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東京テロ・ハンター 警視庁公安部外事第4課  作者: 中央国家安全委員会主席
第1章 異教の毒霧

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第16話 警視庁/本牧

東京都千代田区 警視庁

取調室の空気は、排気音だけが微かに響く異様な静寂に包まれていた。机を挟んで座る村松は、度重なる追及に疲れ果て、丸めた背中をさらに小さくしている。対峙する公安総務課のベテラン捜査員、大木巡査部長は、手元の書類を置くと、無造作にパイプ椅子を鳴らして身を乗り出した。


「村松、いい加減にしろよ。お前のその『知らなかった』っていう言い草、もう聞き飽きたんだ。何百万もの現金をポンと渡されて、偽の農業法人のプレゼンの練習やら想定問答まで準備して、偽造の免許証まで用意されて、それで『ただの買い物代行』で通ると思ってるのか。お前、刑務所(ムショ)に2年入ってたんだろ。世の中の仕組みは分かってるはずだ」


大木の低い声が、コンクリートの壁に冷たく反響する。村松は顔を上げようとせず、組んだ指の先をじっと見つめながら、乾いた唇を震わせた。


「……本当なんですよ。マジで、そこまでヤバいことだなんて思ってなかったんです。川崎のヤードでつるんでた昔の仲間から、ちょっとした小遣い稼ぎがあるって言われて……。会わされたのが、その、イスラム系っていうか、中東っぽい顔つきの男だったんです。そいつが言うんですよ。自分の国で、貧しくてみんな食うものに困ってるから、農業を近代化したいんだって」


村松は一度言葉を切り、喉を鳴らした。大木は促すこともせず、ただ射抜くような視線で次の言葉を待つ。


「あいつ、妙に詳しいんですよ。日本のドローンは性能が良いけど、20キロ以上積めるような大型機は、直接輸出しようとすると外為法とかいうのがうるさくて、経済産業省から許可が下りるまで何ヶ月もかかるんだって。だから、日本人の名前で買って、バラして私物として送るのが一番早いんだって言われて。……俺だって、最初は怪しいと思いましたよ。でも、そいつ、本当に熱心に農地の写真とか見せてきてさ……」

「それで、偽造免許証まで受け取って、ご丁寧に偽の農業法人のプレゼンまでして見せたわけだ。田中健一、だっけか。お前、その時点で自分が犯罪の片棒担いでる自覚はあったはずだろうが。農業用?笑わせるなよ。あんな高圧噴霧器がセットになった大型機を4機も、どこの誰が『私物』で海外に持ち出せるんだ」


大木が机を指先で叩く。その単調な音が、村松の精神をじわじわと削っていく。


「……カネ、積まれたんです。購入代金やらの実費とは別に、1機につき50万、全部で200万やるって。借金もあったし、ちょっと名前を貸すだけで済むならって……。中東のどこだか知らないけど、あいつら、本当に農業に使うんだと思ってたんです。爆弾とか毒ガスとか、そんな物騒なこと……俺、一言も聞いてないですよ。信じてくださいよ」


村松の声が、最後は泣き言のように細くなった。大木は吐き捨てるように鼻を鳴らす。


「お前が信じるかどうかはどうでもいいんだ。問題は、そのドローンが今、どこにあるかだ。お前が引き渡した場所、そいつの電話番号、全部吐け。東京のど真ん中でサリン事件みたいな真似が起きたら、お前、ただの偽造公文書行使じゃ済まないぞ。大量殺人の共犯で、死刑になりたいのか!」

「死刑!?とんでもない!俺は何も知らないんです!渡した場所は立川の倉庫ですよ!番号も、もう繋がらないかもしれないけど……全部言いますから。だから、俺は本当に、あいつらに農業に使うって言われてただけなんです……!」


村松が崩れ落ちるように机に突っ伏した。大木はその様子を冷徹に見つめたまま、室内の隅にある録音装置のランプを確認し、立ち上がった。


警視庁本庁舎13階、磨き抜かれたリノリウムの床に乾いた空調音だけが鳴り響いていた。刑事部捜査支援分析センター(S S B C)の解析室では、公安部公安機動捜査隊から派遣された捜査員たちが刑事部の職員と肩を並べ、青白いモニターの光に没入していた。

村松良介の供述に基づき、ターゲットが絞られたのは3週間前のログだ。立川市砂川町付近。かつて米軍立川基地の周辺に広がっていた、広大な空き地と倉庫が点在するエリア。そこにある、錆びたトタン壁が剥き出しになった民間倉庫の防犯カメラが、決定的な「瞬間」を捉えていた。


「出ました。3週間前、23時42分。村松のレジアスエースの横に、白い4トントラックが横付けしています」


モニターに映し出されたのは、ライトを消したまま停車する2台の影だ。村松の車から運び出された大きなケースが、手慣れた動作でトラックの荷台へと吸い込まれていく。トラックのナンバープレートは泥で汚されていたが、SSBCの画像鮮明化技術が、テールランプの僅かな亀裂と、リアゲートに貼られた配送業者の剥がし跡を特定した。


「|自動車ナンバー自動読取装置《N システム》、全ポイントをリレーします。対象車両、立川から南下を開始」


デジタルな網の目が東京の夜を切り取っていく。

トラックは立川のモノレール高架下を抜け、国立府中インターチェンジから中央自動車道へと流入した。高井戸から首都高速4号新宿線へ、新宿の超高層ビル群が闇の中で無機質な墓標のように聳え立つ中を駆け抜ける。トラックは三宅坂ジャンクションから都心環状線に入り、浜崎橋を経て1号羽田線へと舵を切った。


「対象、多摩川を越えました。神奈川県域に進入」


風景は重厚な工業地帯へと姿を変える。川崎のコンビナートが放つ毒々しいほどのフレアスタックの火が、雨に濡れたフロントガラスを赤く染め上げていたことだろう。京浜工業地帯の心臓部、巨大なガスタンクや複雑な配管が、まるで巨大な内臓のように脈打っていたはずだ。

トラックはさらに南下を続け、横浜ベイブリッジの優美な白い斜張橋を渡る。眼下には、キリンと呼ばれる横浜港の巨大なクレーン群が、静かに獲物を待つように並んでいる。トラックは大黒ジャンクションを抜け、山下埠頭に近い本牧の古い倉庫街へと吸い込まれていった。


「最終捕捉地点、横浜市中区本牧埠頭。……座標、確定」


警視庁公安部と神奈川県警察本部警備部の間で、火の出るような調整が開始された。


神奈川県横浜市中区 本牧ふ頭。

巨大なキリンの群れを思わせるガントリークレーンが、夜明け前の鉛色の空を背景に沈黙を守っている。

D突堤へと続く直線道路は、まだ大型トレーラーの往来も疎らで、潮騒と無機質な機械油の匂いが混じり合う独特の静寂に包まれていた。

本牧の広大なコンテナヤードの隅、海風に晒されて外壁の塗装が剥げかけた古い倉庫群の一角に、一台の地味なグレーの軽バンが潜んでいた。


「……また、空振りかしら」


助手席に座る丹波陽茉梨が、切れ長な瞳を僅かに曇らせて呟いた。

その手には、冷え切った缶コーヒーが握られている。

彼女の視線の先では、施設管理会社の作業着に身を包んだ神奈川県警警備部外事第2課――神奈川県警は、警視庁の他には日本で唯一、国際テロ担当課を独立して保持している――捜査員たちが、点検を装いながらターゲットの倉庫周辺を静かに包囲していた。

神奈川県警警備部が持ち込んだ高感度熱源センサーや生命反応探知機が、無慈悲なゼロの数値をモニターに刻んでいる。

数百メートル離れた港湾施設の巨大な影には、いつでもエンジンを始動できる態勢で、県警第1機動隊の銃器対策部隊を乗せた特型警備車が息を潜めていた。

やがて、無線機が短いノイズとともに、冷徹な現実を吐き出した。


「……当該倉庫内、クリア。何もありません」


作業着姿の捜査員が、施設管理者の協力で開錠された重いスライド扉から出てきた。

漏れ出した内部の空気には、長年放置された埃とカビの臭い、そして使い古された木製パレットの乾いた匂いが混じっているだけだった。


「……残留物は?」

「各種NBCセンサー、反応なし。車両の痕跡も、一週間以上前のものと思われる轍のみです」


相模結弦はステアリングを強く叩き、肺の奥に溜まった澱を吐き出すように、深い溜息を漏らした。

村松が闇ルートで引き渡したはずの「荷物」は、この広大な本牧の迷宮に一度沈み込み、再びどこかへ霧散したのだ。

ナンバープレートの交換か、あるいは海上ルートへの移送か。

デジタルな網の目すら羽を抜けるように潜り抜ける「カラス」の不気味なまでの周到さに、相模の奥歯が微かに鳴った。


「振り出しだ……」


ベイブリッジの幾何学的なシルエットが、薄ら寒い灰色の空にゆっくりと浮かび上がってくる。

獲物の確かな体温を感じたと思った瞬間に、その輪郭は陽炎のように消え、ただ潮風だけが通り過ぎていく。


「……行きましょう、相模君。まだ、東京は死んでいないわ」


丹波の静かな言葉が、冷え切った車内に響いた。

横浜港の空が、夜明けの冷たい光を孕み始めていた。


東京都千代田区 警視庁

警視庁公安部フロアでは深夜になっても足音や話し声が耐えることなく、強い焦燥感が支配していた。

志賀宗一郎は冷え切った缶コーヒーを片手に、モニターに映し出される湾岸エリアの地図を見つめていた。その時、胸ポケットの私用携帯が、電子音ではなく野太い振動を伝えてきた。

表示されたのは、登録名のない番号。だが志賀は、その末尾の数字だけで相手が誰かを察した。東京港の物流センターで30年、潮風に吹かれながら現場を仕切ってきたベテラン責任者であり、志賀が長年「ウラ」で繋がっている協力者だ。


「……夜分にすまん。大したことじゃないんだが、少し気になってな」


受話器越しの声は、確信よりも戸惑いに満ちていた。長年、港の『呼吸』を肌で感じてきた男特有の、言語化しにくい違和感だ。


「青海の第4号ドック……あそこ、今は閉鎖されて、管理会社の連中も寄り付かないはずだろう? 3日前の深夜、うちの若いのが隣の倉庫の戸締まりに行った時、白い4トントラックが入っていくのを見かけたらしい」


志賀の目が、モニターの地図上の一点に吸い寄せられた。


「テロだなんだって大げさなもんじゃない。ただ、そのトラックの荷台に積んであったのが、かなり大型の……精密機器を運ぶような木製の丈夫なケースでな。不法投棄でもしに来たのかと思ったが、作業員たちの動きが妙に手慣れていたそうだ。ライトを消して、声も立てずにさっと奥へ押し込んで……。会社に無断で、どこかの下請けが勝手に『死に倉庫』を資材置き場にでも使ってるんじゃないかと思ってな」


現場責任者の推測は、あくまで「業界内のルール違反」の域を出ていなかった。無許可の廃倉庫利用、あるいは産廃の一次保管。


「……トラックの色や、ナンバーは?」

「色は白。ナンバーは泥で汚れてて見えなかったそうだ。ケースは三つか四つ。フォークリフトも使わずに、手作業で慎重に扱っていたらしい。まあ、単に倒産寸前の業者が備品を隠してるだけかもしれんが……あんたが『変なことがあれば』と言っていたのを思い出してな」

「助かるよ。こちらでそれとなく確認しておく」


志賀は電話を切ると、背後でモニターを見つめる高木係長に視線を投げた。


「青海で不審な動向が。視察班を張り付けたいのですが」


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