第5話 情報屋R
自宅へ戻った菜月は、右手の自宅ではなく、左手の仕事場へ入った。
同じ最上階にある4LDK。
間取りは似ている。
けれど、中身はまるで違った。
自宅にあるのは、生活に必要なものだ。
晃が料理をするキッチン。
修二が茶を淹れるための道具。
ソファーに座り、美作愛から届くどうでもいいメッセージへ返事をする時間もある。
こちらには、余計なものがない。
壁際には複数の機器とサーバーが並び、モニターだけが冷たい光を放っていた。
学校で作っている平凡な顔も、ここでは必要ない。
自由に出入りできるのは、菜月、晃、修二。
それだけだった。
スグルでさえ、勝手に入ることは許されていない。
「修二」
「はい」
菜月がデスクへ向かう間にも、修二はすでに別の端末を操作していた。
「Rの件は?」
「事件当日の記録を確認しています。通常の監視映像には不自然な欠落がありますね」
「やっぱり?」
「はい。必要な時間帯を狙ったように、いくつか使えなくなっています」
菜月は椅子へ腰を下ろした。
「うちのは?」
「残っています」
「じゃあ、大体分かったねぇ」
菜月はヘッドセットを手に取った。
修二が視線を向ける。
「もう連絡するんですか?」
「本人の話も聞かないとね」
事件当日の行動記録がある。
それだけで、Rが犯人ではないと決めつけるつもりはない。
映像の外で誰かへ指示を出した可能性だってある。
ただ。
菜月の知るRが、わざわざ自分の名前を使わせてナイツを襲わせるとは思えなかった。
そんな雑な仕事をする男ではない。
回線を繋ぐ。
数度の呼び出し音。
すぐに、聞き慣れた軽い声が返ってきた。
「はい、R。久しぶりっす!」
「うん、久しぶり。なんか面倒なことになってるみたいだねぇ」
「そうなんすよ! 俺、マジで無実っす!」
「だろうなぁとは思ってたけど」
「その言い方、絶対なんか知ってますよね!?」
菜月は小さく笑った。
声だけ聞けば、いつものRだ。
けれど、僅かに余裕がない。
「ナイツの仕事は請け負ってないっすよ。それに、菜月さんがいるのにそんな下手なことしないっす。名前、騙られたんすよぉ……」
「Rは名前が売れてるからねぇ。『情報屋Rには逆らうな』とか、使いやすそう」
「他人事みたいに言わないでくださいよ……。マジで困ってるんすから」
軽い口調の奥に、焦りが混じっている。
菜月は椅子の背へ寄り掛かった。
「菜月さんのところにも依頼、来てますよね? スグルさんから」
「来たよ」
「それ、最初は俺のところに来たんす」
「へぇ」
「でも断ったんすよ。ナイツなんて面倒じゃないっすか」
それ自体は、不自然ではない。
Rは何でも引き受ける情報屋ではなかった。
できないと判断した仕事は断る。
危険に見合わない仕事にも、無理に手を出さない。
「そしたら、俺の名前を使ってナイツと取引した奴が出てきたんすよ。そのうえ芝原の奴が『Rには逆らえない』なんて言うし、お得意さんからも問い合わせ来るし……もう最悪っす」
「見事に嵌められてるねぇ」
「笑い事じゃないっす!」
誰かがRの名前を使った。
その名前でナイツと接触した。
さらに、芝原の生徒にもRの名を口にさせた。
偶然とは考えにくい。
問題は、目的だ。
R本人を犯人に仕立てたいのか。
単に、街で知られている情報屋の名前が必要だったのか。
あるいは。
もっと別のものを隠すためなのか。
「ところでR」
「なんすか?」
「ナイツの依頼、断っただけ?」
「だけっすよ」
「依頼主とは?」
「直接会ってないっす。仲介を挟んでるんで」
「相手の名前は?」
「大橋勇樹」
「ふぅん」
スグルから聞いた名前と一致する。
ナイツの頭脳役。
少なくとも、依頼そのものが架空だったわけではないらしい。
「とりあえず、Rが直接やった可能性は低そうかな」
「可能性じゃなくて、やってないっす!」
「はいはい」
「信用してくださいよぉ……」
情けない声が返ってくる。
菜月は笑った。
「……あの、菜月さん」
「なに?」
「依頼、してもいいっすか?」
「私に?」
一拍置いてから、菜月の口元が上がった。
「同業者に助けを求めるんだ。随分プライド捨てたねぇ」
「背に腹は代えられないっすよ! このままだと信用問題なんす!」
「そりゃそうだね。ナイツを刺させた情報屋ってことになってるし」
「お願いします! 報酬は弾みます。何なら俺、菜月さんの下についてもいいっす!」
「いらない」
「即答!?」
少し離れたところで、晃が吹き出した。
「うちはスカウト制だから。私が欲しいと思った人しか入れないよ」
「そんなぁ……じゃ、じゃあ、俺のマンションの3階、丸ごと差し出します!」
「Rのマンション、別にいらないんだけど」
「酷い!」
今度は晃が声を上げて笑った。
菜月もつられるように笑う。
追い詰められているはずなのに、やはりRはRだった。
「内容くらいは聞いてあげる」
「本当っすか!」
「で?」
「俺が事件に関わってないって証明できるものが欲しいっす」
「自分で探せば?」
「それができないから困ってるんすよ!」
Rの声が少し大きくなった。
「事件があった日の記録だけ、妙なくらい残ってないんす。監視カメラも確認したんすけど、必要な時間帯だけ駄目になってて」
「妨害?」
「多分。仕組まれた感、ばりばりっす」
「そりゃまた面倒な」
「そうなんすよ! だから――」
「いいよ」
「……え?」
Rの声が止まる。
「引き受けてあげる」
「マジっすか!?」
「うん。マンションの3階で」
「やっぱり取るんすか!?」
菜月は楽しそうに笑った。
「先に手続きしといて。証拠は送るから」
「ちょ、待ってください! まだ値段交渉を――」
「じゃーね」
Rが言い終わる前に回線を切った。
仕事場が静かになる。
晃が堪えきれず、また笑い出した。
「お前、最初から持ってたんだろ?」
「なにが?」
「Rがやってねぇって証拠」
「うん」
菜月は悪びれずに答えた。
「修二。事件当日のRの行動、使えるところだけまとめて送って」
「承知しました」
修二の指がキーボードを叩き始める。
Rは同業者だ。
同じ街で仕事をしている以上、全く動向を把握していない方が危険だった。
だから以前から、必要な範囲で目を置いている。
街にある一般の監視カメラだけではない。
菜月が独自に設置したものもあった。
繁華街。
裏通り。
駐車場。
人が集まり、情報が動く場所。
街中すべてを見ているわけではない。
必要な場所だけだ。
今回、一般の監視記録には妨害が入っていた。
だが、菜月が使っている別系統の記録までは消されていない。
そこには、事件が起きた時間帯のRの姿が残っていた。
少なくとも、本人が現場で直接動いたという線は消せる。
Rの信用を守るだけなら、それで十分だ。
けれど。
菜月が知りたいのは、そこではない。
Rの名前を騙った人間。
芝原の生徒を使った人間。
ナイツ内部にいるという内通者。
それぞれが同じ人間なのか。
別々に動いているのか。
何のためにRの名前を使ったのか。
まだ、何も分かっていない。
「修二」
「はい」
「ナイツの資料、もう少し深く掘って」
「どの程度までですか?」
菜月は少し考えた。
「全部」
「……全部、ですか」
「うん」
修二が菜月を見る。
菜月は薄く笑った。
「ちょっと、面白くなってきた」
Rの濡れ衣を晴らせば終わる話ではない。
むしろ。
そこからが始まりだった。




