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結び 釣殿からの出立


あの日を境に、千鶴のすべてが変わった。


それは、むしろ「変化」というより、新しく生まれ直したと表現ほうが、しっくりくる。



自分の心は、いつも、何処か一線を引いていた。心が動いても、大きな何かに抑え込まれて、それ以上は温度が上がらない。そんな感じだった。


それが、冬が終わって、温かな日が雪を溶かし、春の草木が一斉に芽吹くときのような変化。



目に見えるものは鮮やかに色づき、人は皆、温かい。今までも、知っていたことを、心に実感を伴って理解する。


そんな変化だった。



でも、だからといって、全てが変わってしまったわけではない。


菊鶴(きくつる)には、言葉で表しきれない程の恩義と愛情を感じているし、(うぐいす)の君も唐錦(からにしき)も大切な友人だ。勿論、(まだら)の姫も。

公賢(きみかた)のことは、一層信頼しているし、ナンテンは、私の無二の相棒。


そして、惟任(これとき)はーーー変わらず、特別な人だった。


惟任が姿を消して一月(ひとつき)近く。


むしろ、前よりも一層、会いたくて堪らない。



◇  ◇  ◇



「本当に、行くのですか?」


公賢は、苦くて熱い、茶色い液体を啜りながら言った。茶とかいう、とんでもなく高価な代物で、身体に良いらしいが、千鶴は一口飲んで遠慮した。


「日が短い季節になりすよ。それを過ぎると、寒くなる。」

「はい。分かっています。」


千鶴は、いつもより厚い生地の小袖を身に着け、髪は後ろでスッキリと一つに縛っていた。白拍子の衣服ではない。もっと、長旅に適した格好。


「だからこそ、早く探しに行きたいのです。」


あの日から一月近くが経っている。

千鶴はこれから、惟任を探す旅に出る。


公賢が呆れたように目を細め、ため息をついた。


「心配ない。オイラもついてる。」


ナンテンが、いつも通り千鶴の懐からキュッと顔を出した。


「いざとなったら、オイラがでっかくなって、千鶴を守りゃいいんだろ?」

「でも、前みたいに上手くいくかは、分からないよ?」


あの裂け目が閉じたとき、千鶴から何かが剥がれ落ちた。するりと離れたそれは、穴深くに落ちていった。今、再びオロチが復活して、千鶴が同じように舞っても、オロチを封印する力はない。


千鶴から剥がれ落ちたのは、そういう種類の何かだった。

多分、公賢も、そのことに気づいている。


「あのオロチは、相当腹が空いていたようですね。」

「頭中将の記憶は・・・」


言いかけてから、もう頭中将じゃなかったのだなと思い、「九条慶政(くじょうよしまさ)どのは、」といい直す。


「慶政どのの記憶は、戻らぬのでしょうか?」


あの日、穴から吹き上げられ、落ちてきた頭中将は、オロチに記憶と生命の一部を持っていかれた。


頭中将の美しかった顔は皺が刻まれ、窶れ、背は曲がってしまった。


秘密裏に御前に連れられたというが、自分がやったことはおろか、ここ数年の記憶の一切が消失している。


今、頭中将は、縁の寺に預けられている。

ぎらついた野心のようなものはなく、ただニコニコと微笑むだけだという。純真な幼子のように、あるいは歳を経て、過去の記憶を置き去りにしてしまった翁のように。


幸い、寺の仕事は難なくこなしているようだから、このまま静かに寺で暮らしていくのだろう。本来、配流にされてもおかしくないような罪状だが、そうしないのは理由があった。


今回の一連の事件に関して、帝は果断だった。


頭中将ーーー九条慶政にまつわる一切の記録を残すことを禁じた。


頭中将の役職には、代わりに弟の道家(みちいえ)が就いた。それも、ただの後任ではない。

それまでの慶政の経歴の全てを、九条道家のものとして書き換えたのだ。


道家は、顔立ちは慶政に似て端正だが、性格は極めて温厚。社交性に富み、調整力の高い人柄。かつての頭中将の能力はそのままに、怜悧な野心だけを削ぎ落としたような人なのだという。


藤原(なにがし)中納言は都に復し、謀反に関する一切は、なかったことになった。中納言には、九条家から相当な付届けがあったらしい。


これだけの処置をしたのだ。

後世、振り返っても、九条慶政という人間は歴史の表舞台には出てこないだろう。


ただ、寺に「慶政」と名のつく坊主が存在するだけ。



ヤマタノオロチという伏龍の存在も、それを起こした者がいたことも、全ては歴史の闇の中。

それほどまでに、帝は慶政のことを許さなかったのか。ひょっとしたら、あの華やかだった頭中将と名門九条家を慮った温情なのかもしれない。



あの、変わり果てた慶政を思うにつけ、惟任の身が案じられた。


身体は大丈夫だろうか。

記憶は?心は?

千鶴のことを忘れてしまったかもしれない。


「大丈夫ですよ。」


ふいに公賢が言った。


「大丈夫。惟任は、無事ですよ。」


ただの慰めかもしれないが、それでも公賢が言うと、不思議なほどの安心感に包まれた。


「・・・はい。」


千鶴が頷くと、公賢がふわりと笑う。


あれ以来、公賢の笑顔も少し変わった気がする。

以前は薄い唇を僅かに左右に引き上げる程度だったが、今は、見るものに、ちゃんと『笑っている』のだと、認識させる。


「都を出たら、まずは何処に行くのですか?」

「お祖母様のところに行ってみようかと思います。」


微妙な間の後、


「・・・それは、喜ぶでしょう。」


千鶴の祖母である比丘尼は、あの後、しばらく公賢の屋敷に滞在していたというが、いつの間にか元の庵に帰ってしまった。


もう一度ゆっくり話したいと思っていたし、出雲に行くのと同じ方向だから、途中で寄るつもりだ。


「すぐに出立しますか?」

「はい。もう皆さんには挨拶を済ませましたから。」



千鶴は、昨日、権大納言邸に顔を出した。


唐錦は伊予の命婦とともに、すでに内裏に戻っていて不在だったが、権大納言と北の方が揃って出迎えてくれた。


「唐錦も千鶴に会いたいと里下がりを申し出る気だったようだが、思い留まらせた。そう頻繁に実家に戻すわけには、いかぬからな。」


そういった大納言は、子離れするのが、寂しいような、嬉しいような、どっちつかずのわりに満ち足りた顔をしていた。



夜には、斑の姫の社に寄った。


斑の姫は、青嵐(せいらん)の中将と一緒に元の社に戻ってきていた。


「モノノケゆえ、いつまで生きられるかは分からぬが、この生が尽きるまで、ここで青嵐の中将と暮らしたい。」


傍らに立つ青嵐の中将も、同調するように頷く。

たぶん、二人が満足した、そのときに二人の生は終わるのだろう。そして、また新たな命に生まれ変わるのだ。



今朝、ここに来る前には、七条邸の鶯の元に顔を出した。


家計を助けるための(つくろ)い物をしていた鶯は、千鶴の訪問を諸手を挙げて喜んだ。

阿漕も、いつもどおり鶯の側で迎えてくれた。


「いいなぁ、千鶴は。私も旅に出たい。そうじゃ!いっそ、千鶴について・・・・」

「駄目ですっ!」

「言ってみただけじゃ・・・」


言ってみただけのわりに、鶯は、阿漕の牽制に、明らかに不服そうに唇を突き出した。


「さすがの私でも、姫さまが放浪の旅に出るのは、認めませんよ。」

「何でも、帝は、時代は移ろうとおっしゃったとか。なれば、うちのような貧乏貴族が、いつまでも貴族然としていても仕方がなかろ?しがみつく特権もあるまいし。だから、私も新たな貴族像を・・・」

「時代は、そんなに急には変わりませんっ!」


阿漕に嗜められ、「フンッ」と、そっぽを向いた鶯は、「早く、私が自由に生きられる時代が来れば良いのに。」とブツブツ呟く。


それから、ひとしきり鶯と話をして、阿漕の出どころ不明の噂話を聞いて、最後に二人と抱きあって別れた。


必ず、惟任を見つけて、戻ってくると約束して。


阿漕は、目を潤ませながら、「どうぞ、ご無事で。」と何度も呟いた。お二人は、必ずや巡り会えると信じていますと、顔を真っ赤にして、励ましてくれた。



脇息(きょうそく)に身体を預けて、だらりと崩した姿勢で話を聞いていた目の前の公賢が、


「菊鶴には?挨拶したのですか?」

「少し前に。」


師匠の菊鶴は、数日前に、また何処かに旅立った。家を出る前、千鶴をぎゅっと抱きしめ、


「あんたは、もう、自分の人生を生きているんだ。行ってきな。」


と、優しく髪を撫でてくれた。

千鶴も、応えるように、その背に手を回した。

血の繋がりはなくても、この人も紛れもなく、私の母なのだと思った。



「では、ここが最後なのですね。」

「はい。公賢さまへのご挨拶が済んだら、その足で出立するつもりです。」


公賢は、「ふむ。」と頷くと、扇子を口元に当て、何かを考えるように目をつぶった。しばらくそのままの姿勢で制止していたが、やがて、ゆっくりと目を見開くと、ピッと扇子の先を外に向けて、


「ここを出たら、朱雀大路を真っ直ぐ行き、都の南を通って行きなさい。」

「南?なぜですか?」


出雲に向かうなら、西に出たほうが早い。南から迂回すると、かなりの遠回りになる。


「吉方です。」


公賢はそれだけ言うと、手をパンと叩いた。いつものツリ目の女房が、携帯食の乾飯(かれいき)と、他に日持ちのするような食べ物をいくつか包んで持ってきてくれた。


「行きなさい。あなたの幸運を祈っています。」


千鶴は、両手を添えて前に付き、深々と頭を下げて、公賢に別れの挨拶をした。



◇  ◇  ◇



公賢邸を出た千鶴は、朱雀大路をまっすぐ南に歩いた。


都は内裏から離れるほどに、身分の低い者たちが暮らしている。


賑やかな市を通り過ぎ、都を出ると、山間に入った。山の中とはいえ、旅人の往来が多い道なので、足場はしっかりと踏み固められている。


そのうちに、二路に分かれた追分に行きたあたり、足を止めた。


比丘尼の庵に行くには、西だから・・・

千鶴は、空を仰いで、太陽の位置を確かめる。


「こっちだよね?」


懐のナンテンに聞くと、ナンテンは鼻をひくひくさせると、「いや。」といって、鼻先をふるふる振った。


「違う。こっちだ。」


ナンテンは、千鶴が指したのと反対に鼻面を向ける。


「でも・・・・」


ナンテンが差したのは、明らかに反対方向。戸惑う千鶴に、


「こっちだ。絶対に、こっちで合ってる!」


ナンテンは、鼻がいい。妖かしとしての勘もあるだろう。


「わかった。ナンテンがそういうなら・・・」


ナンテンを信じ、指した方向に歩きだそうとした瞬間ーーー


「ーーーっどの!」


誰かに、名を呼ばれた。


ナンテンを見ると、素知らぬ顔して、千鶴の懐の奥深くに潜り込む。改めて声のした方に目を向けると、向こうから、一人の男が走ってくるのがみえた。



男は、見覚えのある丸顔に笑顔を浮かべて、


「千鶴どの」


と、確かに千鶴の名を呼んだ。



その声と姿を認めた途端、千鶴は、走り出していた。


目の前には、あの日別れてから、会いたくて、会いたくて、想い続けた人がいる。


もつれそうになる足を必死に動かし、



「・・・・・・惟任さまっ!!」



両手を広げた惟任に、千鶴は飛び込んだ。惟任ががっしりと受け止め、包み込む。



「惟任さま、ご無事で!!」

「千鶴どのも。」



何度も、この腕に守ってもらった。

背に庇ってもらった。

温かくて、優しくて、大好きなーーー



あの日、舞台に登る前に抱きしめられて以来の温もりに、しばし身を任せていた千鶴だったが、ハッとして身体を離し、


「惟任さま、記憶は無事なのですね?!私のことも覚えているのですね?」

「記憶?」

「はい。記憶です。それと、身体もっ!!」


千鶴は、手のひらで確かめるように、惟任の二の腕や胸を触った。

前と同じ、筋肉質な身体には、見たところ、大きな傷はない。


二人は手近な岩の上に腰掛けると、惟任がいなくなってからのこと、そして元頭中将ーーー九条慶政について話した。


「そう・・・ですか。九条殿が・・・」

「はい。なので惟任さまも、私のことを覚えてないのではないかと・・・。」


惟任は少し考えてから、自分の懐に手を入れ、何かを取り出した。


「私だけが無事だったのだとしら、それは、たぶん、これのおかげです。」

「これ?」


開いた手には、柘植の櫛が乗っていた。見覚えのある菊の意匠。


「オロチの穴は暗く冷たかった。その冷たいものが、幾度となく私に触れ、内部に入り込もうとしていました。身体のうちに入り、何かを持ち去ろうとして。」


何かーーーそれは多分、頭中将が奪われた記憶や生命の一部のようなものなのだろう。改めて聞くオロチの話に、惟任も頭中将のようになってしまう可能性もあったのだと思うと、恐ろしく感じた。


「しかし、同時に、侵食し持ち去ろうとする者を、内側から不思議な力が押し返そうとしているのを感じました。」


その力の源が、この櫛だったのですと、大事そうに撫でた。


「その後、オロチに吐き出され、空高く舞い・・・以降の記憶はないのですが、気がつくと、神社の境内に寝ていました。」

「神社?」

「見覚えのある神社です。」

「それって、もしや・・・?」


千鶴が気がついたことが、嬉しいらしい。惟任はにこりと笑って頷いた。


「はい。初めて千鶴どのにあった場所です。」


あぁ、やっぱりそうだ。

『記憶の中の誰か』は、この人だった。


あのとき、踊りをやめた一瞬をーーー今なら分かる、神に憑かれていた状態から自分に戻った一瞬を見ていた人。


そして、ずっと自分を見守ってくれていた人。


「その間もずっと、懐から発する温かな熱に守られている、と感じていました。いつも包み込まれるような安心感があった。」


惟任の手が、そっと千鶴の手に添えられた。温かい、生きている人の優しい体温。その手に、櫛が渡される。


「ありがとう、千鶴どの。あなたが守ってくれたのです。」


前に公賢が言っていた。

櫛には、女性の御霊を込められるのだと。だからあのとき、千鶴は、自分の御霊を込めるつもりで、渡した。


どうか、この人を守ってほしい、と。


櫛の中に入っていた千鶴のお母さんや、お祖母様や、それよりずっと前から見守ってきてくれた、千鶴に連なる人たち。


その人たちが、千鶴の想いに応えて、守ってくれたんだ。


「ありがとう。」


千鶴は、返してもらった櫛を胸に抱きしめた。


それから、しばらく他の皆の近況を語り、話が尽きたところで惟任が、「そろそろ、行きましょうか?」と、立ち上がった。


「行く?どこに・・・都に戻るのですよね?」


惟任は、うーん、首をひねって、


「どこに行きたいですか?」

「え?」


想定外の質問に戸惑っていると、


「貴女は、これから、どこに行くつもりだったのですか?」

「何の手がかりもないので、一先ず、お祖母様の庵に行こうかと思っていましたが・・・・」

「では、そうしましょう。」


あっさりと同意する惟任に、


「み・・・都に戻らなくて、良いのですか?」


自分は良い。気楽な白拍子だし、もともと長く旅に出るつもりで、皆に挨拶を済ませてきた。しかし、惟任は・・・


「いずれは戻ります。主に恩もある。私はまだ、その恩を返しきれていません。でも、今は・・・」


惟任は、赤や黄色に染まった木々の向こうの良く晴れた空を見上げた。それから振り返り、


「今はしばし、貴女と旅を楽しみたいのです。」


惟任が、「立てますか?」と、手を差し伸べた。

千鶴が、おずおずと、その手に自分の手を重ねると、


「都に戻ったら、貴女を娶ることを、主にも報告しますよ。」

「え?!」


途端、手を強く引かれ、気づいたときには、身体全部、惟任の腕の中にいた。

あの檜舞台に登る直前と同じようにーーー


「改めて言わせてください。」


密着した身体から、直に惟任の声が響いた。


「私は、そう高くもない貴族の身分すら、捨てたも同然の男です。贅沢な暮らしどころか、先のことさえ、保証はない。そんな頼りがいのない男ですが、貴女のことを、好いています。大事にしたい、と思っています。」


それから、そっと身体を離して、


「これから先の人生を、私と共に生きてください。」


確かに身分はない。政治的な地位の高さを得る人でもない。

でも、千鶴にとって、そんなことはどうでも良かった。貴族の娘になりたいだなんて、欠片も思ったことはない。


惟任は十分頼りになる。

剣の腕もたち、千鶴が困ったときには、いつでも助けに来てくれる。

何より、にこにこと笑う、その顔が千鶴は大好きだった。


惟任の顔をしっかりと見つめ、ゆっくりと頷いた。


「はい。私も貴方と共に、生きていきたい。惟任さまのお側にいたいです。」


惟任が、再び千鶴をぎゅっと抱きしめ、小さな声で、「うん。」と応えた。千鶴のすぐ横にある惟任の耳が真っ赤に染まっているのが見えて、千鶴もつられて気恥ずかしくなった。


惟任の背に、そっと手を回す。


多分、千鶴はあの神を降ろした舞の瞬間、どちらでも選べた。


世界と一つになって、人でないものになることも、そして、人としてここに留まることも。


あのとき、千鶴は惟任を見て、公賢を見て、比丘尼を見た。その後ろに、たくさんの友人たちを見た。


そして、選んだ。ここに留まることを。


惟任の腕の中で、体温を感じる。


戻ってきてよかった。

ここに。この場所に。

私は、人として生きて、この人と共に生を全うする。


「・・・あっ!私、白拍子をやめたほうがいいですか?」

「なぜ?」


身体を離した惟任が、不思議そうに首を傾げた。


「ええっと・・・惟任さまに嫁ぐので・・・。」


白拍子は、遊び女。

いくら今まで、そういうことがなかったとはいえ、夫を持った女が続けるのは、どうなのだろうか。


すると、惟任がニコリと笑った。


「私は構いませんよ。千鶴どのが、やりたいのなら。」

「え?良いの・・・ですか?」

「あっ、いや、他の方とあまり親しく・・・つまり、親密な関係になられるのは困りますが・・・でも、」


惟任は、照れたように、コリコリと頬をかいて


「私は、舞う貴女が好きだから。初めて、貴女を見たときから、貴女の舞は私の心を捉えていたのですから。」


千鶴に向かう優しい眼差しが、全てを受け入れ、包み込んでくれるようで、どこまでも心地よい。


「さぁ、行きましょうか?」


惟任が手を差し出したので、千鶴も「はい。」と頷き、その手をとった。


懐の中で、ナンテンが、二人を冷やかすようにモゾモゾと動いた。



◇   ◇   ◇



「何をニヤニヤ眺めているのです?」


いつもの釣殿(つりどの)で、目の前の男、平賀朝雅(ひらがともまさ)が公賢の手に握られた文をチラリと見た。


「私の表情を指して、ニヤニヤと形容した者は初めてです。」


公賢は、手にしていた文を丁寧に畳む。朝雅は、酒を手酌で注ぎながら、


「そうだな。不思議なもので、本心が読めないと思っていた貴方の表情も、慣れてくると豊かに感じる。」


朝雅は、ついでに公賢の杯にも酒を満たした。豪快な胡座に似合わぬ、繊細な酌をする。


「貴方にそんな顔をさせる文とは、大方、愛おしい女からのものかーーーそれとも、()()()()()()()でも、見つかったか?」


そう言って、こちらの反応を伺うような、いたずらっぽい視線を寄越す。


「さぁ、どうでしょう?」


どちらも正解ーーーとは言わなかった。しかし、朝雅は気がついただろう。

あの豪快な顔をくしゃりとさせて、嬉しそうに、ふふと笑ったのだから。


公賢は、千鶴と惟任が無事に着いたと知らせる比丘尼からの文を、膝の横に置くと、杯を手に取った。


器の中の透明の液体は、秋風に小さな波紋をつける。

公賢は、酒を燻らせながら、秋の盛りを迎えた庭に目を向けた。


その庭の向こうには、連なる山々。

山の木々は、若い二人の情熱を映すがごとく紅く、空は希望を抱くがごとく、高い。


公賢は、その山と空に向けて、そっと杯を傾けた。


まだ若い二人の道には、幾多困難があるかもしれない。けれど、


どうか二人が共に、幸せになれますように


と、祈りながら。


『白拍子は黄昏を踏む』を最後までお読みいただき、ありがとうございました。これにて、本作品は完結になります。


活動報告「完結のお礼・後書きにかえて」を投稿しましたので、お時間があれば、是非お立ち寄り下さい。



こちらには、参考文献等々を記載させていただきたいと思います。

ネタバレ防止の為に、ここにまとめての掲載となりますことをご容赦ください。


*  *  *


『眠れないほど面白い『古事記』』由良弥生(三笠書房)

『眠れない程面白い『今昔物語』』由良弥生(三笠書房)

『常用国語便覧』浜島書店

『百人一首解剖図鑑』谷知子(株式会社エクスナレッジ)

『方丈記 現代語訳付き』鴨長明、訳注=簗瀬一雄(角川文庫)


*  *  *


国語便覧は、中学生のときに使っていた学用のものですが、かなり参考にしました。



また、歴史上いた・モデルになった人物が存在するキャラクターについて、下記に記載しておきます。


・権大納言 花山院忠経とその娘(作中では唐錦)

・平賀朝雅

・山奥の比丘尼/伊勢斎宮

・帝(土御門天皇)

・慶政、九条道家(頭中将 九条慶政の弟)



比丘尼のモデルとなった内親王は、実際には、斎宮在任中に15歳で亡くなったといわれています。


主だったところでは、以上です。(漏れがあったらスミマセン)


*   *   *



最後の最後まで、お付きあいいただき、ありがとうございました。


また次の作品でお会い出来ると嬉しいです。




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