第2話② 消してはいけないもの
ルカは作業台に広げた紙を、もう一度見直した。
光量調整、色彩調整、明滅調整。
どの回路にも、計算上の間違いは見つからない。
それなのに、ランプはつかない。
「……変だな」
思わず声が漏れた。
「やっぱり、難しいですか?」
隣からアリアが尋ねた。
「いえ……難しいというより、何かを見落としている気がして」
ルカは円盤に目を戻した。
個々の回路は、確かに正常だった。
――そのとき、昔の父の声がよみがえった。
『ルカ。一つひとつが正しく動くからって、全部をつないでも正しく動くとは限らないぞ』
まだ幼かったころ、父の仕事を手伝っていて聞いた言葉だ。
『……どうして?』
『たとえば、二人で荷車を押すとするだろ。片方が前から、もう片方が後ろから押したらどうなる?』
『……動かない』
『そういうことだ。どっちも一生懸命押してるのにな』
父は笑って、作業台の魔道具を指さした。
『術式も同じだよ。部品だけじゃなくて、つながった先で何が起きるかを考えるんだ』
――つながった先。
「…………あ」
ルカは顔を上げた。
光量調整回路は、光を一定の明るさに保とうとする。
一方、明滅調整回路は、光を周期的に弱めようとする。
どちらも正常に動いている。
だからこそ、同じ出力部に異なる命令が届いてしまう。
「……そっか。お互いの信号がぶつかりあってるのか」
並列にすれば、すべて解決するわけではない。
独立した処理は分ける。
けれど、一方の結果をもう一方が利用するなら、そこには順番が必要だ。
ルカは急いで紙を引き寄せた。
光量と色彩の調整は並列に。
その結果を一つにまとめてから、最後に明滅を加える。
光量調整回路が明滅を打ち消さないよう、出力先も分けておく。
「……これなら、いける」
今度は慎重に術式線を刻み直した。
ルカの手元を、アリアがじっと見つめている。
「ルカくんって、魔道具を直すのが好きなんですね」
「えっ?」
「さっきから、すごく楽しそう」
「た、楽しいというか……」
ルカは言葉に詰まった。
好きだ。
魔法の仕組みを考えるのは、昔からずっと好きだった。
複雑な術式を一つずつほどいて、何が必要で、何が不要なのかを確かめる。
誰かが作った答えを、そのまま受け入れるのではなく、自分で考える。
それが、たまらなく面白い。
けれど、そんなことを言っても、変に思われるだけだろう。
「……まあ、少しだけ」
「ふふ。少しだけ、ですか」
アリアは笑った。
ルカは耳が熱くなるのを感じながら、円盤を元の位置へ戻した。
「……できました」
「もう!?」
「まだ、試してないので……」
ルカはランプをアリアの前へ置いた。
「アリアさん。つけてみてください」
「私が?」
「はい。アリアさんが使えないと、意味がないので」
アリアは一瞬、戸惑ったようだった。
それから、おそるおそる台座に手を添えた。
目を閉じ、魔力を流す。
ランプの内側に、ぽつりと光がともった。
淡い、蜂蜜色の光。
それが少しずつ明るくなり、またゆっくりと弱まっていく。
まるで、静かに呼吸をするように。
「…………」
アリアは何も言わなかった。
ただ、ランプを見つめていた。
光が明るくなる。
暗くなる。
また、明るくなる。
「……母さんの、光だ」
その声は、とても小さかった。
アリアは硝子の笠に指を伸ばしかけて、途中で止めた。
「ほんとに……同じだ」
ルカは何も言わず、隣に立っていた。
アリアがしばらくして顔を上げる。
「ありがとう、ルカくん」
いつもの明るい笑顔だった。
ただ、目元だけが少し赤かった。
「……いえ。ちゃんと直せて、よかったです」
「すごいですね。こんなに魔力が少なくても、つけられるなんて」
「術式の途中で無駄な変換をしていたので、それを減らしただけです。
あとは、回路同士が邪魔しないように……」
そこまで言って、ルカは口を閉じた。
また、説明しすぎるところだった。
けれどアリアは、興味深そうに聞いていた。
「つまり、ランプが頑張りすぎてたってことですか?」
「……え?」
「同じことを何回もやって、疲れちゃってたんですよね?」
ルカは少し考えた。
「……大体、そんな感じです」
「じゃあ、ルカくんが楽にしてあげたんですね」
その言い方がなんだかおかしくて、ルカは思わず笑ってしまった。
「……ふふ」
「あっ、笑った!」
「えっ」
「ルカくん、ずっと緊張してたから。やっと笑ってくれましたね」
ルカは慌てて口元を押さえた。
「そ、そんなこと……」
「ありますよー」
アリアは楽しそうに笑った。
その様子を見ていたベルクが、奥から声をかけた。
「おい、嬢ちゃん。そいつ、今夜泊まるところはあるのか?」
「え?」
アリアが振り返る。
「おまえ旅人なんだろ。もう日が暮れるし、近くの宿埋まっちまうぞ」
ルカの心臓が、嫌な音を立てた。
「……えっと」
泊まるところ。
正確には、ない。
財布の中身を考えれば、宿に泊まる余裕もほとんどなかった。
けれど、それを正直に言うのは気が引ける。
「……なんとか、します」
「してねえやつの返事だな」
ベルクは呆れたように言った。
するとアリアが、ぱん、と手を打った。
「じゃあ、うちに来ませんか?」
「……え?」
「私、宿屋の娘なんです。空いてる部屋もありますし!」
「で、でも、お金が……」
「ランプを直してもらったお礼です。少しくらい、サービスさせてください」
「そんな、悪いです……」
「じゃあ、宿の魔道具が壊れたとき、見てもらうっていうのはどうですか?」
ルカは言葉に詰まった。
それなら、ただ世話になるわけではない。
けれど。
(……人と、あまり関わらないほうがいいのに)
王都から逃げて、一年。
誰かと親しくなることは、できるだけ避けてきた。
自分の素性を知られたら、相手まで巻き込んでしまうかもしれない。
それなのに、目の前の少女は、何の疑いもなく笑っている。
「……本当に、いいんですか?」
「もちろん!」
アリアは即答した。
「それに、ルカくんともっとお話ししたいですし」
ルカは少しだけうつむいた。
断る理由なら、いくつも思いつく。
けれど。
「……じゃあ、お言葉に甘えてもいいですか」
「はい! 大歓迎です!」
アリアは嬉しそうにランプを抱えた。
その光は、まだ静かに明滅していた。
店を出るころには、雨が上がっていた。
石畳には小さな水たまりが残り、夕暮れの空を映している。
「うちの宿、ここからすぐなんです」
アリアはランプを大事そうに抱えながら、通りを歩いていく。
ルカはその少し後ろをついていった。
街には、仕事を終えた人々の声が響いていた。
荷車を引く商人。
店先を片づける職人。
夕食の支度を始める家々からは、いい匂いが漂ってくる。
平和な、辺境の街。
少なくとも、そう見えた。
そのときだった。
「だから、また止まったんだって!」
通りの向こうから、怒鳴り声が聞こえた。
見ると、一台の荷馬車が道端に止まっていた。
荷台には大きな木箱がいくつも積まれ、車輪のそばには魔道具らしき金属製の装置が取りつけられている。
男が二人、装置を前に言い争っていた。
「昨日、修理したばかりだろうが!」
「俺に言われても困る! 魔石だって新品に替えたんだぞ!」
「じゃあ、なんで動かねえんだよ!」
アリアが足を止めた。
「あれ……まただ」
「……知ってるんですか?」
「最近、西の街道を通ってきた馬車が、よく壊れるんです。魔道具が急に動かなくなるって」
「……西の街道」
「はい。なんでも、魔石が悪いんじゃないかって噂ですけど」
ルカは荷馬車の装置を見た。
男たちは魔石を取り外し、何度も確かめている。
けれど、ルカの目は別のものに引きつけられていた。
装置の表面。
術式の継ぎ目に、ごく薄い魔力の残滓がまとわりついている。
(……変だ)
普通、魔道具の術式が停止するときは、内部に残った魔力が外へ逃げていく。
けれど、あの痕跡は違う。
外側から、内側へ。
何かが流れ込んだように見える。
「ルカくん?」
アリアが不思議そうに顔をのぞき込んだ。
「……あ、いえ」
ルカは慌てて視線をそらした。
「なんでもないです」
そう答えたものの、胸の奥に小さな違和感が残った。
魔石の不良なら、あんな痕跡は残らないはずだ。
それに、なぜ西の街道を通った馬車ばかりなのだろう。
「行きましょう、ルカくん!」
「……はい」
アリアに呼ばれ、ルカは歩き出した。
背後では、まだ男たちが言い争っている。
ルカは一度だけ振り返った。
壊れた魔道具。
外側から入り込んだ、見覚えのない魔力の痕跡。
そして、西の街道。
(……何か、引っかかる)
けれど今は、考えても仕方がない。
そう自分に言い聞かせて、ルカは前を向いた。
夕暮れの街を、アリアが軽い足取りで歩いていく。
その腕の中では、小さなランプが温かな光をともしていた。
ルカはまだ知らなかった。
この街で相次ぐ魔道具の故障が、彼女の逃げてきた過去と、再びつながることになるとは。
第2話 了




