白を進む
穏やかな湖のような凪いだ水面。
車はその入り江の海岸線を走っている。
白く覆われた道路。
タイヤの通り道だけ、湿った黒いアスファルトが、レールのように伸びている。
降り積もった結晶は辺り一面を白に染め、反射した光のせいなのか、空が一層青く澄んで見える。
「初めてのデートが、雪の積もった日なんて、すごいね、お兄ちゃん」
彼女は、身を乗り出して。
フロントガラスから空を仰ぎ見ている。
「夕凪島では雪は珍しいの?」
「うん。降ることはあっても、こんなに積もった景色を見るのは、生まれて初めて。お兄ちゃんは、見たことある?」
「え? ああ、あるよ……」
ハンドルを握る手に力がこもる。
「ふーん。そっか。ねえ? お兄ちゃんってさ、好きな人っていたの?」
「え? 何ですか急に」
「もう、ですか~、じゃないでしょ?」
「ああ、ごめん」
「もう。気を付けてね。で、どうなの?」
「ああ、いや、昔はいたかな」
「恋人?」
「いや、片想い」
「へぇ~、どんな人?」
「どんな人って、もう昔の事だから
……」
「いい想い出じゃないの?」
「どうだろ……」
「初恋の人?」
「ああ、そうかも」
「ふーん。今まで恋人は?」
僕は苦笑いをして首を振る。
「へぇ~そうなんだ。意外だな、お兄ちゃんもてそうなのに」
僕は黙って、チラッと彼女を見た。
目が合った彼女の眼差しが、好奇を帯びて僕を見つめているような気がした。
「何か?」
「ううん。何でもない」
彼女は、ぴくりと眉を上げて。
顔をつき出してはにかんだ。
車はナビにセットした道を進む。
峠を抜けて瀬田町に入る。
左手の大きな溜め池に沿って、なだらかな坂を下っていく。
「あ、あそこに引っ越すんです私」
道が住宅地に差し掛かった辺りで、彼女は前方を指差した。
そこには、比較的新しい、大きな建物が見えた。
母親が言っていた、入院先。
つまり病院。
返答に窮してしまう。
「もう。暗くならないでよ、お兄ちゃん」
僕の肩に彼女の指先がふわりと触れる。
「私は今、嬉しいし楽しいんだから」
「ごめん。あっ、そうだ。これから向かうエンジェル……えーと……」
さっき教えてもらった名前が出てこない。
「エンジェルロード」
「そうそう、そのエンジェルロードってどんなとこなの?」
「えーとね。潮の満ち引きで、海に道が出来るの」
「へぇ~すごいな」
「ふふ、でしょ? でね、その道を手を繋いで歩いたカップルは幸せになれるんだって」
はしゃいだ子供のような声。
「それはいい」
「だから、私もお兄ちゃんと手を繋いで歩いてもいいよね」
グッと顔を寄せてきた彼女。
「ちょっと危ないよ。分かったから」
「やったー!」
無邪気に喜ぶ彼女。
顎の下で、両手を合わせ、伸ばした指を絡めていた。
僕には、彼女の言う幸せが、どんなものなのか、理解できない。
ただ、純粋に笑顔を見せる彼女が楽しんでくれたらそれでいい。
幸せか――
彩音は……
丁字路を右折する。
近くに港があるようで。
フェリー乗り場の看板が通り過ぎていった。
「この先が私の母校です」
少しだけ湿った声だった。
助手席の向こう。
三階建ての校舎が奥に。
道路に面して校庭と校門。
それを確認しながら見た彼女の横顔は、差し込んだ光を帯びていた。
けれども、その物憂げな横顔は、初めて見せた表情だった。
それも僅かな合間で。
瞬きをして。
笑みが浮かぶ。
「お兄ちゃんは、学生時代、部活は何やってたの?」
「え? ああ、帰宅部」
「ん? 何それ?」
「え? ああ、なんの部活もやってない」
「そうなんだ?」
「その、あれだ……心音は?」
「ん? なんて?」
「え?」
「ごめん。聞こえなかった」
シートに凭れ顎を引いた彼女。
上目遣いにおねだりするような瞳。
小さく息を吐く。
彩音はこういう時。
ちゃんと聞こえていて。
もう一度、言って欲しい。
もしくは、少し意地悪な茶目っ気。
「心音の部活は?」
チラッと横目で伺う。
畳んだコートを抱き締めて。
笑いを堪えるように結んだ口が、僅かに動いて。
そのまま、コートに顔を埋めていた。




