第15話 柱は嘘をつく
消灯から一刻。
男子寮の廊下は、静まり返っていた。
ルカは、靴を手に持って、足音を殺して階段を降りた。
隣のベッドのトマスは、ぐっすり眠っていた。いびきが少しうるさかったおかげで、扉の音は紛れてくれた。
月明かりの中庭を、小走りに抜ける。
大講堂の白い壁が、夜空の下に浮かんでいた。
「やっぱり、来た」
木の下のベンチから、眠そうな声がした。
ルカは、心臓が止まりかけた。
毛布にくるまった小さな影が、片目だけ開けてこちらを見ている。
「エルナさん?」
「あなた、今日、ずっと、そわそわしてた。流れで、分かる」
エルナは、あくびをした。
「女子寮の窓から、見えた。大講堂の方、見てたでしょ」
「見てたんですか」
「うん。あの柱、夜は、にぎやか。眠れない」
にぎやか?
「それで、何をする気?」
「柱を、確かめたいんです」
ルカは、少し迷ってから答えた。
「束ねた魔力が、あの柱で、どう測られるのか」
エルナは、しばらく黙っていた。
「ついていく」
「え」
「流れが、見える人、いた方が、いい」
それだけ言って、毛布を引きずったまま立ち上がる。
断る前に、もう歩き出していた。
*
大講堂の正面の扉は、重い魔導錠で閉ざされていた。
ルカは、錠の前にしゃがんで、術式を読み始めた。
(構造は単純だ)
けれど、どの順に魔力を通せば開くのかが、すぐには分からない。
「ここ」
エルナが、錠の隅を指さした。
「流れが、一か所、滞ってる」
ルカは、目を凝らした。
確かに、回路の端に、行き止まりの細い線がある。何にもつながっていない、無駄な迂回路。
(ここを押さえれば)
指で、その二点を同時に押した。
かちり。
錠が、静かに外れた。
「ありがとうございます」
「うん」
エルナは、眠そうに頷いた。
*
大講堂の中は、青白い月光に満たされていた。
壇の中央に、水晶の柱が立っていた。
昼間とは、まるで違って見えた。
柱の内側を、細い光の筋が、ゆっくり脈打っている。
「ほら、にぎやか」
エルナが、耳を塞ぐ真似をした。
「うるさい」
「何が見えるんですか」
「流れ。柱の中、ずっと、動いてる。夜も。下に向かって」
「下に?」
ルカは、柱の台座を見た。
石の土台の側面に、目盛りの板がはめ込まれている。昼間、「一」と表示された、あの板だ。
「まず、確かめます」
ルカは、柱の前に立った。
掌を、そっと当てる。
息を吸う。
止める。
束ねる。
一息に、掌から魔力を押し出した。
柱の根元で、光が弾けた。
昼間の蝋燭の火とは、まるで違う。光は、胸の高さまで、すっと昇った。
目盛りの板に、数字が浮かぶ。
『二十六』
ルカは、目を疑った。
「にじゅう、ろく」
「昼は、一だった」
「同じ魔力です。出し方を変えただけで」
声が、震えた。
一が、二十六になった。
二十六倍。
「やっぱり、そうだった」
ルカは、柱を見上げた。
「この柱は、魔力を、薄く長く出した人から、ふるい落とすんです。一拍ごとに、一定量を捨てる。束ねれば、捨てる回数が減る」
「だから、少ない人ほど、損をする」
「はい」
エルナが、ぼそりと言った。
「ひどい」
「ひどいです」
ルカは、台座に目をやった。
土台の側面に、小さな点検口があった。
「見てみます」
留め具を外して、蓋を開ける。
中には、石に刻まれた術式の線が走っていた。
ルカは、息を呑んだ。
(……きれい)
最初に目に入ったのは、元の回路だった。
魔力を光に変える、まっすぐな線。余計な枝は、一本もない。誰が組んだのか、とても丁寧な仕事だった。
その上に。
粗い、不格好な線が、無理やり継ぎ足されていた。
(これだ)
一拍ごとに、魔力から、決まった量を引く回路。
元の線とは、筆跡がまるで違う。急ごしらえの、雑な仕事だ。
(誰がこんなものを)
継ぎ足した線の端に、小さな刻印の跡があった。
本来、作った人の署名が入るはずの場所。
そこは、刃物で、削り取られていた。
ルカの手が、止まった。
(この削り方)
砦の地下で見た、あの草稿の表紙。
ルカの名前を消した、あの傷と、同じ手口だった。
*
「ルカ」
エルナが、低く呼んだ。
「蓋の、裏」
ルカは、点検口の蓋をひっくり返した。
裏側に、釘のようなもので引っかいた跡があった。
細い、必死な字。
『この柱は嘘をついている。束ねろ。 ――K』
その下に、小さく、年号が刻まれている。
三年前。
ルカの背筋が、ぞくりとした。
三年前。
受付の事務官が言っていた。
『この名前の推薦を見るのは、三年ぶりです』
アーデルが、最後に誰かを推薦した年。
(偶然じゃない)
K。
三年前に、この柱の嘘に気づいて、傷だけ残していった人。
その人は、いまどこにいるのだろう。
そのとき。
扉の向こうで、足音がした。
「誰かいるのか」
しわがれた声。
ランタンの光が、扉の隙間から揺れた。
「夜警です」
エルナが、囁いた。
「隠れる」
ルカは、点検口の蓋を急いで閉めて、留め具をはめ直した。
壇の裏側へ、エルナを引っぱって、二人でしゃがみこむ。
扉が、軋みながら開いた。
ランタンの光が、大講堂の中をゆっくりなぞる。
椅子の列。柱。壇。
光が、壇の裏に近づいてくる。
ルカは、息を止めた。
その隣で。
「…………」
かすかな寝息が、聞こえた。
ルカは、ぎょっとして隣を見た。
エルナが、しゃがんだまま、ルカの肩にもたれて、目を閉じていた。
「寝てる!?」
小声で叫びかけて、慌てて口を押さえた。
夜警の足が、止まった。
「ん?」
光が、壇の裏を照らす。
ルカは、エルナの口を、そっと手で覆った。
寝息が、止まる。
長い、長い沈黙。
「……猫か」
夜警は、ぼそりと呟いた。
「また入り込んだな」
ランタンの光が、遠ざかる。
扉が、閉まる音がした。
ルカは、ようやく息を吐いた。
「エルナさん、起きてください」
「……うん」
「寝ないでください」
「ごめん。眠い」
エルナは、へにゃりと笑った。
*
寮の部屋に戻ったのは、夜明け前だった。
エルナは、中庭で別れる前に、ぽつりと言った。
「誰にも、言わない」
「ありがとうございます」
「あなたの流れ、きれいだから」
そう言って、毛布を引きずりながら、女子寮のほうへ消えていった。
ルカは、静かに部屋の扉を閉めた。
トマスは、まだ寝ていた。
ベッドに腰を下ろして、枕元のランプに触れる。
淡い蜂蜜色の光が、ゆっくり明るくなって、暗くなる。
手帳を開いて、今夜の数字を書き留めた。
一が、二十六。
基準点の三十までは、あと四。
けれど、それは、ルカの話だ。
トマスは十九だった。ミーナも、ユリウスも、ニーナも。
彼らが束ねたら、どうなるのか。
(八人全員が、三十を超えられるかもしれない)
そう思った瞬間、手が止まった。
三年前、誰かが、この柱の嘘に気づいた。
束ねろ、と刻んだ。
それなのに、三年後の今も、ゼロ組は変わらず存在している。
(K)
その人は、勝てなかったのか。
それとも。
ルカは、手帳の隅に、小さく書き足した。
『三年前。K。アーデルの推薦』
見つかる前に、消さなければ。
そう思いながら、ルカは、そのまま手帳を閉じた。
第15話 了




