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東京テロ・ハンター 警視庁公安部外事第4課  作者: 中央国家安全委員会主席
第1章 異教の毒霧

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第20話 お台場

東京都江東区 お台場

朝の柔らかな光が東京湾の凪いだ海面に反射し、埋立地の無機質なコンクリート景観を眩しく焼き飛ばしていた。夢の大橋から望むパレットタウン跡地の広大な空き地や、有明テニスの森周辺の整然とした並木道は一見すれば平穏な臨海部の休日そのものである。だが静寂の裏側では国家の総力を挙げた巨大な包囲網が、音もなく湾岸エリアの特定区画へと絞り込まれていた。

臨海副都心を縦断する国道357号線(湾岸道路)の有明2丁目付近や、豊洲方面から続く都道304号(晴海通り)の角乗り橋付近では、江東区新砂に拠点を置く警視庁第9機動隊、江戸川区臨海町の第2機動隊、SATの前身部隊が所属していたことで知られる品川区勝島の第6機動隊、及び新宿区市ヶ谷の特科車両隊の一部、合計1000名を超える機動隊員によって大規模な道路封鎖が開始されていた。青海1丁目の交差点では警視庁地域部第1方面自動車警ら隊に所属するトヨタ・クラウンの白黒のパトカーが、ルーフの昇降式警光灯を高く掲げて車線を物理的に遮断している。所轄の東京湾岸警察署や近隣の城東、深川、築島、品川、大井各警察署から総動員された地域課や警備課の制服警察官たちが赤い誘導棒を手にして、ダイバーシティ東京プラザやアクアシティお台場から溢れ出す従業員や港湾地区から出てくる作業員たち――早朝なのでまだ観光客はほとんどいない――に対し、「ガス漏れの恐れがあります。直ちに警察官の誘導に従って避難してください」と平静を装いつつも断固とした口調で促し、ゆりかもめの各駅や、有明側の本土へ繋がるのぞみ橋や夢の大橋方面へと人々を流し込んでいく。

青海・有明南連絡線から木遣橋にかけて南北に伸びるライン、それに、有明と豊洲の埋立地を隔てる東雲運河を境界とする封鎖線に居合わせたドライバーたちは、道路を埋め尽くす濃紺の出動服(ワッペン)姿にポリカーボネート製の透明な防弾盾や赤白の警杖を手にする機動隊員と、赤色灯を激しく明滅させるパトカーの群れを前に、尋常ならざる事態を瞬時に悟り、一様に表情を強張らせていた。周囲の路地には、青いマイクロバスを角張らせたような機動隊の小型警備車や遊撃車が、防弾の車体で壁を作るように配置されていた。フロントガラスを覆う頑強な金網と、極端に小さく設計された防弾仕様の窓を持つその姿は都市の景観の中に異様な緊迫感を撒き散らしている。さらにいすゞ・エルガや日野・ブルーリボンなどの民生用中型バスをベースとした大型人員輸送車が各車30名程度のフル装備の隊員――異例なことに幹部以外の全隊員にも拳銃が配布された――を乗せたまま、有明コロシアムの影やシンボルプロムナード公園の裏手に十数台単位で集結し、エリア全体を物理的に隔離する鉄壁の予備勢力を形成していた。

さらに霞が関では葛城警察庁長官に頼み込まれた大泉総理の指示で、総務大臣が携帯キャリア各社の最高幹部たちへ直々に電話をかけ、国家的緊急事態ナショナル・クライシスを理由に、青海地区をカバーする全基地局の通信停止を要請するという戦後類を見ない荒業に出た。フジテレビ本社の銀色の球体展望台が陽光に輝くお台場海浜公園から、テレコムセンター周辺にかけて、一般市民のスマートフォンからアンテナピクトが次々と消滅していく。SNSを通じた現場情報の無秩序な拡散を防ぎ、テロリストたちが包囲網に気づくことを1分1秒でも遅らせようという意図だった。

ちなみに、青海のランドマークである球体展望室で有名なフジテレビ本社ビルも当然立入禁止となった。テロリストがテレビを見ていても悟られない様、東京の本社ビルは不具合により全館停電、というアナウンスをしつつ、大阪市内の関西テレビのスタジオからいつもの朝の情報番組――星座占いやグルメや芸能ニュース――を流し続けることになった。他の在京キー局とも、警視庁公安部長と記者クラブの間で報道協定を急遽締結し、鎮圧作戦の終了まで青海周辺の事態に関する放送は自粛することと申し合わせた。

東京都江東区 お台場

日中になれば観光客や家族連れで賑わうお台場海浜公園は、その色彩を失っていた。入り江を囲む人工砂浜の背後に広がる舗装エリアは一般車両の進入が完全に遮断され、鈍い輝きを放つ警察の特殊車両群によって占拠されている。

展開しているのは、警視庁公安機動捜査隊のNBCテロ捜査隊。1995年の地下鉄サリン事件を教訓として、目に見えない脅威――核(Nuclear)、生物(Biological)、化学物質(Chemical)を用いたテロリズムに対処すべく組織された精鋭部隊である。彼らと共に第9、第2、第6機動隊の各隊から選抜されたNBCテロ対応専門部隊が、重厚な陣容を敷いていた。なお、お台場に出動していない警視庁機動隊の残り6隊とそのNBC部隊は、テロリストの別動隊による他地点での攻撃等突発事態に備えて各々の持ち場で待機している。

グレーの車体に「警視庁」の文字が刻まれた化学防護車は、その外見からして異様である。窓は極限まで小さく、強化ガラスで覆われ、車体上部には大気中の有害物質を瞬時に特定するための赤外線分光分析装置や、気象観測用の伸縮式マストが備え付けられている。車内は周囲の空気よりも気圧を高く保つ「陽圧化」がなされており、外気に含まれる化学剤や放射性物質が遮断されたクリーンな環境で高度な分析作業が可能だ。その傍らには、汚染された人員や機材を洗浄するための大型水槽とシャワー設備を備えた除染車が、無機質な金属音を立てて待機している。

資材運搬車の周囲では、防護服の装着作業が淡々とかつ厳格な手順で進められていた。隊員たちが身に纏うのは最高レベルの気密性を誇るレベルA防護服である。耐化学薬品性に優れた厚手の素材で作られたそのスーツは、自給式呼吸器(SCBA)を内蔵し、全身を完全にカプセル化する。視界を確保する透明なポリカーボネート製のバイザー越しに、隊員たちの鋭い眼光だけが見えた。手袋とブーツの接合部は、一分の隙もないよう専用のテープで入念に目張りがなされていく。その姿は都市の風景から切り離された異星の探査員のようでもあった。

多重無線車からは、空へと突き刺さるような長いアンテナが伸び、現場と、桜田門、警視庁17階の総合対策室を結ぶ暗号化された情報を絶え間なく送受信している。

警視庁の車両群と並び、お台場海浜公園の北側駐車場の一角を占拠しているのは、陸上自衛隊大宮駐屯地に司令部を置く陸上総隊直轄部隊、中央特殊武器防護隊である。警察のグレーとは対照的な深い濃緑色と茶色の2色迷彩に塗り固められた車両群が、潮風にさらされながら静かにその巨体を横たえていた。

その中核をなすのが、8輪の大型タイヤを備えた最新鋭のNBC偵察車である。全長約8メートル、全幅約2.5メートル、完全気密構造で陽圧化された車体前方には厚い防弾ガラスを備えた風防が突き出し、上部にはレーザー検知器や全周監視カメラのレンズが並ぶ。車体後部には、防護服を着た隊員が車外の汚染に直接触れず、大気や土壌、液体を採取できる精密なマニピュレーターが格納されている。さらに車体後端から伸びた気象観測マストが高精度センサーと共に空を睨み、お台場周辺の風向や風速、大気の状態をリアルタイムで解析し続けていた。

周囲では、18式個人用防護装備に身を包んだ隊員たちが黙々と展開準備を整えている。従来の装備よりも軽量化と防護性能の向上を両立させたこれは、新型のガスマスクと一体化した気密性の高いフード、そして化学剤の浸透を阻止する特殊素材のスーツで構成されている。背中には自給式呼吸器を背負い、足元は汚染防止用の専用ブーツで固められている。隊員たちは互いの装備に隙がないか、厳しい手つきで確認を繰り返していた。

後方には、73式大型トラックをベースに高圧噴射ノズルと温水加熱装置を備えた除染車が待機している。

この「中央特殊武器防護隊」こそが、核・生物・化学(N B C)の脅威に特化した、陸上自衛隊における最高の専門部隊である。1995年の地下鉄サリン事件では、世界の誰も経験したことがない大都市での化学兵器テロという過酷な現場で除染を完遂し、2011年の福島第一原子力発電所事故では、目に見えない放射線の恐怖に晒されながらもベント作業支援や原子炉への注水活動の最前線に立った。

青海地区の「最前線」から少し離れた有明。東京臨海広域防災公園は、平時は市民の憩いの場であるが、大規模災害時には国や地方自治体の現地対策本部が設置される首都防衛の要衝である。鮮やかな緑の広大な芝生広場は、緊急時にはヘリポートや部隊の集結拠点へと姿を変える。

災害対策本部に用いるため免震構造となっている本部棟のすぐ傍らに、真っ赤な車両群が整然と集結していた。東京消防庁が誇る精鋭、第3消防方面本部消防救助機動部隊――通称「3HR」である。彼らはいわゆるハイパーレスキューの中でも、とりわけテロを含むNBC災害への対応に特化した「NBC災害対策部隊」としての顔を持つ。

部隊の中心に配置されているのは、特異な外観を持つ「NBC災害対応車」だ。陽圧構造の車体は、赤外線分光分析装置により車外の有害物質を車内からリアルタイムで特定・分析する能力を備えている。

後方では、資材を積み込んだ「特殊災害対応車」のハッチが開かれ、隊員たちが、猛毒の化学剤が充満する高濃度汚染区域(ホットゾーン)への進入に備えてレベルA防護服の準備に取り掛かっていた。

待機する車両の間からは無人偵察・放水システムがその姿を現す。高性能なセンサーやカメラを装備し、高濃度汚染により人間が数分と留まれない現場においても、遠隔操作で偵察や消火、救助を行える。

更に、汚染された人間や車両を除染する大量の真水と中和剤も用意されていた。

ハイパーレスキューの任務は、化学剤すなわちノビチョクが発散され、警察官や大量に死傷したとき、警察の専門部隊や自衛隊と並んで現場に突入し、1人でも多くの人命を救助することにある――。

背後にはレインボーブリッジが聳え、対岸のビル群が春の陽光を反射して輝く一角は、潮風の香りに混じって特殊車両の排気臭と、静かな緊張感だけが支配していた。


東京都江東区 沖合

青海地区のコンテナ埠頭が突き出す海域。東京湾の入り組んだ運河を抜けて広がるその水面は、大型船の往来によって生じる複雑な引き波に揉まれ、常に不安定な揺れを見せていた。

海上警備の第一線を形成しているのは、東京湾岸警察署水上安全課の警備艇群である。白の船体に紺のラインをあしらった大型警備艇がエンジン音を低く響かせながら波を切り、その周囲を第6機動隊の│臨海部初動対応部隊《WRT》が固めていた。WRT隊員たちは機動性に優れた水上バイクや黒いゴムボートに分乗している。跳ね上がる飛沫を全身に浴びながら波の谷間に船体を沈ませ、瞬時に加速しては埠頭の沿岸部を鋭く監視する。MP5K機関拳銃をいつでも手に取れるよう肩紐で掛けながらタクティカルウェアに身を包んだ隊員たちの視線は、バイザー越しに海面の一点一点を追う。

その外周を囲むように、海上保安庁第3管区海上保安本部、東京海上保安部の巡視艇「ゆりかぜ」「ゆめかぜ」「はやかぜ」が三方から展開し、強固な包囲網を敷いていた。純白の船体に鮮やかな青の「S」の字を刻んだ巡視艇は警備艇よりも一回り大きく、海原に堂々たる威圧感を与えている。

巡視艇のデッキでは、海上保安官たちが濃紺の88式鉄帽を深く被り、重量感のある防弾チョッキに身を固めている。その手には長らく自衛隊制式だった89式小銃が握られ、銃口は低い姿勢で保たれていた。巡視艇が波を砕くたびに生じる激しい振動が足元から伝わり、強風が隊員たちの装備を激しく叩くが、彼らの姿勢が揺らぐことはない。

海況は決して穏やかではない。東京湾特有の短いピッチの波が次々と船体を叩き、金属質のエンジン音と風の唸りが交錯して周囲の音をかき消していく。時折、強い潮風が船橋を揺らし、霧状になった塩水が視界を遮る。

前方には青海コンテナ埠頭の巨大なクレーン群が、沈黙を守ったまま海を見下ろしていた。



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