お兄ちゃん、ちょっとお使いにいってきてくれる?
生徒会室に入った俺たちだったが丸目は例の生徒会長ポーズをとって窓の外を見ているだけ、俺はイスに腰かけ奴の横柄な背中を見ていた。
どれくらい時間が過ぎたのだろう、たぶん秒針は二桁も回転していないと思うのだが、静寂は時の進みを遅くする。唐突に丸目は背を向けたまま話を始めた。
「沙織は……わたしの本当の妹ではない」
奴でもこんなに静かに話すことができるのか、そちらが気になって内容を取りこぼすところだった。もちろん俺は驚いたがそこで中断させるより全てを話させようと無言を通した。
「沙織が丸目の家にやってきたのは一〇歳のときだ。名目は遠縁から養子を貰ったことになっているが実際は血のつながりもないやや貧困の家庭の末娘だった。そのときは声も大きく普通に話すことができた。人見知りは同じだが。
家にやってきたとき彼女はコロと名付けた一頭の柴犬を連れていた。小さな頃から飼っていた犬で沙織もその犬が居なければ落ち着かない様子だった。しかしその犬は丸目家に来てから三ヶ月もしないうちに病気となりそのまま死んだ」
「そのときの記憶があって今日はあれほど悲しんでいたと言うのか?」
「いやそれだけではない。のちに判ったことだが柴犬はえさの中に毒物を混入され少しずつ衰弱していった。つまり遠回しに殺されたのだ」
「いったい誰に?」
「わたしの父親だ」
ようやく振り向いた丸目は表情が消えたままだった。
「なぜそんなことをした?」
「丸目家に血統もままならない雑種犬は必要ないと思ったのだろう。犬が死んだあとにも庭の中に墓を作って欲しいと懇願した沙織を無視し父は業者に死骸を処理させた」
「嫌な言い方だが沙織さんだって丸目の家と血筋が異なるだろう?」
「沙織は選ばれた子供だから良いのだよ」
やや感情的になっている俺と対照的に丸目はどこまでも静かだった。
「丸目幸之助に子供は居ない。妻である丸目房代は病気で子が産めない身体になると家から追い出され離婚された。そのあと丸目家は優秀な跡取りを取るために才能のある子供を捜し養子にとったのだ」
そこで丸目はうなずく。
「わたしも養子だ。丸目の家に入ったのは沙織よりも一年ほど早いが」
「だとすると、おまえとおまえの親父さんも血がつながっていないのか?」
「そうとも。わたしたち家族は誰一人血がつながっていない。嫡男なのにわたしの名前が三郎なのはそういう理由からだ」
奴の言い方はどこかの家族構成を冷静に、いや冷淡に解説しているだけのように聞こえる。
「わたしは前の家族からうとまれていたから丸目家での生活にはすぐになじめた。父は成績さえ良ければなにも注文を付けることもない。成績表が『良』で埋まっていればそれだけで満足だった。
しかし沙織は違った。確かに知能指数ではわたしより高いが情緒は不安定だ。人見知りもあるし犬の一件もあり父にもなじめず成績もふるわなかった。
父にしてみると目測が外れたというところだが、くだんの柴犬のように食事に毒を盛るわけにもいかない。幸い沙織は容姿端麗だった。それのみで命を救われ丸目家の下に生きながらえているというところだ」
「あの人がそんなことをするように見えない」
「君は連続通り魔が捕まったときの関係者の証言を覚えているか?」
生徒会長のイスに腰かける丸目に向かって俺は首を縦に振った。
「人間というのはいくつもの人格を包含している。多くの人々に見せる面と限られた人に見せる面が乖離していることは珍しくない。父はそのための自己表現方法に卓越しているのだ。
わたしはわざと反対の方向にそれを示し、沙織はそういうことが苦手なのだろう」
「沙織さんは丸目の家に居て辛くないのか?」
「先ほど沙織の産みの親がやや貧困だと説明した。そこで丸目家では養子と引き替えに多額の援助をおこなった。せっかくの才能を開花させるためにもと養子の話を出したものの合法的な人身売買かもしれない。
しかも沙織はそれを一〇歳にして理解していた。知能指数が高いというのも考えものだ」
俺は拳で机を叩いていた。丸目は瞳をわずかにこちらに向けただけだった。
「信じられない」
「君が信じるかは自由だ。だがわたしの言ったことは事実だ。君を柴田英雄として何も脚色することなく伝えた」
俺は背を丸めて暗澹たる気分に声のボリュームは絞られたままだった。
「おまえが最悪の性格で振る舞うのは親父さんへの当てつけなのか?」
「そうとも限らない。わたしは好きでやっていることだ。その方向性が父に対して反抗しているように見えるのだろう。わたしにとっては好都合かもしれない」
「沙織さんは……」
「沙織は本来中学の頃に通っていた付属女子高に進学するはずだった。しかし唯一父に反抗しこの示現高校への進学を希望した。父にしてみても自らが理事長を勤めていた高校なので許したのだろう」
「まさか、血のつながらない兄に思いを寄せているとか」
思い出したのはバレンタインデーのプレゼントだ。そこで初めて丸目は笑って見せた。
「残念だが沙織はわたしが相手をするには歳を取りすぎている。沙織もどちらかというと本当の兄としか見ていない。君はわたしに言われるまでわたしたちの関係に気がつかなかっただろう、それは沙織が自然にわたしを兄としてしか見ていない証拠だ」
沙織さんは演技的な振る舞いが苦手なのだろうか。それにしても丸目、何気なく自分の変態癖を告白するのは辞めてくれ。真面目な空間にどうリアクションして良いのか困る。
「沙織はこの学校に通うようになって良かったと思う。わたしは家を勝手に出てしまい申し訳なく感じているが」
「知らないことが多すぎてこれから沙織さんにどう接していいか判らなくなる」
「妹にはいままで通りにしてくれ。君ならそれが可能と信じて全てを話しているのだから」
俺は大きくため息をついて苦笑いした。
「過大な期待は困るぜ」
「せめて妹のためだ。兄らしくできる数少ない願いだ」
願い……またこのキーワードか。ならその質問をしてみるか。
「丸目、もし何でも一つだけ願いが叶うとしたらおまえは何を望む?」
「うむ、そうだな……」
奴は机に肘をついて手の指先を組むとそれに鼻頭を当てる総司令官ポーズで考えている。
「時間を戻し丸目家に養子にいかないようにしてもらうか」
「おまえのことだからロリ帝国を作って欲しいとか言うと思ったが」
「それは誰かに望まなくともわたし一人の力で十分可能だ。しかし時間は戻せない」
ああそうですか。その自信がなにやら恐ろしい。
「ランドセルの次にはブルマとスクール水着だ。まだ忙しくなるぞ、君も覚悟しておきたまへ」
こいつの本心は読めない、俺は呆れてイスの背もたれに体重を預けた。
§
時間は戻せない……丸目はそう言っていた。
俺にもそれは良く判る。どんなに願っても中坊の頃に戻れない、母さんが生きていた頃にもお袋が生きていた頃にも。
学校の帰り道、夕焼け空を見ながら俺は丸目に初めて逢ったときのことを思い出していた。
小学校の頃に成績がそれなりだった俺は示現中学に入学していた。地元だったこともあるし家はそれほど貧しいわけでもなく、私立の中学に通うことは十分可能だったからだ。ちなみに敷地は示現高校と少し離れた場所にある。
中高大一貫校なので成績に問題が無ければエレベーターで大学まで進める。肝心なときに居ないくせに、親族面談にしゃしゃりでてくる親父をお堅い学校関係者にあまり見せたくなかったのも要因の一つだろう。
入学して二ヶ月もたたないうちに母さんが病気で倒れた。心臓に関係する持病を患っていたのだが急に悪化し、倒れてから一ヶ月も待たずに静かに、眠るように安らかに逝った。
そのとき親父は連絡が取れず俺が葬式からなにまで全て仕切ることになる。うろたえる妹と財産狙いに訪れる自称親戚を相手に悪戦苦闘の四九日を終えたとき、親父は何の苦労も無い顔で帰ってきた。
俺は切れた。そのときから品行方正な柴田英雄は居なくなり、山岡町近辺でも有名なワル・通称シバヅケに変貌していた。伊藤とのケンカの日々もこれが原因だった。
中学二年に進級する頃には学内でも俺の悪名は鳴り響いていた。むしろ退学になっていないのが不思議なくらいだ。おそらく俺の親父のスポンサーが丸目グループで示現中学も実質丸目グループの私物だったから処分できなかったのだろう。
悪行のパターンがケンカだけ、それも別の学校の奴らと繰り広げていたので示現中学の中では被害者も出ていなかったから甘く見られていたのかもしれない。
ある日、俺は校舎裏で五人の不良にタコ殴りにあっている一人の男子生徒を見つけた。
どんな学校にもいじめの一つくらいあるからそれ自体に驚きもしなかったが、殴られている一人は無抵抗のわりにたいしたケガもしてなかった。
俺から見ると殴られ方を心得ている。たぶん反撃すれば何人か沈黙できるのではないだろうか。
俺は興味に惹かれるままに連中に近づいた。
まず一番弱そうな男の肩を叩き、振り返った顔面の真ん中に拳をたたき込む。
いきなりの乱入者に残り四人は一斉に振り向いた。次に弱そうな男に腹に蹴りを入れ、その次に弱そうな男にラリアットを首に決めた。
「て、てめえはシバヅケ!」
次に弱そうな男……というか二番目に強そうな男がそう吠えると同時に開けた大口を閉じるようにアッパーをかます。舌は噛まなかったようだ。
そこでぶちのめした四人をさらに念入りに痛めつけ動けなくすると、顎をひょいっとボコられていた男に向けた。やはり顔などあざもできてない。それに身長が高く背がしゃんとしている。
「何のつもりだ」
長身は意外そうに聞いてくる。俺は腕組みして答えた。
「ん、ちょっとしたおせっかい。おまえのお手並みを拝見したくて一番強いのを残した」
すると俺がせっかく五人の中で一番強いと褒めたのに、いきなり大声で怒鳴ったあげく俺に殴りかかってくる。
それを避けると足を引っかけて仰向けに倒してしまった。さらに条件反射というのは恐ろしいものでそいつが起き上がろうとするから、がら空きの脇腹を思いっきり蹴って完全に沈黙させてしまった。
「あ、すまん、ついクセで」
「おもしろい男だな」
「おまえもな」
一連にまったく動じないそいつは丸目グループの時期頭首になるとウワサされていた丸目三郎だった。そのときは俺にお礼の一つも無く分かれてしまった。
さすがに校内の学生に暴行を働いたから職員会議でもそれなりに話題になったのだが、なぜか罰せられることは無かった。あとから聞いたのだが丸目が当時の状況を克明に証言したようだ。
奴がなぜ殴られていたかというと丸目グループのおぼっちゃまということで、やっかみを抱かれていたらしい。
俺は助かったとかいう感慨もなく、丸目のことは頭の隅に追いやっていた。
それから少しして俺は他校の連中六人に囲まれてかなりやばい状態にあった。
場所は薄暗い私鉄の高架下、相手はそれなりの実力者だ。そこそこ奮戦し一人は沈黙させたがこっちの被害が大きい。
こりゃ病院直行コースかなと諦めかけたとき、男たちの背後から誰かが近づくと一番格下の男の腕をねじ上げ関節を決めると気絶させて転がした。
男たちが驚いてその乱入社を見たのだが次に格下の男を開脚で足払いを決め、仰向けに倒れた所に腹に正拳を入れる。
次に格下の男がそいつを蹴ろうとした足を捕まえると足首をひねってこれも関節をきめ、なんかすごく鈍い音がしたなと思ったら白目をむいて気絶させられていた。
残り二人が唖然とする中、乱入者は制服の乱れを直すと、
「いささか乱暴であったが目覚めれば後遺症が残らないようにした」
と言い訳した。当然丸目だった。
「どうして二人残した?」
「君の実力であれば二人なら問題無いと読んだのだが、実力差があればわたしも加勢する」
「ん、ま、その必要は無いだろう」
その後残った二人は丸目の予想通り俺がやや乱暴な方法で沈黙させた。連中が起きないうちに俺たちはそこを後にする。
「おまえ、本当におもしろい男だな」
俺が奴を見上げてそう言うと丸目はこちらを見もしない。
「愉快かと問われればそういう素質は持ち合わせていない。君とは違って学内では品行方正そのものだ」
「あれだけの腕があるのになんであのときはやられっぱなしだったんだ?」
「暴力は常に連鎖的だ。本日もわたしの信条としては間違いと認識している。これから余計な火の粉がかからぬか心配だ」
「ふーん、そのときは俺がある程度はらってやるさ」
「できれば全てはらってほしいものだ」
丸目はそう言って口端をつり上げるとようやく俺を見た。なかなか良い面構えをしている。
「おまえ、クラスでけっこうモテるんじゃ無いのか?」
「好感を持たれたとしても同年代に興味が無い」
「なんだ、年上が好きなのか」
すると奴は苦渋に顔をひずませて講義する。
「年上のどこが良いのか……化粧品の匂いをかぐだけで力が抜ける」
と言うことは。
「年下好みなのか。まあまさか幼稚園の子供が良いなんて事は言わないよな」
「何だと! 君は幼女様の魅力を知らないのか!」
まさか「幼女様」なる単語がここで出ると思わず引いてしまったが、先ほどまでの冷静な言い方はどこにやら幼女の魅力についてこんこんと語り続けるこの変態に、俺はますます興味を持っていた。
そのときから何となく俺たちは校内で顔をつきあわせて話すことが多くなったが、俺が奴の、奴が俺の火の粉を払ったことはない。
話せば話すほど頭が良いと感じさせる一方、ここまでエロネタに真剣に取り組んでいる変態が世の中に居るのかと驚いた。
それから二年が過ぎ暴力から足を洗った俺は示現高校に入学した。成績はとりあえず問題が無かったから学校としても入学させない訳にもいかなかったのだろう。
丸目も進学しており生徒会の活動に参加するから付き合えと言われた。部活はしないつもりだったが丸目が何をやらかすのか興味があったので二つ返事で了承すると、風紀委員に立候補したという一人の女子生徒に引き合わされた。
美少女だった。
流れるような黒髪と対比するような白い肌。その頃はチョーカーも着けていなかった白い首が特に印象的だった。
典型的なお嬢様テイストな女子は俺を目の前に頬を赤らめ、小さな唇をごにょごにょと動かす。少したれた目の中の大きな瞳を上・上・前・下とせわしなく動かした。
「沙織は初めましてと言いたいらしい」
丸目にそう解説された彼女は顔全体を真っ赤にすると俺に向かって何度も頭を下げた。それが沙織さんとの出逢いそしてガンチャートを作るきっかけだった。
丸目とは四年、沙織さんとは二年のつきあいになるのか。相手のプライベートにはなるべく踏み込まないようにしていたつもりが、予想以上に重たい真実を聞かされ俺の足取りもとても重い。
ヘビーだぜ。
どんなに物思いにふけっても同じ町内にある学校だ、さしたる時間もかからずに家に着いてしまった。
「ただいま」
「お兄ちゃん、ちょっとお使いにいってきてくれる?」
なあ美雪。とりあえず「おかえり」から始めようぜ。それに着替え以前に靴ぐらい脱がせろ。
「おかえりなさいませ、あるじ様」
美雪の背後からお似合いのメイド服を着たレイがそう言ってくれなければ軽く切れているところだった。
「それで何を買ってくるんだ?」
「レイちゃんたちの部屋の蛍光灯が切れちゃって、それを買ってきて欲しいの」
廊下を歩きながら食堂を見るとメイド服を着たアイはテレビの前に正座して、夕方のアニメをじっと見ている。背中の大きめなリボンがなかなか可愛い。
「判った、着替えてからいってくる」
「わたくしもお伴します」
「大丈夫。レイは美雪と食事の支度をしてくれ」
部屋に入って普段着に着替えると、客間を覗いて蛍光灯のサイズを確かめた。リング式の三〇ワットと四〇ワットか、確かセットで売っていたな。
外は冷えるからマフラーをきちんと巻いて商店街に向かった。北風がさして吹いていないのが幸いだ。
まず一番近いコンビニに寄ってみたがサイズが合う蛍光灯は無し。次に町内唯一の電気店・近藤電器に足を伸ばしたが本日休業。ナオキストアを見ても同じサイズのものは売り切れ。
三連コンボを食らってやや意気消沈したが、どことない使命感に隣町まで足を伸ばすことにした。
ただ時刻も遅く商店街を歩いているときから、なんかいやーな視線も感じていたのでここは大人しく電車に乗って西山岡にあるショッピングセンターへと向かった。
品揃えでは圧倒的なあの店舗に勝てないことが、山岡商店街をシャッター通りにしている要因だ。みんな早く気がつこう。
電車を降りて駅前のターミナルに出ると、募金活動をおこなっている集団が見えた。子供ばかり四名ほど、責任者らしい中年女性は一人いるが幼子を使うとは卑怯也、と思ったら意外な人物が募金箱を首からぶら下げていた。
「沙織さん、何の募金をしているの?」
横とか後ろから見えない芳香から声をかけるとびっくりすると思い、正面プラスマイナス一五度以内から正攻法で近づいた。沙織さんは真春のように暖かい笑顔を浮かべつつぺこりと頭を下げて近くに立っている登りを指さす。
そこには『処分される犬や猫を救ってください』と大きな文字で書かれている。さらに小さな文字を読んでみると毎年保健所で殺処分される犬や猫が五〇万頭にもおよぶと説明されていた。ほとんどは無責任な飼い主や利益重視のペット産業によるものだそうだ。
「年に五〇万頭か、一日だと約一三〇頭くらいにもなるんだね」
「約一三六九頭です」
ぐあ、なにげに修正されてしまった。さすが丸目も認める知能指数だ。それとも俺がちょっと足りないだけか?
なるほど、これは沙織さんが参加するような運動だ。しかし募金と言えば……
「沙織さんが寄付しただけでたくさんの犬猫は救われそうだね」
すると彼女の瞳が前・下と移動して眉が八の字になった。なんで謝るのだ?
「この間のプレゼントで貯めていたお金はほとんど使ってしまったのです」
「そうなのか……あれってお小遣いとか貯めたの?」
「いえ、知り合いの中学生に家庭教師をおこなって貯めたものです」
そうだったのか、ますますうらやましいぞ丸目兄。
もうちょっとストライクゾーンを高めに設定すればいいのに。いや沙織さんの体操着プラスブルマプラスランドセルに縦笛はマニアックなみなさんならずとも悶絶必須だと思うのだが。
もしかして丸目エンターテーメントが総力をあげ二億ポリゴンと想像を超える資金をつぎ込んだ映像を作っているかもしれない。ブルマ計画のときはそれが見られるのか?
その映像、美雪以上に犯罪のにおいがする。
ちなみに丸目は上着をブルマに入れる派、俺はどちらかというと出す派だ。
……なんて変態兄貴みたいなことを考えたのがモロ判りだったのか、少しだけ沙織さんの瞳が冷たいように思えた。俺は妄想を追い払うようにサイフを取り出すと中から五〇〇円硬貨をつまみ沙織さんの抱えている募金箱の中に投入する。
「ありがとうございます」
やっぱり彼女は笑顔が一番なのだ。癒されていると左隣から親子の会話が聞こえてきた。
「桜子ちゃん、お小遣いを募金してもいいのね」
「うんママ。かわいそうなワンちゃんネコちゃんをたすけるの」
おお! 何という博愛精神。桜子ちゃんは手にしていた一〇〇〇円札を募金箱に投入したあと俺の方を見て確かににやりと笑った。
なんだとこら、山岡町のシバヅケにケンカ売るとはなかなかに上等なお子様じゃねえか。そうなったら俺も後には引けない、サイフから同じく一〇〇〇円札を取り出すと沙織さん募金箱の中に投入した。今月の遊興資金についてはあとで美雪と交渉しよう。
これで桜子ちゃんより五〇〇円多いんだぞと胸を張って左隣を見たら、すでにお子様の姿は無かった。俺のがっくりした様子がおかしかったのか目の前で沙織さんがほほえんでいた。いいか彼女に楽しんでもらったから。
ところが沙織さんの表情がいきなりこわばった。何もしていない俺も驚いて彼女の視線の先を追ってみるとそこに一人の女子高生の姿がある。
あのブレザーは沖田女子高校のものだと思ったがその生徒も沙織さんをじっと見ていた。
いや、あの目はにらみつけている、まるで沙織さんに今すぐ殴りかかる勢いだ。その予感通り女子生徒はつかつかと足音を響かせ沙織さんに近づいた。
「あんたのせいで朋子が襲われたのよ、これで満足なの!」
募金箱を抱えていた子供たちがその声に驚いて女子生徒を一斉に見た。さらに彼女は俺を突き飛ばすと沙織さんの目の前に進み、目をつり上げて言葉を続けた。
「今度はあたしってこと? 何年もかけて恨みなんか晴らされたくないわ、ここで仕返しすればいいじゃない!」
沙織さんは瞳を下げ首を左右に振るだけだ。女子生徒の言うことを否定しているが相手はそれで納得しない。
「ダンマリを決めてないで何か言いなさいよ!」
「おい、何があったかしらないがこんなところで……」
「うるさいわね、あんたには関係ないわ!」
確かに関係ないがほっといてよい場面でも無い。少なくともこのままだと女子生徒が沙織さんに殴りかかってケンカに発展しそうだ。俺は二人の身体に触れないように間に割り込んで何とかお互いの防波堤になろうと思ったのだ。
しかし俺が沙織さんを見たとき、彼女は首から下げていた募金箱を俺に押しつけるとその場を駆け去ってしまった。あっという間に遠のく背中に声をかけることもできず、まだ血走った目を向ける女子生徒に書ける言葉もなく、俺は斜め上を見てうんとうなった。
「すまん、これをよろしく」
募金箱を女子生徒の手に預けると俺は急いで沙織さんのあとを追った。背後で遠のく女子生徒の声はこの際無視する。
沙織さんは意外と足が早く姿が見えなくなっていたが、駆け去った方向にあるのはなんとなくおなじみの私鉄高架下だった。街灯も無く薄暗いが、駐輪場を越えると今ではビール瓶ケースなどが置かれた物置になっている。
ほとんど一本道なので途中で忍者ばりの身体能力でないかぎりここに居ると思ったのだがビンゴだった。少し離れたところに流れる黒髪と小さな背中が見える。足は止まっていた。
「沙織さん」
逃げないでくれと思ったが彼女は足を止めたままだった。しかしそれ以上かける言葉が見つからず近づいたはいいが、震える彼女の肩を見ながら何もできず、自分の頭をかいていた。
「ええと、こんなとこに居ると危ないからみんなのところに戻ろう」
お返事は首を左右に振るだけ。おまけ程度に点灯している照明が黒髪に反射してより寂しさを演出しているようだった。
仕方ない、もう少し落ち着くまでここに居てあげるか……そう思ったが俺の全身が悪寒に硬直し肌が粟だった。
指先が細かく震え鼓動が激しくなる。喉が渇き瞬きを忘れ全ての神経を耳に集中した。
この気配は殺気だ、しかもその目標は俺だ。
スニーカーのゴム底を鳴らし振り向くと駐輪場から一人の影が近づいているのが見える。
光度が低くタッパが特定できない、判ったことはジャンバーとジーンズのズボン、それに真っ黒のマフラーを頭に巻いて顔を隠している。目の部分だけ小さな隙間ができていたが、そこから目は見えない。




