第1話②
「ん?」
店主が振り返った。
ルカは固まった。
「今、何か言ったか?」
「い、いえ」
「無駄って聞こえたぞ」
「……その」
ルカは膝の上で手を握った。
言わない方がいい。
分かっている。
けれど、目の前の術式はあまりにも不自然だった。
「……術式、です」
「術式?」
「その……魔力の流し方が、少し……」
店主は暖房魔道具を見下ろした。
「何か分かるのか?」
「いえ、まだ、ちゃんと見てないので……」
「じゃあ見てみろ」
「え?」
「どうせ直らなくて困ってるんだ。何か気づいたんなら教えてくれ」
ルカは戸惑った。
アリアが横から顔を覗き込む。
「ルカ、魔道具に詳しいの?」
「……少しだけ」
「じゃあ、ちょうどいいじゃない!」
そう言って、アリアは作業台の前を空けた。ルカはしばらく迷った末、椅子から立ち上がった。
近づいてみると、術式は思った以上に古いものだった。
円盤の縁には、現在では使われていない補助記号が並んでいる。
ルカは慎重に指を動かし、魔力回路の接続を確かめた。
「……ここです」
指さしたのは、円盤の中央にある細い線だった。
「この整流回路、熱量調整の後にも通ってますよね」
「そうだな」
「でも、ここを通ると、せっかく調整した魔力が一度、元の状態に戻されるんです」
店主が首を傾げた。
「戻さないと、次の回路が受け付けないんじゃないのか?」
「今の接続だと、そうです。でも……」
ルカは隣の回路を指した。
「安全装置が必要としているのは、熱量の情報だけなんです。調整済みの魔力を全部送る必要はありません」
「……情報?」
「はい。だから、ここで二つに分けて……」
言いかけて、ルカは口を閉じた。
店主がじっと見ている。
アリアも、興味深そうにこちらを見ていた。
(……しゃべりすぎた)
ルカは慌てて手を引っ込めた。
「す、すみません。変なことを……」
「いや、続けてくれ」
店主の声は、思いのほか真剣だった。
「つまり、ここの回路を通さずに済むってことか?」
「……はい。ただ、完全に外すのは危険です」
「どうしてだ?」
「この回路には、もう一つ役割があるので」
ルカは円盤の外周を指さした。
「熱が上がりすぎたとき、出力を止める仕組みです。だから、全部消してしまうと……」
「安全装置までなくなるわけか」
「はい」
店主は顎をさすった。
「なるほどな。じゃあ、どうする?」
ルカは術式を見つめた。
頭の中で、回路を一本ずつほどいていく。
整流。
熱変換。
出力調整。
安全監視。
そして、それらをつなぐ接続部。
魔法を構成する一つ一つの処理は、決して間違っていない。
問題は、その順番だった。
現在の術式は、すべての処理を一本の流れに並べている。
だが、独立して動かせる回路まで直列にする必要はない。
それなら。
「……分ければ、いいんです」
「分ける?」
「熱を作る回路と、安全装置を監視する回路を、別々に動かします。必要な情報だけ共有するようにすれば、魔力を何度も変換しなくて済みます」
店主はしばらく黙っていた。
やがて、作業台の端から紙と鉛筆を取った。
「悪いが、描いてみてくれないか」
「……え?」
「口で聞いただけじゃ、俺には分からん」
ルカは紙を受け取った。
少し迷ってから、術式を書き始める。
まず、元の構造。
次に、処理を分けた構造。
独立して動かせる回路を並列に置き、必要な部分だけ接続する。
すると、これまで何度も通過していた整流回路を、一度だけで済ませられる。
店主は紙を覗き込んだ。
「……待て。これじゃ、熱量の調整が終わる前に安全装置が動くんじゃないか?」
「はい」
「それでいいのか?」
「むしろ、その方がいいんです。安全装置は、熱が上がってから確認するより、上がっている途中から監視した方が……」
そこまで言って、ルカははっとした。
また夢中になっていた。
店主の顔を見る。
怒ってはいない。
むしろ、楽しそうだった。
「……面白いな」
店主はぽつりと言った。
「そんなつなぎ方、考えたこともなかった」
ルカは返事に困った。
自分にとっては、特別なことではなかった。
ただ、無駄な回路があったから、つなぎ直そうと思っただけだ。
「……直してみても、いいですか?」
店主が目を丸くした。
「お前が?」
「はい。でも、失敗するかもしれません」
「そりゃ俺だって同じだ」
店主は笑った。
「頼むよ」
ルカは鞄を開いた。
中から取り出したのは、一本の細い工具だった。
柄の部分が少し曲がっていて、先端には何度も研ぎ直した跡がある。
新しいものを買った方が、きっと使いやすい。
それでも、ルカはこれを手放せなかった。
工具を握ると、指が自然と決まった位置に収まる。
父が教えてくれた持ち方だった。
それと同時に昔の思い出が込み上げてきた。




