、丸い形をした葉の蔦が、ありとあらゆる樹木を締め付けており、まるで樹木の元気を奪っているような、そんな印象を受ける。
妙に蒸し暑い空気も相まって、薄気味悪い。タイタンが率直に抱いた感想はそうだ。
地面も雑草が少なく、人が踏み入りもしないのに固い土とどこか透けた色の石ころが転がっているのみ。川もないのに角の取れた石。
まるで子供が遊びで絵に描いた森のようだ。
黄緑のクレヨンで画用紙に葉を描き、色鉛筆でぐるぐると丸を描いたような石ころ。茶色の絵の具を塗りたくったような地面。
こんな薄気味悪い場所で罠に晒されて長く過ごしたら気が狂いそうだ、早く帰りたい、と。
それはそれは正直に愚痴を漏らすタイタンを、まだまだ序の口よと、セレナはカップから暖かい茶を啜り、窘めた。
「このあたりはまだ罠だからいいけれど。ポーラなんか危険のうちに入らない謎の生き物とか、ゴーレムとか機械人形とか、とにかくそういうものが犇めいているのが西部なのよ。ほら、前にも伝えたでしょう。私がここで視力を失った原因・・・。」
「・・・胃液が毒素を帯びている食虫植物。悪意に満ち溢れているな。」
ここに来る前にある程度どのような危険があるのかは聞いていた。
その中でも一際タイタンを絶句させたのが、その食虫植物だ。
見た目は黄緑で幅広のウツボカズラ。・・・やたらと巨大なのを除けば。
それは人間がうっかり足を滑らせれば、すっぽり中に収まってしまうサイズの植物。
背の高い茂みに姿を隠したそれに落ちたが最後、毒素で視界を奪われ、人なら1日あればその胃液に溶かされ尽くしてしまうのだという。
「とにかく、高い茂みには入らないことよ。いくら解毒ができるといっても直ぐではないし、視界を失った貴方を担いでここを動けるとは思わないもの。」
「・・・気をつける。」
悔しいことに、今日罠にかかったのは全てタイタンが原因だ。
相当警戒して進んでいるつもりなのだが、やはりお母様は大魔導師だ。西部の罠の隠蔽は南部の比ではなかった。人狼の姿ならともかく、ただの人間の姿で西部を悠々と歩ける、などとは流石に問屋が卸さなかった。
タイタンが罠を踏むのを見てセレナが悲鳴をあげ、それに気づいたタイタンが慌てて避ける・・・今日一日はほとんどその繰り返し。戦士のプライドも折れると言うものだ。
・・・セレナだって無用意に歩いているように見えるのに。
やはりこの森で長く暮らしているだけはあるということなのだろう。治療も魔道具でてきぱきと済ませてくれるし、タイタンは今日一日で、彼女がいてくれて本当に良かったと、改めて痛感させられることとなったのだ。
「普段からそのくらい頼もしかったら、俺も小姑をやらなくて済むんだが。」
「だっ・・・その。」
ごめ、んなさい。小さな声はひょろひょろと地面に落ちてゆく。
軽口のつもりで言った言葉は、とうとう流暢にセレナから返って来ることはなかった。彼女はそのまま黙って毛布をきつく巻いて、膝に顔を埋めてしまった。
そんな顔をさせるつもりはなかった。素直に感謝を伝えられない自分の幼さに辟易すると同時に、前はこんな反省をすることすらなかった、という反省と・・・大きな違和感がタイタンを包む。
やはり、セレナの態度はここ最近で大きく変化したように思う。
一体どうしてしまったやら。以前の遠慮のなさは何処へ行ってしまった?わけがわからない。
いや。それは嘘だ。
原因が思いつかないのではなく、思い当たりが多すぎて迷っているのが正直なところだ。
・・・例えば。
会話が腹の探り合いになってしまい、タイタンに踏み込めなくなってしまったからか。
例えば、互いのことを理解した故に強く言えなくなったからか。
・・・ひょっとして、ガミガミ口うるさくしすぎて嫌われた、だとか。
嫌な想像が頭をよぎる。
・・・セレナに嫌われる?
「・・・・・・・・」
想像もしたくない想像がぐるぐるぐるぐるタイタンの頭をかき回して煮詰まっていく。
彼女に嫌われたら一体自分に何が残るのだ。記憶を失ってから、彼女への恋情だけで生きてきたに等しいのに。
今更保護区に戻る?保護区の人間を容赦なく殺したのに?
「風の音すら聞こえないわ。本当に静かね、西部は・・・」
セレナさん、と意味もなく彼女を呼びたくなった。
俺は風の話などしたいわけではないんだ、と縋りたくなった。
でも、きっと情けない声になる。それを口に出したら疲れ切った彼女を困らせるだけ。
「ふふ、夜は涼しくていいわね。昼間の暑さが嘘みたいだもの。今夜はきっとよく眠れるわ。」
今日の探索を終え、夕飯を済ませ、2人は明日に備えて横たわっていた。
「タイタンは体は平気?怪我をしていたら隠さずちゃんと教えて頂戴?」
気を遣わせているのがよくわかる。なんだかよくわからないが、機嫌の悪そうなタイタンを気遣って、セレナがこちらに笑いかけている。
・・・さっさと眠って忘れるに限るのだ、こんな時は。
このまま起きていてもきっと、ますます空気が悪くなるだけだ。
そう思ったタイタンは生返事をしてどさりと毛布に横たわる。
それを見届けたセレナは、小さな指先を伸ばしてそっと魔道ランプを消した。暗闇に掻き消えた真っ白なシルエット。
「最初は私が見張るわ。あの天辺の一等星が傾いたら交代よ。疲れているのに申し訳ないけど、安全には変えられないもの。」
数日間気の抜けない状況で、交代で夜を見張る。睡眠時間を削るのは辛いが、仕方がない。
西部には動いて回る危険な謎の生き物がわんさか居るのだから。
「あんたが先に寝ていいぞ。俺の方が鍛えているんだし。」
なけなしの男のプライドが、眠い体に鞭打つ。
「私の方が夜更かしだもの。まだ眠くないから遠慮はいらないわよ。」
タイタンの痩せ我慢など、意味を成さない。疲れているのも眠くて仕方ないのも、全部ハナからバレているのに張る虚勢などどこにもない。男のプライドは存外あっさりとその身を引っ込めてくれた。
眠くないなら、遠慮なく。そう言ってタイタンは仰向けになって瞬く高い天井を1度眺め、目を閉じた。
眠気の波に呑まれる。呑まれていく。タイタンを起こそうとちかちか点滅する星たちは、もう、瞼の向こう。
案の定、目を閉じてまもなく意識を落としたタイタンを、セレナは赤子を見るような優しい顔で見守っていたのだった。
「ほら、このパンを食べるといい。」
寒空の下、タオルケットを被って体を隠す少女に、全身真っ黒な衣服をすっぽりと纏った老人が声をかけた。
男が柔らかそうな白いパンを差し出す。空腹も限界のはずの少女は、しかしパンに手を伸ばすことはなく、かざされた手をただ心底恐ろしそうに見つめているだけ。
「・・・もう一歩も歩けないのだろう?可哀想に。今まで君がどれほどひどい目に遭ってきたのか、想像するのも悍ましい。大丈夫、僕たちは君のような子供を助けるために活動しているんだから。」
この辺りには、貧困から子供を捨てる親が数多いこと。
こんな高地の、しかも真冬に、子供が1人で生き延びられるわけはない。この辺りでは子供の死体がごろごろと打ち捨てられていることすら珍しくないこと。
そういった子供を助けるために、無償で寝床と食事を提供しているのが自分たちだということ。
男は尻が濡れることも気に留めず、セレナにそうゆっくりと語って聞かせた。
心配しなくても、同じくらいの年頃の子供たちがたくさんいるから友達になれる、皆優しい子たちばかりだ。皆、僕のことをお父さんと慕ってくれて、この間も皆で雪合戦をしたんだ。
白髪の男は、拒絶を隠さない少女に、ゆっくりと、時間をかけて向き合った。
頭に積もった雪が溶けて、再びそれが凍るくらいの時間をかけて、生まれてこのかたひとつの優しさも知らない少女に、懸命に向き合った。
「・・・リコは酷いんだ。この毎朝腰痛で悩まされている爺の背中から雪を入れて・・・ああ、心臓が止まるかと思ったよ。いや、君は笑っているけれど、冗談ではなくて・・・」
そこで僅かに、老人と少女の時が止まった。
驚いた顔をする少女に、老人は嬉しそうに笑いかけ。
「ああ、やっと笑ってくれたね。」
少女は自分の頰がひどく痛むことに気づく。当たり前だ、彼女が最後に笑ったのは、もう思い出せないほど遠い昔のこと。
固まった表情筋を懸命に動かして作った、どこか引き攣ったぎこちのない笑みを、男は愛おしそうに見つめ、そしてゆっくりと手を差し伸べた。
「僕はアルト。・・・君もリコに会ってみたくなっただろう?一緒に来ないか?」
ぱちり。目を開き、セレナは慌てて周囲を見渡した。
タイタンがぐわぐわと思い切り寝息を立てている音。木の葉が擦れる音。
異常なし。セレナは安堵のため息をついた。
「・・・怒られるところだったわ、気をつけなくちゃ。」
眠っていたことにぎょっとしすぎたせいで、眠気は完全に飛んでしまった。
まだ少しどくどくと痛む心臓を抑え、セレナは小さく体を縮こめてタイタンの方を見た。
先に見張ると言い出した手前、居眠りをしたなどあまりに申し訳が立たない。
何より、この僅かな間に敵に襲われたら、2人は一網打尽であったのだ。
気をつけなくてはならない。気が抜けている。
そう思い、柔らかい内腿をセレナはつねる。その真っ白な内腿の続く先、スカートの中には、茶色く残った斑状の跡が痛々しく姿を残している。
「・・・・・嫌な夢。最近はめっきり悪夢は見なくなったはずのに・・・。」
夢で見てしまえば流石に嫌でも思い出す。
普段は記憶の奥底に全て沈めてしまっているそれが、ふつふつと湧き上がってくる。
アルト。優しくて愚かだった人間。
セレナをその優しさで救うはずが、セレナをその愚かさで貶めた、可哀想な白髪の男。
「こんなはずじゃなかった、なんて。責められないのが逆に悪質だわ。愚かな人間。」
こんなはずじゃなかった。
それが、セレナの記憶にある老人の最後の言葉だ。
それ以降、彼は、自分を囲む数多の男たちの中に埋もれてしまって、一体どの男がアルトだったのかはもうわからない。
アルトは騙されていたのだ。
子供たちを保護していたその白い石造りの建物は、とある名も知らぬ神を信仰する、教会。
もちろん、この宗教も神も廃れた世界で存在する信仰など、歪みきったものである。
祈りとは、生命維持に必要な最低限の食事と、得体の知れない薬と、延々と続く暴力のことを指すようだった。
子供たちが暖かい暖炉の横で編み物を学ぶ床の下で、セレナは冷たい石壁の部屋に閉じ込められ、てらてらと鈍く光を放つ銀色の鎖に繋がれていた。
司祭が来る日は、決まって長い銀色の槍に足を刺された。
意味もわからない祈りの文言をぶつぶつと呟きながら、3度、セレナの太ももを突き刺す。
すぐに治療の魔道をかけられ、雑な魔道で歪に修復された脚にもう一度灼熱が走る。
夕方ついに声を上げることもできなくなったセレナの口に、とろとろとしたポタージュと錠剤が一粒流し込まれる。
どうやら、セレナに美味しい食事を与えるというよりは、セレナが決まった時間に食事を摂るという儀式的な行為が大切なようだった。
・・・絶望したセレナは、飲まされる錠剤が栄養剤ではなく、魔道を抑制するものだと気づいた。
彼女が監視から隠れて薬を吐き戻して、全力で魔道を振るって逃げ出すまでの、永劫のように感じた地獄の1年の記憶は、今やその程度のものだ。
「・・・・・タイタン、貴方は私を大切だって言ってくれるわ。だから知って欲しくないこともいっぱいあって・・・軽蔑されないかしら、気持ちが悪いと思われないかしら?それだけがただ怖くて。」
ぐうぐう寝息を立てる腹に、ぽとりと落ちるひとりごと。
「自分と同じ目に遭うのは、自分だけでいいって・・・ずっと思っていたのだけれど。まさか自分から化け物に身を堕とすお馬鹿さんがいるなんて。ええ、想像もしていなかったわ。」
眠っていれば呑気な顔だ。眉にシワが寄らなければ年相応に若者らしい顔になるというのに、いつも顔を顰めて、滅多に笑わず、見るのは真顔とむっとした顔ばかり。
彼の間抜けな顔を見ているだけで時間があっという間に時が過ぎていくよう。
月明かりに照らされた緩みきった頰が上下する。
薄く開いたくちびるが唾液に濡れて、深く呼吸を吐き出している。
グレーの透き通ったまつ毛が震える。整えていないであろう、男らしい太い眉。
普段は照れ臭くて見つめられない整った顔だち。
気づけば約束の時間はとうに来ている。ふふ、とセレナは悪戯な笑みを浮かべ、タイタンの頰を思い切りもみくちゃにしてやった。
「ほらほらほら!起きて起きてタイタン!早くしないとほっぺたが伸びてしまうわ!」
「むごごご」
バチンと開いた楔色は、当然不機嫌そうに歪められ。
「・・・普通に起こせ馬鹿。そう簡単に人間の頰は伸びない。そんなに元気ならもう少し寝かせろ馬鹿。」
「そう次々に文句を言わないで頂戴?ほら、今夜はお星様が素敵。夜の番もきっと退屈しないわ。」
仕方なさそうに、のそのそと起き上がるタイタンを見届け、セレナはさっさと毛布にくるまった。
その夜、遠慮がちに肩を揺さぶられて起こされるまで、見ていた夢は随分と優しい夢だった。
お母様と、タイタンと、ディアンと一緒に、4人で食卓を囲む夢。
膝の上にはルゥがいて、テーブルの上のパンをねだっている。
「セレナにはお友達がいっぱいできて、私も嬉しいわ。ふふ、この子は泣き虫で怖がりで・・・でもとっても優しい子だから。どうかずっと、仲良くしてあげてね。」
「もう、お母様!」
「それは俺もよく知っている。この間も窓際の百足に怯えてカップを割っ・・・むぐ。」
それはまだお母様に言っていないのに。慌ててタイタンの口を塞ぐが、遅い。
向かいのディアンが、
「・・・あれ、お母様のお気に入りのカップだって言っていたよね。」
隣に座るお母様に告げ口してしまった。ああ。
「やっぱりセレナが割ったのね。割るのはいいけれど、嘘をつくのは良くないわセレナ。良い人間でありたいなら、正直でありなさい。どれだけ言いにくくても、打ち明ける正直さは人の胸を打つものよ。」
ほら、そんなにしょげた顔をしないの。スープのおかわりをお食べ。
お母様はそう言って笑って、セレナの椀を持って立ち上がった。
・・・ああ、なんと都合の良い願望。
例えお母様が生きていたとて、これほど幸せな世界など決してありはしないのに。
瞼を開いたその時に、僅かに涙が滲んだのは・・・きっと欠伸のせい。
得体の知れぬ獣がいる可能性のある場所で、あまり匂いが立つ炊事はできない。
基本的に西部での食事はパン。あとは簡単につまめる漬物だとか、干した肉だとか、セレナは長持ちする食べ物をありったけカバンに詰め込んで持って来た。
そうなると当然、食事はワンパターンになる。
まだ2日目の朝だというのに、もう既に2人の舌は焦げた小麦の味に飽き始めていた。
うまく喉を通らないパンを齧り、噎せかけたセレナは無理やりお茶でそれを流し込む。
「・・・こんなにパンが不味いと思ったのは初めてよ。なにかこう、野菜たっぷりのスープとか、この間の鶏麺とかが食べたいわ・・・。」
「口に出すな。思い出すだろ。・・・フルーツ入りのパンは譲ってやったんだから俺よりマシだろうが。文句を言うな、頼むから。」
何か汁気のあって、かつ塩味のあるものが食べたい。しかしこの限られた食材で、しかも煮立てずに調理をするとなるとそれは不可能に近い。
備蓄の食料が尽きたら西部で採集した食料で炊事するのも止むを得ないが、危険が増すのは避けたいし、なにより西部の得体の知れない食材を調理するなど絶対に避けたいのが本音である。
「何か解決策は考えるわ。この森の食事担当として、ええ、ご飯に不満がある状態なんて許せないもの!たとえ冒険でも、得体の知れない場所でも、満足なご飯を提供するのが私の大事なお仕事だものね!」
「あんたの仕事ってそうだったか・・・?」
セレナはいつのまにか妙な使命感を獲得していたようだ。
「・・・食事はともかく、お互い寝不足でストレスも溜まる。こんな状態が何日も続いて、罠を警戒し続けるのもすぐ限界がくる。いつも以上に気を張って・・・それでも駄目ならすぐに帰る。まあ帰るのも簡単じゃない環境だが、一度来た道の罠は地図に記録しているし先に進むよりはよっぽど安全なはずだ。無理だと思ったらすぐに帰ること。はい、復唱。」
「む、無理だと思ったらすぐに帰る・・・こと!」
「よろしい。採掘場の二の舞だけは絶対にしてはいけないからな。俺も気をつけるが、少しでも不調を感じたらすぐに言え。言いにくい、とか、せっかくここまで、とか絶対に考えるなよ。命より大事なものなんかないんだからな。」
口酸っぱいようだが、こればかりは口酸っぱくなるのも仕方がない。
「ええ。二の舞といえば、そうね。天気は今の所大丈夫よ。かんかん照りでもなく、だからといって雨が降るわけでもない、冒険にはぴったりのお天気ね、ふふ。」
「・・・毎度思うが、よく天気が読めるよな。予言か何かだと勘違いしそうになる。」
セレナの天気予報はよく当たる。
本人が言うには、魔道を観察するときと同じことをしているらしいが、勿論魔道のわからぬタイタンにはその感覚は理解できない。正直そう言った時、セレナはすこしだけ考え込んで、一生懸命に噛み砕いてタイタンに教えてくれた。
じっと雲を見るの。風の湿りを肌で読み取って。
嵐の前には動物も植物も身構えているから、それをこっそり教えてもらうのよ、と。
そんな風に、セレナが得意げに話していたが妙に印象的で、よく覚えている。
「帰ったらタイタンにも教えてあげるわ。貴方の方が五感が鋭いもの、慣れたら私以上の予報士になるかもしれないわね?」
「くく、俺も剣士を廃業するかもな。人殺しより予報士の方がよっぽどあんたの役に立つ。」
この世界を救った暁には、それも悪くない。
物騒な剣なんか棚の奥底にしまいこんで、雲を眺めてセレナの農作業を助けたりして。
美人シェフセレナと、天気を正確に読むことができる農夫タイタン。2人が営業する森のレストラン、なんていうのも素敵かもしれない。セレナの腕前なら大繁盛間違いなしなのだから。
「って、こら。話してばかりで食事が進んでいない。いい加減諦めてパンを食え。」
「・・・はあい。」
まるで石ころでも飲み込むかのように、涙目になりながらパンを咀嚼しているのを見ていると・・・流石に可哀想だという気持ちにはなるが、致し方ない。
途中でへばられては困るのだ。なんとか無理をしてでも腹を満たしておいてもらわなくては。
タイタンも最後のひとかけのパンを口に放り込んだ。
「ごちそうさま。食い終わったら水場を探しにいこうか。」
「・・・水場の場所なんて当てがあるの?」
「昨日の昼に川を見かけただろ。離れるような歩き方はしていないし、多分少し東に歩けば川にぶち当たるはずだ。・・・流石に汗を流さないとやっていられんだろう。」
昼間に水浴びをしてから、2人は汗をかきっぱなしだ。
夏場だからと石鹸を持ち込んだのは正解だった。肌がベタつき体が汗臭いストレスというのは想像を絶する。近くに川があるうちに寝汗を流してしまうのは絶対に正しい判断だと思う。
「わかったわ。なら貴方に従うわタイタン。・・・むぐ。」
セレナはそう言ってタイタンの拳ほどの大きさのパンを一口で口に収めてしまった。
「・・・下品だぞ。」
セレナには頬袋があるのだろうか。
「ももももご、もひょ!?」
「・・・はい、水。」
食事の作法も最低限身につけてもらわなくては、美人シェフへの道のりは遠ざかるばかりである。
タイタンの読みは当たっていた。
装置を追って縦横に歩いて来てはいたが、やはり、ほとんど川沿いに歩いて来ていたらしい。
そういう風に装置が置かれているのか、はたまた偶然か。
それは後で考えることにする。何故なら阿呆が1人、安全確認もせずにきらめく水面に歓声をあげて突っ込もうとしているからだ!
「馬鹿!!」
慌てて首根っこを押さえる。この人は、全く、ここがどこなのかを全く考えていない!
「ぐえ、何するのよタイタン!?」
「川に危険な生き物がいたらどうするんだ!?馬鹿、安全確認が先だろう馬鹿!」
「ええ、だって・・・見れば安全なのはわかるじゃないの。」
「見て、安全が、分かれば!!苦労しないんだ!!」
ここではこの人の無邪気さは致命傷だ。ただでさえ気を張るんだから余計なストレスをかけないで欲しい。猪だってここまで猪突猛進ではないだろう。
タイタンは1度川に近寄って水を確認する。澄んだ水底にころころと丸い石。見た限り本当に危険はなさそうだ。
水辺にしゃがんだタイタンの横にセレナはそっとしゃがみ、恨めしそうな顔をした。
「大丈夫だって言ったのに、タイタンは信じてくれないんだもの。」
「大丈夫って、あんた。調べてもいないのにそんなことを言われても・・・」
・・・ひょっとしてセレナは、あれほどの一瞬で川に危険がないことを察知して、わかった上で楽しく水浴びに飛び込もうとしたの、かもしれない。
おかしい、危機察知に長け過ぎていると思うのはタイタンだけだろうか?
なにか強い違和感を感じ、タイタンはそっとセレナに探りを入れることにした。
「・・・魔道の匂いというのは、随分便利なんだな。」
「ん・・・と。まあ、そういうものなのかしら。」
随分と曖昧な返事だ。
どうしたのだろうとセレナを見れば、いつの間にか彼女は腰ほどの深さの川にそっと身を浸して、心地よい冷たさに目を細めていた。
リラックスした彼女を見ていたら、なにやら真面目なことを考えている自分が馬鹿らしくなった。
タイタンも彼女に習って川底に座り、そのまま背中を水面に預け、空を見上げて頭を濡らした。
水草のように髪が水中で揺れる。じわじわと頭皮に染みてくる水が、熱した頭の血液をじんわりと冷やしていく。
心地よさで頭がぼんやりとしていく。タイタンは何気なく、先ほどの発言の意味を問うた。
「どういう感覚なんだ、魔道の匂いとは。」
「どういう・・・と言われても、困るわ?そこに花があれば花の匂いがするわ。そこに土があれば土の匂いがするわ。それと同じよ、そこに魔道があれば魔道の匂いがするの、おんなじことだわ。」
あまり頭を使って会話をしていないぶん、2人の言葉は普段よりはるかに真っ直ぐで正直なものに感じられた。
「なんとなく、昨日1日あんたを見て思ったことなんだが。」
タイタンは今朝の会話を思い出していた。まるで予知のように、ぴたりと天気を言い当てるセレナの観察眼。
「魔道がそこにあるのがわかる、なんて域じゃないだろう。何か感じ取っているものをわかりやすく魔道の匂いと例えているだけで、実際に感じ取っているのはそんな分かりやすいものじゃないだろう?まるで、何か大きな力があんたに味方しているみたいだ。あんたに危険を全部教えているような・・・そんな風に俺には見えた。」
「ううん・・・と・・・。よく、分からないわ。こればっかりは、どう言葉で伝えていいか分からないもの。だって、当たり前のことなんだもの・・・。」
タイタンには、セレナが歩く先だけ罠が取り除かれているようにさえ思えたのだ。
タイタンは、僅かな振動だとか、音だとかを鋭い五感で感じとって、それを事前に避けようとする。だからそれを隠すことに特化した罠には当たり前にかかってしまうし、気を抜けばうっかり罠を踏む。
発動した罠を避けることのほうがむしろ本職だと言える。罠が発動した攻撃を百発百中で避ける自信はあるが、五感の鋭さだけで置いてある罠を見抜くのは流石に限界があった。
セレナの事前の言い方も似たようなものだった気がする。自分には魔道の匂いが感覚でわかるから、それをある程度事前に避けられると。
そう言われれば、匂いなどわからないタイタンは納得するしかない。正確すぎるそれが鍛錬の賜物だと思うしかない。
だがしかし、なんとなく、セレナのやっていることの本質は、そんなものとは全く違う気がするのだ。
「ご飯の匂いがして。それを一生懸命に嗅げば、それが魚と人参とじゃがいもとキャベツを、塩で味つけて煮込んだものだとわかるじゃない。今日は空気が湿っていると思って、その空気を一生懸命に聞けば、南部で雨が降っていて、次の日には北部に雨雲が来るとわかるでしょう?それが魔道に置き換わっているだけよ。」
「・・・はあ・・・?」
わけがわからない、という顔をしたタイタンを、わけがわからない、という顔をしたセレナが見つめている。
だって、そんなもの、ほとんど神の技ではないか?
「待ってくれ。魔道を極めた人間はそんなことができるようになるのか?」
「え?・・・ううん・・・多分そうだけど。」
「・・・はあ、これは確かに、俺が敵わないのも仕方がない。あんた、1人で楽々西部を渡り歩けるんじゃないか・・・。」
「楽々じゃないわ!ずっと気を張っているから、疲れるし・・・気を抜いたら何にも見えなくなるし・・・。というかタイタンの方が凄いじゃない、どう考えても。その鋭い五感は一体どうやって身につけたのか・・・わけがわからないわ、私。」
それこそ、タイタンにとっては当たり前にあるものだ。むしろ周囲の人間の五感が鈍感すぎるようにしか思えない。
記憶があれば、それを身につけたきっかけなどを語って聞かせられるだろうが、残念ながらそれは意識を取り戻してから当たり前にタイタンの隣にあったもので、生まれてからずっとできたこと、というのに感覚的には等しいのだ。
「さっきの話を聞く限り、あんたも似たようなことをしているじゃないか。感覚が鋭いから本来見えないはずのものが見えて、聞こえるはずのない音が聞こえる・・・ってことだろう?」
ばしゃん。1度水に潜ったセレナが浮上して、反論してくる。
「違うわ、全然違うわ。それはタイタンのことでしょう?私はただ、一生懸命に見ようとすればモノの構造がなんとなくわかるというだけよ。危険な生き物の接近なんかわからないし、そんな貴方みたいに便利なことができるわけじゃ・・・」
ぴたり。2人の会話が、止まった。
しかし時が止まったわけではない。何故なら、着実に、なにか、大きなものが、こちらに向かって、泳いでいる音が。
タイタンの鈍くなった頭が鳴らす警鐘。
「セレナさん!!!」
タイタンはセレナを抱えて一気に水面を飛び上がった。
「わ、わわわわ・・・何、なんなの・・・!?」
慌てて岸に上がった2人は、上流を見て絶句する。
まるで「ジョーズ」のワンシーンのような。現実味のない、映画のような高い高い波が、もうすぐそこまで迫っている!
何かがとんでもない速度で、川を泳いでこちらに近づいて来ていたのだ。
高く高く、上空に波を打ち上げながら接近して来たそれは、セレナを庇って立つタイタンの目の前で、まるで物理法則を無視しているがごとく、ぴたり、と止まった。
当然、高く打ち上がった波が唖然としている2人に襲いかかり。
「ぶ・・・っ!?」
水というのは、存外重量があるものだ。他人事のことのように考える脳が、波に吹き飛ばされ、後方の茂みに向かって飛ばされる。
当然後方にいたセレナには、タイタンの巨体と、彼が背負った硬い剣が思い切り叩きつけられ。
スローモーションのように激痛に顔を歪めるセレナの顔が見えたタイタンは、ほとんど無意識でセレナを抱きかかえて転がった。
背中を岩場に酷く打った。
激痛でぐらついた脳が少しずつ覚醒し始めて、一番最初にタイタンの口から出たのは悪態。
「い・・・ったいな!」
「痛・・・い。」
蚊の鳴くような声に、まさか、と腕の中のセレナを見る。
嫌な予想は当たってしまった。
セレナが、もう周囲など目に入らないとばかりに、僅かに腫れ上がった右腕を抱えて蹲っている。
「・・・ッ!悪い!」
なんてことをしてしまったのだろう。
自分が、セレナを、怪我させた。事実だけがぐるぐると頭を回る。
がっと頭から血の気が引き、視界の中でちかちかと赤い光が点滅する。
「いい、から、タイタン!前ッ!」
血が下がって朦朧とし始めた頭に、一喝。
はあ、はあ。荒い息と共に飛び出した言葉に冷や水を浴びせられ、タイタンははっとして前方を見た。
「特徴一致。リビアンの残した情報”セレナ”と一致。もう1人は不明。敵意あり。」
単調な機械音声を吐き出す唇は、真っ白。開いた瞳の奥、空色の光がぐるぐると回る。
なんだあれ。タイタンはもう一度絶句する他なかった。
何故なら、タイタンの偏った知識では機械人間と呼ぶしかないそれが、川に膝まで浸かって話しかけてきたからだ。
「対象発見。対象発見。意思疎通を試みることを推奨。推奨。」
人間の体を模した金属部品の塊が、そこに立っていた。
関節部には楕円のバネが、筋肉にあたる部分には細い円柱の金属が。
そうやって全身がグリムメタルで作られた金属部品の顔には、人間の女性の顔を模した仮面がかけられている。金属の頭から生えたナイロール糸のような透明な髪の毛が、ぽた、ぽたと水を滴らせているのが、作り物なのに妙に本物くさくて、奇妙だ。
「なん・・・なんなんだお前!?」
やっとの思いで硬直した唇を動かして発した質問は、状況とはあまりに見合わない、ありきたりなものであった。
「・・・名乗るほどの名はない。しかし呼びにくいと言うなら敢えて語らせてもらおう、私の素晴らしい名前を。」
いや、呼びにくいなんて一言も言ってないが。
この深刻な状況で冷静に突っ込むべきか迷ったタイタンは置いてきぼりだ。
機械人間は、まるで演劇の口上のような勿体づけた語り口で、その金属の腕をずびしっ、と空に掲げ、ポーズを決めた。
「私はジャグーン。この森の平和を守る、スーパーヒーローのジャグーンだ。」
ぱぱーん。
ジャグーンの口から、スーパーヒーロー登場の効果音が流れ、彼女の登場を演出した。
背中からはどこから出したのか、色とりどりの紙吹雪がぽぽぽぽぽ、と、吹き出している。
「・・・・・はあ?」
あまりに常識離れしたその光景に、タイタンとセレナは完璧に思考停止した。
完璧に固まった2人と、スーパーヒーローのポーズを決めて紙吹雪を吹き出すジャグーン。
数十秒がすぎ、先に重い空気を打ち破ったのはジャグーン。すっと姿勢を直し、顎に手を当て。
「反応が薄いことを確認。ヒーロー登場演出第二部、ヒーローテーマソング『超亞空ヒーロージャグーン』の演奏を開始する。」
「要らんッ!!攻撃しないなら黙っていろ!!」
面倒なのが来やがった、ああもうこんな時に!!
タイタンの嘆きを秘めた怒号が、森の中央まで反響して響き渡った。




