面影の中
車の中はまだ冷えている。
少女はエアコンの吹きだし口に顔を寄せ、両手を温めるように手をくるくる回転させている。
僕はシートに凭れ。
フロントガラスの向こう。
一面の白銀の世界を見つめる。
あの日も、雪が舞っていた――
――三年前。
東京にしては珍しく丸一日降り続いていた雪。
バイトから帰ると、家の中は外の雪の世界のように静まり返っていて--
冷たかった。
「ただいま」
あれ?
誰もいないのか?
「母さん? 彩音?」
いつもなら母さんが応えてくれる……
嫌な予感が走る。
急いで靴を脱いで、リビングへ向かう。
明かりは付いたままで。
キッチンにも誰もいない。
サー。
ラジオのノイズのような音が微かに耳に届く。
カバンをテーブルの上に置いて。
音を頼りに、廊下を進む。
その音は徐々に大きくなり。
シャワーが流れ出ているようだ。
わずかに開いている脱衣所の扉から漏れる明かりが廊下と壁に光の筋を描いている。
「母さん? 彩音? いるのか? 入るぞ?」
ドアノブに手をかけて。
ゆっくりと押し込む。
浴室の扉に寄りかかるように座り込んでいた母親。
うつむいた目はうつろ。
「母さん?」
まるで生気の抜けたロボットのように首を震わせながらこっちを見上げる。
僕の姿を見て、頬を震わせて、笑う。
その服と、腕に赤く滴る液体が目に飛び込んできた。
「ごめん、母さん」
僕は母さんの肩を抱いて壁に寄りかからせて。
浴室の扉を開けた――
「あの……」
少女の声にハッとして。
体を起こした。
「大丈夫ですか?」
「ん? なにが?」
「その……」
少女は申し訳なさそうに肩を寄せて、細い指先で大きな瞳の目尻から頬に指先を這わす。
あっ……
慌てて触った自分の頬に涙が流れていた。
「あ、いや、その、ドライアイで……」
タオルを探してポケットをまさぐるが、見当たらなくて、上着の袖でそれを拭う。
「良かったら……」
脇を見ると、微笑む少女が両腕を伸ばし、その手にはハンドタオルが握られていた。
「いや、大丈夫」
片手で制すると、少女は首を傾げて突き出してきた。
「じゃあ、借ります」
「どうぞ」
どこか懐かしい木の香りと、温かさが涙を吸い取っていく。
「今日はどちらに泊まられるんですか?」
「え? ああ、いや、まだ予約取ってなくて……あ、どうもありがとう」
差し出したタオルを受け取った少女。
「良かったら、家に泊まりませんか?」
人差し指をこめかみにあてて、横目で僕を見つめた。
「え?」
一瞬言葉の意味の理解に追いつけず、瞬きをした。
少女は、肩を跳ねて、クスッと肩をすくめてハンドタオルをコートのポケットにしまう。
「ごめんなさい。私の家、旅館なんです。古い家ですけど」
「あ、ああ、そういうことか」
理由を聞けばなんてことはない。
何か気が抜けて、息を吐いて笑っていた。
「あ、笑ってくれた。良かった」
「え?」
「ああ、その迷惑だったのかなって。一人旅の邪魔しちゃったかなって」
「ああ、いや……」
僕は返答を紛らわせるように、サイドブレーキを外して、アクセルを踏んだ。
雪道なんて慣れていない。
路面にうっすらと膜を張り始めていた雪。
慎重に車を走らせた。
「もしもし、お母さん?」
いつの間にか少女は、電話をしている。
「これからお客さん一人連れて行くから、夕食間に合うかな?」
「え? あの」
僕の声に、口の前で人差し指を立てる少女。
「うん、二階の角部屋空いてるよね?」
「うん、そこでお願い。え? 名前?」
少女は通話口を押さえながらこっちを見つめていた。
「ああ、芹沢です。芹沢優志です」
「芹沢優志さん。うん……そうだな、さっき寒霞渓の展望台出たから、30分か40分くらいで着くともう……うん、じゃあ、よろしくね」
通話を終えると、少女は小首をかしげた。
「狭い旅館ですけど、お父さんが作る料理は、評判いいんですよ」
「あ、いや、その……」
「あ、料金ですか? 夕食朝食付きで、一泊7000円です」
「いや、そういうことじゃなくて……いや、大丈夫ありがとう」
「一泊だけですか? もし必要なら言ってくださいね。この季節、旅行の人少ないですから」
「あ、はい」
なんかペースを握られている。
この感じ、顔立ちだけじゃなくて、彩音にそっくりだ。
「あ、私は、旅館『かんかけ』の一人娘、神林心音です。ここねって珍しいですよね。でも気に入っています」
「そうですね。でもいい響きですよ」
「ふふ。そうですか? 嬉しいな。ありがとうございます」
「あ、夕食お魚出ますけど、食べられますか?」
「ええ、大丈夫です」
白亜の山となった合間の黒く浮かぶダム湖の周りをゆっくりと旋回する。
少女は初対面の僕に質問をする。
どこから来たのか?
どうして夕凪島に来ようと想ったのか?
お仕事は?
家族は?
今の僕はそれらに正直に答えることが出来なかった。
ただ、誤魔化して口を開いてるだけだった。
「じゃあ、どうして死のうと想ったんですか?」
そう、彼女に聞かれるまでは……
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