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魔力が足りない? なら、術式を書き換えればいいじゃない。~追われる天才少女のほのぼの辺境魔法研究録~  作者: 春
第一章 雨の街と消えた魔石

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第3話 見覚えのある署名


 金貨三百枚。


 それが、いまのルカにつけられた値段だった。


 宿の食堂の壁に貼られた手配書を見つめたまま、ルカはスプーンを持つ手を止めていた。街の宿には、役所からの手配書を貼る決まりがある。昨夜は部屋に直行したから、気づかなかった。


『王立魔法研究院第三研究棟爆破事件 首謀者

 ルカ・エルフェルト

 身柄を確保した者には、金貨三百枚を与える』


 その下に、似顔絵がある。


 長い髪の、目つきの鋭い少女。唇は不機嫌そうに曲がり、眉間にはやたらと深い皺が刻まれていた。


 (……誰、これ)


「すごい額ですよねえ」


 向かいの席から、アリアが身を乗り出した。


「うちの宿の十年分ですよ。一生に一度でいいから、そんな大金見てみたいなあ」

「……そう、ですね」

「ルカ・エルフェルトかあ。……あれ?」


 アリアが首をかしげた。


 ルカの背筋が、すっと冷えた。


「ルカくんと同じ名前だ」


 スープが気管に入った。


「だ、大丈夫ですか!?」

「へ、平気、です。ルカは、よくある名前、なので……」


 事実だった。王都ではありふれた名前だ。だから姓さえ隠せば平気だと、昨日までは思っていた。


「ですよねえ。それにこの絵、怖すぎ。ルカくんは、もっとこう……ぽやっとしてるっていうか」

「……ぽやっと」

「あっ、悪い意味じゃないですよ!」


 悪い意味じゃないらしい。ルカは複雑な気持ちで、冷めかけたパンをかじった。


 とにかく、疑われてはいない。


 この絵を描いた人は、きっと本人を一度も見たことがないのだろう。

 感謝すべきなのか、少し傷つくべきなのか、ルカには判断がつかなかった。


 そのとき。


 ――ドンッ!


 宿の裏庭から、鈍い衝撃音が響いた。


「……また始まった」


 アリアが額を押さえる。


「また?」

「三日前から泊まってる護衛さんです。たぶん、馬車をまた叩いてます」


   *


 裏庭には、昨夕、通りで見かけた荷馬車が停まっていた。


 その荷台の脇で、一人の青年が、魔道具の制御箱に剣の柄を叩きつけている。


 背が高い。使い込んだ革鎧に、無骨な長剣。顔立ちは悪くないのに、眉間の皺のせいで、

 ずいぶん不機嫌そうに見えた。


 (手配書の絵と、いい勝負だ)


「動け、このポンコツ!」


 ドン。


「昨日は動いてただろうが!」


 ドン。


「ヒューさん! 叩いたらだめだって、何回言ったら分かるんですか!」

「叩けば直る。大体は」

「大体は、でしょ!」


 ヒューと呼ばれた青年は、バツが悪そうに頭をかいた。


 その向こうで、御者台の白髪の老人が、困り顔で空を仰いでいる。


 ルカは、何気なく制御箱に目をやった。


 (……あ)


 箱の継ぎ目から、ほのかな光が漏れていた。


 赤い。


 昨日見た、あの薄い残滓とは違う。出口を失った魔力が、内側で膨れ上がっていく色だった。


 低い唸りが、箱の中から聞こえ始める。


「……ヒューさん、でしたよね」

「あ? 誰だ、坊主」

「離れてください。今すぐ」


 自分でも驚くほど、静かな声が出た。


「その箱、魔力が溜まりすぎてます。叩いたせいで、止まっていたものが動き出してる」

「何を言って――」


 唸りが高くなる。


 継ぎ目から、赤い光が糸のように伸びた。


 馬小屋は、すぐ隣だ。繋がれた二頭の馬が、不安げに足を踏み鳴らしている。荷台には藁と木箱。


 (燃える)


 考えるより先に、体が動いた。


「アリアさん、水桶! 馬の水桶を、ここに!」

「えっ、はいっ!」


 ルカは鞄から、父の工具を引き抜いた。


 制御箱の蓋をこじ開ける。熱い。指先が焼けるように痛んだが、構っていられなかった。


 中の回路が、目に飛び込んでくる。


 (全部止める必要はない)


 (切るのは、一本だけ)


 魔石へつながる、細い導線。その根元。


 工具の先が、銅線を断った。


 行き場をなくした赤い光が、箱の中で暴れる。


「はい、水桶!」


 アリアが両腕で抱えてきた桶を、荷台の脇にどんと置いた。


 ルカは、切り離した導線の端を、水の中へ突っ込んだ。


 (お願い、流れて)


 指先から、ほんのわずかな魔力を送る。道を示すだけの、細い細い糸。


 次の瞬間。


 水面が、青白く光った。


 溜まっていた魔力が、導線を伝って水の中へ吸い込まれていく。

 唸りが低くなり、赤い光が薄れ、やがて――


 静かになった。


 桶の水が、一度だけきらりと瞬いて、元の色に戻った。


「…………」


 誰も、何も言わなかった。


 ルカは大きく息を吐いた。


 途端に、視界の端が白くなった。膝から力が抜けて、荷台の縁を掴む。


 (……使いすぎた)


 魔力とは、生まれつき大きさの決まった杯に注がれた水のようなものだという。

 ルカの杯は、人の半分どころか、指ぬきほどの大きさしかない。


 その底の底を、いま、ほとんど使い切った。


 今日はもう、まともな術式は使えない。


「おい」


 すぐ近くで、ヒューの声がした。


「大丈夫か」

「……はい。少し、立ちくらみがしただけで」


 顔を上げると、青年は呆然とした顔でルカを見下ろしていた。


「今、何をした」

「箱に溜まった魔力を、水に逃がしました。……それと」


 ルカは、青年の腰の剣を、ちらりと見た。


「叩かないでください。魔道具は、石じゃありません」

「……すまん」


 大の男が、素直に頭を下げた。


 アリアが吹き出す。


「ヒューさんが謝った! ルカくん、すごい!」

「いえ、そんな……」

「命拾いした。礼を言う」


 ヒューは顔を上げ、改めてルカを見た。


「ヒューだ。この馬車の護衛をやってる。……お前、もしかして、昨日ベルクの店に来たっていう」

「あ、それです!」


 アリアが元気よく手を挙げた。


「ベルクさんの暖房機を、魔力消費百二十分の一にした天才少年! 今朝から市場で、ベルクさんが

 言いふらしてましたもん。『うちにとんでもない子供が来た』って」


 ルカは、静かに空を仰いだ。


 目立たず、静かに暮らすはずだったのに。


 (……もう手遅れらしい)


   *


「頼みがある」


 ヒューは腕を組み、荷馬車を顎で示した。


「この馬車、西の街道で三度目の故障なんだ。魔石は全部、新品に替えた。職人にも見せた。

 それでも同じところで止まる」

「同じところ?」

「石橋だ。街道の途中にある、古い石橋。あそこを渡ったあとで、決まって魔道具がおかしくなる」


 ヒューは指を三本立てた。


「共通点は三つ。一つ、壊れるのは必ず石橋を渡ったあと。二つ、魔石が新品でも壊れる。

 三つ、壊れ方が全部同じ。制御箱が止まる」

「…………」

「半年前、あの橋に軍が防護結界を張った。魔物除けだそうだ。故障が増え始めたのも、同じ頃だ」


 ルカの指が、ぴくりと動いた。


 防護結界。


「軍は、何と?」

「『結界は正常に稼働している。魔道具の故障は整備不良』の一点張りだ。

 橋の調査も、門前払いだった」


 ヒューは苦々しげに舌打ちした。


「この荷だって、俺のもんじゃない。依頼主は昨日、荷を置いて逃げちまった。護衛料も払われてない」

「じゃあ、なんでまだここに」

「じいさんがいるだろ」


 ヒューは、御者台の老人を顎で示した。


「馬車が動かなきゃ、このじいさんは稼げない。孫の誕生日が近いんだとさ」

「修理代まで自腹なんですよ、ヒューさん」


 アリアが呆れ声で付け足す。


「この三日で、護衛料より人助けの出費のほうが多いんです。お人好しすぎて」

「うるさい」

「事実ですもん」


 ヒューは咳払いをして、ルカに向き直った。


「この馬車を、調べてくれ。礼は出す。銀貨三枚。今の俺に出せる精一杯だ」


 銀貨三枚。


 ルカの財布と合わせれば、銀貨は五枚になる。あと十日は、宿に泊まれる。


 (でも……)


 関わらない。目立たない。それが、この一年の鉄則だった。


 つい今しがた、自分の首に金貨三百枚の値がついていることを、確認したばかりなのに。


 断る理由は、山ほどある。


 けれど、ふと、荷馬車の制御箱が目に留まった。


 あの、薄い逆流の痕跡。


 外側から、内側へ。


 魔石のせいではない。そう気づいたときから、ずっと胸に引っかかっていたものだった。


「……調べるだけ、なら」

「本当か!」

「結果は、保証できません。それと」


 ルカは、そっと付け足した。


「噂は、あまり広めないでください」

「ルカくん、目立つの苦手なんです」


 アリアが、なぜか誇らしげに言った。


「でも、もう手遅れだと思いますけど」


   *


 制御箱は、熱が引いて、ようやく触れるようになっていた。


 ルカは切断した導線を外し、回路を一枚ずつ確かめていく。


 壊れている箇所は、ない。


 魔石も正常。回路も正常。それなのに、止まる。


 なら、原因は中ではない。


 (外から入ってきた何かが、残ってる)


 見るだけなら、魔力はいらない。けれど、痕跡を「読む」には、

 ごくわずかでも、自分の魔力を流す必要がある。


 指先に意識を集める。


 残っているのは、杯の底に張りついた、数滴だけ。


 (……一回だけ)


 ここで使えば、今夜、部屋の灯りをつける分も残らないかもしれない。


 それでも、ルカは制御箱の内側へ、指先をそっと触れさせた。


 細く、細く、魔力を流す。


 闇の中に、淡い光の筋が浮かび上がった。


 外側から、内側へ。


 細い螺旋を描いて、制御回路の奥へ潜り込んでいる。


「見えるのか。その、痕が」


 ヒューが息を呑んだ。


「はい。……この馬車は、石橋を渡るあたりで、外から魔力を流し込まれています」

「流し込まれる?」

「流れ込んだ魔力が行き場をなくして、制御箱の中に溜まる。それが、限界を超えると、止まるんです。さっきみたいに」


 ルカは光の筋を、目で追った。


「魔石が悪いんじゃない。流し込む何かが、橋にあるんです」

「……それが、結界か」

「たぶん」


 言葉を切って、光の筋の先を見た。


 螺旋の、尾の部分。


 そこに、見覚えのある形があった。


 ルカの呼吸が、止まった。


 (……え)


 螺旋の末端に、ほんの小さな、閉じた輪。


 何の役にも立たない。魔力の流れにも一切関わらない。ただそこにあるだけの、無駄な輪。


 削れば、術式はもっと美しくなる。


 それを知っていながら、ルカだけは、どうしてもそれを削れなかった。


 自分が組んだ術式の、一番最後に、必ず添える癖。


 誰にも教えたことのない。


 (……私の、署名)


 世界でただ一人、ルカだけが自分に許した「無駄」。


 あの輪が刻まれた術式は、ただ一つしかない。


 研究院に提出する前に取り上げられた、未発表の草稿。


 一年前の爆発で、すべて灰になったはずの。


 だが、何かがおかしい。


 輪のすぐ内側に、本来なら存在しないはずの線が一本伸びている。


 それは、魔力を外へ逃がすための線ではなかった。

 流れ込んだ魔力を、術式の中心へ戻すための線だ。


 ルカは息をのんだ。


 自分なら、こんなつなぎ方はしない。


 この構造では、余分な魔力が蓄積する。制御を誤れば、回路全体が暴走する危険すらある。

 それなのに、誰かがこの線を加えていた。


 自分の理論を知っている人間が。


 そして、その理論を意図的に変えた人間が。


「おい、ルカ。顔色が悪いぞ」

「……なんでも、ありません」


 そう答えるのが、精一杯だった。


 指先から、光の筋がふっと消える。


 けれど、あの小さな輪だけは、目の奥に焼きついて離れなかった。


 あれは、ただの事故の痕跡じゃない。


 一年前に失ったはずの私の術式が、いま、この街道で動いている。


 第3話 了

5000文字と少し長くなりました。まあ気長に読んでくれるとうれしいです。

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