第1話④
「……百二十分の一?」
やがて、店主が聞き返した。
「はい」
「いやいや、待て待て。そんな馬鹿な話があるか」
ルカは少し困った。
確かに、予想より大きな差ではあった。
だが、理論上は説明できる。
「その……元の術式が、かなり古い構造だったので」
「古いからって、そんなに変わるか?」
「変換のたびに損失が出ますから。特に、この規格は……」
ルカはそこまで言って、口を閉じた。
店主が、妙な顔でこちらを見ていた。
アリアも同じだった。
(……あれ?)
ルカはようやく気づいた。
普通の魔道具修理で、魔力消費が百二十分の一になることなど、まずない。
少なくとも、一般的な修理技術では。
そして自分は、今、それをやってしまった。
「……あの」
ルカは恐る恐る口を開いた。
「できれば、その……今のことは、あまり……」
「お前、いったい何者なんだ?」
店主の問いに、ルカは答えられなかった。
研究院。
第三研究棟。
あの日の爆発。
そして、自分に向けられた国家反逆の容疑。
思い出したくない光景が、頭の奥をよぎる。
「……ただの、旅人です」
ようやく、それだけ答えた。
店主はしばらくルカを見ていた。
しかし、やがて肩をすくめた。
「まあ、そういうことにしとくか」
「……え?」
「何者だろうが、直してくれたのは事実だ」
店主は暖房魔道具を見下ろした。
「助かったよ、ルカ」
その言葉に、ルカは少しだけ目を伏せた。
「……よかったです」
そのとき、アリアがぽんと手を打った。
「あ、そうだ!」
ルカが顔を上げる。
「ねえ、ルカ。もし時間があるなら、もう一つ見てもらいたいものがあるんだけど」
「……何ですか?」
「ランプなの」
アリアは布袋の中から、小さなランプを取り出した。
真鍮の台座に、乳白色の硝子。
飾り気はないが、丁寧に磨かれている。
「母さんが使ってたものなんだ」
アリアはランプを両手で包み込んだ。
「壊れてるわけじゃないの。ベルクさんにも見てもらったし」
「おう。魔石も回路も正常だ」
店主が頷いた。
「ただ、起動に必要な魔力が多すぎるんだよな」
アリアは少し困ったように笑った。
「私、魔力が少ないから。母さんが使ってたときは、普通につけられたんだけどね」
ルカはランプを見た。
「……少し、見てもいいですか?」
「もちろん!」
アリアは嬉しそうに差し出した。
ルカはランプを受け取る。
思ったより軽かった。
台座の裏には、小さな傷がいくつもついている。
長い間、大切に使われてきたのだろう。
ルカは慎重に術式を読み始めた。
基本構造は、一般的な照明魔道具と変わらない。
魔力を光に変換し、一定の明るさを保つ。
しかし、その奥に、いくつかの補助回路があった。
明るさの変化を緩やかにするもの。
光の色を少しだけ暖かくするもの。
そして、もう一つ。
(……これ、何だろう)
ルカは目を細めた。
術式の一番奥に、見慣れない回路がある。
効率だけを考えれば、真っ先に削除するべき部分だった。
だが、何かが引っかかる。
この回路は、他の処理とはほとんどつながっていない。
わずかな魔力を受け取り、一定の間隔で出力を変化させている。
光の強さを変えるには、あまりにも小さな変化だ。
何のためにあるのだろう。
ルカは工具を置いた。
父の言葉が、ふと蘇る。
『削る前に考える。どうしてここにあるのか、なくしたら何が困るのか』
「……アリアさん」
「うん?」
「このランプ、お母さんは、いつもどこで使っていましたか?」
アリアは少し驚いた顔をした。
「え? えっと……寝る前かな」
「寝る前?」
「うん。私が小さい頃、よく枕元に置いてくれてたの」
アリアは懐かしそうに笑った。
「母さん、寝る前になると、いつもこのランプをつけてくれたんだ」
「……そうですか」
ルカはランプを見つめた。
暖かな光。
ゆっくりと変わる明るさ。
そして、一定の間隔でわずかに揺らぐ出力。
それらを一つずつ、頭の中で組み合わせていく。
(……もしかして)
ルカは、ある可能性に気づいた。
しかし、まだ確信はない。
アリアが首を傾げる。
「どうしたの?」
ルカは顔を上げた。
「……少し、時間をもらってもいいですか?」
「うん。もちろん」
「このランプ、ただ光らせるだけなら、たぶん簡単にできます」
「本当?」
「はい。でも……」
ルカはランプの内側に刻まれた、小さな回路を指さした。
「これを残したまま直すには、もう少し調べたいんです」
「……それ、何か特別なものなの?」
「まだ、分かりません」
ルカは正直に答えた。
「でも、きっと、何か理由があると思うので」
アリアはしばらくランプを見つめていた。
それから、ふっと笑った。
「……そっか」
その声は、少しだけ柔らかかった。
「じゃあ、お願いしてもいい?」
ルカは頷いた。
「……はい」
窓の外では、雨がまだ降り続いていた。
けれど、店の中は暖かかった。
古い暖房魔道具が、静かに熱を放っている。
ルカはランプを作業台に置き、もう一度、術式を読み始めた。
今度は、無駄な回路を探すためではない。
その回路を残した人が、何を考えていたのか。それを知るためだった。
そして、ルカはまだ知らない。
この小さなランプとの出会いが、彼女の逃亡生活を大きく変えることになるとは。
第一話 了




