いますぐそんなもの捨てて!
あまりに典型的な怪しい態度に笑いさえこみ上げてくる。伊藤か? しかしあいつは入院中だ。しかもこの気配は伊藤など足下に及ばない。
「誰だ!」
俺の声に反応したのはむしろ沙織さんだった。彼女は顔を上げると俺を見てから視線の先にいる不審者に目を見開いた。
奴は動かない、頭がほんの少し左右に振れ俺と沙織さんを見たがそのまま両手を身体から離し腕をハの字に開いた。
「なるほど、ここで一気にけりをつけるっちゅうことやね」
男の右手の近くでそんな声が響きポニーテイルの髪型をした幼女が現れた。背丈はアイより低くやや大きめのコートを着ている。
「せやけど、いきなりいうのはあんちゃんも大胆やね。わても気合いいれさせてもらうわ」
今度は左手の近くにツインテイルの幼女が現れ関西弁で呟く。
色違いのコートを着ているが容姿は右手の幼女とそっくりだ。褐色の肌に鳶色の髪、そして暗闇に光るアンバーイエローの瞳。
そう、俺がショッピングセンターとナオキストアで見かけた推定インド人の双子なのだ。しかしあのときは背が低かったが少女程度の体型だったのに、今はまるっきりの幼女だ。
「それで兄ちゃんは男と女、どっちをねらうつもりやねん」
それは俺と沙織さんのどちらかということだ。右手の幼女の言葉に奴の顔は俺の方を向いたのが判った。
「よっしゃー、まかしとき。あんちゃんの腕ならHIMOTE相手でもいけまっせ!」
そうか、やはりこいつもHIMOTE、狙いはリア充に見える沙織さんかHIMOTEの俺なのか。左手の幼女の言葉に驚いて俺を見る沙織さんだがここは彼女を巻き込んではいけない。
「逃げるんだ、沙織さん!」
しかし沙織さんは俺の右手にしっかりと抱きついている、しかもかなり力強い。それを振りほどこうとしていると不審者は両手をそれぞれ幼女の頭に乗せた。
「我HIMOTEとして命ず、我が刃となれ第三の宝剣、ツインランサー!」
しゃがれた声が響くと同時に男の両手から黄色の光が全身を駆け巡り、双子の身体が細かい粒子になると実態となって現れたのは二メートルある槍だった。その両端に刃渡り二〇センチ程度の穂先があり琥珀色の輝きを放っている。
もうこうなったら仕方ない、俺はやや乱暴に沙織さんを突き放すと倉庫の奥へと駆けだした。不審者は俺を追ってくる、沙織さんには見向きもしない、沙織さんも追いかけてこない。
ズボンのポケットからペンダントを取り出しそれを握りしめる。
「アイ、来てくれ!」
得意の逃げ足で相手と距離を稼いだところでそう念じると俺の側にあった段ボール箱の上に正座したままのアイが現れた。服装は食堂に居たときのまま、シンプルな濃紺のメイド服を着ている。間近で見るとよく似合っていたがいまは美雪を褒めている時間は無い。
彼女は驚きもせず青い瞳だけ動かして俺を見た。何となく眉尻が数ミリ吊り上がっているように見えるのはテレビ鑑賞を中断された講義か、すまんこっちもそれどころでは無いのだ。
「HIMOTEだ」
それだけで全てを察したのかアイは小さくお辞儀をするとシルバーブロンドの頭頂部を俺に向けた。そこに右手を添えると、
「我HIMOTEとして命ず、我が刃となれ第六の宝剣、アイスブランド!」
俺の右手に冷気が感じられる、それが全身に伝わったあと目の前が青くなり視界がはっきりすると青い刀身の剣を握っていた。やはりアイも剣化できるのだ。
準備は済んだ、あとは奴にどう闘うかだけだが、そこにチリンと鈴の音が響いた。
「どうやらあなたたちが先に決着をつけるようですね」
鳴美の声が響く、しかし声の方向が特定できなかった。
「どこにいる!」
「ご安心ください、HIMOTEの戦いは一対一、わたしは介入しません。それよりわたしと取引しませんか?」
「なんだと!」
「先日の申し出を受け入れていただければあなたの相手の刻印がどこにあるかを教えて差し上げましょう」
「知っているのか奴のこと!」
「さあどうでしょう。いかがです? わたしの提案、了承していただけますか?」
「断る!」
俺は何の躊躇も無く叫ぶ。一瞬の静寂のあと聞こえて来たのは鳴美の笑い声と槍の男が近づく足音だった。
「それでは高みの見物といきましょう、ご武運をお祈りしています」
その声と共に鳴美の気配は完全に消えた。代わりに現れたのは槍を手にしたHIMOTEだった。
「アイ、あの剣は?」
『……第三の宝剣、ツインランサー』
「属性は?」
『……属性は大地、相剋は大気、弱点は火炎、優位は冷気』
「ずいぶんとサービス精神旺盛だな」
『……属性では不利、フレイムタンの方が有利』
だとしてもここであれば俺の方が有利かもしれない、周りには段ボールだの木箱だの荷物が雑然と並んでおり狭苦しい。取り回しなら短いアイスブランドの方が楽なはずだ。
それよりも沙織さんを近づけてはいけない。
「アイ、俺のレベルで作れる最大の結界を張ってくれ」
『……すでに敷かれている』
なるほど、相手もそれなりの覚悟ということか。
男は右手で槍の中程を握り片方の先端を俺につきだした。左手はもう片方の穂先ぎりぎりを握っていて槍の使い方に慣れているように見えた。
そのまますり足で近づきながら俺の頭、胸、腹と突撃を繰り返す、押しては引きの繰り返しだが穂先の狙いが確実でスピードも速い。
なんとか避けているが首を狙われたときはマフラーが引っかかって外れた。
しかしこの空間では着くことしかできないはずだ、だとすると槍の長い攻撃距離が弱点になる。奴が踏み込んだと同時に穂先をアイスブランドではじき奴の胸元に飛び込んだ。
穂先は俺の背中より後ろにある、槍を回転しようにも辺りの木箱が邪魔をする。俺はアイスブランドで男の胸元に袈裟懸けに切りつけた。
だが男の反応も早かった。切っ先がジャンバーにかすったのだがそこで後ろ飛びすると間合いを開いて穂先を俺に向ける、今度は槍の射程から逃れるべく俺が後方にジャンプした。
お互い決定打が繰り出せない、そんなやりとりを数回繰り返した。男は大きくうなずくと槍を縦に構えて琥珀が二つ飾られた穂先を地面に突き立てた。
『ピスティキスピエフビファティファツケスパイヤラ【大地の矛】』
すると地面が波打ち俺の足下からコンクリートを突き破って槍場の土が盛り上がると俺を攻撃する。属性攻撃か!
土の槍は一本では無かった。俺の後ろにも数本飛び出ている、どこにも避けようがなく反射的に前のめりになったがそこを狙うように眼前に接近する穂先、俺はアイスブランドを振り上げてそれを真上にはじくと勢いのままに奴に近づいて足を狙った。
奴が回避するぎりぎりで切っ先は右の太ももを殴打した。そのまま体当たりをしながら体制を入れ替えて後ろに飛ぶと奴の制空権から逃れアイスブランドを盾のように中断で構えた。
俺が打撃を加えた右足の動きが鈍くなっているように思える。相手のステップを封じたのかもしれない。
ここで決める、俺は奴の胸に飛び込んで心臓に打撃を加えようとする、こちらの予想通り奴は素早く動けなかった。がら空きの上半身が迫るそのとき、
「分離!」
『ジョルバーパチョキンッテルバジュウアアピタッラブア【双子の剣】』
男と剣の声が響くのと同時に槍が変形した。二つの穂先をつないでいた杖が無くなり男の両手に一振りずつの短剣が握られていたのだ。
まずい、これではこちらの間合いが不利になる、しかし俺の勢いは止められない。男の右手が振り下ろされたがそれはアイスブランドで弾いたがすぐさま左手が俺の右脇腹を狙う。
どこにも避けようがない、思いきって奴に抱きついた。
短剣が俺の背中を斬りつけたのと槍状に盛り上がった土に男の背中をたたきつけたのはほぼ同時だった。
お互いからうめき声が漏れ俺は急いで後ろ飛びした。男は短剣を二つ切っ先を付けるように構えて立ち上がったが、いままで顔を隠していたマフラーが無くなっており素顔がむき出しになっている。
しかしその正体は……
「大介」
信じられない、目を疑った。短剣を二刀流で構えている男は間違いなく佐々木大介だった。
『……マスター』
アイの警告が無ければ俺は手をゆるめ剣を落とすところだった。きっと目を見開き青く染まった瞳であいつを見ているのだろう。それに応えることなく大介は瞳を黄色に染め俺に向かい笑い顔を浮かべていた。
「どうしたんだ大介、何でおまえが」
「HIMOTEに全て勝てば願いが叶う」
俺にとっては絶望的な言葉だった。
「俺が誰だか判っているのか?」
「判っているよヒデちゃん。そしてHIMOTEであることも」
「それで俺に戦いを仕掛けるのか、おまえが!」
「そうしないと願いが叶わないだろう!」
違う、アンバーイエローに染まった目は大介のものでは無い、浮かべた薄笑いはあいつのものでは無い!
「目を覚ませ、俺はおまえと闘うつもりはない!」
「ヒデちゃんに無くてもぼくにはある! それに一度始まった戦いは引き分けはない!」
「どうしておまえがHIMOTEになったんだ、昨日までそんな気配は無かったのに」
「昨日の夜ヒデちゃんと別れてから切り裂き魔に襲われたのさ。それを返り討ちにしてぼくは力を手に入れた」
なるほど俺と同じと言うことか。それで願いを叶えてもらうために俺を狙ったのか、今日の更衣室で俺の身体の刻印を見たのだろう。そのときから狙っていたのか。
「辞めるんだ大介、こんな戦いは無意味だ!」
「ぼくには意味がある!」
「大介……」
「さあかかってきなよ、HIMOTE!」
あいつは何を望んでいる……昨日HIMOTEの権利を得たからあの双子は幼女の姿に戻ったのだろう。沙織さんを狙わずに俺に戦いを仕掛けたと言うことはまだリア充を一人も手にかけていないということだ。
あいつは何を望む、あいつの望みに何か間違いがあるのか? むしろ俺はこのままあいつに討ち取られていいのではないか?
いくつもの疑問が俺の頭を駆け巡る。もう考えても判らなかった。
「教えろ大介! おまえの望みは何だ!」
「戦いもしない負け犬のヒデちゃんに言うことはないよ、今までの幸せな日々を思い起こして滅びればいいんだHIMOTE!」
そうか……今のおまえは本当に大介ではないんだな。
俺の奥歯がぎりぎりと音を立てた。大介にだけ許したその言い方に俺の無意識が反応している。
……大介、俺は決めた。今こそ大きな借りを返すときが来た。
例えおまえがリア充に手をかけなくとも、どんなに清く正しい望みを抱いていても、今のおまえは大介ではない!
「俺の手で今こそあのときのお返しをしてやる!」
「せいやっ!」
大介がかけ声と共にこちらに向かってくる、空間の優位は無くなった。しかも相手は剣道の有段者だ、棒を持たせただけで俺との実力差はありすぎる。しかもあいつの剣も俺のアイスブランドと同じように重量を感じていないのだろう。
大介は両手の剣で俺に襲いかかる、片方の攻撃は何とかアイスブランドで弾けるがもう片方が俺の身体を確実にヒットする。
俺はじりじりと後退しやや広い空間に出ていた。背後に沙織さんの気配は無い。結界に弾かれて逃げたのだろう、それでいい。
「アイ、剣を二つ同時に使えるのか?」
『……判らない』
そうだろう、だがルールでも戦士は一対一だが剣は必ず一つと聞いていない。
やるしか無い、大介の攻撃は剣道として見事だ。しかしケンカ慣れしていない。
接近してきたあいつの腹筋に思いっきり蹴りを入れる、ガードが遅れたあいつは後ろに吹っ飛んだ。その隙にアイスブランドを左手に持ち替えるとペンダントを握った。
「レイ、来てくれ!」
「いかがされました、あるじ様!」
俺のすぐ横に現れたレイはアイとおそろいのメイド服を着ていた。しかもこっちはベースカラーが赤、エプロンドレスに食事の準備中だったのだろう三角ずきんで頭を覆っている。本当に趣味に走っているな美雪、丸目とベクトルは異なるが話は合うかも知れないぞ。
そんなことより俺は無造作にレイに右手を向けた。彼女も事態を察知し自ら頭頂部を手のひらに押し当てる。
「我HIMOTEとして命ず、我が刃となれ第八の宝剣、フレイムタン!」
さてどうなるかと思ったが右手は以前と同じように熱を感じ、それが全身に行き渡ると目の前は紫になった。なるほど赤と青を足してその色か。
視界が戻ると俺の右手には刃渡り一メートルのフレイムタン、左手には五〇センチのアイスブランドが握られていた。
起き上がった大介は驚愕とばかりに俺の変速二刀流を見たが、すぐにはっきりと判る笑顔を向けると腕を交差させて俺に向かってきた。
あいつの攻撃は俺の二つの剣で弾けた、しかしツインランサーが全く同じ形の短剣なのに対して俺のは左右で大きさが異なる。潮招き、どちらかというと「死を招き」だな。
しかも大介と違い俺は二刀流なんて扱えない。せめて防御することしかできない。
大介の右手をアイスブランドで左手をフレイムタンで受け止めると音域の異なる金属音がステレオで聞こえてくる。
“闘え! もっと激しく闘え!”
まただ、伊藤と闘っていたときに聞こえていた声だ、どうして俺の耳に届く。
“おまえの敵を討ち滅ぼせ、戦士よ!”
「うるせー!」
俺は怒鳴り両手の剣を大きく左右に広げ、体当たりで大介の身体を吹き飛ばした。例え剣技でかなわなくともこちらにはレイが居る!
「レイ、大介の周りを火炎で包め!」
『ムロディフィアーム【炎の壁】』
俺が右手を振り回すと刀身に湧き出た火炎が大介の周りに大きな火の輪を作り、そこからまさしく壁のような炎が立ち上がった。
俺にはフレイムタンが居るので炎の熱さは微塵も感じないが大介の剣は火炎が弱点だ。これで少しでもあいつの戦意をそぎ落とせれば……その重いから、俺は警戒を解いていた。
『……マスター』
『イークピスティキスピエフ!【一つの槍】』
アイのテンションが低い声と、槍の鋭い叫びと共に炎の壁を突き破り、衣服に火炎をまとった大介がツインランサーを槍に変形して俺に突っ込んでくる。あいつの勢いと火炎で大介のジャンバーは細切れに吹き飛び上着はシャツだけになっていた。
気合いがこもった叫びと共に琥珀色の穂先が俺の左脇腹をえぐった。さして痛みは無かったがその攻撃で火炎の壁が消失し俺の右手から剣の感覚が無くなった。
さらに目の前が一瞬青くなる。刻印か、第八の宝剣との契約の証である刻印にダメージを受けフレイムタンの剣化状態が解除された。そして赤いメイド服のレイが俺の右側にうずくまって倒れた。
大介はそれを見て目をつり上げると槍を高々と上げた。琥珀が一つだけ埋め込まれた穂先が黄色の残像と共にレイに襲いかかる、とどめを刺すつもりか!
『ピフティカハァツワラビファティファツケスパイヤラ【大地の槌】』
俺は無意識のうちに動いていた。身体が勝手にレイの背中を覆う、次に感じたのは右肩に加わったすさまじい加重だった。
肩胛骨と鎖骨が悲鳴を上げた。折れていないが右肩から先の感覚が無くなる。ただの打撃に思えない重量が俺の背骨と腰にも負担をかけ、身体がずんと下がってレイの背中に胸板が触れていた。
「あるじ様!」
『なんちゅう奴や! うちの大地の槌を直で食らうやと!』
『しかも剣を守る何て、何考えとんのや!』
ツインランサーの双子が驚く声が響く。やはりこれ、属性攻撃なのか、痛すぎるぜ。
俺は眉を寄せて奥歯をかみしめると左手で大介の腹を突いた。切っ先が服に触れた感触はあるのだがあいつは素早く後方に避けた。
しかし痛すぎる、めまいを起こしそうだ。右手の感覚は戻らない、しかも刻印にダメージがあるからレイをフレイムタンに剣化できないのだろう。レイはまだうずくまって一歩も動いていない。
どうする、あとは左手とアイスブランドしかない。属性は不利、剣技も不利、剣の数も不利ときたもんだ。
「くそ、槍にも短剣にもなるなんて都合が良すぎるぜ!」
『……ツインランサーは二つで一つ、属性攻撃ができるのは一つになったときだけ』
アイの小さな言葉に俺は考えた。だとすると好機はあるかもしれない、あとはどうやって槍から短剣に変化するタイミングを待つかだがそんなのはお構いなしに大介は穂先をまっすぐ俺に向けて突進してきた。
「大ちゃん!」
俺の背後で響いた声、あいつの動きがぴたりと止まる。
「ミヨ、どうしてここに?」
振り返らなくとも誰だか判るが大介のつぶやきにそこに居るのは美代子だと確信した。
俺が大介に追跡されていたように、あいつも美代子に後をつけられていたのだろうか?
でもどうして美代子がここに? HIMOTE以外は立ち入れないはずでは?
「アイ、結界はどうした?」
『……解除された』
まさか鳴美のやつ、俺たちをさらし者にするつもりか。
「もうやめて、何で大ちゃんがヒデくんにそんなことするの!」
美代子は叫びながらこっちに走ってくる。
「近づくな、ミヨちゃん!」
「いますぐそんなもの捨てて!」
「うるさい!」
何てこった、大介は近づいてくる美代子に向かって槍を振り回そうとした、そこまで自分を見失っているのか!
俺はあいつの身体に抱きついてタックルしたまま美代子との距離を取った。穂先は寸でのところで美代子の顔をかすめたが傷はつけていないだろう。
あいつは俺を引きはがそうとするが槍では長すぎて狙えない。舌打ちのあと、
「分離!」
その声を待っていたぜ、両脇から襲いかかる短剣、それを握る両手首を俺の肩で防ぐとアイスブランドを大介の右手首にたたきつけた。
うめき声が上がる、すまないそこをケガしているのは知っている。今だけこらえてくれ!
あいつの右手から短剣がこぼれ落ちた。慌ててそれを拾おうとするがそれより早く地面に落ちたそれを斜め後ろに蹴り飛ばす。
『アネキ!』
大介の左手に残った短剣から声が聞こえた。コンクリートを滑っていく短剣、十分距離を取ったところで俺はアイスブランドで地面に触れた。
「アイ、氷で壁を作れ!」
『……シュチュナァルダァ【氷壁】』
その声と同時にコンクリートの上にいくつもの氷の壁ができた。それは離れた短剣を取り囲み三秒が過ぎる。
大介の左手から短剣が消え、氷に阻まれた短剣と共に幼女の姿に戻った。
唖然とする大介の足をひっかけ俺はあいつの背中に向けてアイスブランドを振り払った。俺も知っている、おまえの刻印がどこにあるのか……着替えのとき俺に見せていた正面に刻印はない、だとするとそこだ。
切り裂かれたシャツの背中にうっすらと見えるのは黄色の文字だった。
新撰組なら士道不覚悟で切腹だぞ!
「大介すまん!」
俺はそれに向かってアイスブランドの刀身をたたきつけた。
大介の背筋が伸びた。全身にけいれんが走り剣を失った両手を伸ばして何かを掴もうとうごめいた。
時間はそこで止まっていた。微動だにしない大介、アイスブランドを振り抜いたまま動けない俺、美代子の呼吸音だけが俺の耳に届く。
やがてゆっくりと大介は振り返った。その瞳はいつもの黒色に戻りそして俺がよく知っている剣道青少年の悪友のそれだった。
「ヒデちゃん」
大介はそれだけを告げるとうつぶせに倒れる、顔面からコンクリートに激突するかに見えたが駆け寄ってきた美代子が何とかあいつの身体を受け止めていた。
俺の左手からアイスブランドがこぼれ落ちる。目の前が青くなりやがて気を失っている大介とその身体を支えながら鳴いている美代子の姿が見えた。
「大介」
あいつに差し出した左手が美代子の右手に弾かれ乾いた音を立てた。
「触らないで!」
彼女は眉をつり上げ涙に濡れる瞳で俺をにらみつける。
何もしゃべれない俺は差し出した左手をどこに持っていってよいか判らない。すると女の子の姿に戻ったアイが小さな両手で包んでくれた。
俺のズボンのポケットでケータイが振動している。そんなのに出る気にならない。
静まりかえった空き地に美代子の鳴き声とケータイの呼び出しだけがむなしく響いていた。