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坩堝  作者: 文月


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第6話拾われた犬

 篠崎晃。


 菜月の傍で、菜月を守るために存在している男だ。


 頭脳明晰とは決して言えない。けれど、並外れた身体能力を持っている。


 修二が頭を使い、晃が身体を使う。


 役割は、最初から自然に分かれていた。


 晃は、菜月の前に立つ。


 敵が何人いようと、菜月へ近付くものがいれば身体を張って止める。無駄な脂肪のない大きな体躯は、いつでも菜月の壁になった。


 頭が悪いわけではない。


 ただ、社会に適応することが苦手だった。


 幼い頃から、やんちゃな性格が災いした。近隣では好き放題に暴れ回り、気付かないうちに身体も鍛え上げられていった。


 周囲にいたのは友人ではない。


 晃を恐れ、従うだけの下っ端だった。


 故郷でついたあだ名は、怪物、化け物。どれも、一般的にいいものとは言えない。


 特別に鍛えたわけではないのに、筋肉はしっかりとついていく。暴力に関してだけは、とびきり優れた才能があった。


 そんな暴れ馬を扱い切れる人間は、周りにいなかった。


 20歳になった頃、晃はとうとう住んでいた街から追い出された。


 力で言うことを聞かせ、無理やり街に居座ることもできた。けれど、出ていってくれと涙ながらに懇願する両親を前にすると、晃は何も言えなかった。


 それから、晃はホームレスになった。


 いくつもの街をさまよい、寝る場所を探し、食べ物を探した。


 誰かに頼ることはできない。


 頼られることにも慣れていない。


 自分が何をすればいいのか、考えることすら面倒になっていた。


 そんなとき、晃は菜月に拾われた。


 14歳だった菜月に。


 最初から素直に従ったわけではない。


 小さな女の子の言葉を聞く理由などない。そう思っていた。


 晃は自分の身体があれば、どうにでもなると考えていたし、実際、それまでの人生はそれでどうにかなってきた。


 けれど、菜月は晃を怖がらなかった。


 大きな身体も、荒れた顔も、周囲から化け物と呼ばれてきたことも、菜月には関係がなかった。


 菜月は晃を見て、必要なことだけを言った。


 何を言われたのか、晃は今でも詳しく話したがらない。


 ただ、菜月の傍にいることを選んだ。


 それから現在まで、晃は菜月の隣にいる。


 忠実な犬。


 菜月からそう言われても、晃は怒らない。むしろ、少し嬉しい。


 盲目的なまでに菜月を慕っている。そのせいで、菜月から鬱陶しいと言われることも少なくなかった。


 たとえ仲間の修二であっても、菜月を害するなら容赦しない。


 晃は、本気でそう思っている。


 菜月の知らないところで、彼女へ近付きすぎる人間を遠ざけることもあった。


 修二も似たようなことをしているらしい。


 菜月がどこまで気付いているのか、晃には分からない。


 ただ、止めろと言われたことはなかった。


 それなら、それでいい。


          ◇


 自宅へ戻ると、晃は夕食の支度を始めた。


 菜月はリビングのソファーへ座り、愛から届いたメールへ返事をしている。


 繁華街に新しくできたクラブの話だった。ナイツの元幹部だった男がオーナーらしい。


 菜月にとっては、全く興味をそそられない話題だった。


 それでも、無難な相槌を返す。


『そうなんだ』


 送信して、携帯電話を伏せた。


 西郷一家で受けた視線と緊張感。


 それから、Rとのやり取り。


 身体よりも頭が疲れていた。


 やがて、キッチンからいい香りが漂ってくる。


「晃、何作ってるの?」

「シーフードパエリア。菜月の好きなやつだろ」

「好きなやつ、っていうより、好きな順で4番目くらいかなぁ」

「そこは1番って言っとけよな」


 晃が不満そうに言った。


 大きな身体で料理をしている姿は、相変わらず妙だった。けれど、手つきは慣れている。


 食事に関することは、ほとんど晃の担当だった。


 菜月が何を好むのか。


 何を嫌うのか。


 どれくらいの量なら食べるのか。


 晃は、必要以上によく覚えている。


 そして菜月も、晃が料理の種類を増やし続ける理由には、何となく気付いていた。


 自分が喜ぶと、晃も満足そうにする。


 だから、知らない振りをしている。


 晃が料理をテーブルへ運んだ。


 大ぶりの貝が開き、海老が赤く色づいている。サフランの香りが食欲を刺激した。


 菜月は、思わず笑った。


 何かを企んでいるわけでもない、年相応の無邪気な笑みだった。


 晃は何も言わない。


 ただ、少し満足そうだった。


 修二も席に着き、3人で食事を始める。


 いつもなら、携帯電話を見ながら食べる菜月を晃が注意する。けれど、今日は何も言わなかった。


 修二も黙っている。


 邪魔をしないつもりなのだろう。


「諜報か……使えるかな」


 菜月は、食事の手を止めて呟いた。


「Rの紹介は綱渡りだし。んー、やっぱり私が行こうかな」


 菜月が雇っている諜報員は、選りすぐりの才能を持つ人間ばかりだった。探らせれば、すぐに結果を持ってくる。マンションにも住まわせている。


 それでも、今回は直属の諜報員を動かすほど大きな話ではない。


 資料にあった、真崎暖人(まさきはると)の顔が頭に浮かんだ。


 黒髪を中央で分け、淡い青系の瞳をした、色白で細身の青年だった。


 ナイツの裏で人を動かしているらしい男。


 Rを巻き込み、芝原の生徒を捨て駒にした可能性のある男。


 真崎が本当に内通者なのかは、まだ分からない。


 それでも、疑う理由はあった。


 菜月は、思い上がった人間が嫌いだった。


 自分が一番力を持っていると思い込み、他人を駒のように扱う。大した度胸も覚悟もないくせに、多少の人脈と権力で悦に入る。


 そんな人間を、菜月は何度も見てきた。


 そして、そういう人間は、少し力を奪ってやるだけで簡単に崩れる。


「なんか面白そうだし。私が行くよ」


 菜月が言った。


 晃の箸が止まる。


「なっ……待て待てぃ! 菜月が出るたぁ穏やかじゃねぇな。それは止めろ。お前が出るほどの話なのか?」

「そんな訳ないでしょう。ですが、俺も菜月さんが出ることに賛成はしません」


 修二まで反対した。


 菜月は、2人の顔を順に見る。


「だって、この真崎って奴の胡散臭い顔を壊してやりたくない? 黒幕に近そうだし」

「俺は反対だ。ほんの少しでも菜月に手ぇ出されちゃ困んだろ。俺がガキ共を潰しかねん」

「止めてー。晃怖いー」


 菜月は冗談めかして笑った。


 反対されることは分かっていた。


 けれど、ここまで即座に拒否されると、かえって可笑しい。


「晃と同じく、俺も反対です。菜月さんが出るなら、真奈(まな)を出して下さい。女子高生なら真奈で足りるでしょう」


 田畑真奈(たばたまな)


 マンションに住む女子高生の諜報員で、武道に長け、変装も得意な少女だ。特殊メイクに近い技術を持ち、菜月も重宝している。


「真奈と一緒に紛れ込もうかなって」


 菜月はパエリアを食べながら言った。


「変装して、幹部に近付く。手っ取り早く幹部の誰かを潰して成り上がったら、接触もすぐだし」


 ナイツには、幹部に関する決まりがある。


 一度幹部になった者は、他者との勝負で負ければ降格する。


 その下剋上のルールを使えば、菜月の潜入は難しくない。


 幹部になれれば、近い場所で状況を把握できる。


 事件の終末も、特等席から見られる。


 菜月にとっては、最高の舞台だった。


「……危ないと思ったら」


 晃が言いかける。


「分かってる。呼ぶよ」


 菜月は、晃の言葉を最後まで聞く前に答えた。


 晃は、名実ともに菜月のヒーローだった。


 呼べば来る。


 その俊敏さと野性的なところを、菜月は買っている。


 2人が反対しても、敵になることはない。


 結局は、菜月に従う。


 そういう大人たちだった。


 当然、菜月は2人を『大人』とは思っていなかった。


 その夜。


 菜月は真崎暖人の顔写真をもう一度見た。


 画面の中で、白いワイシャツを着た真崎は、自分が選ばれた人間だとでも言いたげな顔をしている。


 写真だけで人間性を決めつけるつもりはない。


 実際、真崎がどこまで関わっているのかも、まだ分からない。


 けれど、その表情が妙に気に入らなかった。


 次に見るときは、別の名前と顔で近付く。


 真崎が何をしているのか。


 誰が嘘をついているのか。


 自分の目で確かめる。


 そして、ナイツの内側へ入る。


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