手は語る
彼女は、僕に微笑みを残して。
手をつないだまま立ち上がる。
それにつられるように、僕も腰を上げる。
振り返ると一組の男女がいた。
「おはよう。沢木くん」
沢木くんと呼ばれた短髪の青年。
「ああ、おはよう。こんなとこで……」
青年の視線がつないだ手に落ちる。
手を離そうとしたら。
くいっと握り返された。
「デートだよ。そっちは?」
彼女は、青年の連れの女性に視線を投げて。
小さくお辞儀をした。
「ああ、従妹の美雪。昨日から遊びに来てるから島を案内してる」
青年はそう言いながら。
僕をちらりちらりと見ていた。
「そっか」
「ああ、初めまして、芹沢優志です。心音は……」
僕の手をぎゃーっと握りしめる彼女。
思わず見た彼女は、ただ微笑んでいた。
「僕は、沢木拓海です。こっちは従妹の林美雪」
美雪さんは、ペコリと頭を下げた。
「……そっか。神林、彼氏さんいたんだな」
「うん。そうだよ。どした?」
「いや、なんでもない。あの、せ……」
僕を見たまま、頭をかいて苦笑う青年。
「芹沢です」
「あ、すみません。芹沢さん。神林のことよろしくお願いします」
男の子は深く一礼をした。
「じゃあ、また学校で」
青年は微笑みを浮かべ片手を上げた。
従妹を促し砂の道を歩いて行く。
見送る彼女の瞳は潤いを帯びて。
一層、光って見えた。
「あのさ、心音……」
「お兄ちゃん。ありがとう。何も言わないでくれて。だから何も聞かないで」
「そっか。分かった。じゃあ次はどこだっけ?」
「えー!? もう忘れたの?」
「お寺だっけ? あれ、それはまだだっけ?」
「もう。次は港。土庄の港」
「あっ、そうだそうだ」
「ふふふ」
顔をつき出し笑う彼女。
「うんうん、またまたいい感じだよお兄ちゃん!」
僕の腕に抱きついてきた。
体を押し当てるように歩き出す。
「で、港で何するんだっけ?」
「それは……」
「それは?」
「着いてからのお楽しみ!」
僕の鼻を細い指先がつつく。
温かい感触を残して。
車に乗っても彼女は変わらなかった。
微笑みをたたえ。
ふとした仕草は彩音を想起させる。
けれど、鈍感な僕にでも分かったことがある。
でも、それは、僕が何かを言う権利もないし資格もない。
ただ、彼女の望み通り過ごせれば。
それでいい。
「お兄ちゃんの手って、大きいね」
「そうかな?」
僕はハンドルを握る手を見た。
何も出来なかった手を。
「そして、名前の通り優しい」
「また、それかい?」
赤信号。
ゆっくりとブレーキを踏み込む。
「何か、守られてるって感じがしたかな」
「え?」
「たぶんね!」
合わせた両手を頬に添えて。
横目で様子を伺う彼女。
「僕も、そう感じたよ。心音が優しい子だって」
「ふーん」
「たぶんね」
信号が青に変わり。
アクセルを踏む。
息が落ちて。
やがて笑い声が。
車内を覆う。
そうこうしているうちに。
土庄港に着いた。
駐車場に車を止めて。
向かった先は、フェリーターミナル。
建物の中に入るや否や。
暖房の熱が頬を火照らすほどだった。
「え? どこか行くの?」
「うーん。そうかもね?」
彼女が顔の脇で。
つんつんと指差した先。
そこには、青と緑と白に塗られている一台のピアノが置いてあった。
「お兄ちゃん、私が弾いてるとこ、スマホで撮ってくれる?」
「いいよ。分かった」
「音の旅に連れていってあげる」
「音の旅?」
「うん。音楽って想い出と同じ時間を過ごすでしょ? だから音の旅」
「なるほど」
「きっと、お兄ちゃんも知ってる曲。たぶんね!」
ウインクを一つ。
僕に飛ばして。
彼女は椅子に腰かけた。
「これで撮影お願いね。使い方分かるよね?」
差し出されたスマホを受け取る。
「たぶんね」
頬が上がって。
肩をすくめた彼女。
「二曲弾くから。よろしくお願いします」
「了解」
彼女は鍵盤に手を乗せる。
目を閉じて。
息を吸って。
音が落ちる。
始まった前奏は聞き覚えのあるものだった。
タイトルは想い出せないけど。
彩音がファンだった女性アーティストの曲だ。
家族で行ったカラオケで。
よく歌っていた。
彼女のピアノに彩音の歌声が重なる。
在りし日の笑顔と共に……
スマホを構えた指先が震えそうで。
堪えながら記憶の中の声を追う。
そして。
タイトルはよみがえった。
『Bestfriend』
だと想う。
パチパチと拍手が起きる。
彼女は僕を見て。
ぺろっと舌を出した。
そして、すぐに次の演奏を始めた。
しなやかな指が奏で出した旋律。
『let it be』
華奢な体全体を使って。
鍵盤が応える音色は。
想いの外、力強く。
細やかで、歌っているようだ。
って。
歌い始めた彼女。
音楽の詳しい知識は持ち合わせていないが。
昨今流行りの高い声でもなく。
今まで耳にした明るい声よりも、低いような気がした。
澱みなく。
迷いなく。
発する声と動く指。
澄んだピアノの高音がさえずり。
低く弾ける鼓動のような音。
その合間を縫うように響く歌声が。
心に入り組んで。
胸を締め付ける。
サビで、より一層高音は小刻みに天を抜け。
低音は地を這う。
歌声は心をわし掴みにして離れない。
聞き惚れているうちに。
終わっていた。
時が止まったかのように静まった。
そして。
いつの間にか集まっていた聴衆から。
割れんばかりの喝采が巻き起こった。
彼女はゆっくりと立ち上がり。
周囲に向かって頭を下げる。
僕の方を見て。
伏し目がちに笑う彼女を捉えて。
録画を停止した。
ちょんちょんと一歩一歩おどけながら歩み寄る彼女。
「どうだった?」
組んだ両手を顎の下に添えて僕を見上げた。
「凄かった。上手いなんてもんじゃない。感動した」
「ありがとう。音の旅出来た?」
「ん? ああ、たぶんね」
差し出したスマホをうなずきながら彼女は受け取って。
「ふんふん。目を見たら分かるよ。どんな旅だったのか」
「え?」
口を尖らせて。
視線を宙にくるりと回して。
「たぶんだけど」
じーっと僕を見つめて。
微笑む彼女に誘われ笑っていた。
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