おじゅっさん
「お兄ちゃん、おじゅっさん紹介してあげる」
彼女は僕を引っ張って歩き出す。
ぴょんびょんと跳ねるように。
髪を舞わせて。
「滑らないように、気をつけて」
「はあい」
下の境内に続く階段に差し掛かると。
彼女は繋いでいた手を離した。
「おじゅっさんに、嘘はつけないんだ」
「そっか、分かった」
住職は僕たちが来るのを階段下で、微笑みをたたえ待っていた。
「心音さん、久しぶりですね」
少し高く柔らかい声色。
目尻に寄る深いしわ。
柔和な眼差しが人柄を物語っているようだった。
「ご無沙汰してます、おじゅっさん。紹介するね。うちのお客さんの芹沢さん」
「初めまして、芹沢です。心音さんに島を案内してもらっています」
「そうですか。不破龍応と申します。折角ですから、どうぞこちらへ」
住職は僕たちを本堂へと案内した。
本堂の中は外と変わらない寒さ。
住職はヒーターのスイッチを入れた。
「今日も冷え込みますね、どうぞ暖をとられて下さい」
線香や蝋の匂いが染み付いた空間。
「どの辺りを周られたの?」
「えーと。エンジェルロードと松寿庵で素麺食べて、ここに来たんだ」
「そうですか、よくお越し下さいました」
住職は僕を見ながら、小さく頭を下げる。
「いえ、心音さんが是非にと案内してくれました。山の上にお寺があるのが不思議で、それに景色もすごかったです」
「そうですか、ありがとうございます」
「そうだ、おじゅっさん。あの、えい! ってやってもらえたりします?」
パチン。
彼女は手をたたく。
「いいですよ。じゃあ、お二人並んで下さい」
僕は彼女にならって。
本堂の奥を見据える。
仏像は見当たらない。
住職は、一段高い座敷部分に上がって。
細長く分厚い本のような物と仏具を手に僕たちの前に戻って来た。
「じゃあ、はじめましょう」
隣の彼女は目を瞑り。
手を合わせた。
僕も同じように。
すぐに、住職がお経を唱え出した。
とても耳障りのいい声が耳に届く。
頭の中で反響する読経――
棺の中の彩音の安らいだ顔を呼び起こした。
合わせた手が、微かに震えている。
住職の声が正面から右側。
彼女のいる方に移って。
何やら呪文の様なものを口ずさんで。
「えーい!」
突然の大声にビクッとした。
そして、僕の真後ろから読経がはじまる。
背中に何かが当たる。
仏具だろうか。
コート越しにも分かる感触。
何かを描くように動く。
「えーい!」
軽い衝撃が背中に走って。
優しく背中を撫でられたようだった。
「いかがでしたかな」
「今日も、スーっとしたよ、ありがとう、おじゅっさん」
「ええ、不思議ですね」
確かに、心の中に風が抜けたような気がした。
「じゃあ、ちょっと私、お手洗い行ってきます」
彼女は住職と僕に目を配り。
本堂を出て行った。
「芹沢さん、でしたかな」
「はい」
「島は初めてですか?」
「ええ、はい」
「どちらから、いらしたんですか?」
「えー、埼玉です」
「そうですか、それはそれは遠路はるばる、ありがとうございます」
どこまでも物腰の柔かな表情と声色。
「いえ……」
「心音さんは、面白い子でしょう」
「ああ、確かに」
住職は二度三度うなずいた。
「私は仏法の教えを説く身で日々精進しておりますが、彼女から教わることもあるのですよ」
「そうなのですか?」
「ええ。いつでしたか、人生って失っていくものなんですね、と話しておりました」
宙を見据え微笑んでいる住職。
「失っていくもの、ですか」
「どうして、そう思ったのか、彼女に聞いてみました」
「それで、彼女はなんと?」
「結局、死んでしまうでしょ。というのが答えのようでした」
「なるほど……」
「ですが、失うことを受け入れてこそ、得られるものあります。短い人生という世界で」
「それは?」
「私とあなたがこうしているように。つまりは出逢いです」
「なるほど」
がらがら。
引き戸が開いて。
「ただいま、おじゅっさん。トイレの水が流れにくかったよ」
「それはいけませんね。寒さのせいでしょうかね、見てきましょう」
「じゃあ、私たちも行きましょうか」
「そうですね」
住職とは、本堂の前で別れた。
雪に音が吸われたかのように。
僕たちの足音だけが響く境内。
黙ったままの彼女。
はぁーっと。
両手に息を吹きかけている。
山門をくぐると、斜陽の眩しさが襲う。
手をかざし、長い階段を下りはじめた頃。
彼女は、僕の手を握ってきた。
僕より少し暖かかった。
「よし、次は夕陽見せてあげるね、お兄ちゃん!」
差し込む光が染めた彼女の顔は少し色付いていた。
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