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魔力が足りない? なら、術式を書き換えればいいじゃない。~追われる天才少女のほのぼの辺境魔法研究録~  作者: 春
第一章 雨の街と消えた魔石

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第5話 呼吸する灯り


「却下だ」


 机に叩きつけられた紙束が、ばさりと広がった。


 リーベル駐屯所の応接室。窓のない部屋で、魔導技官オズワルド・ハイネは、眼鏡の奥から冷めた目で   

 ルカを見ていた。


 昨日、橋の上で取った計測の記録。三秒ごとの脈。滞在時間と蓄積量の関係。

 二晩かけて清書した紙だった。


「結界に欠陥はない。この数字は、子供の落書きだ」

「ですが、計算は」

「落書きだと言っている」


 ヒューが一歩前に出た。


「落書きかどうか、あんたの結界の上を走ってみろ。三度目の故障を出したじいさんの荷馬車は、いまも  

 動かせないままだぞ」

「民間の整備不良だ」


 取りつく島もない。


 それなのに、紙束を押し戻そうとしたオズワルドの指が、途中で止まった。


 一番上の紙。ルカが書いた、滞在時間と蓄積量の比例式。


 男の視線が、数行をなぞる。


 眼鏡の奥で、目が細くなった。


「この式の立て方は、誰に習った」

「独学です」

「独学」


 舌の上で転がすように繰り返して、オズワルドは顔を上げた。


「名は、ルカと言ったな。家名は」

「ありません」


 嘘だった。


 名前だけが本当の自分、というのは、妙に居心地が悪い。


 オズワルドは、部屋の隅に控えていた兵士に顎で合図した。


「記録しておけ。ベルクの店の使い、ルカ。家名なし。独学」


 背中に、冷たい汗が伝った。


 (書かれた。名前を)


 けれど、次にオズワルドが口にした言葉は、それ以上にルカを凍らせた。


「三日後の正午、結界の出力を倍にする」


「……倍?」

「王都からの命令だ。故障が増えているのは出力不足のせいだと、上は判断した」


 ヒューが、低く唸った。


「足りないどころか、余ってるから壊れてるんだろうが」

「軍の決定だ」

「止めてください」


 ルカは、思わず言っていた。


「倍にしたら、同じ時間でも溜まる量が倍になります。昨日の裏庭の箱は、あの程度の量であれだけ赤くなりました。倍なら、箱が壊れるだけじゃ済みません。馬も、人も、近くにいたら」

「軍の決定は覆らん」


 オズワルドは、紙束から目を逸らした。


 その一瞬。


 眼鏡の奥の目が、ほんのわずか、迷うように揺れた。


 (……この人は)


 悪人なのかどうかは、分からない。


 ただ、自分の言葉を、信じてはいない。


「出ていけ」


 扉が、閉まった。


   *


 その夜の宿屋の食堂は、ひどく静かだった。


 ルカの前には、紙が散らばっていた。


 一枚目。二枚目。三枚目。どれにも、バツ印がついている。


「……十二通り、試しました」


 ルカは、ペンを置いた。


「結界が、受け取る側の状態を知って、必要な分だけを流す。それが、最後に足りなかった頁です。でも」


 アリアが、湯気の立つ蒸しパンを皿に載せて、そっと机の端に置いた。


「でも?」

「受け手の状態を測るための仕組みが、水より高くつくんです」


 ルカは、紙の端に簡単な絵を描いた。


 一本の水道管と、いくつもの桶。


「いまの結界は、桶がいっぱいでも空でも、同じ勢いで水を注ぎ続ける水道管です。だから、あふれる。あふれないようにするには、桶の水位を測って、注ぐ量を変えないといけません」


「それなら、測ればいいんじゃないのか」


 食堂の隅で、剣の手入れをしていたヒューが口を挟んだ。


「測る道具のほうが、水より高くつくんです。結界は橋全体を覆っています。荷馬車一台ごとに測る仕組    

 みを組んだら、その仕組みを動かすだけで、いまの結界の何倍も魔力を食います。それに、仕組みを

 書き込む分も、試す分も」


 言いながら、ルカの声は、どんどん小さくなっていった。


「本当は、私が書き終えていれば」


 ペンを握る指に、力がこもった。


 あの日、研究院で草稿を取り上げられなければ。第七草案を最後まで書けていれば。


 欠陥は、最初からなかったはずだ。


「お前のせいじゃねえだろ」


 ヒューは、手入れの手を止めなかった。


「何を背負ってるのかは知らん。聞くつもりもない。だが、書いたもんを誰かが勝手に動かしてるなら、悪いのは動かしたやつだ」


 ルカは、息を呑んだ。


 責められると思っていた。


 それなのに、この人は。


「三日ある」


 ヒューは、刃を灯りにかざして、曇りを確かめた。


「一人で抱えるな。三人で考えりゃいい」

「三人?」

「私も入ってますよね?」


 アリアが、胸を張った。


「術式のことは、全然分かりませんけど。夜食を作るのは得意です」

「……ありがとう、ございます」


 それしか、言えなかった。


 アリアが笑って、ランプを机に置いた。


 母の形見の、あの小さなランプだ。


「暗いから、これ使いましょう。……ふわあ」


 大きなあくびが、漏れた。


「すみません。ちょっとだけ、休憩」


 アリアは腕を組み、ランプの台座に片手を添えたまま、机に頭を預けた。


 昔からの癖なのだという。眠くなると、ランプに触れて、目を閉じる。


 ランプが、淡い蜂蜜色に光っていた。


 明るくなり、暗くなり、また明るくなる。


 まるで、呼吸のように。


 ルカは、何の気なしに、その光を眺めていた。


 それから、ふと、気づいた。


 (……あれ)


 さっきまで、三秒ごとに明るくなっていた。


 いまは、四秒。


 五秒。


 アリアの肩が、ゆっくりと上下している。眠りが深くなって、呼吸が長くなるにつれて、ランプの明滅も、間延びしていく。


 合っている。


 偶然じゃない。


 ルカの指先が、冷たくなった。


「ヒューさん」

「どうした」

「このランプの明滅は、決まった周期じゃありません」


 声が、かすかに震えた。


「アリアさんの魔力の脈を聞いて、それに合わせて揺れているんです。持ち主の拍に、出力を合わせて」


 ルカは、そっと台座に指を触れた。


 読むのは、ほんの少しの魔力でいい。


 円盤の奥に、小さな回路があった。


 以前見つけて、ずっと「理由が分からなかった」あの回路。


 削らなかった。


 父の言葉が、あったから。



 (削る前に考える。どうしてここにあるのか、なくしたら何が困るのか)



 あの回路には、耳があった。


 持ち主が流し込む魔力の揺れだけを拾って、その拍に、光を合わせる。


 測るための魔力は、一滴も使っていない。流れてくる魔力そのものの揺れが、そのまま合図になっているのだ。


 (聞くだけなら、魔力はいらない)


 橋の上で、自分で口にした言葉だった。


 見るだけなら、魔力はいらない。


 聞くだけなら、もっといらない。


「……これだ」


 ルカは、ペンを掴んだ。


「受け手に合わせて、出力を変える。そのために、測る仕組みを別に作る必要なんてなかったんです。受け手のほうから流れてくる魔力の揺れを、拾えばいい。そうすれば、耳の分の魔力は、ほとんどいらない」


 紙の上を、ペンが走る。


 最後の頁。


 『同期』の中身が、一行ずつ、埋まっていく。


「ランプが、答えを知ってたのか」


 ヒューが、半ば呆れたように言った。


「……お母さん、何者なんでしょう」


 ルカは、眠るアリアの横顔を見つめた。


 研究院の誰も書けなかった頁を、この灯りを作った人は、とうに書いていた。


 ただの修理屋の、ただの形見の灯りの中に。


   *


 夜が更けた。


 ルカは、三枚目の設計図を書き上げて、ペンを置いた。


 美しい術式だった。


 結界を書き換えれば、荷馬車一台一台に合わせて、必要な魔力だけが流れる。


 けれど。


 ルカは、その最後に、小さく数字を書いた。


 書き換えに必要な魔力。


「……杯にして、四百杯分」


 ヒューが、無言で眉を上げた。


「あの橋の結界を、止めずに書き換えるには、それだけの魔力がいります。私一人では、百年かかっても足りません。軍の魔導師が総がかりでも、結界を止めなければ無理です」


 結界を止めれば、橋は魔物に無防備になる。


 それを、軍が許すはずがなかった。


 ルカは、机に突っ伏しかけた。


 杯が、小さい。


 どうしようもなく、小さい。


 それでも。


 視線は、昼間の計測記録に、ふと吸い寄せられた。


 三秒ごとの脈。


 橋の結界が、使われないまま、何度も何度も吐き出している魔力。


 あれは、毎日、誰にも使われずに捨てられている。


 (……足りないなら)


 ルカは、ゆっくり顔を上げた。


「減らせばいい。それが、いつもの私のやり方でした」

「ああ。そうだったな」

「でも、今回は、これ以上減らせません。もう、最小です」


 ルカは、橋のある西の窓を見た。


「だったら」


 小さく、息を吸った。


「あるところから、借りればいいんです」


「借りる?」


 ヒューが、聞き返した。


「どこから」

「あの橋にある、魔力からです」


 ヒューは、しばらく言葉を失っていた。


「……結界を直すための魔力を、結界から借りる気か」

「借りるだけです」


 ルカは、少しだけ口の端を上げた。


「あとで、倍にして返します」


 三日後の正午まで、残りは、二日と半日。


 窓の外では、西の空に、細い月が昇っていた。









 第5話 了

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