act.1 吉原憂の視点による邂逅2
「ああ、今日は満月か」
あたしが庁舎の執務室に戻り自分のデスクに腰掛けた時、ふと呟いた声が聞こえた。
ちなみにこの声の主は沖和紗【オキ カズサ】。
直属の上司で、第3隊"鴉"を率いる隊長だ。
あたしはその言葉を聞かなかったフリで例の始末書をひらひらとめくる。
かなり、退屈そうに。
デスクワークは嫌い。
―――――コンコン。
ノックの音が聞こえる。
うちの隊で丁寧にノックをするような人は滅多にいない。
「失礼します。吉原隊士に中央庁所属第1隊より一級指令でございます」
入ってきたその男はあたしや隊長の着ているものとは色の違う、白い隊服を身に纏っている。
ホワイト…中央庁だ。
その男は扉の前で直立不動に立ち、ぴんと張った声を発した。
「警護庁所属第3隊副隊長補佐官、吉原憂。境界解放と身辺の調査、逃亡中の亜人の追跡・捕獲を命ずる。また、抵抗がある場合は始末しても構わない…とのことです」
淡々と書面を読み上げる男を見る。真面目そうだ。
「…はい。いつもの新宿の外れで大丈夫ですかー?」
「新宿北東部の境界にて、結構は2300です。それでは、宜しくお願いします」
白い隊服はそうして、一礼して出て行った。
あたしは大きく伸びをして、隊長の方に目を向ける。
「ってことで隊長、一級指令です。夜勤になるんで仮眠とりますねー」
めくっていた始末書の束をデスクに置き、執務室に隣接する仮眠室に向かうために席を立った。
「始末書を書け、始末書を!」
「明日出勤したらやりまーす」
ぺこりと頭を下げると沖は盛大なため息をつき、あたしはそれもまた聞こえないフリをして仮眠室への扉を開けた時、廊下から騒がしい音がして廊下と隣接する方の扉が派手な音をたてて開いた。
「沖隊長!新任隊士が1人、演習中にやられました!」
開けたのは今度は真っ黒な隊服。
「亜人か?」
「はい、代々木の演習場です。暴走をした狼の亜人が大量発生しています。一般隊士だけでは太刀打ちができないと連絡が!」
「わかった。ちょうど今外回りで葉柴がうろついてるはずだ、すぐに向かわせよう。それと、隣の部屋に数持ちの奴らが暇してるだろうから連れてっていいぞ」
そう言って隊長はデスクの上の内線電話を取り「暇なら代々木に行って暴れてこい」と電話口に言っていた。
あたしはしばらく彼らのやり取りを見ていたけれど、すぐにふらりと仮眠室に入って行った。
「憂、何時に起こせばいい?」
「8時…くらいでお願いしまーす」
隊長にひらひらと手を振って、仮眠室に通じる扉を閉めた。
**************
―――――熱い。喉が、奥の方が。
―――――いやだ、殺さないで。
―――――殺して。
―――――壊れてしまう前に…
「いやぁぁぁあああ!!!!」
「憂!落ち着け、それを置け。ほら、薬だ」
薄暗い仮眠室の扉が開き、そこから入ってきた隊長が慌てて声をかけてきた。
叫び声をあげたらしいあたしの掌にはほんの小さなナイフが握られていて、その切っ先は自分自身の喉に向けられていた。
それはあたしが所有する一番小さな刃物であり、何処へ行くにも何をするにも肌身離さず身に付けているものだ。
「夢…また…」
朦朧とした意識の中、無意識のうちにナイフを己に向けていたらしく、震える両手を降ろした。
隊長は慣れた調子でそのナイフをあたしから離し、白い錠剤をあたしの口に入れた。
薬を飲んだことを見届けると隊長は執務室に戻ろうと立ちあがった。
「もう少し寝てていいぞ、まだ時間があるからな」
「…隊長、そこに…いてください」
「馬鹿野郎、俺は仕事だ。電気点けとくから安心して寝ろ」
霞んだ視線が捉えたのは、執務室に戻って行く隊長と、開けっぱなしの扉。
そしてまた、眠りに堕ちた。
小一時間ほど経ったのち、目覚めたあたしは脱いでいた隊服のジャケットを着直し、執務室に戻った。
寝れたと言っても、気分は最低だ。
相変わらず執務室には隊長がひとりだけで、他のデスクは空っぽだった。
ここにはあと2人のデスクがあるが、一人は非番でもう一人は任務に出ている。
「気分はどうだ?」
「絶好調で最低ですよー?さっきはすみませんでした」
「しょうがないさ、今夜は満月だからな」
欠伸をするあたしを一瞥した隊長は、ああ、と思い出したように言葉を紡ぐ。
「また上の連中がぼやいていたぞ。吉原はいつになったら中央への誘いに応じるのか…ってな」
「あたしは中央には行きません」
無意識のうちに強くなった口調であたしはそう告げる。
それを見た隊長はニヤニヤと口角をあげて言う。
「被検体か?」
「そうでなくても、人間扱いはされないはずです」
「…お前のその白さにはあの隊服が似合うだろうがな」
"白"
その言葉に反応したあたしは自分のデスクに立てかけてあった大きな漆黒の剣を素早く手に取り、刃を隊長に向けた。
「隊長…それ以上言ったら殺しますよー?」
いつもと変わらない間延びした口調とへらりとした笑顔で上司を威圧する。
それでも隊長はニヤニヤとした顔をやめないので、あたしは諦めて刃を鞘に納めた。
「なんだ、殺さないのか?」
「その気が失せました。それに、あたしじゃ隊長には勝てませんからー」
鞘に納めた剣をそのまま肩に担ぎ、壁際にある自分のロッカーから携帯用の通信機器を取り出し、隊服のジャケットのポケットに入れた。
…寒いかな。この格好で平気かな。
少し迷ったけれど、いつも通りの隊服…あたしの場合はジャケットにショートパンツ。これが一番動きやすい。
「もう行くのか?」
「満月ですから、暴走してる何匹かと軽く遊んでから行けばちょうどいいと思うんでー」
「軽く遊ぶ…ねぇ?」
「何ですかー?」
「いや…、やはりお前にはその真っ黒の隊服が一番似合うよ」
デスクに座ったままの隊長にひらひらと手を振りながら執務室を後にした。
それから庁舎の外門を出るまで、黒い隊服を着た連中しか見なかった。
死を与えたり、死から守ったり。
殺さなきゃ、殺される。
喪に服すように黒を纏う。
他の色は一切入っていない。
中央庁【ホワイト】にはなれない無法集団…それが"鴉"。
あたしの生きる場所。




