第2話① 母の灯した明かり
「……これ、お母さんの形見なんです」
アリアはそう言って、両手で抱えていたランプを作業台に置いた。
小ぶりな卓上ランプだった。
真鍮の台座に、乳白色の硝子でできた笠。装飾は控えめで、決して高価な品には見えない。
けれど、硝子には細かな傷がいくつもあり、台座の縁は長年磨かれてきたのだろう、
角が丸くなっていた。
大切に使われてきたことが、一目でわかった。
「昔は毎晩つけてもらってたんです。寝る前になると、母さんが枕元に置いてくれて」
「……そうなんですね」
「でも、私が大きくなってからは、うまくつけられなくなっちゃって」
アリアは苦笑した。
「私、魔力が少ないので」
ルカはランプに視線を落とした。
魔力が少ない。
その言葉が、少しだけ胸に引っかかった。
「……見ても、いいですか?」
「もちろん!」
アリアは嬉しそうにうなずいた。
ルカはランプをそっと持ち上げ、底面の留め具を確かめた。
古い型式だが、分解は難しくなさそうだった。
工具を借りようと顔を上げると、店主のベルクがすでに小さなドライバーを差し出していた。
「壊すなよ」
「……気をつけます」
「さっき暖房機を直したやつに言うことでもねえがな」
そう言って、ベルクは鼻を鳴らした。
アリアが小さく笑う。
ルカは工具を受け取り、慎重に底板を外した。
中には、魔力を光へ変換するための術式円盤が収められていた。
ごく一般的な照明術式。
……の、はずだった。
「…………あれ?」
ルカは目を細めた。
円盤の表面には、製造時に刻まれた均整の取れた術式線が並んでいる。
けれど、その上から、別の線がいくつも書き足されていた。
細く、ところどころ歪んだ線。
工房で使われる刻印器ではなく、手作業で彫られたものだ。
「どうかしました?」
「いえ……これ、あとから術式を追加していますね」
「追加?」
「はい。もともとの照明術式とは別に、光の強さを調整する回路、色を変える回路とよくわからない回路
と,,,,,」
ルカはそこで言葉を止めた。
もう一つ。
円盤の外周に沿うように、緩やかな曲線が刻まれている。
「……明滅調整?」
「めいめつ?」
「光を、少しずつ明るくしたり、暗くしたりする仕組みです」
その瞬間、アリアの表情が変わった。
「あっ……!」
「……?」
「そうです! 母さんのランプ、光がゆっくり明るくなったり、暗くなったりしてたんです!」
アリアは懐かしそうに硝子の笠を見つめた。
「普通のランプより、ちょっとだけ黄色っぽくて。まぶしくなくて……なんだか、呼吸してるみたいに光るんです」
「……呼吸」
「はい。子どものころ、それを見てると安心して眠れたんです。母さんが隣にいてくれるみたいで」
ルカはもう一度、円盤を見下ろした。
不規則な線。
回り道をするような接続。
魔力を余分に消費する、いくつもの調整回路。
効率だけを考えるなら、真っ先に取り除くべき部分だった。
けれど。
「……なるほど」
ルカは小さくつぶやいた。
「どうですか? 直せそうです?」
「はい。ただ……」
「ただ?」
「普通に直すだけなら、簡単なんです」
アリアが首をかしげる。
「この追加された回路を外せば、魔力の消費量はかなり減ります。たぶん、アリアさんでもつけられるようになると思います」
「本当ですか!」
「……でも」
ルカは円盤を指さした。
「そうすると、このランプは普通の白い光になります」
アリアの笑顔が、わずかに止まった。
「あ……」
ほんの短い沈黙だった。
アリアはすぐに笑顔を作った。
「そっか。まあ、仕方ないですよね。つかないよりは、ずっといいですし!」
明るい声だった。
けれど、ランプを見つめる目は少し寂しそうだった。
ルカは、その表情を見ていた。
「……あの」
「はい?」
「少し、時間をもらってもいいですか」
「時間?」
「光の色も、明るさの変化も……そのまま残したいので」
アリアが目を丸くする。
「そんなこと、できるんですか?」
「……まだ、わかりません」
ルカは正直に答えた。
「でも、試してみたいです」
そう言って、円盤を作業台に置いた。
効率が悪いからといって、不要なものとは限らない。
それは、父に教わったことだった。
このランプの余分な回路には、ちゃんと理由がある。
ならば、削るべきなのは、その理由ではない。
理由を残したまま、無駄だけを取り除けばいい。
ルカは紙を一枚引き寄せた。
「……ちょっと、考えます」
最初に調べたのは、光を生み出す基本術式だった。
魔石から取り出した魔力を光へ変える。そこから光量を調整し、色を整え、最後に明滅を加える。
元の術式は、そのすべてを一つずつ順番に処理していた。
しかも、各工程の間には、魔力をいったん元の状態に戻すための変換回路まで挟まっている。
「……どうして、毎回戻してるんだろう」
「何か言ったか?」
ベルクが奥から顔を出した。
「い、いえ! 独り言です」
「そうかい。まあ、好きにやれ」
店主はそれだけ言って引っ込んだ。
ルカは胸をなで下ろした。
どうも、考え始めると周りが見えなくなる。
昔からの悪い癖だった。
気を取り直して、術式を書き出す。
光の強さと色の調整は、どちらも基本術式から得られる情報を使っている。互いの処理結果を待つ必要はない。
ならば、二つを同時に処理すればいい。
さらに、途中で魔力を元の状態へ戻さず、調整結果だけを出力部へ渡すようにすれば、余計な変換も省ける。
「……うん。これなら」
ルカは新しい術式を紙に描いた。
何度か計算を確かめ、円盤に仮の術式線を刻む。
魔力を流してみた。
ランプの内側に、小さな光が生まれる。
「あっ!」
アリアが身を乗り出した。
淡い、温かな光。
硝子の笠を通して広がるそれは、アリアが話していた通り、どこか懐かしい色をしていた。
「……母さんの」
アリアが小さくつぶやく。
けれど、その言葉が終わるより早く。
ふっ、と光が消えた。
「……え?」
ルカは慌てて円盤を調べ直した。
光量調整回路は正常。
色彩調整回路も正常。
明滅調整回路も、設計通りに動いている。
それなのに、光が消えてしまう。
(……どうして?)
ルカは唇を噛んだ。
計算は間違っていない。
それぞれの回路も、きちんと動いている。
なのに、何かがおかしい。
「……ルカくん?」
アリアの声に顔を上げる。
彼女は消えてしまったランプを見つめていた。
その表情を見て、ルカは胸が痛くなった。
ようやく戻りかけた、母親の光。
それを、もう一度消してしまった。
「……すみません。少しだけ、考えさせてください」
ルカは再び円盤へ目を落とした。
何かを見落としている。
きっと、とても単純なことを。
そしてその答えは、ずっと昔に教わっていたはずだった。
続く




