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魔力が足りない? なら、術式を書き換えればいいじゃない。~追われる天才少女のほのぼの辺境魔法研究録~  作者: 春
第一章 雨の街と消えた魔石

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第4話 完全な術式なんて、ありません



 石橋の手前で、槍が交差した。


「止まれ」


 ルカの喉が、ひくりと鳴った。


 辺境都市リーベルから、西の街道を半日。小さな川にかかる古い石橋の袂に、

 軍の検問小屋が建っている。槍を構えた兵士が二人。そして、小屋の壁には――


 (……ここにもある)


 見覚えのある似顔絵が、風に揺れていた。


 眉間に皺を寄せた、目つきの悪い少女。


「通行証か身分証を見せろ」


 兵士の視線が、御者台から、荷台に座るルカへ移る。


 ルカは膝の上の魔力計を抱え直した。出がけにベルクが貸してくれたものだ。


『壊すなよ。壊したら弁償だ。……いや、お前が壊すわけねえか』


 そう言って鼻を鳴らした店主の顔を思い出して、少しだけ呼吸が落ち着いた。


「護衛のヒューだ。ギルドの登録証はこれ」


 ヒューが札を見せる。兵士が頷いた。


「そっちの小僧は」

「ベルクの店の使いだ。この魔力計も、あの店の借り物。名前は――」

「ルカ、です」


 先に、自分で答えた。


 兵士の眉が、ぴくりと動いた。


「……ルカ?」


 小屋の壁と、ルカの顔を、兵士の目が往復する。


 一往復。


 二往復。


 ヒューが、何も知らない顔で首をかしげた。


「どうした。ありふれた名前だろ」

「いや……」


 兵士はもう一度、似顔絵を見て、それからルカの細い手首を見た。


「……こんなひょろい小僧が、研究院を吹き飛ばせるわけがないか」


 (吹き飛ばしてないけど)


 それは、言えなかった。


「通れ。ただし、結界には近づくな」


 槍が上がる。


 ルカは心の中で、大きく息を吐いた。


 (似顔絵が、全然似てなくて助かった)


 でも少しだけ、複雑だった。


   *


 検問小屋の脇に、白い外套の男が立っていた。


 銀縁の眼鏡。痩せた頬。軍服の上に、魔導技官を示す白い襟章。


「通行は自由だ。だが、橋の結界には、一切触れるな」


 男は、ルカたちを一瞥しただけで言った。


「魔導技官、オズワルド・ハイネ。この防護結界の管理責任者だ」

「ヒューだ。西街道の荷馬車が、この橋を渡ったあとで壊れる件を調べたい」

「その件なら、軍は回答済みだ」


 オズワルドは眼鏡を押し上げた。


「魔物除けの防護結界は、王立研究院が設計した最新式。完全に正常に稼働している。故障は、民間の粗悪な魔道具の整備不良。それ以上の結論はない」

「だがな、うちの荷馬車は――」

「あの」


 ルカは、そっと口を挟んだ。


 自分でも、なぜ口を開いたのか分からなかった。


「結界の出力は、常に一定ですか? それとも、一定の間隔で変わりますか?」

「……何?」


 オズワルドの視線が、初めてルカに向いた。


「子供が、何を言っている」

「いえ、その……」

「結界は完全だと言っただろう。素人が口を出すな」


 声が、一段硬くなった。


 その一瞬を、ルカは見逃さなかった。


 眼鏡の奥の目が、ほんのわずかに、揺れたのを。


 (……この人、知ってる)


 何かを、知っている。


「完全な術式なんて、ありません」


 気づけば、口が勝手に動いていた。


「あるのは、まだ見つかっていない欠陥だけです」


 しん、と空気が凍った。


 ヒューが、目を丸くしてルカを見ている。


 ルカ自身も、自分の声に驚いていた。人前に立つのは苦手だ。争うのも苦手なはずなのに。


 ただ、これだけは曲げられなかった。


 オズワルドの口元が、薄く歪む。


「……好きにしろ」


 彼は白い外套を翻した。


「橋の上で何が起きても、軍は責任を持たん」


   *


「お前、結構言うんだな」


 荷馬車が橋の袂へ向かう間、ヒューが小声で言った。


「……すみません。出すぎました」

「謝るな。胸がすっとした」


 ヒューは前を向いたまま、口の端を上げた。


 ルカは、魔力計を制御箱の端子につないだ。針は、ゼロを指している。


 一晩寝て、杯は半分ほど戻った。使えるのは、せいぜい三回。


 その一回を、ここで使う。


「ここから先が、結界の範囲です」

「分かるのか?」

「空気が、変わりました」


 橋の袂を越えた瞬間、肌がぴりりと粟立った。


 同時に、魔力計の針が跳ねた。


 ぴく。


 ぴく。


 ぴく。


 (……一定じゃない)


 針は小刻みに震えながら、少しずつ上へ登っていく。


 数える。


 一、二、三。


 ぴく。


 一、二、三。


 ぴく。


「三秒ごと……」

「何がだ?」

「結界が、魔力を流し込む間隔です。脈みたいに」


 ルカは、指先に意識を集めた。


 動いている術式は、見るだけなら魔力はいらない。けれど、細部まで読むなら、少しだけ要る。


 杯の底から、一滴。


 (……お願い)


 視界が、変わった。


 橋の上空に、銀色の糸が広がっていた。


 細い光の線が、橋を覆うように編まれている。ドーム状の、巨大な網。その一本一本が螺旋を描いて――


 先端に、小さな輪がついていた。


 一つ、二つ、三つ。


 数え切れない。何百もの、小さな輪。


 結界全体が、ルカの署名で編まれていた。


 (…………)


 声が出なかった。


 自分の名前が、橋の上いっぱいに、咲いている。


「ルカ! 箱が熱いぞ!」


 ヒューの声で、我に返った。


 制御箱が、じわじわと赤みを帯びていく。魔力計の針は、危険域に近づいていた。


 そのとき、ルカは気づいた。


 三秒に一度、流し込まれる魔力。


 馬車がゆっくり進めば進むほど、結界の中にいる時間が長くなる。


 つまり、溜まる量は、滞在時間に比例する。


「ヒューさん! もっと速く!」

「何?」

「足を止めないでください。遅いほど、溜まるんです!」


 ヒューの目が見開かれた。


「……そういや、壊れた馬車は全部、重い荷を積んでたな」

「それです!」

「分かった。しっかり掴まってろ!」


 手綱が鳴る。


 二頭の馬がいなないた。


 荷馬車ががたんと跳ねて、石畳の上を駆け出す。


 ルカは制御箱にしがみついた。


 銀色の網が、頭上を後ろへ流れていく。


 ぴく。


 ぴく。


 針が、赤い線の手前で、ぎりぎり踏みとどまる。


 橋の終わりが見えた。


「抜けるぞ!」


 車輪が、橋を離れた。


 ぴりりとした感覚が、すっと消える。


 針が、ゼロへ落ちた。


   *


 橋を渡りきった草地で、荷馬車は止まった。


 ヒューが、大きく息を吐く。


「……無事、か」

「はい。制御箱も、止まっていません」


 ルカは魔力計を見下ろした。


 結界の範囲。脈の間隔。滞在時間と蓄積量の関係。


 数値は、すべて記録されている。軍に突きつける材料としては、十分だ。


 ――けれど。


 ルカは荷馬車から降りて、石橋を振り返った。


 もう、銀の網は見えない。ただの古い石の橋が、昼下がりの光の中で静かに佇んでいる。


 (あの術式は)


 思い出す。


 研究院の自室。山のような草稿。


 第七草案。


 最後の章に、ルカは、見出しだけを書いていた。


『同期』


 魔力を送る相手を識別し、必要な相手にだけ、必要な量を送る。


 その処理を、まだ書いていなかった。


 書く前に、取り上げられたのだ。


 あの結界は、受け手を選ばない。


 誰にでも、無差別に、魔力を流し込む。


 それは、悪意で作られた罠じゃない。


 ただ、未完成なだけだ。


「おい、ルカ」


 ヒューが、隣に立った。


「原因は、分かったのか?」

「……はい」


 ルカは、橋から目を離さずに答えた。


「あの結界は、まだ書き終わっていないんです」

「書き……終わってない?」

「誰かが、途中の術式をそのまま動かしているんです。一番大事な最後の頁が、抜けたまま」


 ヒューはしばらく黙っていた。


「……それは、直せるのか?」


 直せる。


 直せるのは、世界でただ一人。


 書き残した頁の続きを知っている、自分だけ。


 ルカは、拳を握りしめた。


 逃げてきた。一年間、ずっと。


 けれど、あの橋の上では、自分が書き残した欠陥が、いまも人を困らせている。


 (……最後の一頁は)


 書いた本人にしか、書けない。


「……直します」


 ルカは、顔を上げた。


「その結界を、止めずに」




 第4話 了

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