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坩堝  作者: 文月


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第3話 試される情報屋

 菜月が向かったのは、西郷和重(さいごうかずしげ)の屋敷だった。


 この街では名の知れた極道一家。


 その当主である西郷和重は、明仁の顧客の1人でもあった。


 やっていることは非合法だ。それでも、西郷一家は昔気質だった。


 礼節も作法もなく、力だけで極道を名乗る人間が増えた今でも、西郷は古い筋を通している。


 積み重ねた所業によって権力を持ち、街の人間からも、その道の人間からも一目置かれていた。


 敵対する者たちもいる。


 だが、西郷一家と正面からぶつかろうとする人間は多くない。狙うなら水面下から。それくらいには、厄介な相手として知られている。


 明仁が情報屋だった頃から、菜月は何度も西郷の名前を聞いていた。


 高校入学を機にこの街へ移るときも、西郷の存在は理由の1つだった。


 ――あの義理堅い爺がいる街なら、少なくとも無秩序ではない。


 明仁は、そんなことを言っていた。


 そして明仁が死んでから、西郷の態度は少し変わった。


 菜月へ、やたらと難しい依頼を持ち込むようになった。


 失敗するのを待っているようにも見える。


 明仁を失った苛立ちを、後継者の菜月へぶつけているのかもしれない。


 菜月には、そう見えていた。


 だからといって、断るつもりはない。


 無茶な依頼なら、完璧に終わらせればいい。


 明仁の弟子だから使えるのではない。


 皆瀬菜月だから使える。


 そう思わせた方が手っ取り早い。


 西郷に認められたいわけではなかった。


 明仁がいなくなった今も、その名前に守られていると思われる方が気に入らない。


 自分の仕事は、自分で終わらせる。


 それだけだ。


 広い日本家屋へ入り、客座敷へ通される。


 張り替えたばかりなのか、畳の青い匂いが残っていた。


 菜月の斜め後ろには修二が控えている。


 仕立てのいいグレーのスーツに、シルバーフレームの眼鏡。


 見た目だけなら、極道の屋敷には似つかわしくない。


 それでも、周囲の男たちが修二をただの付き添いとして見ていないことくらい、菜月にも分かった。


 晃は別行動だ。


 繁華街の事情に詳しい、通称『大家(おおや)』から近隣の情報を拾わせている。


 座敷の奥では、灰髪に深い皺を刻んだ大柄な老人が、茶渋色の和服を着て菜月を睨んでいた。


「……随分と遅かったな」

「仲介屋が、いきなり厄介な案件を持ち込んだからねぇ」


 菜月は悪びれることもなく、用意された座布団へ腰を下ろした。


 周囲に控えている男たちの肩が、わずかに強張る。


 当主を待たせておきながら、この態度だ。


 普通なら、許されるものではないのだろう。


 菜月には関係ない。


 西郷は顎髭を撫でながら、口元を歪めた。


「ほう。聞かせてみろ」

「ナイツって知ってる? 5年前からこの街にいるらしいけど」

「……たまに手を借りに来る学生の集団だろう。さしてこちらに影響はない」

「それ関係の案件。まだ受けるかは決めてないけどねぇ。内容にもよるし、面倒そうだし」


 西郷の眉が、ほんの少しだけ動いた。


 意外に思ったように見える。


 菜月自身、少し前までなら同じ反応をした。


 ナイツは、自分の仕事とは関係がない。


 学校でスカウトされないよう気をつける程度で十分。


 そう考えていた。


「――して、整ったのか」


 西郷が本題へ戻した。


「うん。まぁねぇ」


 依頼された情報は、すでにすべて揃っている。


 あとは渡すだけだ。


 それでも、菜月は動かなかった。


 西郷も急かさない。


 静かな座敷の中で、互いに相手を見ている。


 周囲にいる男たちだけが、息苦しそうに黙っていた。


 菜月は何気なく視線を動かす。


 座敷の端。


 控えている男の1人を、一瞬だけ見る。


 次の瞬間。


 修二が動いた。


 銀色の何かが、菜月の横を走る。


 短いナイフだった。


 男の頬を掠め、そのまま背後の襖へ突き刺さる。


「――これ、切った方がいいよ」


 菜月は、ナイフすら見なかった。


 男が頬を押さえ、顔色を変える。


「何をしている! そいつを捕らえろ!」


 西郷の怒声が飛んだ。


 周囲の男たちが一斉に動き、頬を押さえた男を床へ押さえ込む。


 そこでようやく、菜月は立ち上がった。


「西山組の動きが活発になってたのは、その人が情報を流してたからだと思うよ」


 押さえ込まれた男が、菜月を見る。


 驚いている。


 自分が疑われていることすら知らなかったらしい。


「それから、西郷のシマで西山がやろうとしてた取引。晃を使って止めといた。じいさん、気付いてなかったから」

「……何?」


 西郷の声が低くなる。


 菜月は修二へ目を向けた。


「修二、渡して。その封筒の中が、約束してた西山組の情報」

「はい」


 修二が懐から封筒を取り出し、座卓の上へ置く。


 昨夜から、菜月はほとんど眠っていない。


 西郷から渡された資料を洗い直し、裏を取った。


 1つの情報だけでは信用しない。


 別の経路から同じ場所へ辿り着くまで調べる。


 晃は繁華街へ出て、取引の現場を押さえた。


 修二は関係者の身辺を洗い、組の中から情報を流している人間を追った。


 3人が別々に動き、最後に菜月の手元へ情報が集まる。


 何度も繰り返してきた、いつものやり方だった。


 西山組が、どの経路で取引を進めていたのか。


 誰が情報を流したのか。


 その情報を誰が使ったのか。


 必要なものは、すべて封筒の中に入っている。


 依頼されたことだけではない。


 見つけた以上、放っておけば自分たちの仕事にも影響する。


 だから、先に潰した。


 それだけだ。


「これで終わり。あとは勝手にやって」


 菜月は座敷を出ようとした。


「……待て」


 西郷に呼び止められ、足を止める。


「何?」

「報酬は提示額に上乗せしよう」

「適当でいいよ。あとは修二に任せるから」


 興味を失った菜月は、そのまま背を向けた。


「修二、もう晃も戻ってくる頃だし、先に車へ行ってる」

「承知しました」


 座敷を出る直前。


 西郷の低い声が背中へ届いた。


「……明仁も、とんでもないものを遺したものだな」


 菜月の足が、一瞬だけ止まった。


 振り返らない。


「私を明仁と一緒にしないで」


 それだけ答えて、部屋を出た。


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