ねがい
「どうして死のうと想ったんですか?」
ふいに届いた、その言葉には、責めるというよりも。
純粋な疑問。
剥き出しの好奇。
ただ、それを聞きたい。
知りたい。
純真無垢な子供のような願いに聞こえた。
エンジンの低い音。
シャー。
タイヤが路面を撫でる音。
僕の鼓動が助手席の少女まで聞こえているのではないか?
そう想うくらい、強く早く打ち叩いている。
「ごめんなさい。決心を引き留めてしまって」
少女は、膝の上で組んだ指先をくるくるとまわしていた。
返す言葉が出てこない。
ただ前を向いて、慎重にハンドルを握っている。
「でも……雪の寒霞渓、きれいでしたよね?」
「……ええ?」
「生まれて初めてあの真っ白な雪化粧の景色を見たんです」
「そうでしたか……」
「春は桃色のさくら、黄色のミモザ、夏は青色の空と海、緑色の山、秋は、赤色の紅葉と夕陽……」
赤色――
浴室の扉を開けた瞬間、湯気に混じって立ち込める鉄の匂い。
「彩音……?」
白い霧が晴れて、そこは一面赤い部屋だった。
シャワーの当たる部分だけが、元の浴室の白い壁を浮き出していた。
「……っ!」
僕は小さく首を振った--
「……なんですけど……大丈夫ですか? 顔色悪いですよ?」
「ああ、ちょっと眩暈がして……大丈夫です」
「ふーん。あ、そこ左です」
「あ、はい」
住宅街に旅館『かんかけ』はあるらしい。
真っ直ぐ伸びる路地へと入る。
「それで、冬は、思い浮かぶ色がなくて、でも今日、白色見れたんです」
「その色の意味は?」
「夕凪島の季節の色です。もっとあるんですよ……でも、本当に見れてよかった。来年の今頃、もう私はここにいないから」
「え? 引っ越しされるんですか? 進学とか?」
「ええ、まあ」
少女が動いた気配がしたので、チラッと様子を見る。
こっちを向いていた少女は、顔の横で人差し指を突き立て、瞳が天井を見上げる。
なんだろう?
意味を量りかねて黙っていると。
「一足早く進級するんです。あの世に……」
「え……!?」
「きゃっ……」
僕の右足が、反射的にブレーキを床まで踏み抜いていた。
体が前につんのめる。
ダッシュボードに両手をついていた少女。
後続車がいなくて、周囲に人もいなくて、事なきを得た。
「ごめんなさい、大丈夫ですか?」
「いいえ、私の方こそごめんなさい。ビックリしますよね……」
髪を耳に掛けながら、小さくお辞儀をした。
「いや……」
「大丈夫ですよ、今はもう死ぬことは怖くありませんから、たぶん」
僕は返す言葉が見つからず、ゆっくりとアクセルを踏み込む。
「なんか。わかっちゃうんですよね。ああ、この人辛いんだなって……たまに」
その瞬間、ハッとした。
もしかして少女が僕に声をかけたのは、そういうことだったんじゃないかって。
「そう……なんだ」
「私は、もう死ぬことが決まっていて。人間、結局最後は死にますから、早いか遅いかの違いだけだから」
ごくり。
息を呑んで。
ハンドルを握る手に汗がわく。
「ごめんなさい。そんなあなたに助けてもらった人間は死を望んでいます」
「今も?」
小さくうなずく僕。
「たぶん……ああ、でも今日じゃないかな、お宅に予約したし」
「ありがとうございます。そうだ。きっと、予定ないんですよね?」
「……ええ、まあ確かに」
「じゃあ、私のお願い聞いてくださいません?」
少し大人びたような言い回し。
「あと三日だけ、家の旅館に泊まってください。そして、私が島を観光案内します」
両手を頬に添えて小首をかしげる少女。
「あ、ああ、はい」
「やった! これで親孝行も出来るし、私の願いも……」
「親孝行? 願い?」
「はい。芹沢さんが三泊もして下さったら売り上げ上がりますから」
「なるほど……」
笑ってはいけないんだろうけど。
無邪気に話す少女の言い方が、彩音に似ていて――
「願いって?」
「ああ……」
肩をすぼめて、うつむく少女。
「デートしたいかなって……私、こんなんだし、一人っ子だし。偽物のお兄ちゃんでも、彼氏でもいいんです。青春したいんです」
「いや、でもどうして僕なの? 好きな子とか……」
言いかけて自分の無神経さに嫌気がさした。
さっきの展望台でも、知らなかったとはいえ、僕は何も考えずに、将来旅行に行ったらいいなんて軽口を叩いていた。
にもかかわらず……
先が分かった少女が想いを伝えるだろうか?
「いませんよ。好きな人。ダメですか? デート?」
「ああ、いや、僕で良ければ」
「やった!!」
シートベルトが伸びるくらい身を乗り出して、顔を近づけて来た。
「うん。こう見ると芹沢さん、かっこいいかも」
「どう見ると?」
少女の笑い声が弾けて。
気づけば、僕も笑っていた。
彩音に似てるからなのか、自分の望みを看破されたからなのか。
少女が限られた命を堪能しようとしているのに。
それを捨てようとしている自分。
なんだか、とても滑稽で、こころの中で自嘲する。
そうだな。
死ぬのはいつだって死ねる。
ならば、その前にこの少女の願いを叶えてからでも遅くはない。
たった、数日のことなのだから。
「あ、そこです」
少女が指さしたフロントガラスの向こう。
一見、普通の住宅と見紛う門構えの民家が、白粉を纏って出迎えた。
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