第17話 拍の隙間
三日の猶予は、あっという間に、一日目の朝になっていた。
旧実験棟の前の広場に、ゼロ組の八人が一列に並んでいる。
「いいですか。束ねるときは」
ルカが説明を始める前に、トマスが手を挙げた。
「俺、いいこと思いついた」
「何ですか」
「生地をこねる要領でやると、うまくいくんだ」
全員が、きょとんとした。
「パンの生地ってさ、ばらばらの粉をぎゅっとまとめるだろ。魔力も同じ。掌でくるくる丸めて、ぎゅっと。で、ぱっと」
トマスが実際にやってみせると、掌に、ぽっと灯りがともった。
昨日より、明らかに大きい。
「できてる」
ミーナが、目を丸くした。
「できてる。でも理屈はよく分からないよ」
「分かれよ!」
トマスがむくれて、ルカは吹き出した。
それから全員で、生地をこねる真似を始めた。
ニーナは刺繍の針を持つ手つきで。ロルフは剣を研ぐ要領で。
ユリウスだけは不服そうだった。
「優雅さに欠けます」
「結果が出ればいいんです」
ルカが言うと、ユリウスは肩をすくめて、渋々生地をこね始めた。
*
その様子を、木の陰から覗いている者がいた。
金色の髪の少女だった。
「何をしてるんですか、セシリアさん」
ルカが声をかけると、少女はびくりと跳ねた。
「ち、違いますわ。視察です」
「視察」
「ゼロ組が騒がしいと聞いたものですから」
セシリアは胸を張った。けれど視線は、トマスの抱えたパン籠に釘づけだった。
「食うか?」
トマスが、丸いパンを差し出した。
「平民のパンなど」
そう言いかけて、セシリアは手を伸ばした。
ぱくり。
しばらく、無言で噛んでいた。
「これは、何ですの」
「俺の実家のパン。パン屋の三男だからな」
「こんなにふわふわで、温かいものが、世の中に」
セシリアは目を輝かせて、二個目に手を伸ばしかけて、はっと我に返った。
「と、とにかく三日後は見届けさせていただきますわ。覚悟なさい」
セシリアはパンを三つ、ポケットに詰め込んで走り去った。
「あいつ、三つ持っていったぞ」
「見なかったことにしましょう」
*
その夜、寮の窓辺で、エルナがルカの袖を引いた。
「講堂の流れ、増えてる」
ルカは顔を上げた。
エルナは、窓の外の大講堂を、目を細めて見つめていた。
「柱の中の流れ。昨日より三倍くらい速い」
「三倍」
ルカの背筋が冷えた。
そこへ、ロルフが無言で入ってきた。
「さっき、講堂の裏から男が一人出てきた。魔導技師の格好だ」
「顔は」
「見えなかった。靴が軍用だった」
翌朝、旧実験棟に集まったゼロ組の前で、ミーナが紙に数字を書き並べた。
「減算量が三倍なら、束ねても、私たちの値はほとんど零になる」
教室が、静まり返った。
「ガイスト教授ですか」
「他にいませんね」
「証拠がない」
ロルフが言った。
「訴えても、点検だと言い張られる」
重い沈黙が落ちた。
束ねても、三倍の減算には勝てない。
けれど、ルカはふと顔を上げた。
「エルナさん」
「うん」
「柱の拍は、見えますか。一定の間隔で魔力を引いていく、その拍です」
エルナは少し考えて、頷いた。
「見える。ずっと一定。とん、とん、とん、って」
「その、とんと、とんのあいだに魔力を出したら」
ミーナが、はっと顔を上げた。
「引く操作は、拍ごと。あいだに出せば」
「引かれません」
ルカは、はっきり言った。
「拍が来た瞬間にだけ動く回路です。その隙間に出せば、ほとんど減算を受けません」
「でも、その隙間って、どのくらいだ」
トマスが、おずおずと言った。
「ほんの一瞬です。だから、エルナさんの目が必要です」
エルナが、ぱちりと目を開けた。
「柱の拍を見て、合図を出してください。『今』って」
エルナは、ルカをしばらく見つめて、ゆっくり微笑んだ。
「うん。やる」
*
その日は、夜通し練習した。
新しい簡易測定器を、三倍の拍に合わせて組み直す。
エルナが、拍を見つめて、小さく息を吸う。
「今」
トマスが、束ねた魔力を解き放った。
目盛りが、跳ね上がった。
『六十』
「ろ、ろくじゅう!?」
トマスが、のけぞった。
「三倍の減算なのに!」
「引かれてないんです」
ミーナが、震える声で言った。
「ということは、これがトマスの、本当の魔力」
全員が、息を呑んだ。
柱は、人の魔力を、こんなにも隠していた。
ユリウスが、五十一。
ミーナが、五十五。
ニーナが、五十。
ロルフが、五十七。
ゴードンは、腕輪をつけたまま、百を超えた。
エルナは、自分の拍を数えながら、四十七。
ルカは、四十五。
「全員、三十を超えました」
ゼロ組が、歓声を上げた。
ゴードンが、トマスを抱き上げてぐるぐる回った。ニーナが、ユリウスの背中をばしばし叩いた。ミーナは眼鏡を拭きながら、涙を隠した。
そのとき、窓辺のエルナが、声を落とした。
「ルカ」
「はい」
「講堂に、誰かいる」
歓声が、止んだ。
ルカは、窓に駆け寄った。
月明かりの大講堂。
壇の前に、背の高い人影が、ぽつんと立っていた。
白い外套。遠目にも分かる、整った立ち姿。
柱に、そっと片手を触れている。
「大きい」
エルナが、かすれた声で言った。
「すごく大きな流れ。でも、とても静か」
ルカは、息を呑んだ。
これほどの流れを、ここまで静かに抑え込める人間を、ルカは見たことがなかった。
冠位術師。
視察は、まだ一日先のはずだった。
人影は、ゆっくり柱から手を離した。
それから、まるでこちらが見えているかのように、旧実験棟の窓のほうへ顔を向けた。
ルカの全身が、凍りついた。
第17話 了




