第22話 蒲田/青海
東京都大田区 蒲田
早朝の冷気が残る建設現場に、サイードはいつものように作業着姿で出勤していた。
外事第4課から派遣された「オモテ」の部隊、いわゆる検挙班の4名の捜査員は、現場監督に警察手帳を提示し、極めて慎重に調整を行った。
「ある事件の参考人として少し話を聞きたい男がいる。騒ぎにしたくないので、事務所へ呼び出してほしい」
5分後、現場監督に促されてプレハブの工事事務所に現れたサイードは、部屋に足を踏み入れた瞬間、異様な殺気に足を止めた。安っぽい事務机を挟んで立つ、サイズ感の合わない安背広を纏った眼光の鋭い男たち。
「サイード・カーンさん、警視庁だ。任意同行を願いたい」
事務的な宣告が引き金となった。サイードの顔から血の気が失せ、次の瞬間、彼は野獣のような咆哮を上げた。
「NO! 知らない! 私は何もしていない!」
彼は脱走を試み、全力で近くの事務机を検挙班に向かって蹴り飛ばした。書類とノートパソコンが宙を舞う。さらに、壁際に立てかけてあった測量用の三脚を掴み取ると、それを槍のように振り回して捜査員を威嚇した。筋骨逞しいその体躯から繰り出される無秩序な暴力は、プレハブの薄い壁を激しく叩き、凄まじい騒音を現場に響かせる。
その時、隣室の薄いドアが蹴破られた。
待機していた緊急時初動対応部隊――各機動隊の銃器対策部隊から隊員を選抜し、重大テロ事案の初動対応やSATへの支援を担う――の隊員2名が顔面を黒のバラクラバで覆い隠し、濃紺の防弾バイザー付きヘルメットに防弾ベストという重装備で躍り出る。
「動くな! 警察だ!」
眉間に照準を合わせて突きつけられたのは、黒光りするドイツ製の短機関銃MP5K。冷たい銃口がサイードの眉間を確実に捉える。1秒前まで暴れ狂っていた男は機械的な死の気配を前に、凍りついたように動きを止めた。
ERT隊員の巡査部長がサイードの腕を背後に捻り上げ、床に叩きつける。カチッという呆気ない金属音とともに手錠が噛み合わされた。
「8時10分、公務執行妨害、現行犯逮捕!」
床に顔を押し付けられ、震えながらサイードは自白を始めた。
「……カネ、カネが必要だったんだ。故郷の家族に送らなければならなかった。封筒を渡せと言われた。知らない男だ。それだけでいいと言われたんだ!」
「その封筒の中身は何だ! カネか!何か盗んだのか!」
外事第4課の巡査部長が、床に組み伏せられたサイードの耳元で怒号を浴びせた。プレハブの事務所内に、張り詰めた空気が震える。サイードは脂汗を流し、苦痛と恐怖に顔を歪ませながら叫び返した。
「データだ……! 会社のパソコンから、休憩時間に盗んだんだ! 元請けの設計事務所から共有されているはずの……東京都心の詳細な3D地図データだ!新宿、渋谷、池袋それに東京駅の周辺のほとんどすべてのビルの構造まで詳しく再現しているらしい……」
「誰に渡した!」
「知らない! 顔も見ていない! メモリーカードを封筒に入れて、指定された公園にやってくる男に渡せば、故郷の家族の生活は一生保障すると言われたんだ! 頼む、信じてくれ! 私はただ、家族を助けたかっただけなんだ!」
同じ頃、かつてハナンから提報があった川崎市のバングラデシュ人業者の自宅兼事務所にも神奈川県警外事第2課の捜査員が殺到し、関税法違反(無許可輸出入罪)の容疑で逮捕状を執行、神奈川県警察本部へ連行した。そして、相模湾沖でパナマ船籍の貨物船(よくある便宜置籍船であり、事後捜査によれば実際の所有者は武器密売との関連疑惑があるイエメン国籍の海運業者であった)とヨットで接触し、中身不明の荷物を受け取って陸揚げした、報酬は仮想通貨で受け取った旨自供を得られた。
東京都江東区 青海
エクスプローシブ・ブリーチングによる爆破口形成が、倉庫の重厚な鉄扉を粉砕した。内側へと向かって猛烈なエネルギーが解放され、鋼鉄の破片が礫となって吹き飛ぶ。凄まじい閃光と爆風。その直後、閃光発音筒が倉庫内に投げ込まれた。
1億7000万カンデラの閃光と180デシベルの爆音が、窓のない倉庫内に停滞していた空気を暴力的に震わせる。人間の三半規管と視神経を一時的にマヒさせる、非致死性兵器の極致だ。漆黒の防弾ヘルメットを被り、全面防護マスクを装着したSAT制圧班員たちが、白煙が渦巻く地獄へと躍り込んだ。
「突入!」
破壊されたシャッターの隙間から、筋状の朝日が暗い室内に差し込む。埃と硝煙が乱反射するなか、先頭の隊員が構える厚さ30ミリの防弾盾が鈍い光を放った。制圧班員らはMP5Kを据銃し、銃床を肩に深く押し当てて射界を確保する。
だが、相手は並のテロリストではなかった。スタングレネードによる4秒間のマヒから、軍事訓練あるいは中東での戦場経験の成果か、予想より早く立ち直った「カラス」の一味が、倉庫内の随所に積み上げられた空き箱や台車の影から一斉に姿を現した。彼らが手にするのは、旧ソ連製、旧社会主義諸国で幅広く生産され全世界の武装勢力に拡散した5.45mmカラシニコフ自動小銃AK74。放たれた5.45mm小口径高速弾が倉庫内の静寂を無残に切り裂く。
「撃てッ!」
制圧1班の影山巡査長が、至近距離から放たれたカラシニコフの掃射を防弾盾で受け止めた。禍々しい火花が散り、鋼鉄を削る凄まじい衝撃が腕に伝わる。シールドのポリカーボネート製小窓から敵の銃火を視認した影山は、シグ・ザウエルP226拳銃を構えた右手をシールドの脇から突き出し、正確なカウンターを放った。
「排除!」
影山の放った、鉛の弾芯を真鍮で被覆して貫通力を高めたフルメタルジャケットの9mmパラベラム弾が、遮蔽物から身を乗り出したテロリストの喉元を射抜く。同時に、後方に展開した制圧班員たちが、MP5Kによる猛烈な制圧射撃を開始した。
MP5Kは、全長わずか32.5センチという極めてコンパクトな軽機関銃でありながら、クローズドボルト方式による高い命中精度を誇る。制圧班員らは3点射を基本としながらも、敵の反撃を封じ込めるために一人当たり20発近い連続射撃を叩き込んだ。
跳弾がコンクリートの床で火花を散らし、倉庫内は濃密な硝煙に包まれる。テロリストたちは、放置された箱や台車、あるいはその他テロリストが持ち込んだらしい生活物品といった遮蔽物の角を利用して交互に射撃を行い、互いの射界をカバーしながら激しく抵抗するが、SATの圧倒的な組織戦術がそれを粉砕していく。
制圧班は2人1組のバディで互いの死角を埋め、一歩、また一歩と「死の扇形」を狭めていく。これは近接戦闘における基本戦術であり、常に複数の銃口を1人の敵に向けることで、こちらの生存率を飛躍的に高める。
AK74の5.45ミリ弾が防弾盾を激しく叩き、金属音の連打が室内に反響する。だが、制圧班員らはひるむことなく、MP5Kの銃口をテロリストの眉間や腹部へと向けた。9mmパラベラム弾の衝撃がテロリストの防弾ベストを無力化し、次々とその身体を床に叩きつけていく。
「前方2人、排除!」
影山巡査長が叫ぶと同時に、最後のテロリストがコンテナの陰から飛び出そうとしたが、その眉間――脳幹を、制圧班の放った正確な一撃が撃ち抜いた。崩れ落ちる敵の身体。銃声が止んだ倉庫内に、空薬莢がコンクリートに落ちる乾いた音だけが響く。
「オールクリア!」
防護マスクの排気弁を通じて、荒い息遣いと共に報告が飛ぶ。破壊された鉄扉から差し込む光のなかで、沈黙した倉庫には硝煙の匂いだけが重く停滞していた。
「各員、周囲を警戒せよ。負傷者の有無を確認。武器を確保しろ」
伊達隊長の重厚な声が、硝煙の立ち込める倉庫内に響いた。




