お疲れさまだぜ
鏡は俺の姿を映している。しかしもしかしたら……俺はマジックミラーからロシアの町並みを見た夢を思い出していた。
そうださっきもあのときのセリフを言っていただろう。
あれは鏡の記憶かもしれない。この鏡が直前に動作したときのものだろうか、その言葉は「我は誇り高き戦士を正しく褒め称える者也」だ、それなら!
俺は一枚の鏡に向かって刀を振り上げる、そしてそれを斬りつけた。もちろん外れ、しかし鏡は爆発せず二つに分かれていた。
『何をやっているの!』
“全く愚かな戦士よ!”
「そうでもないぜ、見つけた!」
俺は分裂した鏡の一つの枠を捕まえた。左手でしっかり握る、その鏡に映る俺の瞳は黒く目の下の傷は俺から見て左側に……すなわちこれは鏡ではなく俺の姿を写真のように映している。お袋の影に傷つけられたおかげで見つけたぜ!
さらに神鳴丸を投げ捨て両手でしっかりと掴む、俺の目の前が緑色になり視界が戻っても俺の瞳は変わらない、こいつが正解だ!
「戦士を正しく褒め称える者也ってな、つまり正しい俺の姿を映すのが本物だ!」
“ぬう、しかし剣なくて汝はいかなる手段で我を破壊するとな!”
「こうするのさ!」
俺は反動をつけて鏡に頭突きした。いや、簡単に壊れると思ってなかったが堅い。しかし剣で斬りつけると分割する、となればこれしか手が無い。
こんなことならナックルガード用の金属ベルトの腕時計でも着けとけばよかったぜ。そんなのはすっかり卒業してたからな。
“そのような手段で我が砕けるものか!”
俺は諦めないぜ、これ以上馬鹿になることもないからな。俺は何度も何度も額を鏡にたたきつけた。
だんだんと視界が怪しくなる、額が真っ赤を通り越して青あざができていた。
“諦めよ戦士よ!”
「うりゃあ!」
渾身の一撃、額の真ん中に釘が刺さるような痛みが走りうめき声が出る。今までは打撃痛なのにどうしてと目の前の鏡を見ると、そこに歪みがありそして映っている俺の額には何かの破片がへばりついていた。
どうやらさっきから散々浴びている爆発した鏡の破片らしい。髪にでも残っていたのだろう、そいつが滑り落ちて血糊で額に張り付いたのだ。
そうか偽物でも強度が同じみたいだな。なら本物でも壊せるってことだ、俺のケガもムダじゃないってことか。
俺の額もついに切れて血が噴き出した。こいつはあとに残るかもな。
俺はかまわずそこに頭突きを続けた、鏡の罅が大きくなるが俺の額にも破片が食い込んで傷を大きくする。くらくらして気絶しそうだ、目を覚ますためにもより強く額をたたきつけた。
いよいよ鏡の限界が見えてきた、あと一撃で割れる、俺は大きく振りかぶった。
“待て、判っているのか、我を破壊すれば全ての剣も消えるのだぞ!”
俺の額が鏡に接触する直前で動きを止めた。
“剣は我が想像しもの、我の存在が消えれば剣も消える。汝はそれで良いのか!”
そうだ、確かにそうだ。
俺は振り返って五人の幼女に目を向けた。彼女らもいつの間にか俺を見ている、みんな俺を見ている。
鏡を掴む手が震える。俺が鏡を壊すことで彼女らも消えてしまうのだ……
“今ならまだ間に合う、辞めるのだ、そして我に願いを告げよ!”
俺は大きく息を吸って、そしてはいた。彼女らを失って心に傷を刻むのは俺、おれなんてどうでもいい。
沙織さん、沙織さんに嫌われても自業自得だ、納得できる。明日になったら目が覚めたら好きなだけののしってくれ。
となるとあとは一人。
「みんなすまない。美雪には俺が謝っておく」
俺は振り向いたまま血だらけの額を見せてうなずいた。
「みんなのおにぎりは俺が責任もって食べる!」
「兄ちゃん、いったれ!」
アルが声を上げた。
「少ししか遊べんかったが、わても楽しかったで!」
エルが右手を突き上げた。
「……感謝」
アイはゆっくりと大きくうなずいた。
「好きにすればいいわ。わたしはあなたをご主人様と思っていないから」
メイはそう言ってそっぽを向いた。
「あるじ様」
レイは赤い瞳を俺に向けている。その顔は無表情だったが、
「迷わず、思う存分やってください!」
そう叫ぶと笑顔を向けた。
俺はみんなにもう一度うなずくと再度振りかぶって自慢のオデコを鏡にたたきつけた。
平面がひしゃげ俺の額が食い込む、罅が放射線状に走り細かく砕けて……吸い込まれた!
「な、なんだ!」
鏡は壊れて女性の姿と共に消えた。他の外れの鏡も無くなった。しかし空中に当たりの鏡の枠だけが浮かんでおり、その真ん中にどこまでも続く黒い空間が見える。
大きな引力でも働いているのか俺も俺の周りの空気もそこに吸い込まれ出した。
“我全ての力を解放した也。さあ、我が世界に引き込まれるとよい、愚かな戦士よ!”
なんだ鏡はフェイクか! ここまで来て!
しかし再度の頭突きで俺の意識も飛びそうだ。身体を支えることができない、ずるずると向こうの世界に引きずり込まれようとしている。
なんとか踏ん張ろうと枠に手をかけたが残っている四つの宝石が光ると俺に電撃を浴びせた。さらに炎を吹き出し左手を焦がす。
くそ、どうにもならないのか!
しかし俺の身体は途中で止まりさらに鏡から離れていく。誰かが腰に抱きついて引っ張っていた。
「柴田くん!」
耳元で大きな声が響いた。俺の身体に抱きついているのは沙織さんだった、体重を落として踏ん張っている。
なんとか身体は引力に逆らっているがもう攻撃手段が無い。
『まだや、諦めたらあかんで兄ちゃん!』
『そや、まだまだやあんちゃん』
その声と共に俺の後方から飛んできたツインランサーが枠の中で輝いている琥珀の宝石に突き刺さり壊した。
“おのれ、下僕め!”
「どういうことだ!」
『力が解放されてうちらはそのままで剣でいられる!』
『まだ負けてへんであんちゃん、わてらでもこの鏡を攻撃できるで!』
確かに今まで神鳴丸では斬りつけると分裂していた鏡が、ツインランサーの一撃で宝玉が切り裂かれ金属枠にも傷がついている。
次に飛んできたのはアイスブランド、それはサファイヤを粉砕した。
『……希望』
「アイ!」
さらに神鳴丸がエメラルドを切り裂いた。
『ご主人様、お守りします!』
「メイちゃん」
沙織さんの声のあと、俺の手の中にしっかりなじんだ柄の感触がある。滑り止めのぎざぎざが俺の手のひらに食い込んで少し痛いぜ。
“やめろ、何でも望みを叶えてやる、だから、やめろ!”
俺は沙織さんに身体を支えられたままフレイムタンを高々と掲げた。
「レイ、お疲れ様だぜ」
『はい、あるじ様、お疲れ様でした!』
おまえはやはり俺の家族だぜ、馬鹿親父の娘で美雪の妹で、何より俺の妹だ!
「今までのウイナーの絶望を込めて、リア充スレイヤー、いや鏡、滅ぼしてやる!」
“ヤメロ!”
俺の望みはレイ、アイ、アル、エル、メイ……そして剣の女の子みんなといつまでも暮らすことだ!
その思いを込めてフレイムタンを振り下ろす。
その軌跡は最後に残ったルビーをたたき割り、さらに鏡の枠を真っ二つに切り裂いていた。
鏡のあげる野獣のような絶叫のあと、俺の目の前は真っ白に、そして無音となって――――――
俺の境遇を知っている人によく言われることがある。
母親を二人も病気で亡くすなんてお気の毒ですと。
俺はそう考えない。
俺には二人の母親が居る。父さんのことは覚えていないし親父はちょっとあれだけど、お袋と母さんの家族でよかったと思う。
なぜならお袋は俺に「英雄」という名前をくれた。母さんは俺に「英雄」である機会をくれた。
例え短い時間であっても俺はこんなに素晴らしい母親二人と暮らしていけたのだ。こんな贅沢で良いことはそうそう転がっていないと俺は思う。
なあ、お袋に母さん。俺は二人の望む男になれたのかな。
俺がそう問いかけると目の前のお袋と母さんはにっこりとほほえんでくれた。
どこか照れくさくて、俺はずっと鼻頭をかいていた。
§
何かが俺の顔に落ちてくる。
初めは雨かと思ったがそれはとても暖かかった。以前にも同じようなものが落ちてきた記憶があるが何だっただろう。
たぶん床に寝ていると思うのだが枕が極上だった。とても柔らかくてこれも暖かい。
思い切ってまぶたを開いてみると目の前に逆さまの沙織さんの顔と、その向こうに小さな光が瞬く冬の夜空があった。いつになく澄み渡り落ちてきそうな数の星がある。
聞こえてくるのは沙織さんの泣き声だ。落ちてくるのは星ではなく彼女の閉じた目からあふれる涙だった。丸い頬を伝わり顎先に貯まったそれが俺の顔に降ってくる。とても暖かくて優しい水滴だ。
ここはどこだろう、俺は手を伸ばし沙織さんのぬれた頬と目尻に貯まった涙を人差し指でぬぐった。驚いたように開いた目の中には大きくて黒い瞳がある。やがて彼女は涙を流しながらほほえんでいる。
そうさ、沙織さんは笑っていた方が良い。良いに決まっている。
そうか、ここは天国なんだ。だって沙織さんが俺に笑ってくれるから。
パラダイスだぜ!
しかし俺の手は傷だらけだ。この指では彼女の顔を汚してしまう。だから引っ込めようとしたが彼女の小さな両手で優しく包まれた。当然この手も温かい。
やっぱり天国……
「――きんか!」
はて、なんか沙織さんにしてはとても声が下品なような、それにその声はまるで親父みたいだ。
「さっさと起きんか、この馬鹿息子!」
俺は思わず上半身を起こしていた。そのまま一〇秒ほど過ぎて周りを観察する。
俺の近くに泣き顔の沙織さん、女の子座りをしていると言うことは俺は彼女の膝枕で寝ていたのか、こりゃ天国だ。
そして俺の目の前には腰に手を当てて見下ろしている親父の姿があった。その姿は和製ジョーンズ博士だが今は古き良き時代ではないぜ。
「親父? どうしてここに居るんだ、ここは天国だぜ」
「何を寝ぼけておる、ここは示現高校の屋上だ!」
「でも……親父は学校に入れなかったはずだろう」
「結界が解けた。それでここまで来たのだ」
とすれば……俺はズボンのポケットからケータイを引っ張り出して時計表示を見てみる。日付は一月三〇日、時刻は午前0時一六分。タイムリミットは過ぎた、そして俺と親父と沙織さんはここに居る。
助かったのか。
「親父、鏡はどうなった?」
すると親父もどっかりと座り込んで俺に真っ二つになった鏡の枠を差し出した。八角形の墨に飾られている宝石は全て光りを無くしていた。
「なぜ……それを破壊してしまった!」
その声の方向を見るとすっかりやつれた丸目の親父さんが、顔をぐちゃぐちゃにして鳴きながら拳で屋上の床を叩いていた。
「せっかく人類のための、素晴らしい技術を、なぜ!」
「丸目、まだ言うか!」
親父が腰を上げそうになったのでそれを左腕で制すると、俺は鉄くずになった枠を幸之助さんの目の前に投げ捨てた。
「そいつを解析すれば何か判るかもしれないが、俺には用無しだ」
幸之助さんはそれを見て肩を落とした。
「望みが叶うかもしれなかったのだ、どんな望みでも!」
「それでもそいつはたった一つしか望みを叶えてくれない。俺達は自分たちでいくらでも望みを思い浮かべ実現できるさ。
なにしろたった今、一つの望みが叶ったからな!」
幸之助さんは泣きはらした目をこちらに向ける、親父も腕組みして俺を見ていた。それに応えるようにうなずくと、
「みんな、無事でよかった」
俺は沙織さんと目を合わせて笑った。それに釣られて親父も馬鹿笑いをしていた。
しかし……すでにあいつらは居ない。あの鏡と共に消えてしまった。
「柴田くん、額に傷が……」
うつむく俺に沙織さんが声をかけてくれる。そう言えばあれを叩き割るために何発頭突きをしたやら。額も割れているだろう。
「目を閉じて下さい、拭きますから」
「いや、そんなことは」
と断ったのに彼女の瞳は右下・前・右下・前と連続的に動き、俺の拒否を許さない。仕方ないので背筋を伸ばすと俺は目を閉じた。
少し間があって沙織さんの右手が俺の額に……ってなんか小さくないかこの手。それにもう一つ手が重なったけどこれも右手だぞ、なんか今度は同時に二つの右手が額に触れた。
四つの右手、まさかと思って目をかっと開くとそこにはフリフリ衣装の金髪、どこまでも白い白雪姫、ゆったりトラ縞、ボディコン豹ガラの幼女が俺に右手を伸ばしていた。
「あれ、みんな」
「やあ兄ちゃん、ひさしぶりやったのう」
「ほんま、わてらが居なくて寂しかったやろ?」
「……再開」
「ただいまです、あるじ様」
なんか訳が判らない。良く見ると沙織さんの膝の上に乗っている幼女はメイではないか。
「しかしどうして?」
「あるじ様の願いが叶ったのではないですか?」
「え、いつどこで誰がいったい何を何のために?」
俺が呆けたまま何か足りない5W1Hを尋ねると、レイは冷静に、
「一月二九日の午後一一時五六分三二秒、示現高校第一校舎の屋上で、鏡の枠を切断するとき、柴田英雄様が、『俺の望みはレイ、アイ、アル、エル、メイ……そして剣の女の子みんなといつまでも暮らすこと……』」
「ああ、もういい」
何だよあの鏡、本当に望みを叶える機能があったのか? それともバグなのか?
試しに俺はボロボロになったトレーナーをめくってみたが、脇腹とか肩に刻印は無かった。つまり彼女たちは本当の幼女、もとい美幼女になったのだろう。
俺の望み通りに。
「そうか……これで美雪に怒られずにすんだよ」
「よかったです、あるじ様」
レイもうれしそうだ。しかし気になることがある。
「レイ、俺はもうおまえのあるじではない。その呼び方は変だぜ」
するとレイは少し考えてから頬を赤く染めて上目遣いに俺を見た。
「ええと、お兄様」
「うん、それでいい」
「……マスター?」
……うん、アイのも違うな、その考えは彼女にすぐに届いたのかぱちりと瞬きしたあと、
「……ブラザー?」
「いや、それは別の意味で変だから」
「……兄上?」
ええと、それでいいや、何となくアイには似合っているから。
「うちらは兄ちゃんでいいやろ?」
「そや、わてもあんちゃんで平気やね」
「そうだな……ってみんな俺の妹なのか?」
「なるほど、それはおもしろい!」
またもや大声を出したのは親父だ。こいつの大声は本当に迷惑だ。
「みんなまとめてわしが面倒見る。丸目、おまえもあの黒髪の娘を面倒見るのだぞ!」
親父が指さしたのは沙織さんの膝の上でさっきから耳を塞いでいるメイだった。幸之助さんは壊れかけのからくり人形のようにうなずく。
「よかったね、メイちゃん」
「はい……ご主人様」
しかし沙織さんは首を左右に振る。メイはどこか恥ずかしそうにうつむいた。
「あの、お姉様」
「うん、メイちゃん」
そのあと豪快な親父の馬鹿笑いが夜空に響く。
「これで一件落着だ!」
俺と幼女五人組は耳を塞いだ。そして沙織さんと一緒にほほえんでいた。




