第7章:鉄拳制裁と、新たなる来訪者
1. ベージュの選択と、モダンガールの定義
「さっきお嬢さんの着替えを拝見させてもらったが、はっきり言ってその若さでベージュのブラを選ぶなんてどうかしてるぜ」
ブラジャーのホックを完璧な手際で外した有袋類は、悪びれる様子もなく前足を胸の前で堂々と組みながら、沙織に向かって偉そうに言い放った。そのボタンの目は、一切の反省の色なく沙織を見据えている。
「確かにサイズが少ないのはわかるが、それじゃあ年増かババアのセレクトだな。安心しな、俺なら最高級のフリフリなレースとリボンのついた一級品をプレゼントできるぜ!」
「……………………」
沙織は無言のまま、鉄仮面のような一切の感情を排した無表情になり、丸椅子からスクっと立ち上がった。牛舎の薄暗い光の中で、沙織の両手の握りこぶしが「プルプル……」と小刻みに、しかし強烈な怒りのエネルギーで震えている。
「沙織、抑えるんだ! 確かに怒るのはわかるが、こうして私たちは時を超えて出会えたんだ。まずは落ち着いて、ゆっくり話そうじゃないか」
背後に佇む曾祖父――日高作造曹長が、慌てた様子で半透明の両手を広げて沙織を宥めにかかった。沙織は震える拳を握りしめたまま、曾祖父さんの顔をじっと見つめた。
過酷な戦場を生き抜き、敵兵の命すら救った、こんなにも優しくて温かい曾祖父さん。もし、この令和の現代で、この優しい曾祖父さんと一緒に実家の牧場でずっと汗を流して働けたら、どんなに幸せだろう――。就活の焦りに追われる日常の中で、沙織の心にそんな切ない願いがふっと過った、その刹那だった。
「あんたの彼氏はいいなー。毎晩ウハウハでハッスルできるな! 俺も夜な夜な天国へレッツラゴーだな。やっぱり今の日本のモダンガールはミーちゃんハーちゃんが多いのかな。んじゃ、約束通りに――」
カンガルーが再び下品な口元を歪め、死語を連発しながら沙織の胸元へと前足を伸ばそうとした。
沙織の怒りの沸点が、完全に限界数値を突き破ってバグった。
ドガァァァァァンッッ!!!
沙織の乾坤一擲の強烈な右フックが、カンガルーの顔面にクリーンヒットした。大学のバレーボールサークルで培った強靭な広背筋から生み出された一撃は、ケダモノの巨体を軽々と宙に浮かせ、カンガルーは牛舎の奥に積まれていた乾燥牧草の山へと派手に火花を散らして吹っ飛んでいった。
「ばふっ!」という情けない声と共に、乾いた草の破片が盛大に飛び散る。
すかさず曾祖父さんが青ざめながら声を張り上げた。
「沙織、落ち着くんだ! いくらなんでも、言葉の通じる獣にそこまでの鉄拳制裁までしなくても……!」
「黙れ変態野郎ーーーっ!!!」
沙織は牧草の山からフラフラと千鳥足で立ち上がったカンガルーの元へ瞬時に肉薄すると、今度は容赦のない全力の往復ビンタを叩き込んだ。
べしぃぃぃぃぃぃぃぃんっっっ!!!
「この変態野郎! ホルスタインの乳でも吸ってろーーーっ!!!」
メキキキキッ……!
静まり返った牛舎の奥で、生身の生物からは決して鳴ってはならない、頭蓋骨の骨皮に鋭いひびが入る不気味な鈍い破壊音がハッキリと響き渡った。
「ぎゃふんっ!?」
曾祖父さんは、実の曾孫が放ったあまりにも凄絶なゴリラ並みの破壊力を前にして、完全に言葉を失い、開いた口が塞がらないままその場に直立不動で「唖然」と立ち尽くしていた。
直後の次の瞬間だった。頭蓋骨にヒビを入れられた本物のオオカンガルーは、沙織の気迫に完全に恐怖したのか、白目を剥きかけながらも長い尻尾を跳ね上げ、ホルスタインたちがのんびりと草を食んでいる放牧地の群れの方向へと、狂ったようにピョンピョン、ピョンピョンと猛スピードで逃げるように跳んで去っていったのだった。
2. 妙な物体の来訪
「はぁ……、はぁ……っ、信じられない……!」
沙織は肩で激しく息を荒くしながら、髪をかき上げた。ブラのホックは外されたままだが、怒りのアドレナリンのせいで恥ずかしさなど微塵も感じない。カンガルーが文字通り牛の群れへと消えていき、曾祖父さんが未だに唖然と絶望している牛舎の中に、奇妙な静寂が戻ってきた。
しかし、怪異はこれで終わりではなかった。
カンガルーが跳んでいったはずの、乾いた牧草の山。その激しく散らばった草の隙間から、突如として空間がぐにゃりと歪み、紫色の奇妙な発光現象が起き始めたのだ。
「……っ? 今度は何よ!?」
沙織が再び身構える。
光の渦の中心から、現実の物理法則を完全に無視した、見たこともない『妙な物体』が、ヌウッと沙織の目の前に実体化して現れたのだった。
それは、これまでの曾祖父さんの英霊や、変態ハイブリッドカンガルーとも明らかに一線を画する、異様なオーラを放つ未知の存在だった。
「……なんだこいつは⁉️」
沙織の驚愕の叫びが、古い牛舎の梁に木霊した。
(第7章・完)




