第4話 警視庁
東京都千代田区 警視庁
相模はデスクの端に積み上げられている、自身の着任直前に東京地方検察庁公安部へ送致された外為法違反被疑事件の報告書を閉じた。イラン革命防衛隊情報部員の関与が疑われる、高効率なウラン濃縮にも応用可能なレーザー装置の不正輸出事件。中東諸国のスパイ対策をも担当する外事第4課と、不正輸出事件を所掌する外事第1課第5係と共同で摘発した膨大な記録の整理を通じて、外事警察の緻密な捜査、圧倒的な情報収集能力に相模は改めて舌を巻いていた。
「警察庁指定『フクロウ作業』――」
第6係長の高木誠司警部が、窓のないブリーフィングルームで重々しく口を開いた。部屋には志賀率いる作業班のほか、6係内の他班の面々も含め、国際テロ捜査のプロたちが殺気立った沈黙の中で、プロジェクターが映し出す白い光を凝視している。
「本件はサッチョウ直々の特命作業である。対象は、ISIL-Kのテロリスト容疑者。テロ組織内や欧米の治安機関が呼ぶ通称は『カラス』。氏名、年齢、正確な国籍、顔貌は一切不明。判明している唯一の身体的特徴は、右頬に刻まれた、巨大な三日月型の傷跡だけだ。戦闘による火傷であるとも、昔どこかの国に捕まって拷問を受けたとも諸説あるが判然としない」
高木がリモコンを操作すると、スクリーンに次々と凄惨な光景が映し出された。
「これらは全て奴の関与が疑われる事件だ」
ヨルダンの首都アンマン。自爆ベストによって、欧米の観光客で賑わう高級ホテルのロビーが跡形もなく吹き飛び、瓦礫の中から力なく突き出た血まみれの腕が、白っぽい砂塵に覆われている。
エジプトのカイロ。国家治安庁本部前の街路。自動車爆弾による爆発で庁舎の防爆壁すら飴細工のように拉げ、周囲の車両が炎上。道端には炭化した遺体と、千切れた治安部隊員の制服が散乱していた。
シリアのダマスカス。かつてのアサド独裁政権の崩壊記念日を祝う群衆に対し、中心部の広場で戦闘員が自動小銃を掃射。広場を埋め尽くした数千の風船が空へ昇る中、石畳は100人を超える死者の血で赤黒い湖と化した。
そして昨年、ドイツ。ラインラント・プファルツ州のとある地方都市。近隣のラムシュタイン空軍基地に所属する米軍兵士が頻繁に出入りしていたバーへの放火事件。出口を鎖で封鎖され、生きたまま焼き殺された被害者たちの絶叫が、焦げ付いた壁から今も聞こえてきそうなほど生々しい画像だ。
「イスラム過激派界隈でここ何年も下火だった、組織的な大規模テロ攻撃の波を復活させた立役者だ。奴は単なる戦闘員ではない。自爆テロのプランニングから兵站の確保までをこなす指揮官だ。これまでのわずか数年、世界各地で計300名以上の生命を奪い、各国の治安情報機関が総力を挙げて追いながら、一度もその尻尾を掴ませていない。ここ最近はアフガニスタンもしくはパキスタンに潜伏していると考えられてきた」
そもそもISIL-Kとは、イラクとシリアを根城にしていた|イラク・レバントのイスラム国《I S I L》に忠誠を誓うと称して、2015年にアフガニスタンで創設されたテロ組織だ。
ISIL本体は2010年代、歴史的なイスラム共同体の長であるカリフの復活を突如宣言して、イラクとシリアにまたがる広範な「領土」を実際に支配し、外国人人質を斬首するビデオを配信したり、パリ同時多発テロ事件など欧州での大規模テロ事件を引き起こし、全世界を震撼させた。だが欧米諸国の有志連合や現地政府軍の攻勢を受けてその「領土」を全て喪失し、ほぼ壊滅している。しかし、世界各国でISILに忠誠を誓うテロ組織はその後も生き残った。その1つであるISIL-Kは、2021年にアメリカ軍が撤退しタリバン「暫定政権」支配下に置かれながらも未だ統治機構や治安が不安定なアフガニスタンで依然活発に活動、アフガニスタン国内やロシアなどで多くのテロ事件を起こしてきた。
そして最近、中東地域を渡り歩くも各国治安情報機関に追い詰められてきた「カラス」をアフガニスタン・パキスタン国境地帯の自組織拠点で庇護、要員や物質のサポートを与え、遠隔地域での大規模テロにまで手を出し始めたと言う。
「今回、入管庁のデータを洗った結果、一人の男が浮上した。パキスタン国籍、サイード・カーン。34歳。1週間前に成田から入国」
スクリーンに、成田空港の入国審査場でスキャンされた旅券の無表情な顔が映し出される。解像度の低い画像であっても、右頬に刻まれた深い三日月型の傷跡は、暗い獣の爪跡のようにくっきりと浮き出ていた。千葉県柏市にある警察庁の付属機関、科学警察研究所の法科学第2部知能工学研究室で試験中の画像分析AIを用い、出入国在留管理庁から提供された全国の空海港における膨大な入国者の顔写真データをスキャンしたところ、特徴的な三日月型の傷が一瞬でヒットしたのだ。
「最大の特徴はこの傷だ。これだけでも、サイードが『カラス』と見てほぼ間違いないだろう。それにビザはイスラマバードの大使館で発給されたが、もともとの出身地はパキスタン北西部のカイバル・パクトゥンクワ州。言うまでもなくアフガン国境、テロリストが跋扈する無法地帯で、ISIL-Kの浸透も著しいエリアだ。だから入国審査でも別室送りになってたが、その時点では他に怪しい点は見つからず、上陸を許可された」
日本の入国審査においては、顔写真と指紋の生体認証を行うシステム「J-BIS」を用いて、テロリスト・リストや要注意人物リストとの照合も行われているが、顔や指紋がTELに登録されていない、つまり「正体不明の」テロリストには反応しない。だから、三日月型の傷跡を警戒せよという事前情報を得ていなかった東京出入国在留管理局成田空港支局は、出身地が物騒なサイードを2次審査には掛けつつも、まさか大物テロリストだとは思わず上陸を許可した――。
「残念ながら、現状はまだ令状を取れるほどの証拠が揃っているとは言い難い。爾後、サイードを重点視察対象とし、24時間体制で行確を実施する。接触する人間すべてを記録し、奴の目的を突き止める。確実にカラスだと証拠が掴めたら、いやそれ以前でも違法行為を現認したら、即座に検挙する。我々4課のみならず、外1から外3、公安総務課からも応援部隊が出る」
高木は眼鏡の奥の目を鋭く光らせ、集まった捜査員たちを一人ずつ見渡した。
「軍事訓練を受けた国際テロリストという危険性に鑑み、身柄を押さえるといった強行手段は、SATまたは銃器対策部隊、緊急時初動対応部隊の臨場を待つのが基本だ。しかし万一、マルタイが大量殺傷などの行為に及ばんとし、応援を待つ暇がないときは、その場で躊躇なく制圧せよ――警備局長直々のご指示だそうだ!」
「よって視察部隊の編成においては、常に拳銃を携行した視察員をマルタイの至近に複数配置する――」
係員達の間にざわめきが広がった。公安・外事警察の視察活動は、とにかく一般市民の中に紛れ込む秘匿が最優先。拳銃の携行など、通常はあり得ない――。
「繰り返すが、相手は兵士と同様だ。受傷事故防止にくれぐれも留意せよ。それでは各班の任務分担を伝える――」
その大役――もしも「サイード」が多数の人がいる市街地で自爆などの企図を見せれば即座にその眉間すなわち脳幹に鉛弾を叩き込み――当然、一般市民への流れ弾は許されない――起爆スイッチを押す暇すら与えず全ての身体活動を一瞬で停止させる――を仰せつかったことに、相模は全く驚きを感じなかった。それはSATで教え込まれたことと同じだったからだ――。




