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あるじ様、背が低くなりましたか?

 沙織さんを見失ったあと、俺は公園の周りを探したが結局見つけられなかった。

 その疲れからいったん公園に戻ってベンチに腰掛けると夕焼けに染まる空を見る。

 魔女か。

 なぜ彼女は小さな声で話すのか、そもそもなかなか話そうとしないのか、深く考えたことは無かった。極端なアガリ症で人と話すのが少し苦手なお嬢様だとばかり思っていた。

 ちょっとのことで顔を真っ赤にし手をぱたぱたと振って、あうあうと口ごもって。しかもそんな姿があまりに自然だからみんなに好かれている。

 でも怖かったんだ。自分が何か言うたびに何か怒るのではないかと。少しでも声のボリュームを低くしようとして必然的に瞳が動いていたんだ。俺達はそれも魅力の一つだと誤解していた。

 俺も美雪もおもしろかったら大声で笑う、楽しかったら声を出して喜ぶ、悲しかったら嗚咽をあげる、頭に来たら本気で怒鳴る……そんな普通なことを怖がってできなかったなんて。

 鳴美の願いが判る。俺は真実に耳を塞いでいれば良かったのか。

 ブルーだぜ。

 ぼんやりしているうちに空がだいぶ暗くなっている。このまま呆けているとどこで鳴美に戦いを仕掛けられるか判らない。そろそろ家に向かおうかと思った俺のケータイがズボンの中で震えていた。

 画面には「美雪」と表示されている。俺は焦ることなくオフフックボタンを押した。

『ちょっと手伝って』

 そりゃ俺のケータイに電話しているのだから相手の確認はいらないと思うのだが、せめてもしもしとこっちが応えるまで待とうぜ。

「何を手伝えって?」

『今ね、ナオキストアに居るんだけど、お買い物しすぎて持ちきれないの』

 なるほど。六人分の食材だけでは飽きたらず、今回もどっかの国王でも招いた宮中晩餐会ができそうな分量を買ったに違いない。柴田家の家計が潤っているうちに全て食費に変換するつもりか、この愚妹。

「自分で持ちきれないのならタクシーでも拾えばいいだろう」

『そんなのもったいないよ、お店の前で待ってるからすぐ来てね』

 そして俺が苦情申し立てするひまもなく一方的に電話を切った。

 この性格は親父の悪い影響だ。もったいないの価値基準が狂っているのだけは俺が何とかしないといけない。

 ともかく妹をほっぽらかしにできず押っ取り刀で山岡商店街に向かった。

 どれだけ買ったのだろうかと予想を付けていたのだが、ナオキストアの前に着くと美雪は俺の予想以上の荷物を足下に並べて待っていた。確かに六人前だからそれなりになるのは判るがもう少し限度というものを考えろ。

 俺が六個、妹が二つのレジ袋を持つとヒーコラ言いながら家へと向かった。まるで学校の帰りに電柱から電柱までの間、じゃんけんで負けた子がみんなのランドセルを持たされる罰ゲームのようだ。しかも家までこれが持続されるのはきつすぎる。

「なあ美雪。たくさん買うのは仕方ないとして、今度はネットスーパーで買い物しろよ。そしたら家まで運んでくれるから」

「えー、あたしパソコンって使ってると目が疲れるしやだな」

「ケータイでも注文できるんだぞ、それなら美雪にも扱えるだろう」

「えー、ケータイって電話とメール以外使いたくないよ、面倒だし」

「これからはITの時代だぞ、ネットくらいきちんと扱えないと立派な大人になれないからな」

「だったらあたし、子供のままでいいもん」

 こいつなにかと反抗しやがって、俺は美雪の向上心の無さを注意しようと思ったがともかく重い。重すぎる。

「美雪、俺のカバンを持って先に帰れ」

「お兄ちゃんはどうするの?」

「そんなに速く歩けないからゆっくりといく。ともかくカバンが邪魔だ。おまえはその二袋とカバンを持って先に帰り、余裕があったら俺を迎えにこい」

「うん判った。じゃあ先にいくね」

 美雪はかさばるが軽めのレジ袋二つと俺の学生鞄を持ってタッタカタと走り去っていった。実に軽やかだ。

 さて、カバンが無くなっても片手に三つずつ、合計六個のレジ袋は手に食い込む取ってがとっても痛い。いや洒落では無くて。

 バランスを取りながらよたよたと歩くのが精一杯であっというまに美雪の背中が見えなくなった。

 道のりはまだ半分も来ていない。美雪の走る速度もスタミナもたいしたこと無いから俺がこのまま荷物を持って玄関をくぐるしかない。児童公園を越えると俺は荷物を地面に置いて手相にぶっとい線が増えた手のひらを見ながら、そこに息を吹きかけてみた。

 たぶんそんなのは何の役にも立たないと思うが気休めだ。

 しかしいったん袋を離してしまうと二度と持ちたくなくなる。俺のお手てだってもう嫌よ、勘弁してって嘆いているし……とか考えていると背筋にぞくりと悪寒が走った。

 まさか鳴美がここで狙ってくるのだろうか、しかしいつもの鈴の音は聞こえない。その代わりに耳に飛び込んできたのは獣のうなり声だった。

 その音のする方向を見ると俺に近づいてくる一頭の犬のシルエットがあった。確かあれはご近所の松平さんとこのチャッピーではないか。名前は可愛いがかなりの大型犬で犬種はグレートハウンドだと思う。ヘタをするとアルやエルくらいあるだろう。

 そのでっかい犬が目を光らせ牙をむき出しにうなり声を上げ俺に近づいて来たとしたら、どう見ても俺になでられたいとか思っていないと判る。

 というか、敵意むき出しのヤル気満々という雰囲気だ。

 しかも近づいてくる犬はそれだけでない。くるりと辺りを見回すと六頭も居る。ご丁寧に俺の前後に三頭ずつ居た。

 これは俺の足下にある食料が目当てでは無く、食材の中心に居る俺が目標だろう。

 まさかと思ったのだが頭に浮かんだのは、以前美雪が話してくれた町会長のチワワのこと、学校で美代子が教えてくれたケガ、さらについさっき聞いたシベリアンハスキーの一件。

 これってもしかしなくても鳴美の仕業か。美代子を覗けば犬に襲われた連中ってリア充かはともかくそれなりにリッチな人々だ。

 もし鳴美がリア充の定義を勘違いしていたら御犬様を使ってリア充狩りをしていたということか?

 可愛いワンちゃんを利用するとは卑怯也!

 と思ったところでどうにもならない。少なくとも俺には犬の言葉が判らないから説得を試みたところで失敗の確率が高かった。

 仕方ない、ここは剣の力を使うか。獣相手だとしたら火炎、レイが有効だろう。

 俺はポケットの中のペンダントを握りレイを呼んだ。

「あるじ様!」

 すぐさま現れるレイ、部屋の掃除中だったのか前掛け姿にモップ型簡易掃除機を持っている。この間の深夜通販番組でつい便利そうだと思って俺が買ったやつだ。美雪に白い目で見られたのは言うまでも無い。

 足下はスリッパだがこれは致し方ない。

 レイは俺の周りを見て全てを察していた。俺はうなずいて右手を差し出し、

「我HIMOTEとして命ず、我が刃となれ第八の宝剣、フレイムタン!」

 すぐさま俺の身体が熱くなる。視界が開くと握りしめたフレイムタンを高々と掲げた。

「レイ、こいつらを追い払うだけでいい」

『トルナードディフォーコ【炎の竜巻】』

 とたんに刀身が見るもまぶしい炎に包まれる、俺たちを取り巻いていた犬の目にそれが照り返したがまだ逃げる様子を見せない。

 犬たちを威嚇するように剣を振り回した。刀身の炎がぐるりと火の輪を作り犬の身体に襲いかかる。さすがに獣の本性に響いたのか半数の犬は情けない鳴き声を上げその場から駆け去った。

 しかしよく鍛えられた犬はまだ俺にガンを飛ばしていた。

 となれば少々痛い目にあって頂こう。

「レイ、犬の身体にケガを刺せないように注意してくれ」

『努力してみます』

 もう一度刀身に炎をまとわりつかせ俺の頭上で振り回した。紅蓮の炎が竜巻のように舞い上がる、俺はラブラドールレトリバーに近づくとその腹に軽く触れた。

 次にボクサーの横っ腹に切っ先を当てる。最後に残ったチャッピーの眼前に炎を集中させた刀身を向けていた。

 一連の攻撃で我に帰ったのか、御犬様一同はしっぽを巻いて逃げていってくださった。レイの炎も犬をヤケドさせなかったようだ、やれやれ。

 とりあえず脅威が無くなったが、辺りを警戒しながらフレイムタンをアスファルトに突き立てて俺は柄から手を離した。

 目の前がはっきりしてからふうとため息をついて、

「いつもながら突然呼び出してすまない」

「とんでもありません」

 今の声、だれだ?

 俺はフレイムタンを突き立てたところに目を向けるとそこには当然お掃除モップを持ったレイが立って――居なかった。

 誰も居なかったわけではなく、一人のナイスバディな金髪女性が立っていた。

 すっごい美人だ。グラビアから抜け出たようなという比喩がぴったりで、細面の顔に目鼻立ちが計算され尽くして配置されている。しなやかにうねるブロンドが腰の位置まで伸びているのが見えた。

 身長だと沙織さんよりも高くなによりメリハリの効いたナイスボディが日本風の前掛けにぱつぱつに食い込んでいる。そもそも着ている洋服がサイズが全く合っていない。

 何というか大人の女性が幼児服を無理矢理着ているような……幼児服?

 改めて彼女が右手に持っているのは俺が通販で購入したモップ型掃除機、大きな目の中の瞳はルビーレッド、さらに、

「あのあるじ様、いかがしましたか?」

 とても艶っぽい声はトーンをやや高くするとレイのアニメ声に似ているような。そもそも「あるじ様」って言っているし。

「ひょっとして、レイなのか?」

「はい、そうですけど。あるじ様、背が低くなりましたか?」

「いや、レイが大きくなったんだ」

 俺の言葉に驚いてセクシーレイは自分の姿を改めて見ていた。ついでに言うと彼女はかなり驚いている。何というかここまで焦っているレイを見るのは初めてだ。

 というか大人のレイを見たのも初めてだが。なるほどアルとエルが言っていたことがよく判る。これはアダルトだ。

 ということはレイがレベルアップしたのか、今の犬を追い払ったことで。

 実はリア充を狩らなくてもレベルは上がるのだろうか、それともあいつらが犬畜生のくせに俺より優位にあるリア充犬だというのか? 後者だとなんとなく腹立たしい。

 ところがレイの身体が急に小さくなった。なんというかモーフィングだっけ、いきなりすとんと変化するのではなく短いCM一回分くらいの時間をかけて、やや大人->少女->幼女となめらかに変化しつついつものレイの姿に戻っていた。

 見慣れた姿だがちょっと残念だ。アダルトレイをケータイで撮影しておけば良かった。

「これはどういうことだ?」

「わたくしにもよく判りませんが……攻撃ターゲットがリア充で無かったためにレベルが安定しなかったのではないでしょうか」

「うーむ、やっぱり人間のリア充でないとダメなのか」

 とどこか納得しつつ俺とレイは会話をしていたのだが、

「リア充? レベル? 何それ?」

 どこかで聞いたことがあるような声が少し離れた電柱の向こうから聞こえてくる。俺とレイはおそるおそるそちらに注目したのだが、コンクリートの柱から見えるボブカット、実年齢に比べて幼く見える顔立ち、さっきのレイに比べると凹凸があまり無い体型。

 つまり、俺の妹だ。

「美雪か、もうその、荷物を置いてきたのか、早いな」

 俺、かなり焦っていた。自分の頬が微妙にけいれんしているのが判る。それより美雪は俺の問いかけにきちんと答えてくれない。

「ねえお兄ちゃん」

「なんだ、とりあえずくるしゅう無い、ちこう寄れ」

「なんでレイちゃんが大きな剣になって火が出てたの?」

 美雪は電柱に隠れたまま俺に問い返しをしてきた。あいつの顔も引きつっている。しかも瞳はふらふらと揺れていてレイを見ていないように思えた。

「ええと、見てた?」

 こくりとうなずく美雪。

「つまり……スーパーイリュージョン。俺のクラスで学期末懇親会があって、そこで見せるための大魔術をここで練習していて……」

「あの剣ってお兄ちゃんとあたしを襲ってきたときのだよね」

 ……ごまかしきれない。意外と細かいところまで良く見ている妹をこの場合褒めるべきか、攻めるべきか。

「あるじ様、もうこれ以上隠すことはできないのではないでしょうか」

 レイは眉を顰めうつむいて呟いた。確かにそうかもしれない。

「美雪」

 妹の身体が大きく震えたのが判った。

「レイのことはあとで全て話す。ともかく家に帰ろう」

 美雪は電柱の向こうからかくんとうなずいた。おそらくこいつが納得したのは「家に帰ろう」という言葉だけだろうが、今はそれだけで良いように思えた。


  §


 それから六個のレジ袋は俺が持って無言の美雪とうつむいたままのレイを左右に従え、とても気まずい雰囲気を漂わせつつ俺たちは家に帰った。

 そして夕食を始める前に居間に勢揃いする家族と居候計六人。上座に美雪が居て、その目の前に俺、俺の右側にレイ、その右隣にアル、俺の左側にアイ、その左隣にエルが正座しこんこんと説明すること一時間近く。

 俺と剣一同はリア充スレイヤーと俺がどうしてそれに参加するに至ったか、なぜ次々と幼女が俺たちの家にやってきたかを懇切丁寧に解説した。

 途中、美雪の中で動いていたのはまぶただけだった。しかも瞬きの回数が数えられるほどだ。それに反して俺は言葉だけでなく手足はもちろんのこと身体全体を使って説明したために、一段落付いて正座姿勢に戻るとぐったりしておりとても喉が渇いていた。

 気を利かせたレイが中座して運んでくれたコップ一杯の水を一気飲みすると少し気分が落ち着いた。

「ええと、それで、すまん」

 俺は両手をついていわゆる土下座ポーズをした。レイたちも同じように美雪に頭を下げたのは言うまでも無い。

「どうして謝るの、お兄ちゃん」

「こんな大事をおまえに黙っていたことだ」

「うん、そうだよね、こんなすごいことを妹のあたしに黙っているのはずるいと思う」

 微妙に攻められていないような気がし頭を上げると、目の前の妹の顔はどこか楽しげにほほえんでいた。

「怒ってないのか?」

「怒ってるよ、こんなにおもしろそうなことをあたしに黙っているお兄ちゃんには、あとでデコピン一〇〇発だよね」

「おもしろいか……まるで親父みたいなことを言うんだな」

「だって、お父さんの娘だもん」

 確かにそれはそうだが。もうちっと現実離れしたこの状態に受け入れがたい何かを感じて錯乱とかしないものだろうか? レイと出逢った直後の慌てた俺が馬鹿みたいだろう。

「美雪さん、わたくしたちを気持ち悪く思わないのですか?」

 その疑問を代弁したのはレイだった。彼女の質問に俺と剣一同は全くだと同じタイミングでうなずく。

「別に、ぬめぬめしてたりべちょべちょしたものに変身する訳じゃないし」

「あー、まあ、美雪はナマコとかオクラとか苦手だったな」

「そうそう、それにレイちゃんが大人になった姿はかっこいいよね。あれだとすっごいきわどいボンテージとか似合いそう」

 結局おまえはそっちの方向の興味が最優先なのかなとか思う。小さな頃にお人形遊びとかしてなかったのが今頃出ているのか?

 レイに対しての印象は俺と同じなのだが。もしかしたら美雪は写真を撮っているかもしれないからあとで確認してみよう。

「ところで、他のみんなも剣になれるの?」

「まあ、なれるぞ」

「それじゃあたしに、もう一度見せて欲しいな」

 見せてと言われても。とりあえずレイの剣化は見ているし俺の左隣で微動だにしないアイに首を向けると瞳が動いただけだった。特に拒否していないようなので、俺は左手をアイの頭頂部に乗せる。

「我HIMOTEとして命ず、我が刃となれ第六の宝剣、アイスブランド」

 するといつものように左手に冷気が伝わり視界が一瞬遮断されたあと手にアイスブランドが握られていた。それをじーっと見ている美雪の姿が目に飛び込んでくる。

「うわー、すごいすごい、アイちゃんは青くて短いんだ。氷でできているみたい」

 そしてゆっくりと指を伸ばすと刀身にそっと触れていた。しかしすぐさま引っ込める。

「ひゃ、冷たい。お兄ちゃんは触っていて冷たくないの?」

「握っている俺が冷たかったら扱えないだろう」

「そうだね……それにお兄ちゃんの瞳も青くなってる。レイちゃんのときは赤かったから、剣になった女の子の瞳の色になるんだね」

「そういうことだ」

「アルちゃんとエルちゃんもそうなの?」

「うちらはエルと二人で槍になるんや」

「まだあんちゃんはわてらを剣化したことはないけどな」

 もう実演は良いだろうと思い、アイスブランドを元の位置に戻して手を離した。三秒後に視界が切り替わって何事もなかったかのようにアイがきちんと正座している。

「それで、お兄ちゃんはあと一回勝つと優勝なんだ」

「そうだな」

「そうすると今度はどんな女の子が家に来るの?」

 美雪の興味の方向が一般的な反応とすこしずれていることに俺は前かがみになった。

「普通、優勝したらどんな望みを叶えてもらうのとか質問しないか?」

「そうかな?」

「じゃあもし美雪だったらどんな願いを叶えてもらうつもりだ?」

 すると美雪はちっとも考えることなくぱっとほほえんで見せてから、

「もっと早くお兄ちゃんと話せば良かった!」

「なんだそりゃ」

「だってあたしたち、初めて逢ってからお話しするまで二年くらいブランクがあるじゃない。今考えるともったいないよね」

 美雪の答えに四人の幼女は話が見えないのでややほうけている。これについては説明すると長いので今は省略する。

「いいのかそんなつまらないことで……」

「つまらなくないよ、子供の二年は長いんだよ、とってももったいないよ」

「そういうものかな?」

「それで、お兄ちゃんなら何を叶えてもらいたいの?」

 さりげなくこっちに話を振るとはさすが良く鍛えられた俺の妹だ。

 ……妹か。美雪の問い返しに俺は自然とあいつのボブカットを、その前髪を見ていた。

「そういえばあるじ様、時々美雪さんの前髪を見ていらっしゃいますけど」

「こら、レイ!」

「あれ、お兄ちゃんひょっとして気にしているんだ」

 俺に怒られたレイはしゅんとして肩をすくめたが、目の前の美雪は頬を赤くして小さくほほえんでいた。

「なんや、ミユキのオデコに秘密があるんかいな?」

「秘密ってほどでもないよアルちゃん。お兄ちゃんはこれを気にしているんだよね」

 と美雪は俺が制する前に右手で前髪をかき上げ、額を露出した。俺はとっさに目をそらしてしまったが残り四人はそれこそ穴があくほど凝視している様子が想像できる。

「なんか生え際のあたりに三日月みたいな傷がありまんな」

 最初に気がついたのはエルだった。さらにアルもそこを指さした。

「ほんまや、ちょっと出っ張っちゃる」

「……ケガ?」

「そのようですね、どうされたのです?」

「俺が中学三年生の四月、美雪とケンカして付けたんだよ」

 こうなったら白状するしかない。俺も美雪の額の傷を見てそう言った。

「ケンカされたのですか?」

「まあ、なんだ、その……」

「あのね、その頃お兄ちゃんはケンカ番長だったの」

 それはどこの古代生物ですかと思いつつ、俺は口を挟めない。四人の八個の瞳が美雪の解説を望んでいるからだ。

「それでね、性格も少しねじ曲がっていたからあるキーワードを言うとすっごく怒って」

「キーワードですか?」

 美雪はレイに強くうなずいた。

「ヒーローって言葉」

 いや、それはねじれた性格がやや戻った今でもかなりかちんと来る単語なんですけど。しかし美雪と幼女たちは俺の介入を許さなかった。

「お兄ちゃんがあまりにも荒くれていたから、あたしのヒーローなんだからもうちょっとしっかりしてよって言ったらケンカになって、げんこつが当たって額が切れちゃったんだ」

 その直後なんかとてつもなく冷たい視線が左右から四本ずつ刺さるんですけど。避けてはダメですかそうですか。

「そりゃ兄ちゃんあかんて。キレておなごの顔に傷つけるなんて男のすることではありまへんな、うちもがっくりや」

「せや、これはわてもあんちゃんの好感度がぐんと下がりましたで」

「……かわいそう」

「そういうことなんですね、ですからそのような髪型を……」

 俺、幼女にフルボッコされ中。あるじと思えない扱いにとても肩身が狭かった。言い訳がましいが解剖学上、額は頭に分類されるため顔では無いのだが、それを言うとさらに剣化しナマスにされそうだった。

「別にこの髪型は好きでしてるの、だって可愛いでしょ。でもお兄ちゃんが気にしているのならずっと前髪上げていようかな」

「こら、美雪!」

「美雪さんは気にしていないのですか?」

「だって兄妹ゲンカで付いたんだもん。誰かに聞かれたってそう答えるとなーんだって言ってくれるよ。ただ酷いお兄ちゃんだねって返事されるけど」

 なにげに効くぞその言葉。

「その代わりにね、あたしがヒーローって言ってもお兄ちゃんは怒らなくなったんだ」

「……免罪符?」

「そうそう、アイちゃん難しい言葉知ってるね」

「美雪さんにとってあるじ様はヒーローなのですか?」

 レイ、一応断っておくと我慢しているだけでかちんと来てはいるんだからな。覚えておけよ。俺のそんな心の葛藤は無視するように美雪は笑顔を絶やさない。

「だって小さい頃にあたしがいじめられるとお兄ちゃんは仕返ししてくれるんだ。誰かがあたしを二発殴ると一〇倍返しで二〇〇発殴り返すんだよ」

「……一〇倍?」

「でもね水泳帽とか被るときは見えちゃうからちょっとだけ恥ずかしいかな?」

 そして頬を赤らめた美雪。その額にアイがそっと右手を伸ばして額の傷を隠した。

「アイちゃん?」

「……これで見えない」

 続いてアルとエルの褐色の手も伸びて美雪の額に触れていた。

「どや、うちらの手があれば目立たないやろ」

「せや、わてらの手の方が目立つで」

 そしてレイもそこに手を重ねる。

「そうです、気になったらいつでもおっしゃってください」

「みんな、ありがと」

 最後に俺も手を伸ばしてみんなの手を隠すように触れた。

「俺は今でも美雪のヒーローなのかな?」

「当たり前でしょ、だって名前は『えいゆう』なんだし」

 美雪の明るい声に俺たちもほほえんでいた。


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